ぼくは婚約破棄なんて望まない

里見しおん

第1話

「婚約破棄をしたいの。」




 大好きな婚約者が、ぼくに告げた。

 ふっくらすべすべだった頬はげっそりとやつれて、つやつやだったアッシュブロンドは結い上げてごまかしているがぱさぱさなのがわかる。



「レティ、どうしてそんなことを? なにがあったの?」



「私、ヴィーのお嫁さんにはなれないの。もうなれないの」





 青い顔でそう繰り返すレティ。

 ぼくたちは来年、学園を卒業してすぐに結婚する。

 楽しく式の話をしたのはつい先月のことだ。


 そんな悲しいことを言わせる、なにがあったの?


「顔色が悪いよ。ごめんね、体調が悪いのに無理をさせたね」




 ぼくのお嫁さんはレティだけだよ、婚約破棄なんて言わないで。

 そう言ってきゅっと手を握ると、彼女は青い顔を歪めて、うつむいた。





 *





 魔法学園に戻ると、女が甲高い声をあげてまとわりついてきた。



「ヴィルヘルム様ぁ! 偶然ですね! わたしこれからティータイムなんです、ご一緒いたしませんか?」



 目に痛い眩しい金髪に、毒々しい赤い瞳、邪魔くさそうなまつ毛。

 そしてこのうるさい声。

 ジュスト伯爵令嬢アンジェラだ。

 レティの父、ジュスト子爵の兄の娘で、レティの従姉妹にあたる。


 ほんとうに血縁なのか? レティと違ってうるさい。


「いやだよ」


「そんなぁ、わたし、学園に知り合いが少なく寂しくて……あっ、ヴィルヘルム様?!」



 くねくねしながらまとわりつく女を無視して、早足で男子寮に入った。






「ヴィルヘルム、アンジェラちゃんと一緒だったのか」


 部屋に入ると同室の男が話しかけてきた。


「いや。なんだかうるさく喚いてついてきただけ」



 上着をハンガーにかけ、ざっとブラシをかけ、シャツの襟を緩める。


「うるさく? アンジェラちゃんに話しかけられてうるさいってのか?!」


「きいきいとうるさいじゃないか」



 同室の男は信じられないと首を振った。




「ヴィルヘルムは婚約者様一筋なんだな。信じられないよ、レティーシア様も素敵な方だが、従姉妹のアンジェラちゃんのほうがずっとかわいいじゃないか。伯爵家だし。あのかわいさ、学園の天使って呼ばれてるんだぞ」



