レストア

あべせい

レストア


 冬葉鶴吉とカメの70代夫婦を乗せた車が走る。

「カメ、今夜はホテルにしよう。この年で、3日続けて車中泊は堪える」

 夫の鶴吉が、ハンドルを握るカメに言う。

 2人の車、といっても製造から25年たつ1200㏄のオンボロ国産大衆車だ。

 国道1号線を西に向けてトロトロと走り、三島市内に入った。

「そうさね。昨日は、箱根の千石ヶ原の脇道だったから、寒かった。あんな、トイレも水道もないところに、車を駐めること自体、もともとバカだったンだよ」

「しかし、それを言い出したのは、カメ、おまえだ。近くの食べ物屋に閉店時間ぎりぎりに飛び込み、食べ終わったのが、夜の10時を過ぎていた」

「あの店は、あの近辺では、箱根山麓牛のステーキを食べさせてくれる唯一のお店だよ。あそこを逃したら、箱根に来た甲斐がないやね。あたいたちは、いつ死んでもおかしくない年だ。明日かも知れない、明後日かも知れない。でも、ちょっと高かったね、あれは。国産の和牛はどうして、あんなに高価になったンだろう。昔は、和牛なンて、あちこちの田んぼにごろごろいたのにね」

「そンな昔話をしてもしょうがない。日本の政治家が、日本製の車を売るために、外国の、まずくて安い肉を輸入するようにしているからだ。そんなことより、どうするンだ。今夜のホテルは?」

「わかった。あそこに『道の駅』が見えるから、寄って情報を仕入れてみようや」

 カメは、前方にみえる「道の駅 三嶋」の標示板に従って、ハンドルを切った。

 道の駅の建物は、直売所を中心に、食事処と観光案内所、休憩所、トイレなどがあり、敷地は200坪ほどだが、駐車場がそれを取り囲むようにして、約4倍もの広さがある。

 平日の午後2時過ぎのせいか、駐車場は4割ほどしか埋まっていない。

 カメは、直売所から最も遠く、トイレからはほど近い駐車場の空きスペースを選んで、車を駐めた。

 周りを見ると、1台分の空きスペースを置いて、右側に古ぼけた外車が停まっている。ボディの赤い塗装のはげ具合からみて、30年以上は経っていそうな車だ。

 ルーフは黒い布製で、ツーシートのオープンカーであることがわかる。しかし、そのルーフも色褪せ、所々虫に食われたように穴が空いている。

 ひどいのはルーフだけではない。ドアやボンネットにもサビが浮き出ている。ナンバープレートはついているものの、薄れていてはっきり読み取れない。

 その外車が駐めてある駐車スペースは、広い駐車場の北東の角で、その外は雑草が生い茂る無耕作地になっている。

「カメ、あの外車のタイヤを見ろや」

「ウッ?」

 カメは、車から出ようとして、外車のタイヤを見た。前輪も後輪もパンクしているのか、4本とも、ひしゃげてペシャンコになっている。

 車内を見ると、だれもいない。明らかに車上生活者のものか、放置車両だ。しかし、内部は、ほこり以外はゴミもなく、整然としている。

 ふつう、車上生活している車の中は運転席以外、足の踏み場もないほどに、雑多な荷物が詰め込まれているものだが、この車にはそういったようすがない。

 カメたちも、東海道を車で旅しているから、車中で生活出来るように、炊事や洗濯の道具をぎっしり積んでいるが、外車の内部にはそれがない。

「あたいたちと同じと言いたいけれど、あの車のタイヤじゃ、走れやしない」

「タイヤ周りの草の生え具合から見て、何年も動いていないだろう」

 鶴吉は、車の持ち主が乗り捨てたのではないかと想像した。

 ところが……。

 カメたちの車と外車の間の空きスペースに、いきなり真っ赤な1台の車が入って来た。ほかにいくらでも空きがあるというのに、だ。

 車は真新しいセダンタイプの真っ赤なジャガー。そういえば、古ぼけた外車も、ジャガーのエンブレムがボンネットに付いている。

 真新しいジャガーから降りてきたのは、若い女性。20代後半だろう。赤と黒のつなぎ服を着ている。

 女性は、興味深げに見ているカメたちの視線にはお構いなく、後部座席から新品のタイヤとジャッキを取り出すと、古いジャガーを持ち上げ、使い物にならないひしゃげたタイヤを新品のタイヤに交換しだした。

