幸凶死編

忍原富臣

第1話「何者かによって復元された手記」

 ――人間は、人間と共に生活をする。

 ――人は、人と人間と生活をする。


 人も人間も、誰かと何かしらの関わりを持って生きている。


 それは至極当然のことであり、生を受けた者の運命。誰かと語らい、好きな相手と交わり、子孫を残して次の世代へと己が生きた証を紡いでいく。


 生存本能と幸福を現実にしたものから消えていく、死んでいく。


 それが生き物であり、それが生き物の今までの道程である。


 けれど、人は孤独を楽しむことを覚えてしまった。孤独であることの余韻に浸り、自己の世界に陶酔した結果、自己愛と自己嫌悪に苛まれる者が生まれた。


 理性、思考が自分自身と対話を始めると、それはとてつもない精神負荷を及ぼすものとなる。


 私が何者であるのか、承認欲求の名の下に少しだけ語ろう――これが最期になるかもしれない。――(復元した文章。)


 私の中の二面性というものは、魂と心の別離から生じたものである。


 生きて形を残そうとする懸命な魂に対して、心は孤独の闇に潜行していった。決して交わることのなくなった魂と心の方向性の違いは、生への欲求を悉く欠いていった。


 つまり、己という心は生きることへの渇望を座礁させた現世の船乗りだということ。または、未熟故の……――誤った道を歩いてしまった愚者であるということ。――(復元した文章。)



 己の欲を己で殺し、他者を不信し生きてきた。挙げ句の果てには、世界が悪いと仄めかし、己の価値観が正しいのだと自己肯定し続けた。


 だからこそ、己はこうして形に残そうと決めたのかもしれない。生きた証、存在の証明を。――死記として……――(復元した文章。)


 きっとこれは、死ななければ評価されない地層に埋められた原石のようなものとなるだろう。


 ――これは自己肯定の末、己自身と対面し結論に至った謂わば対談の記録のようなものとなるだろう。――(復元した文章。)


 ただし、これは決して宝石ではない、間違いなくただの原石だ。


 煌びやかな装飾に身を包んだ富裕層ではなく、地面に転がるただの石ころでしかない。だが、人は石ころ一つで世界を変える力を持つ。


 想像がわずかに世界を揺るがし、その微動が後に大きな波紋となって木霊する。


 ――人は、人間は、生まれながらに多大な力をその身に宿している。――(復元した文章。)


 さてと――では、独り語りを始めよう。



 誰の心にも存在する承認欲求というものは、自分が生きている間では理解されない事が多い。


 だが、今生きる人間とはそういう生き物である。


 誰かを憎み、誰かを恨み、誰かを罵り……競争社会の中で自分自身を鍛え上げていく。そうする事によってまずは精神的に強弱を明確にしようとする。


 自分の立場、能力、力がどれ程のものなのかを確認し、石橋を叩いて渡り、相手よりも「自分が上なのだ」と誇示したがる。


 動物の雄同士の縄張り争いに多少の理性と知性のエキスを垂らし、さも動物ではなく「人間」として振舞う。だが、やっている事は現実の縄張り争いから精神的な縄張り争いに移り変わっているに過ぎない。


 ――人間は心の何処かで争いを望んでいるのかもしれない。――(復元された文章。)


 己はそれが出来ない生き物になっていた。


 他者に畏怖の念を抱き、臆病な精神が靴底のように磨り減っていく。摩耗した心身は憔悴し、どんどん人間不信の虚弱性質の深みに嵌っていく。


 ――私の夢は遠くの彼方で座礁した。岩肌に乗り上げたその船体は、酷く傷付き、脆く崩れ去っていった。――(復元された文章。)


 凝縮した言葉の中で、これは人の負の感情を孤独の中で思考した者の死記である。手記ではない。間違いなく死記である。


 死記とは、死ぬことを前提とした(遺書とはまた別のものであり、)生前では評価されることのない臆病者の書いた拙文である。


 死してからならば、生前よりも評価が得られるだろうと希望と絶望を込めて放つ「言葉の断末魔」ようなものである。


 何故このような事を書くのか、伝えるのかと疑問を抱く者は多いだろう。だが、人は失ってからでなければ様々な事に気付けない生き物となっている。


 ――その遅延の「気付き」が人間を人間たらしめるものとなっているのは言うまでもないが。――(復元された文章。)


 己は人であり、人間を辞めた生き物だ。


 人の間で生きることを捨てた、この世界に一塵の未練もない者の最期の文章はどうだろうか。


 こんなにも拙いものかと罵る者も、気分を悪くする者も居るかもしれない。しかし、それは同時に同じ気持ちを共有しているからこそ、発症するものであり、この言葉が響かないものは私とは別の共有空間を有しているのである。


 さあ、「死ね」と言われれば死のう。その程度の余力はまだ残っている。だが、死ぬにあたっての身の回りの費用は負担してもらわねばならない。それが等価、「己を殺す権利」を与える代わりの「対価」である。