 ジュスト子爵はジュスト伯爵家の次男だったが、魔法の才に優れた方で、戦時に素晴らしい功績を挙げ、男爵位を授けられた。

 その後も活躍し陞爵され、子爵となった。

 浮いていた爵位を分け与えられたわけではないのに、兄の継いだ伯爵家を主家と仰ぎ麾下に入っている。


 子爵は戦争の英雄だ。

 伯爵の下につく必要などなかった。

 しかし子爵は兄を立てる態度を取り続け、戦時を知らぬ子ども世代はジュスト子爵家を分家だと思っている者が多い。


 あのアンジェラもだ。

 だから分家のレティではなく主家のアンジェラを婚約者にと何度も迫られている。

 ヴィルヘルムは殴り飛ばしたい気持ちをぐっと堪えて無視している。





「じゃあジークが話せばいい。ワタシ学園に知り合いが少なくてサビシイー! って言ってたよ」



 声真似をして言うと同室の男は似てるな! とげらげら笑った。




 ふんわりとしたアッシュブロンドに優しいグリーンの瞳のレティのほうがずっとずっとかわいいのに。

 あのすてきな声で、婚約破棄なんて言葉じゃなく「ヴィーが大好きよ」って言うのがまた聞きたい。





 引き出しからレターセットを取り出して、もしレティの家が何か言ってきても婚約破棄には応じないで、と学園から目と鼻の先の侯爵邸にいる両親に手紙を書いた。




 *




 次の休日、また馬を飛ばして彼女に会いに行った。

 レティのいる子爵邸は王都の外れで、少し遠い。

 馬を飛ばせばすぐだけど。





 学園ではレティのいない間に近づくつもりなのかアンジェラがますますまとわりついてうるさい。

 いらいらして火の魔法を暴発してしまい、訓練場をまるごとひとつ焦がした。

 修復の魔法が得意な同室の男がなんとかしてくれたが、教師にバレたら謹慎ものだった。


 謹慎をくらってレティに会えなかったら今度はなにを壊してしまうのか、ぼくにはちょっとわからない。



「こんにちはヴィー、また来てくれたのね……」


 微笑んでくれたが、今日もレティの顔色は悪い。

 お茶の用意を終えたメイドに下がってもらって、ぼくは向かいの長椅子からレティの隣に移動した。



「レティ、お医者さんにはみてもらった? また、痩せたみたいだ。」


「……寝不足なの。ヴィー、こんな、体調を保てなくて学園に通えない私では、侯爵夫人なんて無理だと思うの、だから……」



 婚約破棄を、と言いかけた彼女をぎゅっと抱き寄せる。



「レティ、侯爵夫人なんて適当でいいんだよ。ぼくの隣にいてくれるのはレティでなければダメなんだ」



 ふわふわだった肩が骨ばってかたい。

 見た目よりずっと痩せてしまっている。

 びくりと震え、身をこわばらせたレティだったが、ふっと息を吐いて体を預けてきた。



「私も……私も、ヴィーでなければ……」



 ちいさなちいさな声で言った彼女の言葉で、ぼくの胸はいっぱいになった。










「ヴィルヘルム様ぁ! またお姉様のお見舞いに行かれたんですか? わたくしも心配なんです、ご一緒したかったです!」


「お断りだよ」




 レティを見下すおまえなんか、あんなに弱ったレティに会わせられるか。

 それにぼくの馬にはレティしか乗せない。




「お姉様、まだ良くならないのね。まったく、体を壊した女では、後継ぎの問題が……、お姉様では」



「うるさい。消えろ」



 殺気を込めて睨みつけると、心配そうなふりをした意地の悪い表情を貼り付けたまま黙った。

 これのどこがかわいいんだ。



 醜悪だ。

 ああ、殴り飛ばしたい。




 *




 レティと婚約したのは12歳の時。


 侯爵家の嫡男として生まれ、それなりに優秀でそれなりに見目のいいぼくは、当時茶会などで同年代の令嬢たちに囲まれた。

 金髪に青い瞳は王子様みたいなんだってさ。

 この国正真正銘の王子様は茶髪なんだけど。

 彼女たちのきいきいした声はぼくを苛立たせ、殴ってしまいそうになったことは一度や二度ではない。


 囲まれいらいらするぼくを見かねて、母が我が家の茶会では令嬢を時間を区切って順番にぼくの隣の席に座らせるようにした。


 囲まれるよりはマシだが、ひとりひとり顔を合わせるのもうんざりだった。



