12/18 Aの受難
僕は森を彷徨っている。
レディはいない。今日は小雨が降ったりやんだりで、橋から動けないのだ。
たまには一人で材料を手に入れないと。そう思って森を歩くこと数時間。完全に迷子になった。
このままじゃ、クリスマス・プディングの完成どころか、生命の危機だ。なんとか日が暮れる前に戻らないと。そう思いながら必死で、元きた道を探していると——
「Aはアップルパイ。Bはカジって、Cが切った。
Dは配って、Eは食べて……」
どこからか、合唱が聞こえる。
この歌の主に道を聞けば、帰ることができるかもしれない。僕は藁にもすがる思いで、その歌の方向へと行ってみることにした。
◇
だけど——そこで待っていたのは。
なにやら穏やかではない光景だった。
「もう観念しろよぉ」
「そうよ! 私たち、ずっと食べたくてウズウズしてるのよ!」
「みーんな、腹ペコなんだ。はやくしてくれー!!!」
ナイフとフォークをもった“アルファベット”たちが、歌を歌いながら『A』を追いかけ回している。
「や、やめてください! ワタクシは、ただのAです。
「はあ?
ダダダダッ!!!
背後にアルファベットたちを引き連れ、Aがこっちに向かって逃げてくる。
「こら、まてーーー!!」
土煙をあげて追ってくるアルファベットの目はどれも血走り、今にも食いかかってきそうだ。
バタンッ
Aが木の根っこに足を取られ、転んだ。
まずい!
僕は思わずAを引っ張って、木の陰に一緒に身を隠した。
「どこだ?」「あっちか?!」
叫びながら、B、C、D、その他もろもろが走り抜けていく。
それらが十分遠ざかったところで、僕はAに声をかけた。
「もう、大丈夫。行っちゃったよ」
「はああぁ、助かった……。どこのどなたか知りませんが、危ないところをありがとうございます」
Aは恐縮しきりといった様子で、お礼とお辞儀を繰り返す。
「ううん。でも、なんか……みんな揃って、アップルパイがどうとか大声言ってて怖かったね」
「そう! そうなんです!! どうしたことか、ワタクシの仲間は皆アレに目がなくてですね。ワタクシがAだから、アップルパイになれるはずだって、追いかけてくるんですよ。聞いたでしょ? あの歌。ワタクシを切り分けて、皆んなで食べようとしているんです!」
と、口にするのも恐ろしいとばかりに、Aはガタガタと身を震わせた。
「変な話だよね。君はAでアップルパイじゃないのに」
「えっ……。あ……はい。そうなんです。いくらワタクシがAだからってねぇ、そんな、ははっ。……ああ、もうウンザリでございます。こんな毎日、いつまで続くのか……」
大きく嘆くと、Aはパタリと地面に突っ伏し、おいおいと泣きはじめる。
それを、気の毒だなと眺めながら、どうも変な気持ちになった。以前、映画のことを思い出した時みたいな……。わりとコレ……よく見たことがあるような……。
「ねえ、君たちってさ、例えば……」
「へ……?」
Aに疑問を投げかけようとしたところで、僕は、周りをアルファベットたちに取り囲まれていることに気づいた。
——いつのまに?
「お前、怪しいな」
「うしろにAを隠してるんだろう!」
「そこをどけ!!!」
逃げようにも、多勢に無勢。
この状態から脱出するのは、流石に不可能だ。
ぶっつけ本番だけど、試してみるしかない、のか?
悩んでいる時間は、もうない。
口々に騒ぎ立てるアルファベットを前に、僕は背筋をピンと伸ばし、こう言い放った。
「君たち。これが本当に『A』に見えるのかい?」
Aがコソコソっと僕の後ろから体を覗かせる。
シン……
水を打ったようにあたりは静まり返った。
困惑したようにアルファベット等は顔を見合わせ、そして——ヒソヒソと言葉を交わす。
「あれ、A……じゃない……よな?」
「なんだ、アレ?」
「見たことないわ。新語かしら……?」
「Aじゃない! Aじゃない!」
「じゃあ、本物のAは何処にいったんだ? 探さないと」
困惑する群れの中から、リーダー格と思われるFが進み出て、僕に話しかけてくる。
「たしかに、これは我々が探しているAではないようだ。失礼な真似をして、あい済まない。……それで、Aはどちらに向かったか、ご存知ないかね」
怖いけど、ここで引くわけにはいかない。なにせ、Aが食べられちゃうかどうかの瀬戸際なのだ。
「さあ……。あなたたち以外、みませんでしたけど」
あくまで知らぬ存ざぬを貫けば、Fは怪しむように僕の上から下まで視線をツーーと這わせたあと、「……行くぞ」と低い声で、背後に控えるアルファベットたちに首を捻って合図をする。森の奥へと去っていくFの後に、皆あたふたと続き、徐々に静けさが戻っていった。
「はぁ、あなたのとっさの機転のおかげで助かりました! いやあ、発想の転換というんでしょうね。まさか他の記号になって、やり過ごすだなんて」
逆立ちをして『∀』になっていた『A』は、よっ!と勢いをつけて元に戻る。
「これからは、捕まりそうになったら、こうして逆立ちをすることにします。いやぁ、本当に助かりました!!」
そして、僕の手をブンブンと握って言ってくる。
「お礼になにかしたいのですが、ご希望はございますか?」
いや、突っ伏して泣いてる姿に、職場の先輩がよく使ってくる顔文字の口元の部分が重なって見えただけからだから……お礼ってほどでは……。
「あ……それなら、道を教えて欲しいんだ。『ペタペタ こねこね ケーキ屋さん』って看板が出てる家なんだけど、わかるかな?」
「ああ、あそこでございますか。もちろん、ご案内できますよ。で、それだけですか?」
「え? うん。それだけ……」
Aはちょっと小首を傾げた後、あたりを見回してヒソヒソと囁いてくる。
「でも、ワタクシは、もう一つお役に立てそうです。これは皆には内緒ですよ。私は、本当は、なれるのです……」
『Aから始まるものになら、なんでも』
Aの言葉が妙な眠気を誘う。グラリ。僕の身体は傾き……
——あれ?
気づくと、あの家にひとり戻ってきていた。
そして……手には、僕の欲しかったA、黄金の『
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
以下、登場したマザーグースの紹介
『A was an Apple pie』
(Aはアップルパイだった)
A was an Apple pie;
B bit it,
C cut it,
D dealt it,
E eat it,
F fought for it,
G got it,
H had it,
I inspected it,
J jumped for it,
K kept it,
L longed for it,
M mourned for it,
N nodded at it,
O opened it,
P peeped in it,
Q quartered it,
R ran for it,
S stole it,
T took it,
U upset it,
V viewed it,
W wanted it,
X, Y, Z, and ampersand
All wished for a piece in hand.
Aはアップルパイ。
Bはカジって、
Cが切った。
Dは配って、
Eは食べて、
Fは戦い、
Gが勝ち取る。
Hが手に取り、
Iがよく調べ、
Jが飛び上がり、
Kが隠した。
Lは切望し、
Mが嘆き、
Nは俯く。
Oが開けると、
Pが覗き込み、
Qは4等分。
Rは走り
Sは盗んで
Tが取り上げて
Uがひっくり返したのを
Vは見た。
Wは望んだ、
X、Y、Z、それから&までもが
手に入れようと狙っている。
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