1.ガードルード 

 



 研究や実験の依頼が来るときは『科学総会』を通して、電話だったりアプリだったりの音声通信か、文章でのメッセージが届く。

 だけど、この日は、平時と様相が違っていた。

 玄関で見知らぬ男と相対した学人は、常に浮かべる対人間用の愛想笑いなど、欠けらも無く。それどころか、表情のすべてを削ぎ落として……感情の欠落した人のような面持ちで。

 男から黒い紙を、黙って受け取っていた。







   【 1.ガードルード 】




 陰鬱な印象の男だった。

「どうぞ」

 居間に通された男へ茶を、と学人に言われ出す。男は「ああ、ありが、……」礼を述べ掛け僕を見て、固まった。僕の耳がぴくぴく動いている。尻尾は微かに振れていた。珍妙なものを目撃した目で男は僕を仰ぎ見ていた。

「……」

「熱い内にどうぞ」

「っ、あ、ああ、失敬した」

 来客の、こう言った反応には慣れているし、別に謝っていただかなくて結構なのだけど。僕は向かいに学人の分の珈琲も置くと役割を終えた盆を脇に抱えて、一つ息を吐き「いえ。ごゆっくり」と返した。今この場にいない学人の分を用意したのは、そろそろ来るだろうと踏んでのことだ。


 僕が出るのとほぼ同時に学人が入室して来た。何か書類を持って。僕は学人に道を譲ってから、退出した。

「お待たせしました」

「ああ、いや……」

 男が視線で僕を追っていたことには感付いていた。学人も気が付いたらしく「ああ」と、合点の行った声を出していた。

「めずらしいですか」

「いや……彼は、『ドール』かい?」

 男の戸惑った声調の問いに学人は、はっ、と吐き棄てるよう、わらった。

「まさか」

 閉める寸前の、ドアの隙間から覗いた学人は男の向かいに腰を下ろした。僕は扉を閉めた。閉めても、二人の会話は聞こえて来ていた。

「あんな気色悪いものを、置く趣味は無い」


 学人が唾棄する如く罵る『ドール』は、未だ試験運用段階の生体機械だった。

 有機素材で神経の一つ、細胞の一つまで出来ている機械。電脳も特殊な有機電脳を持つとか。

 この時代で高高度の最先端医療の粋を集めた結晶。

 巷では、“最早素材の違う人類”、『新人類』とまで持て囃されている、とか。


「ではアレは……」

「原田に押し付けられた、『置き土産』です」

「原田……あぁ」

 学人の挙げた名に、男が納得の声を上げる。ヨシキさんのことは既知なのか、気付いたようだ。

「じゃあ、アレが噂の……凄いな、人間にしか見えない」

 若干興奮した音を滲ませ、男が感嘆の意を告げる。けれど、洩れ聞こえる音から珈琲を一口飲んだだろう学人は、音声でわかるくらい不機嫌そうに言った。

「そうですか? 僕には、どう見ても“犬”ですけど」


 僕は場を辞そうと考えていたが、いつに無い学人の応対が気になって、扉から離れられなかった。右往左往、行ったり来たりを繰り返す。

 そうこうしている内に、仕事の依頼内容に話が変わった。


 と。


「……何してるの」

 唐突に扉が開く。僕は平静を装いつつ、内心びっくりして慌てていた。じろり、と睨まれる。成程。蛇に睨まれる蛙とは、こう言うことか。と、的外れなことが過った。

「何してるの」

 二度尋ねられ、僕は「えぇっと……」とっさに「お茶のお代わりが必要かなって思って、」待機してました、と小さく続ける。学人の眉間の皺が増え、鼻の上にも刻まれた。僕の耳と尻尾は垂れ始める。

「あ、そう」

「はい……」

「じゃ、いいから。あっち、行ってっ」

 僕の「はい、」返事もそこそこに、ドアが大きい音を立てて閉められた。僕の耳と尻尾は殊更垂れた。


 中から「聞かれても別に良いんじゃないか? 犬なんだろう?」と擁護する男の声。暗に、理解出来ないだろうと思ってのことだろうけど。学人は「機密事項でしょう」一蹴した。

