第2話

 ***



 さて、若い娘にとって、社交界とは夢です。

 着飾って綺麗な場所に出かける。それが嬉しくない女などいません。

 わたしも家族の語る素晴らしい世界に、年頃の娘らしく心躍らせました。

 昔と違って、そこに自分がふさわしくない人間だと恥じる必要もありませんでした。


 けれどいざデビューをしてみれば、あっという間に夢想は醒めてしまいました。


 女の子と友達になって話すのは、まだ楽しかった。

 けれど最大の任務――結婚相手を探すことについては、日を重ねるごとに億劫さの方が増していきました。


 わたしは本を読みます。それでたとえば、彼らが話題にしたことについて、自分の知識と意見を述べます。

 当たり前のことをしているだけなのに、それは大層煙たがられました。


 だんだん悟っていきました。殿方は自分が優れている時は優しいけれど、そうでないとこちらに恥をかかせるまで気が済まなくなるのです。

 それが接待で、女らしさだと色んな人が形を変えてわたしを諭しました。

 なぜ? わたしはただ、事実と意見を述べているだけ。


 わたしが大事に育ててきた「わたしらしさ」を、ことごとく生意気なのだと否定されました。


 さすがにもう大人ですから、子どもの頃のようにすぐ行動はしませんでした。

 けれど一体何度、この頬を叩いてやりたい、あの頭に水をひっかけてやりたいと思った事か!



 しかし家族相手では苦笑されるのはわたしなので、自然と愚痴る相手は一人になっていきます。


「ミスタ。あなたにはわたしらしさを教えてもらったわ」

「レディがご自分で望んだ今です。それとも違っていましたか?」

「どうなのかしら。あなたが家に来たときと同じかも。今まで正しかった事が違うと言われて、戸惑っている――そう、わたしは戸惑っているのかも。それに、悲しい。あまり外の集まりに行きたくないの、嫌なことを言われるから」

「レディは社交がお嫌いですか?」

「話を聞くのは好きよ! わたしは普通に話したいだけ。なのにわたしは普通じゃないって皆に言われるの」

「時に全て語らぬ事も知恵やもしれません、レディ」

「ああ、そう。わたし、おしゃべりしすぎなのかしら? 家では皆黙って聞いてくれるものね。そうかも……」


 それじゃ今度からもう少し意識して黙ってみよう。

 何も嘘をつくわけではなく、ただ言うべき事を選ぶのだ。


 わたしは今まで反論していたところで、ぐっと堪えてにこやかに微笑み、頷くようにしてみました。

 すると確かに、余計ないさかいは生まれず、殿方は機嫌良く相手にしてくれます。

 けれどああ、その会話のなんと退屈なこと!



「本当にあの中から結婚相手を選ばなければいけないのかしら」


 わたしが神妙な顔をして零すと、ミスタはただ微笑を浮かべるのみでした。

 わたしの問題ですから、執事がとやかく言うことではないと考えたのかもしれません。

 社交、伴侶、色恋――ぐるぐる考えている間に、ふと思いついたわたしは口を開きました。


「そういえば、ミスタにいい人はいないの?」


 あのミスタ・ドノヴァンにそんな不躾な質問ができたのは、わたしが無謀な若者だったからでしょう。


 彼はとても下品なことをするようには見えませんでした。

 悪辣な執事であれば、立場を利用して時にメイドを泣かせる事もあるそうです。

 彼には全くそういうことはみられず、だから誰からも信頼されていました。


 けれど社交界を経験し、王子様のような人が何人もの女性を泣かせる世界を知ってしまったわたしです。

 はたして彼もまたわたしを失望させるのか、それとも尊敬すべきミスタのままなのか。


 あるいはもっと単純に、知りたかったのでしょう。

 あの人が女性を愛することがあるのか。――どうやって?


 ミスタは相変わらず、高い背を少しかがめ、この時は少し困ったように太い眉を下げて答えました。


「ございません、レディ」

「過去には? どなたか好きだったことは?」

「昔、将来を約束した人がいましたが――」


 一度切られた先をうながすように見つめていると、彼は諦めたようにため息を吐きました。


「――待たせすぎたのでしょう。私が結婚を申し込もうと決意した時には、もう違う男を選んでいました」


 まあ、意外だこと! 仕事でそつのないミスタにしては、間抜けな失態です。

 一方で、なんだか彼らしい気もしました。

 それに彼がずっと独身なのも、一応は納得できます。


「ミスタは色々考える人だものね」


 わたしが言えば、彼は苦笑しました。


「ミスタみたいな人なら、すぐ結婚してもいいのに」


 続けると、更に困ったような顔になるのでした。



 わたしがミスタとの恋や結婚を一度も考えなかったのかと言われれば、答えはノーです。


 おとぎ話のごとく手に手を取り合う、そういう姿を思い描いた事もありました。


 けれど本格的にそういった事を考える年になる頃には、わたしは本を読みすぎていたのかもしれません。


 可能か不可能かでいえば、けして不可能ではなかったように思われます。

 やり方はいくつか考えられました。

 ミスタもけしてわたしの事を嫌ってはいなかったでしょう。


 けれどまず、わたしがそういう事を望んで迫ったところで、あのミスタが応じるでしょうか?

 わたしたちは親子ほど年が離れておりました。彼はわたしが赤ん坊のようだった時代すら知っています。

 仮にうまく一夜の思い出を作り上げたところで、翌朝には潔く辞職し、さっさと荷物をまとめて出て行ってしまうことが容易に想像できました。


 それに何より、万が一わたしの欲望を全て叶えて成就したとして、それが素晴らしい未来とは思い切れなかった。

 正式に結婚し、ミスタを社交界に加えてあの失礼な人達の相手をさせろと?

 あるいは今のすべてをなげうたせて、落ちぶれたみじめな生活をさせろと?


 そんなものはレディではない。

 ミスタ・ドノヴァンが仮に結婚するのであれば、お相手は必ずレディでなければならない。


 つまるところ、わたしはずっと彼に憧れており、憧れによって無謀を自制したということだったのでしょう。



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