しっ拳銃めっ拳銃
吟野慶隆
しっ拳銃めっ拳銃
「誠に申し訳ございませんが、本日のイベント、『ピース亨(とおる) デビュー22周年記念 【ヨツ】独占ライブ ハンドガン・ア・ゴーゴー』の開始時刻を、午後十一時に延期いたします」
そんなアナウンスが、ホールの天井に設置されているスピーカーから流れてきた。直後、部屋にいる数多の観客たちが、「ええー」「マジかよ」「勘弁してちょうだい」などという不満の声を、口々に上げた。
池(いけ)家嘉(いえよし)も、そのうちの一人だった。思わず、「また、延期かよ……これで、二度目だぞ? 最初の開始時刻は、午後九時だったってのに……いったい、いつになったら、始まるんだ……」と独り言った。
次いで、はああ、と、大きな溜め息を吐く。彼は、青い半袖Tシャツと長ズボンに身を包んでいた。
今、家嘉がいるのは、見縦(みたて)市では最大規模であるライブハウス内にあるホールの中だった。広さは、小学校の体育館を、さらに一回り拡張したくらいである。現在、ステージ上は無人だが、客席には、観客が、鮨詰め、という形容がぴったり当てはまるほどに密集し、立っていた。彼は、その空間の中央あたりにいた。
「ま、愚痴っても、イベントの開始が早まるわけじゃないしな……仕方ない、ネットサーフィンでもして、暇を潰すか……」
家嘉はズボンの右ポケットから、スマートホンを取り出した。それのケースの表面には、ピース亨のロゴを象ったシールが貼られていた。
ピース亨とは、超が付くくらいの売れっ子である、男性ミュージシャンだ。主に日本で活動しているが、その人気は、日本だけに留まらない。世界じゅうでも、かなり高く評価されていた。
家嘉は、ケースの蓋を開けた。スマートホンの側面に付いているボタンを押し、スリープ状態を解除する。
途端に、真っ暗だったディスプレイが、ぱっ、と明るくなって、待ち受け画面が表示された。それの背景には、一ヵ月前に参加した【ヨツ】独占ライブの時に、カメラアプリを用いて撮影した写真が設定されていた。
ピース亨のファンは、三つの層に大別することができる。
まず、【イヨ】層。ピース亨に対して、あまり熱心ではない、というタイプだ。懐に余裕がなければ、彼の発表した作品の購入を、平気で取り止める、というタイプ。ファンのうち六割が、これに該当する。
次に、【フタ】層。ピース亨に対して、かなり熱心である、というタイプだ。貧乏に陥ったり、借金を抱えたりしても、彼の発表した作品を購入したり、彼の登場するイベントに参加したりする、というタイプ。ファンのうち三割が、これに該当する。
最後に、【ヨツ】層。ピース亨に対して、すさまじく熱狂している、というタイプだ。たとえどんな内容であったとしても、ピース亨に纏わる事柄について、関与するのに必要な資金を捻出するためならば、臓器を売ったり、罪を犯したりすることを、いっさい厭わない、というタイプ。ファンのうち一割が、これに該当する。
「そうだなあ……ファングッズのオンラインショップに、新しい商品が入荷されていないか、チェックしてみるか」
家嘉は、スマートホンを操作し始めた。ブラウザーアプリを起動すると、目当てのウェブサイトにアクセスする。
「おっ!」歓喜の声を上げた。「市販されている拳銃の、ピース亨デザイン、なんて物が、新しく販売されているぞ!」
半世紀前から、日本各地において、ピストルやライフル、はてはヘビーマシンガンなどといった銃器を用いた凶悪犯罪が頻発するようになっていた。三十数年前には、世論は、「もはやこれでは、一般国民が銃器を所持することを禁止している意味がない」「いっそのこと、一般国民でも、銃器を所持できるように法律を改正し、身を守れるようにすべきだ」という風潮になった。
そして、二十数年前、政府により、一般国民が銃器を所持することを許可する法律が施行された。以後、日本の銃社会化は、一気呵成に進んだ。現在においては、「たとえ、銃器を用いた凶悪犯罪が頻発しているような状況下であっても、一般国民による銃器の所持を許可するべきではなかった」「東京のオフィス街より、ヨハネスブルグのスラム街のほうが、はるかに治安がいい」と言われるようになってしまった。
