止まった世界の進め方
上総
第1話
「神様、ようこそいらっしゃいませ」
ふと気がつくと、俺は見知らぬ場所でひとりの少女と向かい合っていた。そして言われたことがいまの言葉。
……神様って、誰だ?
周囲を見渡すと、どうやら広い室内のようだ。床には魔法陣が描かれていて、光と煙の残滓が周囲に漂っている。まるでなにかの儀式でもしていたかのような雰囲気が漂っていた。
少女は波打つ淡い茶の髪が肩にかかり、手には杖を持っている。魔法使いのようなフードのついたローブがよく似合う、可愛い娘だ。初めて会うはずなのになぜかよく知っているような外見なのだが、どういうことだろう。
ええと、落ち着け俺。
確かついさっきまで高校にいて、放課後になり帰宅しようとしていたはずで、俺は断じて瞬間移動も異世界へ渡る方法も習得してはいない。
だがここは明らかにこれまでいた高校の校内ではなく、重厚で静謐な雰囲気の、西洋ファンタジー世界の神殿かなにかのようだ。
俺はとりあえず頭に浮かんだことを口にした。
「もしかしてお前が俺をこの世界に呼び出したとか?」
「わあ、察しがいいですね! さすが神様!」
無邪気に少女は喜ぶ。そりゃあ、伊達にその手のゲームや漫画に親しんできていないからな。
「じゃあなに、お前と一緒に世界を救う旅に出ちゃったりするわけ?」
「旅には出ませんが、世界は救っていただきます。こちらをどうぞ」
少女は一冊の本とペンとインクを差し出してきた。思わず受け取り、それらと少女を見比べる。
「そうだ、やっていただくことの説明をする前に。申し遅れました、わたしは魔術師ミスティといいます」
少女、ミスティは名乗って頭を下げた。
「ああ、ご丁寧にどうも。俺は
その名前に覚えがあった。なんてったって、俺が、いや俺たちが生み出したキャラクターなのだから。
「ええ、そうです。この世界の創造主たる神様に名前を呼んで頂けるなんて、光栄ですっ」
ミスティは感極まった様子で指を組み、瞳を潤ませる。
神にして創造主、なんて大層な肩書きで呼ばれる理由が、朧気ながら見えてきた。
きっかけなんて些細な事。いつも休み時間に小難しそうな本を読んでいた同じクラスの文学少女が、その日は俺が読んだことがあるライトノベルを読んでいたから声をかけた。
「そういうの読むんだ?」
「図書室にあったから」
中学校入学当初の学校案内以降、ろくに行っていなかった図書室にその手の娯楽本があったとは。盲点だった。
そのときは会話はそこで打ち切って、放課後図書室に行ってみたら、彼女――
周囲に他の級友の姿はなく、知り合いの目がないのをいいことに、新しく入った本を物色する倉田に声をかけた。
ぽつぽつと会話が行き来するうちに、共通して読んでいる小説や漫画が結構あることがわかった。それから本棚を見ながら互いにおすすめの本を紹介し合っているうちに、図書室が閉まる時間になった。
昇降口へ向かいながら、断られること覚悟で連絡先の交換を申し出ると、快諾してくれた。そうして彼女との交流がはじまった。
学年が上がって中学二年になった頃、俺は倉田と一緒に物語を作り出した。当時流行っていたゲームや漫画の影響を多分に受けた、稚拙な小説もどきだ。
キャラクターや大まかな話や世界観をふたりで話し合って決め、パソコンやスマホのアプリを使って文章を打ち、交互に書いていった。
ゲームや漫画の感想を言い合える友達はいても、自分から物語を作り出そうとする者は俺の周りには彼女しかいなかった。だから考えたことを持ち寄ってひとつの作品を作ることが、純粋に楽しかった。
それに、級友からは大人し過ぎて取っつきにくいだの、ああいうお堅いタイプは付き合うにはちょっとなー、なんて言われている倉田のよさを知っているのは自分だけだと、密かに自慢に思っていた。
なにかを作り出せるのは、すごいことだから。
それにメールやチャットアプリでやり取りする倉田の言葉は、学校での物静かな様子とは対照的に饒舌だった。様々な分野に詳しく、ちょっとしたやり取りから新たな発見があった。
教室で流行りの芸能人やアーディストの話題に混じったり、恋バナに花を咲かせるのは苦手かもしれないけれど、倉田の中には言葉があふれている。そう思った。