 さて、ここで幾人かが「死にたくないだけではないか」と声を荒げ始めた。


 「他人に自己の責任を押し付けて死ぬならば、それは死を持って、他者を傷付けるだけに他ならない」と言う。


 ならば問いかけよう。先に他者に『死』を押し付けたのはどちらなのかと。


 己は提案したに過ぎない発案者であり、他者に何かを押し付ける気力は持ち合わせていない。だが、人々は論じるだろう。


「誰が悪いのか」

「誰が正しいのか」


 見つかるはずもない答えを延々と繰り返し、無駄な時間を過ごす事だろう。


 まるで高級ソファに腰かけるどこかの国のお偉い方のように。それはなんとも滑稽な姿であり、人を見下ろしている悦に浸っているのに、いつの間にか寝首を掻かれるのを待っている凡人へと化す。


 して、この質問の解は誰にも見つけられない。等価だと思う己の価値観と相手が感じる代償は、天秤にかけることは出来ないのだから。


 自分と他者の二つの視点が交わった時点で、二つの思考や感情が同じ舞台に登場するだけで、誰にも答えを結論付けることは出来なくなる。


 価値観という、目に見えない個人的思想、思考、感情……。


 それらは生きた道筋から生じ、派生した数だけ、その答えは存在する。そこに解は無い。


 「赤が好きな者」が居れば「青が好きな者」が居るように……そもそも、この世界で正しいものなど存在しない。


 さてと――――段々と浮世離れした感覚を、身体ではなく心魂に感じてきただろうか。これが己の世界。これが孤独に潜行した者の世界である。


 深堀りしたその先に何があるのか知りたいか、知りたくないか。

 ここから先は、「臆病な愚者に内包された世界」の文章化。


 注意点を三つ上げるとするならば――――


「これは物語ではない。」

「これは日記ではない。」

「これは自己ではない。」


 抽象的なものを具現化することの叶わない人間の心の奥の世界。


 歩む者は進み、立ち止まる者は去る。


 仄暗い井戸の底を、上から見続けるだけでは面白くないだろう。


 中に入ってしまえば吸い込まれる心象世界。

 この先へ進むか閉じるかは貴方次第となる。


 何故ならば、私に貴方を束縛する権利は一つも存在せず、貴方が私の世界に吸い込まれるという前提が存在しないのだから。


 ここは私の世界であり、貴方を連れていくに値するかどうかは貴方次第となる。


 読む前に離れるか読み終わってから離れるか。不気味さから毛嫌いされるか、怖いもの見たさという人間の愚かな本能に付き従うかは自由なのである。


 さらに注意点を上げるならば、此処は明るい世界に生きる者達には無縁の世界であるということ。


 だが、世界の多くの人々はこの世界を知っている。何故なら、世界は残酷であり、一握りの成功者を妬みながらも敬う舞台だから。


 少しだけ話をしよう。


 アイドルやスターと言われ、承認欲求よろしくと頭を下げる成功者達は、いつも誰かに監視され、世間離れした行動を起こせば囃し立てられる。


  成功者は非難と憧憬の天秤に乗せられ、世間の目はギラギラと崇拝と怨恨に燃えゆく。平等と言えば平等。だが、理不尽と言えば理不尽。


 現世とはそんな世界になってしまった。


 何故、そんな二極化の評価を受けるのか。それは、陽の目を浴びることの無い者達の中で、憧憬と嫉妬の心が混在するのだから当然のことである。


 人間の心は脆く弱い。


 それは自己を保守する為に他者を傷付けてしまうほどに……。

 他者への憧憬を、見ず知らずの内に嫉妬の炎にくべてしまうほどに……。


 心身は金銭に縛られ、自身の琴線を封じられるこの世界は、心の豊かな者達にとってとても生きにくい世界だ。


 成り上がることを夢見せられ、世界に、社会に、周囲に、誰かに「見てほしい」「認めて欲しい」という欲求を、これでもかと脳裏に刻み込まれている。


 こんな醜悪な世界に、美しい者など存在し続けられるわけがない。


 八方美人が、心の何処かで悪態を吐くように。

 善人が金に汚れた手で子どもの頭を撫でるように。

 笑顔振りまく人気者が裏で悪事を働くように。


 この世界は表面上の美しか存在しない。


 ――そして、この想いと共に、私自身も他者に憧れを、嫉妬を抱く者であることに変わりはない。――(復元された文章。)