「ふんふん、なるほど……リボルバーやオートマチックなど、いろいろなタイプの拳銃が、ピース亨デザインの対象になっているな……おっ、阪戸丸(さかとまる)工業の製品もあるぞ」
阪戸丸工業株式会社は、各種の兵器・軍需品を開発・製造・販売している企業だ。主に日本で活動しているが、世界各国にも進出しており、順調に利益を出している。
ピース亨は、阪戸丸の社長の息子──次男だった。最初、社長は、彼のミュージシャンとしての活動に反対していたそうだ。しかし、彼が人気を獲得しだしてからは、下手にやめさせようとするよりも、むしろ、自社の広告塔して活用したほうがいい、と判断したらしく、それ以後は、彼を積極的に支援した。事実、阪戸丸が海外でも高い業績を上げられているのは、ピース亨による宣伝の功績も大きかった。
家嘉は、商品一覧ページにある、「サカト2080 ピース亨デザイン」のサムネイル画像をタップした。商品詳細ページにアクセスすると、記載されている情報を閲覧し始める。
「どこかで見たと思ったら、やっぱり。一ヵ月前のイベントであった、ロシアンルーレットのパフォーマンスで使われたのと、同じタイプじゃないか! こいつは、買わないわけにはいかねえな……」
ピース亨は、各ライブ中、必ずと言っていいほど、銃器を用いたパフォーマンスを行っていた。高級車をヘビーマシンガンで穴だらけにしたり、事前に防弾チョッキを着用しておいて、アシスタントにライフルで撃たれたり、といったものだ。
「一ヵ月前のイベントじゃ、当日の朝に発生した地震のせいで、中止になってしまわないか、不安だったな……そういや今日の昼、またしても、小さな地震が起きたな。あれについて、何か、詳細な情報は発表されているんだろうか?」
ふと気になったことだが、ひとたび意識しだすと、なんとなく放っておけなかった。別に、他にやりたいことがあるわけでもない。家嘉は、スマートホンを操作すると、気象庁のサイトにアクセスした。
数ヵ月前から、見縦市や、その周辺の市町村では、地震が頻発していた。いずれも、震度およびマグニチュードは小さく、大した被害は出ていない。しかし、少なくともいい気分はしないし、いくら小さなものであるとはいえ、地面や建物が揺れると、びっくりする。
「……臭いなあ……」
家嘉は、唐突にそう呟き、顔を顰めた。ホールに入った時から、ごくごく微量ながら、鼻を突くような臭いが感じられていたのだ。とてもわずかなものであるため、意識しなければ気にならないが、意識しだすと途端に気になる。
「そういやあ、ライブハウスのロビーに設置されている掲示板に、改装工事がどうとか書いてあるチラシが貼ってあったな……塗料の臭いか、これ?」
家嘉は、その後しばらくの間、考えを巡らせた。しかし、大して真剣な行為でもなかった。一分と経たないうちに、スマートホンでのネットサーフィンを再開する。すぐさま、それに没頭し、臭いのことなど、忘れてしまった。
「ふう……わりと時間を潰せたかな。十時まで、あと、どれくらいだ?」
家嘉は、ディスプレイの上辺中央に表示されている現在時刻に視線を遣った。
「おっ」軽い歓喜の声を上げた。「今、九時二十二分、二十二秒か……」
ピース亨は、「2」という数字を、好きな数字、ひいては特別な数字として扱っていた。よって「2」は、【ヨツ】たちの間では、神聖視されていた。
そのため、本日のデビュー「22」周年記念ライブに対しては、ピース亨も【ヨツ】たちも、並々ならぬ思いを抱いていた。ちなみに、当然ながら、デビュー「2」周年であった年も、過去にはあった。しかし、その頃はまだ、ピース亨は、大して人気を獲得していなかったため、大々的な催しは行われなかった。それだけに、今回のイベントは、とても期待されていた。