 その手際がすばらしい。女性の体つきはスリムだが、がっしりした頑丈そうな手足をしていて、ジャッキやレンチの扱いも、実に手慣れている。

 その道のプロといえば、それまでだが、カメはさきほどから疑問に思っている。どうして古ぼけたジャガーのタイヤを交換するのか。

 10数分という早さで4本のタイヤをすべて新品に交換すると、彼女は古タイヤを乗ってきた新しいジャガーの後部座席前のスペースに積んだ。

 次にトランクを開けると、未開封のバッテリーを取り出し、古ジャガーのボンネットを開けて、こんどは古バッテリーと交換した。その間、わずか5分足らず。さらに、10リットル入りのガソリン用携行缶をとりだし、古ジャガーの注油口にガソリンを注いだ。

 そして、どこに隠し持っていたのか、キーをドア穴に挿し込ンでドアを開け、運転席に腰掛けると、エンジンキーを回した。

 すると、どうだ。エンジンがすさまじい爆音とともに、掛かったのだ。

 彼女は車から降りると、古びたナンバープレートの上に、赤いラインが斜めに入った仮ナンバーを前後のそれぞれに張り付けた。

 すべての作業を終えた彼女は、ふと気づいたように周りを見渡す。そして、オンボロ車の助手席にいた鶴吉と視線が合った。というより、合わせたといったほうが事実に近い。

 彼女は古ジャガーのタイヤを交換しながら、鶴吉が熱心にそのようすを見ていることを視野の片隅で、しっかり捉えていた。

 彼女は、ハンドルを握っているカメに近寄ると、つなぎ服の胸ポケットから、1枚の名刺を出し、運転席のカメの前に差し出した。

 カメは仕方なく、車の窓を開け、その名刺を見る。

「三嶋万代行 代表繰谷希代子(くりやきよこ)」

 と、ある。

「ミシママン、って?」

 助手席の鶴吉が首を伸ばして、名刺を見てつぶやいた。

「これ、三嶋よろず代行です」

 鶴吉は、ニッコリと微笑みながら答えた希代子の笑顔を見て、心底恥ずかしそうな表情をした。鶴吉は若い女には、からきし意気地がない。

「それで、ご用件は?」

 カメが夫をかばうように尋ねる。

「このジャガーですが……」

 希代子は、元々は赤く塗装されていたと思われる古ぼけた廃車同然のジャガーを指差し、

「この道の駅を管理する役所から、廃棄処分にして欲しいというご依頼をいただき、これから移動させるのですが、人手が足りません」

「人手が足りない、って? お宅、会社だろッ?」

 カメには、遠慮がない。いつお迎えが来ても、素直に従うつもりでいるから、怖いもの知らず、とも言える。

「名刺には『代表』としてありますが、実態はわたくし一人だけの個人企業です。もっとも役所には、数人使っていると言っています。勿論、仕事が重なることもありますから、そういったときは業界仲間に声をかけるか、時間に余裕があれば、学生バイトを雇います」

