ふわふわのマドレーヌ

ぽちこ

ふわふわのマドレーヌ


今日も一生懸命だなぁ。


ついつい〈彼〉を目で追っちゃう。


いつもお願いしてる美容師さんに教えてもらったこのジムへ通い始めて2ヶ月くらい。

若い女の子がたくさんいるような、キラキラしたジムじゃなくて、落ち着いた感じのジムがいいって話をしたら、ここを教えてくれた。


もちろん、わたしも若い女の子だよ!

でも、キラキラした感じは苦手…

学生の頃がっつり体育会系女子だったからかな?



視線の先には、たまに見かける〈彼〉。

声を出して自分を鼓舞しながら追い込んでみたり、独り言が丸聞こえだったり。

でも騒がしいとかじゃなくて、一生懸命な感じがして。

口を尖らせて踏ん張ってみたり、ニコニコして自分の腕や脚を撫でながら「うん、いいよ!」

とか言ったりして。



なんだか見てて飽きないんだよね。

ってわたしが言うのも失礼かな。

美容師さんの「断然男性の方が多いジムだから、いい人見つかるんじゃない?」って言葉が浮かんで、


「や、そんなんじゃ…」


思わずわたしも独り言を言っちゃった。

ただ、少し前に、いつも人懐っこそうな笑顔の〈彼〉が、一瞬冷たい目をしたのを見ちゃって。

真面目とは違う冷たい感じ。

垣間見えたそれに、ドキっとした…

それを探して〈彼〉を目で追ってるのかもしれない。


あっ…目が合っちゃった。


お互い社交辞令的な笑顔で軽く会釈した。

自分でもびっくりした。

目で追ってるってそんな軽いものじゃなくて、〈彼〉にくぎ付けになってたから。


手足が長くてスレンダーで、なのに、結構ハードなメニューこなしてる。

細マッチョさんなんだろうね。

実はムキムキマッチョさんはちょっと苦手。

あのウェアの下は、絶対に腹筋がキレイに割れてるんだろうなぁとか。


な、なんか、ごめんなさい。

勝手に変な想像しちゃって。

〈彼〉の表情とからだを夢中で見てた。

ドキドキが止まらなくて、1人恥ずかしくなって、もう〈彼〉の方へ顔は一切を向けられない。



さぁ、気を取り直してわたしももう少し頑張ろっと。

ドキドキを止めるために、トレーニングマシーンに集中した。



シャワーで汗をすっきり流して、程よい体の疲労感に、今日も気分爽快!

フロントのお兄さんに「さようなら~」を言って帰ろうとして、んん?と視線のようなものを感じる。ロビーのフリースペースの方へ体を向けた。


えっ??


一応辺りをキョロキョロ見渡して、わたししかいないのを確認して、自分で自分を指差して「わたし?」とジェスチャーで返してみる。


さっきの〈彼〉がニコニコ笑顔で「うん、うん!」と頷きながら、右手はさっきからずっと忙しなく「おいでおいで」のジェスチャーをしたまま。


何だろう…

なんでわたし呼び止められてるの?と思いながら〈彼〉の座るテーブルの方へと向かう。


小さな丸いテーブルに椅子が3つ。その1つに座っていた〈彼〉が立ち上がって


「座って座って!」


「え?でも…」


って、怪訝そうな顔で言ったのが自分でも分かった。いきなり隣に座れと言われてもねぇ。

なんて思いながら、改めて目の前の〈彼〉を見たわたしは息が止まる。


さっきと雰囲気が全然違うじゃん。

トレーニングウェア姿とは違って、私服って言えばいいの?

オシャレっていうか、センスが良い。

この人、カッコいい……かも。

もしかしてモデルさんとか?

近くで見ると顔も小さい。

どうしょう、ドキドキが止まらない。


すると、さっきまでニコニコしていた〈彼〉が、

「なんか、ゴメン。そうだよね…急に隣りに座ってとか怪しいよね。あ、全然怪しくないんだけど…いや、でも怪しいか。怪しいよね…」


段々わたしに言ってるのか、独り言なんだかよく分からない感じになって、一生懸命怪しい者じゃないって言おうとすればする程、おかしな感じになってきた。

もちろん、怪しいとかそんな風には感じてなくて、だってよく眺めてるから。

やっぱり人懐っこくて、そして優しい感じの人だなぁって。



「マドレーヌ…?」

小さな丸いテーブルの上をよく見るとマドレーヌが2つ。


「そう!マドレーヌ!!マドレーヌがね、あ…」


わたしが椅子に座ったから、ビックリした顔して一瞬フリーズ。

そして〈彼〉も慌てて椅子に座った。


「いつも1つだけ持って来るんだけど、今バッグの中見たら2つも入ってて、だからその、一緒にと思って。えっと、あの、1つどうですか?」


普通トレーニングの後は、プロテインで補給するんじゃないの?まさかのスイーツ男子!?