「それにしても、暑いな……」家嘉は、ディスプレイから視線を外し、目を瞑ると、右手を団扇に見立てて、ぱたぱた、と、顔を扇いだ。「なんでこんな、夏真っ盛りの日に、空調、故障してんだよ……稼働が弱々しいだけで、完全に停止しているわけじゃない、ってのが、救いだが……ホール内は生暖かいし、外で雨が降っているせいで、湿度は高いし……」
彼は、しばらく送風した後、目を開け、ネットサーフィンを再開した。十数秒後も経過した頃には、それに没頭していた。
「ふうん……今日は、見縦市の隣にある兼渋(かねしぶ)町でも、【イヨ】向けの、ピース亨デビュー22周年記念イベントをやっているのか。でも、ま、しょせん【イヨ】向けだしなあ」くく、と嗤った。「大したもんじゃ──」
「どういうことだっ?!」
家嘉の独り言を遮って、そんな怒鳴り声が、ホールじゅうに響き渡った。そのせいで、ネットサーフィンなり友人との雑談なりで暇を潰しているため、軽くざわついていた観客たちは、しーん、と静まり返った。
「どういうことだっ?!」
再度、同じ人物──おそらくは中年男性──による怒鳴り声が、ホールじゅうに響き渡った。どうやら、天井にあるスピーカーから流れてきているようだった。
「どういうことだっ?! 今日の、ピース亨のイベントに、本人を呼んでいないってっ!」
観客たちが、わずかにどよめいた。
「いわゆる、ダブルブッキングだそうです」別の人物──おそらくは若い男性──による返事が、スピーカーから流れてきた。声はひどく震えており、今にも泣きだしそうだった。「今、兼渋町で行われている、【イヨ】向けのイベントに出ているそうで……もう、本日は、ここのイベントに、ピース亨が現れることは、ないかと……」
「クソっ──わけがわからん! 土師木(はじき)のやつを呼んでこい! あいつが、ピース亨との出演交渉の担当だっただろう!」
「今、呼んでいる最中です。数分前、廊下ですれ違った時に、問い詰めました。なんでも、彼は、ピース亨との打ち合わせを、予定よりも後回しにしていたそうで……いざ、話をしようとした時には、もう、兼渋町のイベントへの出演が決まった後だったとか。今まで、それを報告せずに黙っていたのは、怒られるのが怖──」
ぶつん、という音がして、声は途切れた。会話が流出していることに気づいたスタッフが、放送を切断したに違いなかった。
「な……何だよ、今の?」「ダブルブッキングって……」「ピース亨は、もう、このイベントには現れない、ってこと?」「そんな、馬鹿な……」
観客たちが、ざわつきだした。さきほどの会話の内容を受け入れられない、と困惑する者や、きっと何かの間違いだろう、と楽観する者、今すぐ事情を説明しろ、と焦燥する者など、さまざまな人物がいた。
次の瞬間、突然、ライブハウス全体が、ぐらぐらっ、と揺れた。
観客たちは、「きゃあっ!」「うわっ!」「ひいっ!」など、さまざまな悲鳴を上げ、よろめいたりこけたりした。
家嘉も、そのうちの一人だった。彼は、転倒しそうになり、「うわっとっとっ!」などと叫びながら、思わず、両手をばたつかせた。
右手が何かに当たり、べち、という音が鳴った。直後に、右足を一歩、右斜め前へ踏み出すことで、なんとか、こけることを避けられた。
数秒後、天井から何かが、次々に落ちてきた。それらは床にぶつかり、がしゃんがしゃん、という音を立てた。
「何だ、何だ?!」
まさか、天井に取りつけられている何かしらの設備が、地震のせいで、降ってきたとでも言うのか。家嘉は、頭を保護するため、両手を旋毛の上で重ねた。
謎の物体の落下は、十秒と経たないうちに収まった。床に視線を遣り、それらの正体を確認する。
降ってきたのは、拳銃だった。オートマチックタイプで、全体がピンク色で塗装されている。表面には、ピース亨のロゴと、それに倣ったデザインの「22」という数字が印されていた。本日のイベントで行われるパフォーマンスで使われる予定の物に違いなかった。
「いってえなー……」
そんな、話者の機嫌の悪さがはっきりと感じ取れるような声が、背後から聞こえてきた。そちらを振り向く。
黒いYシャツを着た若い男性が、右目を右手で押さえていた。左目を細めて、家嘉を睨みつけてきている。さきほど彼が振り回した手が、当たってしまったに違いなかった。
