2 首切りと首絞め
首切りは死体の町で暮らす死体の若者です。
当年とって……というよりは、『享年とって』とでも表現するべきでしょうか。ともかく、年の頃は二十歳を少し出たばかりの、生きてさえいれば『精悍な』という形容も似つかわしい好青年でした。
遺体たちとは違い、身元不明の死体たちには生前の記憶というものがありません。ですから、遺体たちがそれぞれ生きていた頃の名前で呼び合うのとは対照的に、彼らは自分の名前を自分で考えなければなりませんでした。
幸か不幸か、ほとんどの死者たちは各々の死の痕跡を身体のどこかに残していましたので、だいたいの場合はそこから名前が付けられます。
首切りという名前もそのようにして付けられたものです。一目見ただけではあまり気付かないものなのですが、実のところ、彼の首は左から右にかけて真っ直ぐ三分の二ほども切り裂かれているのです。頭に手をかけて逆方向に引っ張れば、毒々しく変色した赤がパックリとその断面を咲かせます。
「生前のオマエはきっととんでもないロクデナシで、最後には恨まれて殺されたんだろうよ」
そう言って笑う友人たちに、最近はようやく、首切りも笑って応えられるようになりました。
首切りは動物たちの世話をしながら日々を過ごしています。
死体の町には死んだ動物たちが数多く存在しているのです。死後その亡骸を遺体として扱われる動物は珍しいので、当然といえば当然のことなのかもしれません。事実、安楽死の街には動物の死者はほとんどいないのです。
とりわけ、首切りはニワトリが好きでした。屠殺されたニワトリたちには一様に首が無く、頭から下だけでジタバタ走り回る様が実に滑稽で、そして奇妙な親近感を彼に抱かせるのです。
手製の鳥小屋からニワトリたちを表に出して寝床を改めると、卵が六つ見つかりました。生み立ての卵は既に腐っていて、持ち上げてみると、殻の内側でタプタプと死が淀んでいるのがわかります。
首切りはニワトリたちに気付かれぬよう、卵をみんな割ってしまいました。
「どうしてあなたは、そうやっていつも卵を割ってしまうの?」
そのとき、首切りの背中にそんな言葉が掛けられました。
「それ、あなたの大切にしているニワトリたちが産んだ卵でしょう?」
首切りが振り返ると、そこには首切りの恋人の首締めが、顔いっぱいに疑問符を張りつけて立っていました。
「二重に虚しいからだよ」と首切りは答えました。「いくら暖めたって、腐った卵は孵化しやしない。それにいくら暖めようとしたって、死んだニワトリには体温がないんだ。僕たちとおんなじようにね」
首締めは首切りを真っ直ぐに向き直らせると、正面から彼に抱きつきました。
「本当だ。暖かくない」と彼女は言いました。「でも冷たくもないよ」
「僕ももう死んでいるから、暖かいわけないさ」と首切りは言いました。「そして君だってもう死んでいるんだ。だから僕の冷たさを感じることもないんだよ」
首締めは少しだけ寂しそうに「ふぅん」と言うと、首切りの首に手を這わせて、ずぶずぶとその裂け目に指を潜り込ませました。
断面を撫でる異物の違和感を首切りは覚えましたが、痛みはまったく感じません。
首切りもまた首締めの首に手をかけます。彼女の首には掌形の大きなアザが残っていて、その死が絞殺によるものだということを明らかにしていました。だから、彼女の名前は首締めなのです。
彼女の首のアザにそっと手を重ねて、首切りはぐっと力を込めました。
首締めはとろりとした瞳で首切りを見ながら、金魚のように口をパクパクさせました。それは『これじゃあお話できないよ』という訴えだったのかもしれませんし、あるいは彼女流の冗談だったのかもしれません。ですがいずれにせよ、そこに苦しみの感触はありませんでした。
「安楽死の街の遺体たちが羨ましいよ」
首切りはゆっくりと手をおろしながら言いました。
「彼らには思い出があるんだ。それがどんなにいいことなのか、僕には想像することすらできない」
「思い出があるって、そんなにいいことかしら?」
首締めはなおも恋人の死の象徴をいじくりながら言いました。
「少なくともなんにもないよりは随分ましのはずさ」
首切りは言いました。彼が喋るとき、首締めによってこじ開けられた首の断面からヒュルヒュルと空気がもれました。
「ぬくもりも痛みも、そして思い出も、死体にはなんにもない。僕らはただ寒々しいだけじゃないか」
首締めが泣き出しそうな顔になりました。しかし、いつまで経っても涙がこぼれることはなく、彼女の表情は泣き出す寸前の張りつめた形のままで強張ります。
首切りは首締めを抱きしめると、機械のようにぎこちなく彼女の髪を撫でました。首締めも首切りの背中に手をまわして、されるがままになっていました。
やがて恋人たちは抱擁をとき、再びお互いの死の象徴を愛撫しはじめます。首切りは首締めの喉を締め、首締めは首切りの断面に指を蠢かせました。
彼らに残されたものなんて、もはやそれよりほかにはなにもなかったのです。
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