「あ、ありがとうございます!」って両手でマドレーヌを受け取るわたし。

だって両手でどうぞ!ってされたら、そうなる。

ぎこちない作り笑顔してるけど、本当は〈彼〉の笑顔と優しくて温かい雰囲気に直に触れてほわわんってなってるわたし。


「あ、飲み物!えっとミネラルウォーターでいい?」

わたしが返事をする前に立ち上がって自動販売機へ向かおうとするから、慌てて〈彼〉の腕を掴んだ。

カーキ色の七分袖のジャケットから出てるところ、手首の少し上の方を掴まえた。


ヒトの体温ってドキドキするね。

掴まえた腕を〈彼〉が見てるのに気づいて、パッと手を離すわたし。


「あの、持ってるから大丈夫です。買わなくても…」

バッグから急いでミネラルウォーターのペットボトルを取り出して見せた。


「あ、そっかそっか。持ってたんだ!えっとじゃあ、食べよっか、ねっ!」



ジムのロビーの小さなテーブルを囲んでドキドキしながらマドレーヌ食べたのが、わたしたちの初デート。

ふわふわなのにしっとりで、シンプルで混じりっけがない感じで、どこか懐かしいホッとするような優しくて安心する味がした。


〈彼〉みたいな味のマドレーヌ。だった。




すぐに本当の『彼』になった〈彼〉は、今横で優しい寝息を立てて、今日もわたしをホッとさせてくれる。

あの日、想像した割れた腹筋は、いつでも確認できるようになった。

ドキドキした体温は、安心させてくれる温もりになった。




Tシャツの中にそっと手を入れて腹筋に手を添えると寝息に合わせてゆっくり上下に動く。

引き締まったお腹全体を手で確認していると、

つまりナデナデしていると


「なに?くすぐったいよ〜」


「あ、起こしちゃった」


って手を引っ込めようとしたら、Tシャツの上からわたしの手を掴んで


「いいよ、そのままで」


って、わたしの手は程よい硬さのお腹に押し付けられたまま。

「あのね、初めて一緒にマドレーヌ食べた日のこと思い出してた。本当にたまたま2つあったの?」


「あ、う、うん」


え?それって、もしかして?

わたしは本当に信じてたんだけど。




「やっぱりわたし冷静じゃなかったんだ。本当に2つ間違えて持ってきたからだと思ってた」


そうだよね。よく考えたらおかしな話かも。


あの時のわたしは『彼』にすっかり心を奪われてた。


舞い上がってたってことだ。




「やっぱり俺カンペキだったよね。誰もわたしに声かけないで!な空気出しちゃってさ。そのクールビューティを崩してやろうと思ってた」




そう言って、俺の勝ちだと言わんばかりのドヤ顔で満足そうに笑ってる。


クールビューティって言われて、すごくこそばゆい。

確かにあの時、誰もわたしに構わないで!って思ってた。



「だってトレーニングしてるのすっごい楽しそうだったもん。体動かすのが好きな人なんだなぁと思って。だから絶対気が合うって確信してた」




あの頃ずっとギスギスしていたわたし。


『彼』の優しさと強さに触れて、今までとても重い鎧に覆われていたわたしの心はみるみる溶けていった。


わたしが『彼』に感じた冷たさみたいなものは、強さだったと気づいたのは最近のこと。


関わる人みんなに優しく出来るのは、色んなコトを乗り越えてきた『強さ』そのものだと知ったら、ますます好きになった。






綺麗に割れた腹筋の上を這わせていた手を、『彼』の背中へと回し、身体全部を密着させながら、


「ねぇ、明日あのマドレーヌ買いに行こ?」と言うと大きなあったかい手がわたしの頭をポンポンって。

頭に乗せられた手の温もりを、わたしは全身で感じてトロトロになる。



次に美容院に行った時、報告しよう。


「すっごくわたし好みのマドレーヌを見つけた」って。

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