「そォ。あんた、正直でいいやね。気に入ったよ。あんた、繰谷希代子さんだね。わたしはカメ、連れ合いは、鶴吉だ。よろしくね」

 カメが同性に対して好意を示すことなど滅多にないから、鶴吉は息を飲むほど驚いた。

「それで、うちのコレに手伝え、ってかい」

 カメは、希代子と話したくてウズウズしている鶴吉をじらすように、ひとりでしゃべり続ける。

「それはかまわないけれど、あんた、廃棄処分、って言ったけれど、そのジャガー、捨てるわけじゃないだろう?」

「さすが、よくおわかりですね」

 カメは、おだてには乗らない。おだてに乗って、いいことがあった試しがないからだ。

「実は、このジャガーは非常に珍しいタイプで、世界中に欲しがっている人がたくさんいます……」

「ビンテージ、っていうやつだな」

 鶴吉がようやく口を挟んだ。希代子は、うれしそうに微笑み、鶴吉に視線を向けながら、

「そうです。ですから、エンジンさえしっかりしていれば、新車同様にレストアして……」

「レストア、って?」

 とカメ。すると、鶴吉が、

「修復する、ダ」

「ハイ。修復して元通りにします。さらにアップグレードして……」

 鶴吉はカメの反応を見て、すかさず、

「性能を上げる、ってことだ」

「そうです。ご主人のおっしゃる通り、性能をあげて、高額で販売します」

「なるほど。あんた、なかなかやるね」

 カメは、希代子の計画を知って満足した風だ。

「それで、手伝うって、何をすればいいンだい?」

「わたしは、これからこの中古ジャガーを運転して試し走行しながら、自宅兼作業場まで戻ります。そうなると、わたしが乗ってきたジャガーがここに置き去りになります……」

 鶴吉が突然助手席から降りると、希代子のことばを遮るように、

「そうか。ヨシッ、おれが運転して、あんたの運転するジャガーの後を追いかければいいンだな」

 希代子が、目の前に降り立った鶴吉を、初めて凝視した。

 鶴吉はすっきりと立ち、年齢を感じさせない鋭い眼差しで、希代子を見つめている。

 カメはそんな夫を久しぶりに見たのか、

「あンた、生きがいに出合ったみたいだね」

 と、優しい笑顔で話しかける。

 カメは、若い女に嫉妬するほど、バカじゃない。どうにもならないことには、頓着しない。それが古女房カメのいいところだ。

「この人は、車いじりが大好きで、うちのオンボロも毎日手入れして、これまで20年以上故障せずに乗って来れたンだよ」

「そういう方にお手伝いしていただければ、大助かりです」

 希代子は心底うれしそうな表情をして答える。

「しかし、一つ問題がないかね?」

 カメが、鶴吉にジャガーのキーを手渡そうとしている希代子に言った。

「エッ?」

 希代子は、カメを振り返り、

「古ジャガーの所有者に断らないといけない、っておっしゃるンでしょう?」

 カメは、図星を指され、無言で頷いた。

「その方は、いま、どこからか、この光景をご覧になっているかも知れません……」

「そうか。希代子さん、あンた、そのジャガーの持ち主を知っているのか。すると、レストアした車の利益は、3等分ということか……」

 鶴吉はそう言い、少しやる気をなくしたのか、顔から幾分輝きが失せた。

「そうです。鶴吉さんには不承知でしょうが、車の所有者を大切にしないと、この仕事はやっていけません」

 希代子は、きっぱりと言い放った。

「昔、ジャガーを買ったンだから、それ相当の収入はあったンだろう、車の所有者には。しかし、いまは、車上生活。こんどはその大切な車を手放して、生きていく、ってわけなンだろうが、ホームレスでもやるつもりかね」

 カメのそのことばに、希代子は突然強く反応し、カメをキッと睨み付けた。

「存知ません。もし、必要でしたら、その方にお会いできるよう手配いたしますが……」

 希代子はそう言って、カメの反応を待った。

「そのときが来れば、そうしようかね」

 カメは、古ジャガーの持ち主について、おおよその見当がついたらしい。

「じゃ、希代子さん、ご一緒しようか。ジャガーなンて、運転したのは、30年以上も昔の話だ」

 と、鶴吉が言う。

 すると、カメが車の窓から、首を長く出して言った。

「希代子さん、あたいもついて行っていいかい?」

「勿論です。レストアには、最低1週間はかかりますから、汚くて申し訳ありませんが、ご夫婦で、わたしの自宅にお泊まりいただくと助かります……」

 助かるのは、カメと鶴吉のほうだ。これでしばらく車中泊はしなくてすむ。


 希代子の作業場は、三島市内の外れにあった。約百坪ほどの敷地に建つ一軒家だが、1階の大半は、車体を持ち上げるリフトを中心とした車整備の道具類であふれている。2階が希代子の住まいで、そのようすから、希代子は独身とわかる。

 2階には、台所と居間に浴室、ほかに狭いが3室あり、カメと鶴吉は、通りに面した一室を居住用にあてがわれた。

 古ジャガーのレストアはその日から始まった。驚いたことに、マフラーをはじめ、交換に必要なパーツ類はすべて作業場に予め用意されていた。

 錆びついたナットやボルトを取り外すのに多少苦労はしたが、鶴吉の経験が希代子を助ける場面もしばしばあった。例えば、錆びついて固着したボルトやナットは、バーナーで熱してやれば、意外に簡単に外れるといったことなどだ。

 それでも、ショックアブソーバやラジエータなど、使い物にならないパーツを全部取り外すのに、2人がかりで2日を要した。

 あとは、車体の隠れた部分の錆落としと、取り外したパーツに代わる新品を取り付けるだけになった。ところが、ここでちょっとした興味ある出来事が起きた。

「鶴吉さん、そこの作業はわたしひとりにやらせてください。鶴吉さんは、先に昼食をとっていただいて……」

 ブレーキホースの交換をしていた希代子が、持ち上げられた車体の下で、エンジンのアンダーカバーのサビを落としている鶴吉を見て、そう言った。

 鶴吉は不審げな顔をしたが、希代子の堅い表情を見て素直に従った。

 ちょうど昼時で、カメは2人のためにトレイに手製のサンドイッチとコーヒーを乗せてきたが、そのようすを見ながら、脇にある事務所に入った。

 事務所といっても、そこは4畳半ほどの広さしかなく、電話とテーブルがあるだけで、3人が昼食をとるには少し狭いが、カメたちはここに椅子を持ち込み、ランチをとることにしていた。

