第3話 メモの真相はライブハウスで
今すぐに本人のもとに向かうような口調で言っておいて、清水が指定したのは二週間後の日曜だった。
一週間後には卒業式が――あの殺人予告の日が迫っている。
ここは原宿の竹下口を抜けたところにある、小さなライブハウスだった。
先輩とはあまり縁のない場所のように思える。
あのメモを書いたのは、もしかして先輩じゃなかったのか?
「こういう場所は初めてかね、文太君」
「なんだそのテンション。お前それビールじゃないだろうな」
清水は入り口でもらったジンジャーエール(多分)を手に、小さなテーブルにもたれかかっている。上機嫌だ。
前を向けばドラムとマイクがセットしてある舞台が見え、その横には見たこともないような大きさのスピーカーのようなものが設えられていた。
落ち着かない。
いくらガタイが良くても、俺は生粋のインドア派だ。
こんなところに連れてこられても、どう振る舞えば良いのか分からない。
「なんでこんなところに来たんだよ。あのメモを書いたのが誰なのか暴くんじゃなかったのか?」
「そうだよ。これが終わった後、本人に会いに行くんだ」
「それは――」
どういうことだ? 俺の言葉を遮るようにして、舞台の照明が変化した。
「ほら、ライブ中に私語は慎んでくれ」
仕方ないやつだなと言わんばかりの清水に、しぶしぶ口をつぐむ。
俺はコーラを飲み干して、奏者が定位置に着き始めた舞台にちらりと視線戻し……危うく、口の中の液体を勢いよく吹き出すところだった。
「っ、一条先輩!?」
舞台のセンター。
ギターを首から下げて、片手でマイクスタンドを掴むその姿は、まさしく先輩のものだった。
薄暗い照明といつもよりも派手な化粧のせいで、別人のように見える。
けれど、一瞬だけこちらを見て驚いたような顔を見せた先輩を、俺が見間違えるわけはない。
先輩はすぐに表情を引き締め、口紅を引いた唇で挑発的に微笑み、客席を見下ろした。
いつもの先輩とは似つかない、初めて見る顔なのに、俺はまるで魅入られたように視線を外すことができなかった。
ドラムがリズムを刻み、それに合わせてギターが切ないメロディーを奏で始る。
イントロが終わり、先輩が息を吸う音がマイク越しにかすかに響いた。
やがて流れ出した、力強く艶のある歌声は、先輩のいつもの優しく穏やかな声とは違う。
けれど、先輩のその真剣な瞳は、部室で机に向かい合っている時と同じだった。
気付けば、ライブハウス中の観客が熱気のこもった瞳で先輩を見つめていた。
まるで、この舞台を支配する主役に魅入られたように。
もちろん、俺もそのひとりだった。
大きなスピーカーから流れる重低音と、先輩の歌声とその歌詞が、電流のような心地良い振動を伴って俺の身体の中を走り抜けていく。
そして……現実感のない、それこそ夢のような時間はあっという間に過ぎてしまった。
ギターの余韻を残し、先輩がぺこりと礼をする。
ロックな恰好なのに律儀なところが、なんだか無性に先輩らしかった。
まだぼうっとした心地で舞台袖にはける先輩を見送っていると、清水がこっちを向いて唇を開いた。
「文太、行くぞ。許可は取ってある」
「は? ちょっと待て、どこ連れて行くんだよ」
俺のシャツの襟首を掴んだまま文太が意気揚々とやってきたのは、先輩の控室だった。
許可を取っていたのは本当だったらしく、先輩は快く俺達を迎え入れてくれた。
いつもと違う先輩の、いつもと同じ綺麗な笑顔にどぎまぎする俺をよそに、清水はいつの間にか俺のポケットから抜いたらしいメモを先輩に突き出した。
「文太君が、あなたのメモを盗み見ていました」
「人聞きの悪いこと言うな! あのですね、これ、俺が登校した時に窓から降ってきてですね……」
しどろもどろに弁解すると、先輩が、ふいと視線を逸らす。
ほら見ろ、聞き出すにしたってもっとやり方があるだろう!
でも、これではっきりしてしまった。このメモはやはり先輩のものだった。
でも、どうして先輩がこんなことを?
次の言葉を選んでいると、俺より先に、先輩が唇を開いた。
「それは、歌詞を考えていた時のメモなの。
ちょっとうまく書けなかった時期だったし、心情が変わったから没にしたんだけど……。
まさか風に飛んでいったのを村上君が拾ってたとはね」
「か、歌詞……?」
頷く先輩の頬がかすかに赤く染まっているのは、ライブの余韻というわけではなさそうだ。
「そう……だったんですか」
あまりにも予想外の答えに、俺は間抜けな相槌を打ってしまった。
「びっくりしたよね。ごめんなさい」
身体から力が抜けてしまいそうになる。
殺人予告だの何だの、馬鹿みたいに騒いでしまった。
先輩だって暴かれたくはなかっただろう。
きっと、捨てたはずの日記を読まれてしまったことと同じレベルだ。
申し訳ないやら、恥ずかしいやら……。
「でもなんだか、この歌詞はさっき聞いた先輩の歌とはちょっとテイストが違う気がしますね」
場の空気を気にも留めずに清水が言う。
確かに、今日聞いた先輩の歌はどれも前向きなエネルギーに満ちていた。
「むしゃくしゃしてたの。腹立ちまぎれに書いたこんな汚い字を見られちゃったなんて、恥ずかしいな」
「もしかして、何かに悩んでいるんですか?」
「――実は、大学に行ったら、バンドなんて辞めろって親に言われてて」
「え。辞めちゃうんですか?」
俺は気付けばそう口にしていた。もったいない。
1度しか見たことがないステージに、すでに魅了されていたのかもしれない。
「ありがと、残念そうに言ってくれて嬉しい。でも、辞めるのは辞めたの。
私の人生なんだから、自分で決めなくちゃと思って。だから、3月1日に、私自身の心を殺す必要は無くなった」
先輩の殺人予告は、自分へのものだったのか。
いつも凛とした様子の先輩が、あんな風に自分を追い詰めるようなことを考えているとは知らなかった。
「私ね、文章を書くのも大好きだったけど、本当は歌にして伝えたかったの。
でもほら、あんまり普段の私はそういう感じじゃないでしょう?」
「……確かに、少し意外でした。でも――」
今伝えなければ、きっと機会を逃す。
だから俺は、今の俺が憧れの先輩に贈ることの出来る精一杯の言葉を口にした。
「すごく、素敵でした」
「ありがとう」
俺は、先輩のはにかんだような笑みを、一生忘れないでおこうと心に誓った。
「それにしても……清水君が友達と一緒にライブに行きたいって言ってくれた時はびっくりしたけど、まさかその相手が村上君だったとはね。
文芸部のみんなには、秘密にしてね。きっとびっくりしちゃうから」
口元に人差し指を立てる先輩にお願いをされて、頷かないわけはなかった。
――こうして、俺に舞い降りた小さな事件は、ひっそりと幕を閉じたのだった。
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