第5話「エラーリスト―file:03―」

 人里離れた山奥で、両親は猪や鹿を狩って生活をしていた。


 その行動を生きるためなのだと、悲しさに泣く十五の私に母が教えてくれた。


 男が生まれず、女の私に父は狩りを教え、母は家事を全て教えてくれた。


 初めて狩りをした時、血まみれの鹿を触った瞬間に吐いてしまった。


 洗濯物を干すときは冬場であかぎれがひどくて、母のくれた油をひたひたになるまで手に塗り込んだ。

 テカテカしたそれを見るのはなんだかあまりいい気持ちがしなかった。


 二十になる頃、父は時々私をじっと見つめることが多くなった。


 何だろうと、変な臭いでもするのかと思い母に相談した。


 次の日、父のその行為は無くなったけれど、母の頬が片方腫れていた。


 父は時々、私にわざと触ってくるようになった。


 胸を触られるととても父に嫌悪感を抱いた。


 母に相談したら、次の日に母は消えていた。


 父に聞くと、「少し遠出をしてくる」とのことだった。


 いつ帰って来るのかを聞くと、父は言葉を濁して「狩りに出掛けた」と言った。


 しばらくは父との二人暮らしになると思うと不安になった。


 夜中に父は私の隣で眠ることが多くなった。


 抱きついてきた父を嫌がって離れると、父は機嫌を悪そうにして部屋を出ていった。


 父は母が居なくて寂しいから私へと寄ってくるのだろうか。


 早く母が帰って来てほしい。


 私は私で、母の代わりは出来ない。


 父に触られるのはすごく不快だった。


 ある日、私は家族以外の人間を初めて見た。


 スラッとした体型にサラサラの髪の毛、男か女か一瞬判断に迷ったけれど、声が低くて男だとすぐに分かった。


 彼が何かを話しているけれど、何を話しているのかは分からない。


 ただ、私の言葉もそうみたいで、彼も困った表情を浮かべていた。


 ここじゃ埒が明かないと思い、私は身振り手振りで家まで連れていくことにした。


 家まで案内する途中、彼と手が触れてかなり動揺した。


 父に触られると嫌だったものが、彼だと嫌悪感もなかった。


 不思議な感じがして手を見つめていると、彼はそっと私の手を掴んだ。


 なんだか心が広がったような気がした。


 獲物を狩った時の胸の高まりに似たものを感じるけど、決して同じようなものではないと思う。


 それが何なのか、私にはよく分からなかった。


 家に着いてから肉の下処理をしている最中の父に彼を紹介をすると、かなり険悪な空気になった。


 父は彼の言葉が理解できて、しかも話せるらしい。


 二人が向かい合って話している間に、私は彼の分の食料を狩りに行こうと思い出掛けた。


 なんだかいつもより頑張れる気がしたけど、それが何故なのか自分でも分からなかった。


 勢いよく駆け出し探し回った。


 方々探しているのに、こういう時に限って中々獲物は現れなかった。


 するとようやく、近くで動物の居る気配がした。


 草むらの影に揺れる獲物を弓で射た。


 もう一つ、近くで揺れた方面にも矢を放った。


 手応えはあった。


 放たれた矢が外れずに獲物を射たであろう感覚、放った矢に自分の感覚が乗り移り、獲物に突き刺さったことを確信出来る感覚。


 地面に倒れもがく音がするから確実だ。


 最初に射た獲物へと向かう。


 こちらは鹿だった。


 獲物を持ち運びやすいように四肢をまとめた。


 もう一つの獲物の方へと向かう。


 射た獲物は動物ではなかった。


 父だった。


 声が出せないのかその場でもがき苦しむ姿に、私は心臓がドクドクと音を立てて全身の血が地面に溶け消えていくような感じがした。


 目を見開いた父の瞳が私の心に突き刺さったような気がした。


 私にしがみ付き、何かを必死に訴えるような目に全身の震えが止まらなかった。


 もがき苦しんだ後、父は息絶えた。


 膝から崩れ落ちて、父の亡骸をただ呆然と見つめた。


 耳の少し上の位置を矢が貫いていた。


 普通なら即死だと思う位置に矢が刺さっているのに、何故父は苦しそうに生きていたのだろう。


 これまでいくら父の行動に嫌気がしても、私には他に替えのきかないものだったということに気付かされた。


 広がっていた心がぎゅっと押し潰されていく。


 暗いどんよりとしたものに体じゃなく心だけがぎゅっと圧迫されていく。


 涙が止まらずに夜までその場で泣いていた。


 母になんて言えばいいの……。


 なんて言えば許してくれるの……。


 よろめきながらその場を去ろうとしたときに足に何かが当たった。


 私は泣き疲れていたせいもあって、簡単に躓いて転んだ。


 なんだか腐ったような臭いと強烈な悪臭がして、私は鼻を塞いだ。


 何故気がつかなかったのか。


 足元で躓いたものは母だった。


 いや、母であったであろう肉塊のような。


 母の所持品が辺りに散らばっているため、多分これが母で間違いない。


 何かが、私の中で砕け散ったような気がした。


 心臓が動くのを辞めたような気がした。


 心が硝子のように砕け散る音はとても繊細で美しかったけれど、そこから先、身体を動かすことは出来なかった。


 誰かが私の身体を持ち上げて運んでくれていることに気が付いたけれど、私の心は、二度と身体に戻ることはなかった。



 ――Errorcode001:消失

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