閑話 実らない恋がいい
◇ ブルー
「お前がすきだ」
そう言ったとき、優は心底不思議そうに俺を見た。その顔がかわいすぎて俺はつい笑ってしまった。そのときはっきりとわかったのは、優は俺のことをそんな風には少しもすきじゃないってこと。そして、それが俺には心地よかった。
教室に入り込む夕焼けの橙色が目に染みた。失恋って綺麗だなと思った。世界中から祝福されているみたいに綺麗だなと思った。
もとから付き合いたいわけではなかった。むしろ絶対に触れたくなかった。同じぐらい誰にも触れられてほしくなかった。それなら俺のものにしたかった。
でも優はそんな俺の気持ちとは全然違う気持ちで俺を見てくれていた。そうわかって、それが心地よかった。
「……だから、なにしてほしいか言えよ。なんでもしてやるよ。……なんだよ、その顔。早く言えよ。この水戸恭一様がお前のためになんでもしてやるんだぞ? 一個ぐらいあるだろ?」
「……変なこと言わないでよ」
「変じゃない。お前といると楽しい。生きててよかったなって思うし、……これからも生きたいって思えるんだ。だから、……だけど……」
今でも全部昨日のことのようにはっきり覚えている。
「俺、人を大事にする方法がわかんないんだ……だから優、正解を教えてよ。俺はお前になにをしたらいい?」
あの時の優の困ったような顔、気まずそうに首をさする仕草、その睫の影まで。
「恭一、……あのさ……」
その吐息も、その声も、その喉の動きも、はっきりと、全部。
「恥ずかしいこと言わないでよ。僕は恭一のそういうところ苦手」
「……つれないやつ」
「僕なんかつってどうするのさ。……恭一は、……僕よりずっと合う人がいるよ。きっとね、……僕は、……それでも……」
俺の初恋だった。唯一の恋だとさえ思った。こんなに人を大事にしたいと思えることは未来永劫無いとわかっていた。そのぐらいに彼だった。かわいくて、かわいくて、かわいくて仕方なかった。
「恭一と仲良しでいたいよ。だってさ、……僕、すごい楽しいもん、恭一といるの……出会えてよかった。それだけでいいんだ」
「……それだけでいいって……」
「恭一が家に来てくれたあのときに、全部もらったよ。僕のしあわせを全部もらった」
なあ、優。
「だから、来世でもまた来てよ。恭一が僕を迎えに来て。そしてまた親友になろう」
なんで死んだんだよ。
なんで最後の最後まで俺に連絡を寄越さなかったんだ。お前が一言、会いたいと言えば、俺はお前を迎えに行った。一言でよかった。声がでないと言うなら口笛でもよかった。たったワンコールでよかった。
心で呼ばれてもわからないんだ。
お前が何度も俺に救いを求めてたことを、後で知ってもなにもしてやれない。
『僕、……どうしたらいいんだろう……神様、神様、神様、どうか、……助けてください。僕はただ、……ただ生きていたいだけなのに……』
なあ、優。どうしてお前がここにいないんだ。俺の隣にどうしていないんだ。どうして、この、馬鹿みたいに寂しい夜に、お前がここにいてくれないんだ。
『ごめんね、恭一……ごめん、僕は、……きみの友達にふさわしくない……』
神様、神様、神様、どうか、頼むから、どうかあいつを天国においてくれ。あいつが息がしやすい場所で眠らせてくれ。自殺を罪だと言うならその罰は俺が全部引き取る。あんたが満足いくように俺を罰してくれ。だからどうか、優を寝かせてやってくれ。
あいつはいいやつなんだ。だから、もういいだろう。もうこれ以上あいつを責めないでほしい。辛いのは俺だけにしてくれよ。頼むから、どうか、……次に死ぬのは俺にしてくれ。
――インターフォンが鳴るのが聞こえて目を開く。
「……、ごほっ、……おえっ、……」
咳き込んだら血の味がした。ピンポーンと、またインターフォンが鳴る。スマホで時間を確認すると日付が変わる三秒前。
ソファーで寝てしまっていたらしい。自分のまわりに散らばったコピー用紙に様々なポンチ絵が描かれていたが途中から記憶にない。仕事しながら寝てしまうと優のことばかり思い出す。ヒュー、ヒューと自分の喉が鳴る。心臓がうるさい。冷や汗をぬぐう。
ピンポーンとインターフォンが鳴る。
「誰だよ……」
のろのろと立ち上がり、のろのろとその来訪者を確認する。インターフォンを連打しているのは続木だった。もう一度時間を確認する。
金曜から土曜になっていた。あいつにもう終電はない。そしてモニター越しに見てもその顔は赤いから、あいつは正気ではないだろう。ピンポーン、と音が鳴る。
「……はー、……あいつ、俺の告白聞いたよな……?」
タオルで顔をぬぐってから玄関まで迎えに行った。
すっかり出来上がっていた続木に水を飲ませながら話を聞けば、今日は会社の大型の飲み会だったそうだ。しかし、そこで行われたビンゴ大会で当たったのが男女ペアの部屋着。何も知らない新人が「続木さんにあたってよかった」なんて言ったらしい。それに、彼氏いないからそんなのいらないと言うのも嫌で「ありがとー」と笑って持って帰ってきたらしい。だからそれを俺に無理矢理着させて「匂わせ写真撮るから! 会社の奴らに見せつけてやるわ」とまた婚期が遅れそうなことをするあたりが馬鹿でかわいい。
あれやこれやと様々なことに文句をつけるくせに「お前は酔ってても考えることが天才だわ」と笑えば「そうでしょー? 私すごいんだから」なんて無邪気に笑う。
俺はとにかくこういうやつに弱いのだ。
「かわいいなぁ、続木は」
「世界の常識ね」
「……なあ、」
その首に触れる。その耳に触れる。急所に触れる。その脳に、「俺の声を聞いて」揺さぶりをかける。簡単にそれで人は簡単に俺の思った通りに――「え、やだ」――なるはずなのに、こいつはどんなときでも全く効かない。
つい笑うと続木は眠たそうにあくびをした。
「泊まってくか?」
「んー……もう写真撮ったし帰ろうかな」
「なんでだよ。泊まってけよ」
「えー……あんたの家、急にセフレ来そうだしなぁ」
「来ないよ。お前ぐらいしか来ない」
「嘘つき。きつつき。あー、ねむい……」
「……ソファーで寝るなよ」
頼むからしあわせになってくれ、とそのつむじにキスをする。続木はほとんど寝ているのだろう、「なにー?」とうめく。起きていたら平手されていただろうから、よかった。
前に誰かが置いていったメイク落としで続木の婚活用の塗装を落とし、誰かが置いていった化粧水で潤わせてやる。この方が俺の好みだが、そんなこと言ってもこいつは聞きはしない。本当に俺のこと、そんな風に少しも好きじゃないのだから。
続木の肩を揺さぶる。
「続木、……ほら、メイク落とし終わったから、ベッドで寝な」
「やだー……」
「やだーじゃねえよ……寝るなってここで……はー、かわいいな……」
ソファーでぷすぷすと鼻を鳴らしながら続木は寝てしまった。その体を抱き上げてベッドまで運ぶ。
このぐらいは許されるだろうと、その隣に横になる。
「……あーあ。お前は本当、……こんな夜に限って来る……神様かよ……」
続木の寝顔を見ながら、俺が死んだらこいつ泣くだろうなと思った。だからまだ死ねなかった。
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