 カメは、手を洗って事務所に入ってきた鶴吉に言った。

「何だろうね。ひとりでこっそりやりたい作業、って?」

 カメは、ある程度の予測はついていたが、鶴吉の考えを尋ねた。

「カメ、あの車は希代子さんの身内とつながりがあるようだ」

「やっぱり、そうかね」

「エンジンの下側を保護するアンダーカバーは鉄製で、サビがきていたからおれはグラインダーでサビを落としていたンだが、希代子さんに声をかけられて、車体下から離れるとき、チラッと見えた……」

「何が、さ?」

「文字だ。アルファベットで『LOVE KIYOKO』とあった。間違いない」

「ラブ、キヨコかい。希代子さんを愛しているという意味なのかね?」

「それ以外にありえないだろうが。あのジャガーは昔、希代子さんの父親が乗っていた車なンだ。それが、どんないきさつかはわからないが、ある日、父親が車ごと、忽然といなくなった。そして20年以上経過した最近になって、三島の道の駅の駐車場に放置されていることがわかり、警察か、管轄の役所から連絡が入った。それで、彼女は現場に駆けつけて車を確認、父親のジャガーに違いないと確信した。それで、父親が購入した当時のジャガーに蘇らせようと考えた」

 鶴吉は、自信たっぷりに語る。

「そうすると、車が元通りになっても、売らない可能性もあるね。あたいたちの儲けはないやね」

「うーん」

 鶴吉は、なんだかタダ働きをしているような気分に陥った。

 事務所のガラス窓を通して作業場のようすが見えるのだが、希代子はちょうど、その60センチ四方角のアンダーカバーを外して、その代わりに、別に用意してあった、同じ大きさの鉄板を取り付けている。

「アンダーカバーは、今回の記念にとっておく考えらしいね。おまえさんの言う筋書きも、満更捨てたものでもないらしいやね」

 カメは、そこまで言ってから、

「しかし、あれをご覧よ」

 希代子は車体から外したエンジンカバーを作業場の壁に立てかけたのだが、事務所の窓から、その光景がよォく見える。

 エンジンカバーに書かれた文字は、一字が5センチ四方ほどあり、専用の彫刻刀のようなもので彫られたのだろう。活字のように、しっかりした線だ。

「アッ!」

 鶴吉の声が変わった。

「間違いだろう。『LOVE KIYOKO』ではないね」 

 その文字は、KIYOKOではなく、KYOKOだ。KとYの間の、Iが抜けている。「京子」「鏡子」かどうかはわからないが、「希代子」でないことは明らかだ。鶴吉が、一瞬のことだったため、先入観から「希代子」と読み違えた。

「じゃ、車の所有者は希代子さんとは全く無関係だ。レストアして高く売れば、利益を車の所有者と希代子さん、おれたちと3等分して、3分の1は手に入る」

 鶴吉は、再び元気になった。

「きょうはサンドイッチですか。カメさん、毎日、ありがとうございます」

 希代子が手を拭きながら事務所に入り、カメと鶴吉の前に腰掛けた。

「希代子さん、そろそろ完成かね?」

 カメの問いに、希代子はうれしそうな笑顔で、

「午後から、シートの交換などして内装を仕上げ、ルーフの布を新品と交換すれば、あとは塗装屋さんに、ボディを塗装してもらうだけ……。このタマゴサンド、おいしいッ!」

「そうかい。それでお父さんの車は、そのあとどうするつもりだね?」

「エッ!?」

 希代子は、カメの突然の問い掛けにびっくりした。

「ご存知だったのですか。あのジャガーが父のものだ、って」

「そりゃわかるさ。この年まで生きてくれば、ね」

 カメが、得意げに話す。

「こういう作業場がある、ってことは、あンたの仕事は『万代行』と言っても、車の、レストアとやらを数多く手がけているのがわかる。しかし、車を修復して売るというのに、放置車両には手を出さないだろう。あとで、持ち主がわかったとき、法的な問題が出てくる可能性が大きいからね。そんな面倒なことをやるより、所有者のはっきりした車を安く買いとって、うまく修復して高く売ればいい。それを、あんな道の駅の駐車場に長年放置されていた外車をここまで引っ張ってきて、修復している。これは、あの車とあンたが、何か、深いつながりがあると考えるのが、ふつうだよ」

