第163話 動乱 10
「グオォォォォォ!!!」
彼が再度、赤黒い液体を飲んだ直後、咆哮と共に彼の身体が一段と膨れ上がり、着ていた外套が弾け飛び、上半身の服までも筋肉の膨張で破れていた。
それを気にすることなく、彼は手に持っていた剣を投げ捨て、地面に四つん這いになると、まるで四足獣のような動きでエレインに向かって飛びかかっていった。
「くっ!エレイン!ここは危険だ!離れて!!」
弾丸のように飛び出した彼とエレインの間に滑り込むと同時に剣を構え、猛獣のような彼から目を離さずにエレインに退避を促した。
「こ、これは・・・」
エレインは動揺のあまり身体を動かすことが出来ないのか、呆然とした声が聞こえてくる。
「シッ!」
既に彼女を抱えて避けるにも、逃げるにも間に合わないため、僕はエレインを背後に庇った状況で突きを放った。
『ギィィィン!!』
「っ!!?」
顔を顰めるような不快な衝突音を発しながら、彼の額から10cmほど手前の空間で剣の切っ先が止まっていた。その様子に、僕は目を丸くして凝視した。先ほどまで攻撃を押し止めていた範囲は、薄皮1枚程度だったにもかかわらず、あの赤黒い液体をもう一度飲んだことで、その能力が増したようだ。
「くハはは!いイね!そのオどろいたカお!だガ、もっとオドろいてモらおうか!」
彼は優越感に浸っているような表情をしているが、その言葉遣いは急にたどたどしくなり、呂律が怪しくなっていた。
「くそっ!何なんだよ!!」
止められた剣先は徐々にではあるが、彼の額へと迫っていた。しかし、攻撃の勢いが止められてしまっているため、このまま当たったところで大した威力にはならないし、こんな速度では簡単に避けられてしまう。
そう判断した僕は悪態をつきながらも、剣を突き出した体勢のまま、右足で回し蹴りを放とうとするも、それを瞬時に察知したのか、彼は飛び上がって僕の攻撃を躱した。
「おソいんだヨ!」
「くっ!」
彼は空中で口を大きく歪めた笑顔を浮かべながら僕を見下ろしていた。その顔を見た僕は、瞬時に彼の目的を悟った。
(狙いはエレインか!!)
彼は僕の蹴りを、前方に跳びながら躱したため、僕を飛び越えるような格好になっていた。そしてその先、つまり僕の背後にはエレインが動けない状態でいるのだ。
「ひっ!」
「させるか!!」
僕の背後から、エレインの恐怖に染まった声が漏れ聞こえてきた。僕は地面が陥没する勢いで後方に飛び退きつつ、身体を捻って正面を向きながら逆袈裟斬りに下から彼を斬り上げた。
「グおらァァァァァ!!」
しかしそんな僕の攻撃に対して、彼は瞬時に反応して見せ、落下する力も利用し、拳を真下に振り下ろすと、僕の剣と真っ向から衝突した。
「ぐぅぅぅ」
「らァァァァ!!!」
拳を剣で迎撃しているという異様な光景になっているのだが、僕の剣は彼の拳に接触しておらず、やはり10㎝程の空間で押し止められてしまっている。力を振り絞るような僕の呻き声に対して、彼は目を血走らせながら咆哮をあげていた。
彼の上空から打ち下ろす拳に対して、僕は剣を振るった体勢が悪く、十分に力を乗せきれていない。しかも、彼は先程までよりも速度も膂力も桁違いに増していて、結果的にこちらが力負けする格好で、僕の攻撃は弾かれてしまった。
「ちぃ!」
「きゃっ!」
その衝撃で僕は地面に跡を着けながら数mほど後退し、エレインに軽くぶつかってしまった。
「ごめん、エレイン!大丈夫?」
僕は首だけ振り向いて、彼女の安否を確認した。
「わ、私は大丈夫だ。それより、エイダの方こそ大丈夫なのか?」
「僕の方も問題ないです。でも、彼を無力化して捕らえるのはちょっと大変そうですね。下手に加減すると、ちょっと面倒なことになるかもしれません・・・」
エレインの僕を心配する声に問題ない旨を伝えると、眼前の彼はその言葉が聞こえたのか、憤怒の表情と共に顔中の血管が浮き出ているようだった。
「はァ?てかゲンしてルだと!?クソやろーが!ぶっコろス!!」
今まで以上の速度で突っ込んできた彼の攻撃を、僕は剣を巧みに操って全て逸らす。息つく間もなく繰り出される彼の拳や蹴りだったが、背後に居るエレインに影響がないように集中していた。
「す、すまないエイダ。私が足手まといになっているな・・・」