家嘉は、謝罪のため、口を開こうとした。
しかし、相手の行動のほうが早かった。彼は、右手で拳を握ると、それを後ろに引き、間髪入れずに、家嘉へと突き出してきた。
「わっ?!」
そう喚いて、避けようとしたが、駄目だった。黒Yシャツの拳は、家嘉の鼻に命中した。
「ぐあっ!」
家嘉は、そんな呻き声を上げて、俯いた。鼻孔から、生温い液体が流れ出してきて、口へと伝わった。それからは、鉄の味がした。床に、ぼたぼたっ、と、鮮やかな赤い染みが出来た。
「この野郎!」
家嘉は、そう叫ぶと、右足を前へ振り上げた。黒Yシャツを蹴りつけてやろうとしたのだ。
しかし、振り上げた先に、彼はいなかった。そこには、赤いポロシャツを着た中年男性が、家嘉に背を向けて立っていた。
慌てて足を止めようとしたが、間に合わなかった。それの爪先が、彼の右臀部に、がす、と当たった。
「ぐえっ?!」赤ポロシャツはそんな呻き声を上げた。
いつの間にやら、観客たちは、もはや、ざわついてはいなかった。罵声に怒声、悲鳴に悲痛、喚き声に泣き声が、あちこちで発生しており、ホールじゅうに満ちていた。さきほどの地震がきっかけとなって、溜まりに溜まった鬱憤が、一気に爆発したに違いなかった。
「クソがっ!」
そんな赤ポロシャツの怒鳴り声が、前方から聞こえてきた。見ると、彼は、右手に拳銃の銃身を握り締め、銃把を振り翳していた。
「く……!」
家嘉は、左腕を眼前に持ってきた。振り下ろされた銃把を、がし、と受け止める。
彼は、素早くしゃがみ込むと、近くに落ちていた拳銃を拾い上げた。「食らいやがれ!」と叫ぶと、赤ポロシャツめがけ、投げた。
しかしそれは、明後日の方向へと飛んでいった。ちょうどそこに、こちらのほうを向いて立っていた、黄色いブラウスを着た若い女性の腹に、どかっ、と当たった。
「何するのよっ!」
黄ブラウスは、きっ、と、こちらを睨みつけてきた。彼女は、拳銃の銃把を握っている右手を持ち上げ、銃口を家嘉に向けると、すかさず引き金を引いた。
ばん、という音がした。次の瞬間、たまたま家嘉の左方にいた、橙色のカットソーを着た中年女性の眉間に、風穴が開いた。
彼女は、その場に崩れ落ちると、ごちん、と、額を床にぶつけた。そこを中心として、真っ赤な液体が、どくどく、と、辺りに広がり始めた。
「クソが……!」黄ブラウスは、再び引き金を引いた。
しかし、発砲は起こらなかった。がちん、という金属音が鳴っただけだ。弾丸が底を尽いたに違いなかった。
家嘉は、近くに落ちていた拳銃を拾い上げた。銃口を、黄ブラウスに向ける。「うおおおお!」と喚きながら、引き金を引きまくった。
ばんばんばん、という音がして、弾丸が立て続けに発射された。そのうちの一発が、相手の首に命中した。彼女は、銃創と口から、血を、どばどばどば、と噴き出しながら、その場に蹲り、やがて動かなくなった。
黄ブラウスの周囲にいた観客たちも、巻き添えを食らった。右方にいた、白いワンピースを着た若い女性は、胸部に弾丸を食らい、その勢いで、ばったりと後ろに倒れ、そのまま動かなくなった。左方にいた、緑色のトレーナーを着た中年男性は、なぜかズボンを脱いでおり、勃起した陰茎を露出させていた。その男性器に、弾丸が命中した。彼は、形容しがたい呻き声を上げながら、のたうち回り始めた。
十数発撃ったところで、弾丸が底を尽いた。家嘉は、ぽい、と拳銃を投げ捨てると、床から新たな拳銃を拾い上げた。ターゲットを求めて、辺りを、きょろきょろ、と見回す。
左方に視線を遣ったところで、数メートル先に、紫色のパーカーを着た若い男性が立っていることに気づいた。彼は、右手に拳銃を持っており、銃口をこちらへ向けていた。
「く……!」
家嘉は、ひゅばっ、と左手を伸ばした。近くに立っていた、灰色のチュニックを着た小柄な老年女性の胸倉を、がしり、と掴む。
次の瞬間、紫パーカーが、拳銃の引き金を、連続して引いた。ばんばんばん、という銃声が鳴り響いた。