 己とは常に憂鬱である。


 何時の時代も「先行者」と「潜行者」は敵視され、戯言を伝播すると蔑まれる。


 物事の真意に辿り着いた事を、人間は「虚実」だと罵倒する。だが、それはもう仕方のないことだと己は想う。


 この世界の天秤の片方は「価値観」が鎮座しているのだから、誰にもその確定された「対象」を弾くことは叶わない。


 「価値観」という天秤は人を殺し……、心を殺す。



 先程の「私」が話していた天秤も「価値観」によって結論は闇の中に飲まれていたかと思う。


 「憧憬と嫉妬」も、人間の「価値観」による判断基準によって形成されたものなのだから答えが出るはずがない。


 だから、己は「価値観」を相手に押し付けなくなった。


 自己理解を繰り返し、咀嚼し、相手の言葉を聞き入る事に専念した。


 しかし、人間は欲求を他者にしか求められない。


 自己肯定は非常に難しいものであり、行き過ぎれば「自己愛」と蔑まれる事になる。


 人間という生き物は、他者の弱点を探す事に躍起になっている。


 本当に――見事なまでに醜く育った世界に来てしまった。


 愛し合う者がいつしか憎み合う。

 肩を並べていた仲間が金銭の綻びを生み出し罵り合う。

 他者の為に紡いだ言葉は相手には届かない。


 この世界の救いは何処に行けばあるのだろうか。


 もう少しだけ、己の話をしよう。


 己の郷は、他者が他者を想い、互いの価値観を尊重しあえる世界だった。


 穢れなき世界で空は澄み渡り、辛苦に泣く者に対して空も泣いていた。

 そんな世界を歩んだ己に、この世界はとても残酷に瞳に映った。


 こんな汚れきった世界に連れて来られ、当然のように、生を受け入れる事を強制させられる。


 絶望し、死を求め歩めば、己ではなく、己の周りの人々が悪意の目に苛まれる。


 人々は弱点を見つけると「立場」を軸に上下関係を生み出し罵倒する。その言葉は心を濁して他者を汚染していく。


 して、この世界は死ぬことを是としない。生きることを強制し、弱者が強者に喰われる世界。


 経済格差は貧富の差を生み出し、私利私欲の波に乗った貴族は、自身の欲に従順に生きることを許される。


 貧民は生きることに必死になり、夢を描いては現実の壁に打ち砕かれていく。そして、脆弱だと嘲笑される。


 嘲笑う貴族に踏み蹴られ、地べたに叩き付けられる。反旗を翻さんと立ち上がるも、強者の武力に敵わず、血を吐いては顔に土を塗られる。


 かつてジャンヌダルクが火炙りにされたように、ピカソが当時誰にも相手にされなかったように、この世界は他者の欲に支配され、善悪は金銭と欲に溺れて溺死する。



 誰かが「自由に生きろ。やりたい事を見つけ、自分というものを確立しろ」と言った。

 その言葉は、上流階級の欲に溢れた者が貧民に向けて夢を抱かせる行為であった。


 強いては「自分達のように成れる」と憧憬の眼差しに生への渇望を抱かせ、労働を促す悪魔の囁き。


 生殺与奪は貧民には与えられない強者の権利。思う存分、余裕ぶった態度で掲げられた空虚な夢想に、貧民は陶酔してしまった。



 (以降、復元された文章。)

 夢を見た者達は唆された結果、現実との区別が付かずに過労死した。

 夢を見る事を拒否した者達は、鞭を打たれて働かされた。

 現実を見ていた者達は、希望や理想を胸に抱いて死んでいった。


 人々が家畜を育てるように、金持ちは人を育てようとする。それは、世界が素晴らしく豊かな場所であるという事を伝え、働くことが如何にも人生の楽しみであると教える。「働く事が当たり前」だという前提条件は、人々の意識を固定させていく。


 この世界にピッタリの言葉を考えた。


「封心演戯」―――ホウシンエンギ―


 心を封じられたまま、世界という舞台で道端の役者として演じ、終演を迎えていく。

 これほど適した言葉も中々ないように想う。


 さてと……。


 ここまでの始まりを見て、貴方はどう感じるのだろうか。


 無駄に世界を巻き込んだ世界評論家気取りの戯言に幾人が共感し頷くか。



 成功者に用はない。

 己は同士を探しているだけの。


 批評、価値観の押し付けは互いにやめておこう。何故なら、心の中まで他人の意思、価値観に汚されてしまえば、それは己ではなくなり、貴方では失くなってしまうのだから。


 だが、共有や価値観の提示なら自由にして貰って構わない。


 他者を尊重しよう。


 ここに「戦・闘・争」は生まれない。愚者であり、弱者である己が地面に倒れるのみである。


 世界を変えたいとも、変えようとも言わない。人間が居る限り、その宣言は無意味になるのだから。


 理想を追い求めた先には闘争が待ち受ける。価値観のぶつかり合いが生じ、人間同士が争う世界が生まれる。


 どうだろう。これでも世界は美しいと言えるだろうか。


 個人の思想は踏みつけられ、他者と違えば迫害を受ける。


 この世界に救いはない。己はそう結論に至った。


 これを見読した者の中に、同じ思想を抱く者が居るならば、己の文にこれ程の価値が付与されることはないだろう。

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