ACT19 新堂由仁の友情力


「おはよ、詠ちゃんっ」

「あ……おはよう、由仁ちゃん……」


 朝のHR前。

 今日も今日とて新堂しんどう由仁ゆには元気に登校し、由仁の席の前で既に着席している友達の鐘鳴かねなりえいに声をかけたのだが。

 その返答と顔色だけで、由仁は、一瞬で詠のテンションの絶不調がわかった。


「ど、どうしたん、詠ちゃん。昨日まであんなにカリッカリに膨らんだたこ焼きみたいに元気やったのに、今はペラッペラのパンケーキみたいになってるで」

「由仁ちゃん、その例えはちょっとわかりにくいよ……」

「そんくらい、落差が激しいってことよ。一体何があったん?」

「いえ、その、まあ……」


 もちろん、原因を訊く由仁なのだが、詠はハッキリしない様子である。

 そんな様子ながらも、顔色が『はうっ』と赤くなったり、『うぅ……』と青くなったり、たまに何故か『え、えへへへ……』とだらしなくなったりと、彼女の表情の切り替わりは忙しない。なんだか面白い。

 面白いけど、和んでいる場合ではない。

 由仁、自分の頭の中で心当たりを探ってみて、


「もしかして、ゲンさんと、なんかあった?」

「!」


 由仁の兄であり、詠にとっては想い人である新堂しんどう源斗げんととを結びつけて訊いてみると、一発で確信に至ったようで。

 詠は小さな肩をビクリと震わせ、眠たげな瞳をまん丸に開いていた。

 実にわかりやすい反応だった。


「由仁ちゃん、ど、どうしてそれを……!」

「いや、ゲンさんも、昨日学校から帰ってきたあたりから、めっちゃヘンになってたし」

「う……」

「それに、前から、詠ちゃんの懸垂の特訓にゲンさんが付き合っているのを聴いてたから、原因としてはゲンさんしかないかなって」

「はぅっ……」

「あと、うちも詠ちゃんの特訓に付き合いたかったんやけど、来週の中間で一つでも赤点とったらお小遣い抜きってお母さんから言われてるから、仕方なく放課後も勉強漬けにっ……くっ……!」

「そ、そこは自分を大事にしてね」

「でもまあ、ゲンさんがコーチするなら大丈夫かなって、ゲンさんに任せてたんやけど……実際、何があったん?」

「……ええと」


 ともあれ、大まかな原因は察しがついたものの、詳細までは由仁にはわからない。

 そういう思いで訊いてみたのだが、詠はとても言いにくそうだった。顔を赤くしながら、小さな身体をモジモジとさせている。可愛い。

 ……でも、これは、無理矢理訊いたら悪いことなのかも、と由仁が一歩引こうかとした矢先、


「その、源斗お兄さんに、抱きついちゃったの……」

「へ?」


 果たして、詠が絞り出すかのような答えがやってきた。

 ただ、由仁にはその内容の突飛さに、理解が追いつかなかったのだが、


「えっと、その……昨日、やっと懸垂が一回出来て……感激と達成感と、あと源斗お兄さんへの感謝が溢れちゃって、勝手に身体が動いて……その、気がつけば、源斗お兄さんに抱きついちゃってて……」

「…………ほほう」


 求めてもいないのに、由仁の理解の追いつかない部分を、詠が途切れ途切れながらもしっかりと補足してきたのに、由仁は事情を十分に納得した。

 なるほど、恥ずかしがり屋さんで男の子が苦手な詠にとっては、無意識だったとはいえ、とても思い切ったことをしたと思う。

 後になって、やってしまったことの恥ずかしさを、一夜明けた今の今まで引きずることだってあるはずだ。

 だというのに。

 精一杯の勇気で、由仁にはしっかり話してくれた詠のことが、なんだかとても有り難くて、


「詠ちゃん」

「え……由仁ちゃん?」


 気付けば、由仁は席から立ち上がって、詠を優しく抱き締めていた。


「ありがとね、詠ちゃん」

「ゆ、由仁ちゃん。な、なんで?」

「だって、詠ちゃんにとってそれは秘密にしたいことなのに、うちには伝えてくれたから。それだけ、うちのことを大切に思ってくれてるんかなって思ったら、急にこう、詠ちゃんを抱き締めたくなっちゃって」