……それはそれとして、なんだって素人中学生がふたりで作った架空の世界に召喚される羽目になったのやら。
俺の疑問に答えるように、ミスティが咳払いして説明を始めた。
「いま、この世界は歪みが生じかけています。創造主が意図したものとは別の方向へと動き始めているのです」
「魔王を越える超大魔王でも出てきちまったのか?」
「いいえ、世界を変えようとしているのは魔剣士のアレックといって……不本意ですが、かつての仲間です」
そういえばこの物語の主人公がそんな名前だった。なにやってるんだよ、主人公。
「お手元の本をご覧ください。そこに記されていることが、歪みが生じたこの世界の物語です。創造主である神様がお考えになったものとはまるで違うはず。
しかし神様がそのペンで修正すれば、世界を本来のものに戻すことができるんです! 本とペンは魔術の粋を凝らして作り上げましたが、この世界の人間には扱えません。神様にしかできないんです」
重厚な表紙を開いて本に目を通すと、記号の羅列のような文字が並ぶ文章なのに、なぜか内容が日本語として頭に入ってきた。覚えのある地名やキャラクター名があちこちにある。
だが中ほどを見てみると、エピソードのオチがまったく違うものになっていたり、死ぬはずだったキャラクターが生き延びたりしていた。
なるほど、歪んだ世界、歪んだ物語とはこういうことか。
「理解していただけましたか? ……それで、世界を救っていただけますか?」
朗々と説明していたミスティが突然不安そうな顔になり、懇願してくる。
ああ、この世界は俺や倉田にとっては忘れかけた架空の世界でも、ミスティはいまここで生きているんだ。だから道を外れた世界を憂い、やれることをやろうとしている。
「わかった」
俺は頷き、ペンを握った。
広間から机と椅子がある小部屋に移動して、昔書いた話を思い出しつつ歪んだ物語を修正していった。だが修正した先から、物語はさらに書き換えられていく。
「ミスティ、これ……」
「アレックはいまも世界を歪めようとしています。修正し合いになるでしょうが、頑張ってください」
そんな無茶な。それに書くのをやめてから二年以上経つのだから、細かい部分は忘れている。正解が完璧に頭に入っているわけではない状態では、細部はそもそも歪んでいるのかそうでないのかすら判別がつかない。
この物語の本当の筋は、どんなだったっけ? 必死で思い出しながら、明らかに違うところから直していくしかなかった。
ひとまず確定していることはひとつ。倉田と書いていた物語は、完結しなかった。考えた話を最後まで書ききることはなく、エンドマークは打たれなかった。
メールで行き来するテキストファイルの容量が増え、話が進んでプロットの後半に入った頃から、俺は思うように続きが書けなくなってきた。当然だ、長い話を書くのはそれが初めてだったのだから。
俺が行き詰って返信までに何日もかかるようになったのに、倉田は書き始めた頃と変わらない一定の間隔で続きを書いてきた。
さらに言うと、文体も台詞回しも数をこなすたびに生き生きとしていき、俺かかわっているという欲目を差し引いても面白いと思える物語が彼女が書いたパートで繰り広げられるようになっていった。
それをすごいと思いつつ、自分の駄目さ加減を突きつけられているようで落ちこんだ。
リレー小説を負担に思うようになってきた頃、中学三年の俺たちは受験勉強に追われるようになり、進学のための準備で忙しくなった。
元々同じクラスだったときでも教室で話をすることはなく、メールやチャットアプリでの交流が主だったのだが、リレー小説の続きを書いて返信するのが遅れていくとともに、他愛ないやりとりも減っていった。
いや、受験を理由に意識的に減らしていったのかもしれない。
こんなものを書いたところで小説家になんてなれるはずないじゃん、と冷めたふりをして、その実、倉田の才能の眩しさから目を背けるために。
リレー小説は途中で止まり、アレックとミスティの冒険も先に進むことはなくなった。
そうして俺たちは偶然同じ高校に進学したものの、別のクラスになった。リレー小説が途切れてから、話もしていない。