 カメはそこで一息ついた。

「恐らくここの地元の警察が、道の駅から連絡を受けて、まず所有者の特定にとりかかった。薄れて読み取りづらかったナンバープレートをどうにか読み解き、陸運局の記録から、その所有者を特定することが出来た。あとは、所有者に連絡をとり、強制撤去するだけだ。ところが……」

「そうなンです。父は、先々月山形の庄内で亡くなっていました。庄内は、母の故郷です」

「お父さんが亡くなったから、車検証の住所、そして戸籍謄本、住民票から、娘のあンたに連絡が来た。ジャガーをどうにかして欲しい、と。あンたは、捜していた父が見つかった嬉しさと、死亡していた悲しみを同時に受け取った。つらかったろうね」

 カメは珍しく、しんみりと言った。希代子の目が潤んでいる。

「でも、わたしはすぐに父の車を引き取ろうと考えました。仕事としてではなく、娘としてです。それで、鍵屋さんに合鍵を作っていただき、ドアを開け、車検証を見つけ、父の名前を確認しました。そして、内部の不要なものは捨てて整理にして、きょうに備えました。車検は切れてから、すでに10年以上たっています。父は、あの車の中で、長く生活していたことになります」

「そうかい。その間、あんたにお父さんから連絡はなかったのかい?」

「一度、匿名のはがきをいただいたことがあります。父の筆跡でした」

「どんなことが書いてあったンだ?」

 鶴吉が尋ねた。

「京子の生家を訪ねたいが足がない。娘のおまえが母の墓参りをするのがいいだろう、と……」

「なるほど、お母さんは『京子』さんというのか。それで……」

「それで、お父さんはエンジンのアンダーカバーに、『KYOKO』と刻んだンだね」

 カメが脇から口を出す。

「ハイ。父は母を深く愛していました。しかし、職業だった銅版画の仕事に行き詰まったらしく、ある日、忽然とジャガーとともにいなくなりました。わたしが、小学4年のときです。いまから、20年以上、昔の話ですが……」

「カメ、いま気がついたンだが、娘の『希代子』さんという名前を付けるとき、妻の『京子』さんとの間に生まれたから、『K』と『Y』の間に『I』を入れたンだろう。お父さんの名前の頭文字は『Y』だろう?」

「はい。繰谷鷲見(くりやわしみ)といいます」

「なるほど、『KYOKO』の『K』と『Y』の間に『I』を加えると、『KIYOKO』になる」

 鶴吉は、そう満足げに言ったが、カメはすぐに、

「『間』じゃないだろうッ。『I』は、『愛情』の『愛』だよ。『I』を入れたのは、シャレを利かせたンだ」

 と言い、希代子も、

「わたくしも、そうだと思います」

 と、応えた。

 鶴吉は、恥ずかしそうに、コーヒーをすすりながら、

「希代子さん。ヨシッ、そういうことなら、ジャガーを早く完成させて、この店の看板にすればいい」

 すると、希代子は首を横に振り、

「わたし、いま思いついたンです。お2人には、こんなにご親切にしていただきました。お礼と言っては失礼かも知れませんが、お2人がいま乗っていらっしゃる国産車の代わりに、父のジャガーを使っていただければ、父もわたくしも満足できる、と……」

「オイ、カメッ、こんな話を断るつもりはないだろうなッ」

 鶴吉の眼が、急に輝きを増した。

「あいよ。希代子さんの大切な車を活かすのには、使わせていただくのが、いちばん。希代子さん、お言葉に甘えて、乗らせていただきます」

 カメも嬉しそうだ。

「その代わりといってはなんですが、お2人のあの国産車は、わたくしにください。レストアして、高く販売します」

「エッ!?」

 鶴吉とカメが、声を揃えて驚いた。あんなオンボロ車が高く売れるのか? 30年近くになるのに。第一、必要な部品が調達できるか、だ。

「ダメでしょうか?」

「いいえ、いくらでも差し上げます。ジャガーに乗らせていただけるンですから」

 と、鶴吉。

「そうだ。あンた、うちのオンボロがレストアできるまで、あンたが手伝えばいい。それまでこちらで厄介になろう。いいでしょう、希代子さん」

「もちろん。よろしくお願いします」

 希代子は、幼くして亡くした父と母に再会したように、明るい笑顔になった。

                  (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レストア あべせい @abesei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る