彼の連綿と続く攻撃を防いでいると、背後からエレインの申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
「大丈夫です!エレインは僕が守りますから、そこを動かないで!」
「エイダ・・・」
僕の言葉に安心したようなエレインの声音が聞こえてきた。ただ、その様子が更に彼の怒りを膨れ上げさせてしまったようだ。
「キさマ!!さっキからなレなレしくエレインなどト、なマえをヨぶなっ!!」
「・・・シッ!」
怒りの感情に支配されたような彼の大振りの一撃に合わせて、極力威力を加減した《神剣一刀》を、飛び掛かってきた彼の足に向けて横薙ぎに放った。
「ナっ!!」
両足の太ももから下を斬り飛ばされた彼は空中でバランスを崩しながらも、自分の肉体が斬られたことに驚いたのか、驚愕の声をあげていた。
「ハッ!セイッ!」
「っ!?・・・クソっ!ゆるサねーゾ!ころシてヤる!!」
続けて、もう赤黒い液体を飲ませないようにと、空中に滞空している内に彼の両腕も斬り飛ばして完全に無力化を行った。両手足を失って、受け身も取れずに地面に落ちた彼は、怒りの形相でこちらを睨んでいるが、何も出来ずに地面でモゾモゾと蠢いていた。
そんな彼の様子を一瞥し、自分の攻撃の影響を確認するために周囲を見渡すと、かなり威力を加減したつもりだったのだが、それでも僕の一振り一振りで眼前の地は割け、どこまでも割れ目が続いてしまっているような有り様だった。
(もっと力の制御を身に付けないと、使い勝手が悪いな・・・とはいえ、先ずは彼から情報を聞き出さないと)
剣を鞘に戻し、地面に転がっている彼に向かって質問を投げ掛けようとしたその時だった。
『ピィィィィィィ!!!』
「っ!?何だ?」
突如、甲高い笛の音が辺りを包んだ。何事かと周囲を警戒すると、拳ほどの大きさの白い玉が飛んできた。
「あれはまさか!!」
『ボシュッ!!』
見たことのある白い玉は、地面に落ちると同時に、周囲を濃密な煙幕で覆ってしまった。
「何だ?仲間が居たのか!?」
「エレイン!」
「っ!?エ、エイダ?」
周囲を視認できないほどの煙の中、エレインの声を頼りに彼女の方へと飛び退くと、安全を確保すべく、右腕で彼女を抱き抱えながら腰の魔術杖を抜き放ち、風魔術を発動させる。僕には元々風魔術の適正がないため大した威力は出なかったが、それでも煙幕を吹き飛ばすくらいは問題なかった。
「・・・・・・逃げられたか」
視界が開けると、そこには地面に転がるジョシュ・ロイドの両手足と血溜まりがあるだけで、彼の姿は消えていた。先程の笛の音から考えるに、どうやら近くで仲間が待機していたようだ。
「もう少し気配遮断の魔道具のことも考慮して気配の探り方を上達させないと、今後苦労しそうだな・・・」
しばらくの間、彼らが逃げたであろう方角を見つめながらボソリと呟いた。そんな僕に、エレインは恥ずかしそうな表情で、腕の中から僕を見つめて口を開いた。
「エ、エイダ?もう大丈夫だぞ?」
「???あっ!す、すみません!!」
エレインの言葉に自分の今の状況を顧みると、往来の真ん中で女性を抱き締めているような格好をしていたので、慌てて彼女から離れた。
「いや、全然嫌ではないのだが・・・さすがにこんな場所だとな。それに、私が足を引っ張ったせいもある・・・」
エレインは自分を責めるような悲しげな表情になって俯いてしまった。先の一件で自分が何もできなかったばかりか、逆に迷惑を掛けてしまったと思っているのだろう。
「エレイン・・・謝るのは僕の方です!その気になれば彼を殺すのも出来たでしょうが、情報を聞き出そうとして、エレインを危険に晒してしまった・・・」
「エイダ・・・言っただろ?私は私の意思でここに居るのだ!近衛騎士として、私はただ君に守られているだけの存在ではないよ」
僕の言葉に彼女は小さく息を吐くと、優しい笑顔を浮かべながら、いつか言っていた自分自身の在り方について僕に言って聞かせてきた。そんな彼女に僕はこれからの事を考えると、どうしても心配になってしまう。
そして、もっと大事になりそうな予感のするこの戦いに、気合いを入れ直すのだった。
(アッシュのお兄さんのエレインに対するあの執着心・・・これからもっと気を付けないと!)