「由仁ちゃん」

「誰かてそうよ。感謝よりも先に身体が動いちゃうこと、時々だけどあると思うねん。だから詠ちゃんのやったことは全然変じゃないし、ゲンさんもきちんとわかってくれるよ」

「……そうかも、しれないね」


 小さな答えと共に、詠も由仁のことを抱き返してくる。


「励ましてくれて、嬉しかった。ありがとう、由仁ちゃん」

「うんっ」


 彼女の抱擁の力はとても微弱だけど、それでもとても精一杯だというのは、由仁自身に伝わってくる。

 それだけ、詠は由仁にも感謝してくれているということなのだろう。

 だからこそ、由仁は今腕の中にいる彼女と、もっと仲良くなりたいなと心から思った。



「由仁ちゃん。私、源斗お兄さんに会いに行ってくる」


 で、昼休みになった直後。

 机をひっつけていつもの昼食をする前に、詠がそのように言ってきたのに、由仁は少し驚いた。


「会いに行ってくるって、お昼も食べんと?」

「うん。本当はすぐにお礼を伝えたかったんだけど、休み時間は源斗お兄さん、移動教室とか体育とかで大体教室にいなかったから。でも、今なら大丈夫かなと思って」

「それはそうかもやけど……一人で、大丈夫? うちもついて行こうか?」

「大丈夫。由仁ちゃんには、たくさん励ましてもらえたから」

「……そっか。じゃ、行っておいでっ。うち、待ってるからっ」

「うんっ」


 そういって教室を出て、早歩きで廊下を行く詠。

 由仁は、そんな彼女を廊下まで見送ってあげたのだが……詠の足取りは、朝のHR前の絶不調とは打って変わって、今や溢れる元気が漲ってるようにも見えた。

 その元気が、自分の後押しのおかげだと詠が言ってくれたことに、由仁はやっぱり嬉しいと感じてしまうと同時に。


 ――一歩ずつ、前を行っている詠のことが、由仁にはとても眩しくも見える。


 ……うちも、ちょっとは前に進みたいんやけどなぁ。

 詠の実兄であり、由仁にとっては意中の人のことを思い浮かべつつ、友達の帰還を待つべく廊下から教室に戻ろうとしたところ、


「御免。このクラスに、鐘鳴詠は居るか」


 果たして、ついさっき思い浮かべた人物が、教室の入り口に表れていた。


「け、慧センパイ……!?」

「ん……由仁さん、こんにちは」


 その人物、鐘鳴かねなりけいは、こちらのことを見かけて丁寧に挨拶をしてくる。

 普段は感情に乏しい彼なのだが、その挨拶にちょっとした親しみが含まれているように感じて、由仁は少し気後れするのだが。

 慧センパイに会えて嬉しいな……!

 そんな想いが、由仁の表情を徐々に『パアアアアァァァ』と明るくしていく。


「……ええと、由仁さん。詠はこの教室に居ないのか?」


 そんな由仁の表情の明るさを目の当たりにする度に、慧は何故かちょっとした戸惑いを抱えているようだけども。

 それを考えるよりも、今は、慧の質問に答えた方が良さそうだ。


「詠ちゃんなら、今さっきゲンさんと慧センパイの教室に行くって言うてましたけど。入れ違いになったんかな?」

「ふむ……そうかも知れないな。昨日の放課後から朝になるまで、詠はずっと気落ちしていたようだから、今は大丈夫かと様子を見に来たのだが……」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。今は、詠ちゃんはちゃんと元気ですっ」