 きいきいと媚びたかと思えばきいきいとほかの令嬢の悪口を吹き込んでくる。

 ワタクシとっても心配でぇー! とか、ワタクシは信じておりませんが、世間では……! とか善意のふりをして。

 ぼくはその日の茶会で、隣の席に悪口令嬢が続いて、もう少し悪口を聞かされたら有無を言わさず殴りかかるだろうな、てくらいいらいらしていた。


 そんな最悪のタイミングで、隣に座ったのがレティだった。



「ごきげんようヴィルヘルム様。ジュスト子爵家レティーシアと申します」



 簡単に名乗ってから従者の引いた椅子に浅く腰掛けた彼女は、さらさらのアッシュブロンドに銀細工の小鳥を止まらせて、穏やかに微笑んだ。

 まだ12歳なのに、瞳の色によく似た若葉色のドレスの胸元がずいぶんと豊かだった。



「改めてご挨拶します、メイベリー侯爵家ヴィルヘルム、です。レティーシア様」



 言ってから、ぼくは彼女に見惚れていたことに気づいた。

 すごく美しいわけじゃない。

 でもとても優しい雰囲気で好ましい。

 それに声が、きいきいしていない。


 穏やかな声で今日はあたたかいですね、とかこちらの焼菓子は絶品ですね、とかあたりさわりのない話をする彼女に相槌を打つ。

 彼女の声を聞いていると、いらいらした気分が霧散していった。



「失礼します、そろそろお時間です」


 従者に声をかけられてがっかりした。


 いつもならこれで離れられるとホッとするのに、彼女との時間が終わったことがとても残念だった。


 それでは、と立ち上がった彼女にぼくは慌てて声をかけた。



「あの、レティって呼んでもいい?」



 彼女は目を丸くして、どうぞ、と微笑んでくれた。


 茶会の後すぐに両親に願い出て、その日のうちにジュスト子爵家に婚約を申し込んだ。




「話していて殴りたくならない女の子なんて、もういないかもしれない」



 そう告げると両親は深刻な顔で頷いた。

 茶会にはぼくの婚約者にして問題ない令嬢だけを招いていたので、婚約はすぐに成立した。




 *




 また次の休日、レティに会いにやってきた。


 学園には、顔を見せないレティを貶める噂が広がっていた。

『体を壊して侯爵夫人は務まらない』とか、『アンジェラが婚約者になるはずだったのに割り込んだ』とか。

 アンジェラが広めているようだ。

 魔法実技も筆記も追試のくせに、そんなことに励むなバカ女。




「レティ、調子はどう? きみの好きなお店のショコラを買ってきたよ!」




 レティはショコラが大好きだが、太ってしまうから、といつも控えていた。

 一度レティは太ってないよ、胸が豊かなだけだよ、と言うと真っ赤になってしまった。

 今は少し太ってほしいくらいだから、大きな箱にたくさんのショコラを買ってきた。




「ありがとう……ヴィー、私なんかに、いつも優しくしてくれて……」





 レティは背を震わせて泣き出した。



「レティ、レティ泣かないで」



 ローテーブルを飛び越えて、長椅子に座る彼女の隣に滑り込む。

 そして彼女の震える背を撫でた。




「ヴィー、優しいヴィーが、大好きなの。でも、でも、私は……私では、ヴィーのお嫁さんに、なれない……」




「なぜ? レティしかぼくのお嫁さんになれないよ。」



 撫でて、抱きしめて髪にくちづけて。

 思いつく限り慰めて、少し落ち着いたレティは、消え入りそうな声で言った。




 赤ちゃんができたの、と。



 ぼくのではない。

 ぼくたちは清い関係だ。


 そして、どう見ても彼女は望んでいない。


 なぜ、ぼくは気づかなかった。

 こんなに、怯えてやつれていたのに。




「誰が、レティに乱暴したの」


「伯父様……」




 ぼくの低い問いかけに、レティは小さく答えた。


 あのうるさいアンジェラの、父親か。

 アンジェラを婚約者に、としつこい伯爵。

 嫌がらせなのか手慰みなのか知らないが、とんでもない男だ。

 我が国で近親相姦は重罪なのだ。



 もう、ヴィーのお嫁さんになんて、なれないの。

 うつろな瞳で繰り返す彼女を、優しく抱きよせた。


「レティ。レティの赤ちゃんはぼくの赤ちゃんだよ」