「にしても、あのアレックが世界を歪ませようとしてる、ねえ」
「ええ。酷い裏切りです」
ミスティを見ると、彼女は悲痛な顔をしていた。そりゃそうか、長い間一緒に世界を救う旅をしていた相手が真逆のことをし始めたのだから。しかもミスティにとっては、この状況が唯一無二の現実なんだ。
アレックが選んだ本来とは別の道がアンチヒーローのようでなかなか面白いとか、あの話にバッドエンドがあったらこんな感じだったのだろうか、などと思った自分が恥ずかしくなった。
といっても仕方がない。この世界は俺と倉田が考えた物語の世界で、俺にとっては現実ではない。その場の思いつきで、世界のありようもキャラクターの行く末も変わってしまうものだったのだから。
それにこの話を考えていた当時の俺は、わりと急展開や悲劇が好きだった。
衝撃的なエピソードがあればあるほど、その内容がきついものであるほど、敵を倒したり壁を乗り越えたりしたときのカタルシスがあると盲目的に信じていた。
だから世界に忍び寄る闇を演出するための終末感を煽るエピソードもいくつも考えて、実際に書いたわけで。
そうした要素は倉田にはいまいち不評で、キャラを殺し過ぎ、実は敵だった展開をやり過ぎ、などと指摘されたこともあった。
……その渦中にいて、不条理にして理不尽な運命を与えられたアレックとミスティにとっては、俺こそが憎むべき相手なのではないだろうか。
「――というわけで、アレックは神を召喚して拘束し、世界を自分の思い通りに変えようとしているわけです。って聞いてらっしゃいますか、神様?」
「え、ごめん。考え事してて」
ミスティがなにかしゃべっているのは聞こえていたが、内容が耳の右から左に抜けていた。
あれ、そういえばなんか引っかかることが耳に入ってきたような。
「アレックも神を召喚した。そう言ったのか?」
「はい、申しました」
神。俺以外にそう呼ばれる存在がいるとしたら、それはひとりしかいない。
「倉田か!?」
「な、名前は存じ上げませんが、この世界の創造主はふたりいらして、そのうちひとりを召喚したそうです」
俺の大声に驚いたようだが、ミスティはすぐさま疑問に答える。
「拘束って一体……そのふたりはどこにいるんだ?」
「以前倒した魔族の塔が大掛かりな召喚術に適しているからと、アレックはそこを根城にしているようです」
やってることがまんま敵のすることだ。どちらかというと、小物の。
「あ、ちなみにここは神殿の一角ですね。神様を召喚するために、方々に手を尽くして無理言って借りてみました」
こっちはこっちで、裏でなにをやっているのかわかったものではなかった。それはともかく。
「倉田が心配だ」
「それなら命の危険はないと思いますよ。世界の創造主を傷つけたりしたりしたら、それこそ存在が消えてしまうかもしれませんから」
「だからって……!」
相手は普通の人間なら絶対にしないようなことを、実行に移した奴だ。なにかあってもおかしくないんじゃないか!?
それに、さっき思ったじゃないか。この世界の住人は、辛い運命を押し付けた創造主を憎んでいるんじゃないか、って。
「会いに行くことはできないのか? ミスティは元仲間なんだろ?」
「前に説得しようと向かったら、塔の周囲には魔物がうごめく難攻不落のダンジョンが広がり、厳重な結界が張り巡らされていました」
妨害は承知の上で、しっかり対策されているってことか。
「そこをなんとか。ミスティだって修羅場を潜り抜けてきた魔術師なんだし」
「無理ですよ、わたしの力じゃ」
自信なさそうに、ミスティは眉を下げる。
「そもそも、アレックがどうやって短期間でダンジョンなんて用意できたのかすらわからないんです」
そういえばそうだ。アレックにダンジョン生成能力なんて設定した覚えはないぞ。
ふと視線を落とすと、すっかり修正の手が止まってしまった本が目に映った。
「なあ、ミスティ。アレックの塔の周りにダンジョンができたのって、創造主を召喚してからなんだよな」
「ええ」
「なら、答えはこれだ。攻略の鍵もな」
本を掲げ、俺は宣言した。
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