「? そうなのか?」

「うちがしっかり悩みを聴きましたんでっ。詠ちゃん、今はもう立ち直ってピンピンしてますよっ」

「……そうか」


 慧は一つ息を吐いて、肩を竦める。

 やれやれ、といった具合の仕草ではあるものの、表情のほうは柔らかい。とても、安心してくれたようだった。


「本当に、キミには頭が下がる。詠がまた世話になったようだ」

「気にする必要ないですよっ。詠ちゃんは、うちにとって一番に仲の良い友達ですからっ」

「ああ。だから……その、なんだ、俺もキミの友として、妹に代わって礼をさせてほしい」

「え……お、お礼?」

「どんな形でもいい。なんでも言ってくれ」

「な、なんでも……!?」


 なんでも、というワードに、由仁は鼓動が跳ね上がる心地を得る。

 実直で真面目な慧のことだから、由仁がお願いしたら、彼は本当に実行してしまうかも知れない。

 ということは、だ。

 今、ここでうちと付き合ってほしいなんて言ったら……いやいや、このお願いはダメだ。

 お礼という口実で交際させるというのは何か違う気がするし、何より、彼の優しさに漬け込んでいるだけな気がする。

 慧とはきちんと仲を深めて、そのためには自分自身がきちんとイイ女になった上で、改めて自分の想いを伝えたい。

 それが出来るようになるのは、もっと先になると思う。

 ならば。

 あくまでお礼という範囲で、彼に頼めることと言えば、一体何か?


「――――」


 そこで由仁が頭に浮かべるのは、詠のこと。

 感激と達成感と感謝のあまり、彼女は兄の源斗に抱きついた。

 つまり、感謝のお礼という形で、慧に……その、こう、親しみの意味で抱き締めてもらうまでなら、ありなのでは?

 身長差はあまりなくて、細身だけど、なんだかんだでとても力強そうな彼の腕に抱き締めてもらえたなら、うちは……!

 

「? 由仁さん?」

「ハッ……!」


 とまあ、数秒ほど固まっている由仁を怪訝に思ったらしい、慧が少々心配そうな目でこちらを見ているのがわかった。

 これ以上悶々としていると、変な女に見られるかも知れない。

 決断をしなければならない。

 今すぐに。

 だからこそ。


「あ、あのっ、慧センパイ」

「ん?」

「えっと……その……!」


 詠がさっき出したように、由仁も、精一杯の勇気を出して、



「うちと、握手しませんか!?」



 ……ものすごく日和ひよってしまった。


「? 握手?」

「は、はい。その、慧センパイのお礼を、うちもちゃんと受け取りたくて。それならもっと仲良くなりましょうって感じでっ」

「ふむ……なるほど、改めて友情の証という形を表すには、良いかも知れないな」


 しどろもどろに説明する由仁だが、慧はしっかりと頷いて納得してくれたようだった。

 あっさりと右手を差し出してくる慧に、由仁は『うぬぅ……』とモヤモヤした心情で、自分のここ一番でのヘタレっぷりに後悔しつつ、その手を握ったところ、



「いつもありがとう、由仁さん」

「…………え?」



 握った手は、想像したよりもずっと力強く。

 それでいて。

 ――彼が今、浮かべているささやかな笑顔の通りに、優しかった。


「これから先、困ったことがあったら言ってほしい。キミが詠にしているように、俺もキミを全力で助ける。絶対だ」

「……慧、センパイ」

「こういうのも、気障キザっぽいかも知れないが……その、俺の本心だ。いつでも頼ってくれ」

「…………はい」

「では、また」


 彼と手を握っていた時間は、十秒にも満たないかも知れない。

 それでも、彼のささやかな笑顔と共にあったその感触は、由仁の時間を見事に停止させて。


「あ……」


 去っていった慧の姿が見えなくなる頃に、ようやく由仁の時間は再開し。


「あ、う、あ~~~~~~~~~~~~~~…………」


 その瞬間に、由仁は顔どころか全身を真っ赤にして両手で顔を押さえながら、その場にしゃがみ込んでしまった。

 多分、廊下にいる生徒達は自分の姿を見たら何事だろうと思うかも知れないけど、構うものか。

 この、胸の中からどんどんあふれてくる気持ちを抑えるには、こうするしかないのだ。それくらいは許してほしい。

 こんな風に、数分ほどその場で悶え苦しんだ後に。

 ……由仁の頭の中で、先程の彼の笑顔がフラッシュバックして、改めて口をついて出た言葉は。



「……………………好き」



 もう、その一言に尽きた。



 

 教室の入り口でしゃがみこむ、そんな新堂由仁の姿を。


「……Good Luck!」


 仏のような顔をしている四人組の女生徒を始め、多くのクラスメート達が、親指を立てつつ生温かい視線で見守っていたのを、由仁は知る由もない。

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