 ぎゅっと抱きしめて立ち上がり、応接室の扉の内鍵をかけ、あまり得意ではないが防音と結界の魔法をかけた。




 *





 たくさんくちづけて、たくさん撫でて。

 行為に恐怖を覚えてしまったレティを宥めて、快感で上書きして。

 やさしくやさしく、レティを抱いた。



 初めての快感にぼくは目眩がした。



「レティ、きもちいい、ね。こわくないよ。しあわせだよ」



 恐怖ではなく快楽で歪んだ頬に、額に、くちづけを降らせる。



「ヴィー、幸せね。ヴィーと、ならこんなにも……しあわせなのね」



 涙がまた一筋、ぽろりと落ちた。





 息を乱した彼女をきつく抱きしめる。

 ぼくは汗でびしょびしょだ。



「レティ、レティの赤ちゃんは、ぼくの赤ちゃんだよ。いいね?」




 だからぼくのお嫁さんになって。


 囁くと、レティはぼくの背中に腕を回してすすり泣き、こくこくと頷いた。




 ぼくはそのままレティを攫った。




 *


 レティは退学して、王都の侯爵邸で穏やかに過ごした。

 攫ってきたレティを見て両親は仰天したが、レティの魅力にぼくが耐えられなかった。子ができたかも。と言うと深刻な顔で頷き、レティを優しく受け入れた。





 ぼくの評判は地に落ちた。



 体調の悪い婚約者に無体を強いた男。

 婚約者を攫った男。

 最近婚姻前に婚約者を妊娠させた男、が加わった。





 ジュスト子爵夫妻は国境の領地にて目を光らせている。

 子爵邸は王城勤めのレティの兄、次期子爵が主だった。


 しかし彼に一言も告げずにレティを攫ってきたことでカンカンに怒った。


 でもぼくだって彼には怒っている。

 レティに聞くと、伯父には子爵邸で襲われたらしい。

 メイドや使用人は伯父の息のかかったものばかりだったようで、窓が開いていたのに叫んでも誰一人助けに来なかったそうだ。

 信用していたメイドにも淡々と事後の世話をされたらしい。

 屋敷の掌握もできないでなにが次期子爵だ。



 侯爵夫妻である両親が頭を下げたことで矛を納めるしかなくなったが、行き場のない怒りを彼は周囲に言いふらすことで発散したのだろう。



 とても正確な評判だからぼくはべつに気にしていない。








「ヴィルヘルム様! お姉様はまだ居座っているんですか?!」


 放課後、レティの待つ侯爵邸に向かおうとするぼくにアンジェラが寄ってきてきいきいと喚いた。

 学園は全寮制なので侯爵邸に戻ることは許されなかったが、毎日レティの顔を見に通っていた。

 近いし。



「居座るってなに? うるさいな」



 うるさい女を見ずに、さっさと足を動かす。

 女は小走りで追いすがってきた。



「お姉様は、純潔ではないのに!子だって本当にヴィルヘルム様の子でしょうか?! 図々しくもお屋敷に居座って……」




 その言葉に足を止めて振り向いた。

 目が合うと嬉しそうに頬を染めているが、ぼくの視線の剣呑さに気づき青ざめる。



「おまえの差し金か」


「あ、な、なにが、」


 一歩近寄ると一歩後退る。

 そんなにぼくが怖いならかまわなくていいのに。



「レティの子はぼくの子だよ。余計なこと言ってみろ、殺すぞ」



 震えて泣き出した女を放置して立ち去る。

 レティに会いに行くのが遅くなってしまった。



 その日からぼくに『学園の天使を泣かせた男』という評判が加わり、同室の男に最低だな! と笑われた。




 *




 周りは騒がしかったが、ぼくとレティは静かに愛を育んだ。

 もともと愛し合っていたけど、レティはぼくを弟のように扱っていたのが頼ってくれるようになり、ぼくはおなかに赤ちゃんのいるレティをいままで以上に大切にした。



 たくさん甘やかして、ショコラもたくさん食べさせて、そのうちもとのふっくらすべすべな頬に戻って、嬉しくてたくさんキスをした。


 子が生まれたらレティの体調を見て、結婚式を挙げる予定だ。




 雪の降り始めた夜、レティは女の子を生んだ。

 生まれた女の子は、小さく弱々しく泣いた。




「お疲れ様レティ。ぼく生まれたての赤ちゃんって初めて見たよ。とってもちいさいね。かわいいね」