家嘉は灰チュニックを、ぐい、と引っ張って、体の前に翳した。一瞬後、彼女の背中に腕の裏に脹脛に、風穴が開き、同時に、そこから弾丸が飛び出してきた。
さいわいにも、飛び出した弾丸はすべて、家嘉には当たらなかった。銃創から、血が、ぶしゅっぶしゅっぶしゅうっ、と噴き出した。そのたびに灰チュニックは、「ぎゃあ」「ああ」「ああっ」というような悲鳴を上げた。
紫パーカーはその後も、ばんばんばん、と、引き金を引きまくった。家嘉は飛んでくる弾丸を、灰チュニックで防御し続けた。彼女は、しばらくして絶命したらしく、銃創を負っても、何も声を上げなくなった。
「調子に乗りやがって……!」
家嘉は、唸るようにそう言うと、灰チュニックの背中に、右手に持った拳銃の銃口を押し当て、引き金を引きまくった。
ばんばんばん、と、立て続けに銃声が鳴り響いた。発射された弾丸は、彼女の体を貫いて、外へと飛び出していった。
「ぐあっ!」
そんな、紫パーカーの声が聞こえた。灰チュニック越しに、ちら、と覗くと、彼は、こちらの撃った弾丸を食らったらしく、床に転がって、腹を抱えていた。
家嘉は、彼女の死体を、ぽい、と、その辺に投げ捨てた。拳銃の銃口を紫パーカーに向け、引き金を引く。
しかし、かちり、という金属音が鳴っただけだった。弾丸が底を尽いたのだ。
「ぶっ殺してやるうっ!」
そんな喚き声が、右方から聞こえてきた。そちらに、視線を遣る。
茶色いジャケットを着た若い男性が、数メートル先に立っていた。彼はこちらを睨みつけてきており、右手には拳銃の銃把を握っていた。
家嘉は、ばっ、と、持っていた拳銃を捨てた。直後、脚を屈ませ、床から新たな拳銃を拾い上げた。
しかし、家嘉が銃口を茶ジャケットへと向けるよりも、すでに銃口をこちらへ向けてきていた彼が引き金を引くほうが、早かった。
ばん、という銃声が鳴り響いた。
「ぐああ……!」
茶ジャケットは呻きながら、その場に膝をついた。彼は、左手で右手首を握っていた。彼の右手は、血に塗れており、あちこちから、肉がはみ出たり、骨が突き出たりしていた。拳銃が腔発を起こしたに違いなかった。
「……」
家嘉は、右手に拳銃を握ったまま、きょろきょろ、と辺りを見回した。もう、ホール内で立っている者は、彼だけとなっていた。それ以外の観客はみな、床に転がっており、呻いたり泣いたり、死んだりしていた。
唐突に、背後、ホールの出入り口のほうから、がちゃり、という音が聞こえてきた。扉が開かれた時のものだ。誰かが入ってきたに違いなかった。
「おおおおお!」
家嘉は、振り返りざま、拳銃の銃口を出入り口に向け、引き金を引いた。ばん、という音が鳴った。
ホールに入ってきたのは──ピース亨、その人だった。
「な……?!」
家嘉は、あんぐり、と口を開けた。次の瞬間、弾丸がピース亨の眉間に命中し、風穴を開けた。彼は後ろ向きに、ばったり、と倒れた。
「あ……!」
家嘉は、床に転がっている観客たちの体を踏みつけながら、ピース亨に向かい、どかどかどか、と駆けていった。
十数秒後、ピース亨の元に到着した。彼は床に、仰向けに寝転んでいた。眉間に開いた穴から、こぽこぽこぽ、と、血が止め処なく噴き出し続けていた。
「ピース亨さん!」家嘉はその場に跪き、叫んだ。「どうして、ここへ……今日はもう、来られないはずじゃ……」
「マネージャーから……ダブルブッキングの話を聴いて……」彼は息も絶え絶えに言った。「このライブハウスで……【ヨツ】独占ライブがある、って知ったから……兼渋町のイベントを、早めに切り上……」
ピース亨が話せたのは、そこまでだった。それからは、もう、口どころか、体のすべての部位が、ぴくりとも動かなくなった。
家嘉は、その後、放心状態で、彼の死体を眺めていた。しばらくしてから、自分が未だ、右手に拳銃を握っていることに気づいた。
彼は、それを持ち上げた。そして、銃口を己の右蟀谷に押し当ると、引き金を引いた。
〈了〉
しっ拳銃めっ拳銃 吟野慶隆 @d7yGcY9i3t
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