◆
side アッシュ・ロイド
「はぁハぁハぁ・・・くソっ!忌々シいヤローが!!」
俺様はとある屋敷のベッドの上で、苦々しい記憶を思い出して怒りにうち震えていた。
ここはロイド家が所有する施設の内の一つで、他国との戦争が起こった際には軍事拠点となる場所だ。都市や村からは微妙に離れており、一般の地図には記されていない。そして、平時の際には数名の騎士団員が見張りをしているくらいなので、今はそいつらに金を握らせて黙らせ、【救済の光】の研究施設として使用している。
「少し落ち着きなさい。あまり興奮していると、出血が止まりませんよ?」
「分かっテいル!俺様ニ指図するナ!!」
呆れたような表情で苦言を呈してきたのは、この組織で俺の秘書のような立場についている女だ。名前は聞いていたが、興味がないので覚えてもいない。
「私が助けなかったらあの場で拘束され、近くの都市に連行されて、解剖でもされていましたよ?もっと感謝して欲しいものですね」
こいつは大きなため息を吐きながら、恩着せがましく俺様に感謝を要求してきた。
「うるさイぞ!成功体ノ俺様に仕えらレるだけデも、ありガたいと思エ!」
「成功体ねぇ~」
こいつは俺様の言葉に、ニヤニヤとした視線を投げ掛けてきた。その視線に含まれている心情の意味は正確に理解できる。何せ今の俺様は、両手足を失った状態でベッドに横たわっていることしかできないのだから。
「いイから、さっサとアレを飲まセろ!!それカら飯の女ダ!!」
「アレを飲ませろって・・・適用量は日に一回が限界よ?2回も飲むから身体の変異が進んでしまってるのに、これ以上飲んだら自我も消し飛んで、実験体の村人と同じ運命を辿ることになりますけど?」
「ぐぅぅぅ・・・」
「急激にアレを取り込んだ村人なんて、もう身体が崩壊し始めているし、5日ほど時間を掛けた実験体もそろそろ限界。あなたは彼らと同じように死にたいの?」
「・・・・・・」
女が指摘する事実に、俺様は何も言えなくなってしまった。
「それが嫌なら、明日のこの時間までおとなしくそうしていてね。そしたらアレを飲ませてあげるわ」
「・・・ちっ!分かっタから、飯くラい持ってコい!」
「はいはい、ご希望通り連れてこさせるわ。先日仕入れたばかりの、活きの良い女性をね」
「フんっ!そレで良い!急がセろ!!」
あいつはまるで、子供の我が儘をしかたなく聞く母親のような表情をしながら部屋を出ていった。
「・・・くソっ!!」
誰もいなくなった部屋で、俺様は自由にならない身体のため、天井を見つめながら悪態をついた。それもこれも、あの糞忌々しいエイダ・ファンネルという小僧のせいだ。
「俺様がこレほどまデの力を手に入レたというノに、何故奴に届かナい!!何故こンな結果にナる!!」
”害悪の欠片”から抽出した液体を少量づつ取り込み、人外の力を手に入れたはずだったのに、それでもまだ足りなかったのだ。
「まダだ!もっと、もっトだ!次会うトきは必ズ奴よりも強くナり、エレインを我ガ手に・・・」
幸いにして村一つを使った実験により、ある程度の研究成果は出ているし、各種のデータも出揃ってきたところだ。これ以上あの村で実験を行うにしても、邪魔者が居る以上、無駄な損害を出してしまうだけになってしまうだろう。組織の連中も、そろそろ次の段階へ計画を移すようなことを言っていたし、ここでの俺様の仕事もとりあえず終わりだ。
「ふフふ、見てロよ!貴様らノ平和な日常もこれでオしまいだ!これカらは混乱と恐怖が渦巻ク時が来る。結局最後に笑っテいるのはコの俺様だ!」
俺様は部屋に食事が運ばれてくるまで、これからこの国で始まろうとしている出来事に思いを馳せ、一人笑みを浮かべるのだった。
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