「ヴィーは一人っ子だものね。ふふ、元気でよかったわ……」




 穏やかに赤ちゃんに乳を含ませるレティは、聖母のように美しかった。






 その明け方、レティはベランダから赤子を抱いて飛び降りた。


 ふたりとも即死だった。






 葬儀にやってきたレティの兄に、大切にしなかったのかと詰られた。

 子爵夫妻は来なかった。

 領地まで馬車で1ヶ月かかる。しかたない。

 ぼくは心を込めて謝罪の手紙を書いた。






 そしてアンジェラが新たな婚約者になった。

 両親は止めたが、ぼくは断らなかった。






 *




 ほくは学園を卒業した。

 爵位を継ぐまでは軍に入る。

 軍にスカウトされた学園の卒業試験で火の龍で訓練場をひとつ更地にして、『狂炎の魔術師』というちょっとかっこいいのか微妙な称号を貰った。




 今日は王宮での夜会。

 表に出ていなかった王太子のお披露目だ。




 ジュスト子爵が離れたところからぼくを睨んでいる。


 ごちゃごちゃ着飾ったアンジェラが子爵を一瞥して、得意げに腕を絡めてくるのを振り払った。



「さわらないで、邪魔」


「まぁ、婚約者ですよ! エスコートは当然です!」




 きいきいわめくアンジェラだったが、王太子入場の声に口を閉じた。



 王族の証、深い紫のマントをつけた男がゆっくりと入場してくる。

 学園で同期だった者たちから驚きの声が上がる。

 茶色の髪に深い紫の瞳の、控えめな造形の顔の男。


 ぼくの同室の男だ。


 知ってた。実は従兄弟だ。

 母の姉が王妃なのだ。

 学園では偽装の魔道具で瞳の色は茶色にしていたからさらに地味だった。



「あ、あの人、学園で」



 アンジェラが青ざめた。

 ちょっと声をかけたら体を触らせてくれた、さすが天使ってげらげら笑ってたからな。




「王太子ジークヴァルドだ。魔法学園で身分を隠し学ぶため、今日まで表に出ることを控えていた。共に学んだ者は驚いただろう、隠していてすまなかった」




 王太子が凛とした声で会場の者たちに語りかける。

 軽薄な地方貴族の子息、ジークはもういない。




「さて、初めての夜会だが、実は告発しなければならぬことがある。我が従兄弟メイベリー侯爵子息ヴィルヘルムの亡き婚約者、ジュスト子爵令嬢レティーシアの死の真相についてだ」



 ぼくは王太子の隣に歩み出る。

 ジュスト子爵の視線がぼくをとらえた。

 すごい殺気だ、さすが英雄だ。




「レティーシア嬢は身を穢され、孕んだ。それを知ったヴィルヘルムが自分の子だと偽り侯爵邸に連れて行ったのだ」



 会場中の視線が集まる。



「なぜ、私にそれを言わなかったのです!」


 子爵の側にいたレティの兄が言う。


「レティは子爵邸の自室で襲われた。貴方のことも信用できなかった」



「な……」



「……ヴィルヘルムの子として育てるつもりだったのに、生まれた子を抱いて、レティーシア嬢はベランダから飛び降りた。……父親がヴィルヘルムではないと一目でわかる子だったから、だろうね」



 レティの兄の言葉を遮り、王太子は続ける。



「赤子はジュストの血筋に継がれる、赤の瞳だったのだよ」



 王太子はジュスト伯爵をまっすぐ見る。

 伯爵は動揺を隠せず、赤い瞳を彷徨わせた。



「レティは伯父様に襲われた、と言った。知っているか伯爵、この国で近親相姦は犯罪なんだぞ」



 血が近いと魔力がない子どもが格段に生まれやすい。魔力がないと命も短い。

 だから近親相姦は禁忌なのだ。




「な、なにを……あの娘の偽りだ。私はそんな恐ろしい真似、しない!」



 周囲にいた者たちは伯爵から距離を取り、伯爵はヴィルヘルムと王太子とまっすぐ対峙した。

 子爵は兄を疑えないのかこちらを睨み据えている。



「動かざる証拠があるのだ……ここへ」



 王太子が手を叩くと、侍従が小さな箱を持ってきた。

 箱の中が見えたご婦人が悲鳴を上げて倒れた。



 レティの赤子の棺だ。



「私と王城の医師とで今日まで保存してきた。……私は修復の魔法が得意でね。確認すればよい、赤子の瞳は鮮やかな赤だ。レティーシア嬢の子に出るわけがないのだ。そうだろう、ジュスト子爵」



 ジュスト子爵の瞳はレティと同じグリーンだ。

 色を継がなかった者からは色を継ぐ子どもは生まれない。

 色を継がなかったことに引け目を感じていた子爵は、兄の下についていたのだ。



 赤の瞳を持つ伯爵家の男子はまだ3歳だ。

 伯爵が父親でしか、あの赤の瞳はありえないのだ。




 レティは瞳の色を見て、衝動的に飛び降りたのだと、ヴィルヘルムは思う。

 瞳なんて、王太子から偽装の魔道具を貰えればごまかせたのに。

 レティはそんなものの存在を知らなかった。

 ぼくが、もしも瞳の色が赤でも王太子にもらうから大丈夫って伝えるべきだった。




 伯爵は真っ青になり震えている。



「わ、わたしは……わたしでは」



「あ、あにうえぇぇぇ!!!」




 ジュスト子爵が伯爵に殴りかかる。

 英雄は肉弾戦にも強い。


 伯爵はなすすべなく床に叩きつけられ、襟首を締め上げられた。



「なぜです! なぜ私のレティーシアを!」


「あ、アンジェラが! 侯爵夫人になりたいと……れ、レティーシアが邪魔だと、言うから! 純潔を奪えば身を引くと……し、死ぬなんて思わなかった!」


 令嬢が純潔を失えば、修道院に行かされるか妾、よくて後妻だ。

 即自殺だってあり得た。


「ふざけるなぁぁ! 姪だぞ!!」



 殺気を迸らせる子爵に怯え、アンジェラがヴィルヘルムに震えすがってきた。


「ヴィルヘルム様……!」


「邪魔」



 手を払い除けると青い顔でさらに震えた。



「ヴィルヘルム、アンジェラちゃんとの婚約を破棄するかい? 彼女こそ純潔ではないのではないか? 誰にでも触らせていたようだし? ぼくも触ったよねぇ」



 紫の瞳でアンジェラを見据え、薄く笑う。

 こいつも、レティのことはかなり怒ってくれて、せっかくの披露の場でこんなことをしてくれた。




「そ、そんな、ことは……!」


「しないよ。コレでいい」




「いいのか?……婚約破棄のためにここまでしたのかと思ったが」



 目を見開く王太子の耳に顔を寄せ、ささやいた。



「頼る実家をなくしてやったんだよ。貴族も誰も助けないだろ。コレはもう我が侯爵家から逃げられない」


 ニヤリと笑うと、王太子はなるほどさすがヴィルヘルムだ、と笑った。




 *




 ジュスト伯爵は身分を剥奪され磔刑にされる。

 民衆に姪を襲ったけだものだと晒され、死ぬまで石を投げつけられる。

 この国において近親相姦はそれほど厭われるのだ。

 すでに子爵にぼこぼこにされ虫の息に見えたが、気にせず裁きは進んだ。


 伯爵家は男爵まで爵位を落とされ、3歳の弟を当主にしてなんとかさせる。


 瞳を継ぐ家は王都の守護をするための固有魔法を持つ。

 血を絶やさず王家に尽くす義務があるのだ。

 ヴィルヘルムの青の瞳もそうだ。




 ヴィルヘルムとアンジェラは、王太子立会の元、裁きを終えた夜会の場で婚姻証明にサインした。


 アンジェラは結婚式は? と不満そうだが、きみ持参金ないだろ、と言うと黙った。

 図太い女だ。





 そしてすぐに夜会を後にし、侯爵邸に帰り着いた。



「ヴィルヘルム様!よろしくお願いします」


 客室に行くと湯を使いネグリジェを身につけたアンジェラが頬を染めてベッドに腰掛けていた。

 ヴィルヘルムは夜会のときのままだ。



「……来て」


 二の腕を掴み、部屋の外に連れ出した。


「あの、どちらに?」



 ぐいぐいと腕を引き、地下に連れて行く。


「な、なんですかここは?」




 不安に顔を歪めるアンジェラを突き飛ばし、一室に……豪華な地下牢に押し込む。

 そこには顔色の悪い、青の瞳の大柄な男性がいた。



「ひっ」


「その方はぼくの伯父なんだ。戦地で辛い思いをなさって、薬物に依存して心を壊してしまってね。死んだことになってる。彼に種をもらって、侯爵家の後継ぎを生んで」



「はぁ?!」



 ヴィルヘルムと同じく強い火の魔法を操り戦場でたくさん敵を焼き、心を病んでしまった。

 優しい方だったのだ。

 ヴィルヘルムと違って。





「きみにしかこんなこと頼めないでしょ。よろしくね」



 優しかった心はもう壊れてしまった。

 今のあの方は本能に忠実だ。

 性欲もお盛んで、たまに娼婦を呼んでさしあげていた。



 伯父様が青の瞳でほんとうによかった。





「ヴィルヘルム様! ヴィルヘルム様! は、はなして、きゃあああ!」




 悲鳴を背に重い鍵をかけ、使用人にあとを任せる。

 そしてレティと過ごした夫婦の寝室へと向かった。



 逃げたってアレを保護する実家はない。

 アレを天使だともてはやした男どもだって、助けやしないだろう。

 あんな不祥事があったから社交に出なくたって不思議ではない。

 ……後継ぎを生むまで自殺しないようによく見張らせよう。








 レティ。

 ぼくのお嫁さんはレティしかいないんだ。

 ぼく、赤ちゃんの名前、考えてたんだよ。



 レティ。レティ。




 ぼくは一人ぼっちになった部屋で、やっと泣いた。

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