「どこから洩れるかわからないし、……あなただって、この依頼は洩れたらマズいのでは?」

 大して高くも無いけど低くも無い声音を、押し殺した風にして学人が相手へ質した。詰め寄ったのだろうか。男はぐっ、と声を飲み込んだようだ。それに、と学人は言葉を連ねる。

「アレは、あなたが思う程知能は低くない。見縊らないほうが身のためだ」

 忠告する。きっと、一応は誉められているのだろうけど、僕の耳と尻尾は垂れて復活しない。

 忠告に含まれる学人の心情を、敏感に気取っていたせいだ。僕は学人の異状を気に掛けていたが、学人の命には逆らえないので今のドアから離れ、キッチンへと戻った。




 その後、昼に来た男が夜遅く帰ったあと。何か材料を取り寄せた学人より、しばらく研究室から出て来ない旨を聞かされた。

 研究内容は教えられなかったけれど、開発コードが通称『ガードルード』だと言うのは聞いた。

“ガードルード”。

 女性の名前だ。愛称は“ガーディ”“トルーディ”とかだったか。学人も、普段は“ガーディ”と呼んでいた。

 衛生面やセキュリティから、出入口が二重扉の構造になっている研究室はトイレもシャワールームも完備で、食事と洗濯さえ何とかなれば生活出来てしまった。

 宣言通り、学人は研究室から滅多に出て来なくなった。


 食事や洗濯物を出すときだけ出て来て、済ませると研究室に籠っていた。研究や実験に没頭すると寝食を忘れがちな学人にしては最初こそ、眠くなるからと研究中は一日一食だけになる食事もきちんと摂っていたので、何も口出ししなかったけれど。日を追う毎に期日が迫っているのか没入してしまっているのか、目の下に隈を作り食事や洗濯物を出すことも滞り始めた。

「……」

 仕方なく、僕は研究室の前まで通った。


 僕がノックすると二重扉のセンサーが感知して、来訪を研究室へ告げる。ロックが開かれた一つ目の向こうで、ミュージシャンがわざと化粧で作るような濃い隈を拵えた、学人がいた。学人が無言なので、僕も黙して洗濯済みの衣類と食事を渡し、終わったころ食器とその日の分の洗濯物を回収した。

 また日が経つと、学人は僕にスペアのカードキーを渡した。研究室のだ。始めは一枚。二重扉の一つ目のキーだ。僕は意図を察して頷いて、受け取った。


 二重扉は扉と扉の間に少々スペースが在って、小さな折り畳みテーブルが置かれている。僕はそこに衣類と食事を置いた。置いた合図に、二つ目の扉をノックした。僕が一つ目の扉を潜って外に出ると、閉まるそばから二つ目の扉が開く音がした。残っていた家事を一通り済ませてから再び赴いた。テーブルには空の食器と新しい洗濯物が置かれていた。


 更に日が経った。男が来てから二箇月くらいだろうか。あと少しで三箇月目に突入すると言った辺り。とうとう最後の追い込みか、取りに来た僕の前には手も付けられず、冷めた食事が置かれていた。僕は歯軋りして、急いで料理をあたため直すと、二枚目のキーをポケットから出し二つ目の扉へ翳した。

 一週間前、食器と洗濯物と共にテーブルに在ったものだ。挟まっていたメモには“緊急用”と殴り書きされていた。

 寝ているかも怪しいのに、一日一食も摂らないとか無い、しかも三日連続、と僕は扉を解錠した。

「学人────、っ、」

 叱り付けようとして扉を、がばりっと開けた僕。目に飛び込んで来たのは、随分とアーティスティックな状景だった。


 工具やコードが散乱する作業台の上に、裾はふわりとした、襟元がVカットになっている白いドレスの女性が座っていた。ゆるやかな波打つ髪は白金で、埋もれる顔は露出している肌と同じ白さ。頬に赤みは無く、一見して無機質な彫刻染みたうつくしさが在った。

 髪と同系色の睫毛も伏せられており、瞳は窺えない。そのせいか全体的に白い印象の女性だった。

「……何」

 ぴくりとも動かない女性の足元で、跪くみたいに膝を着いて学人が作業していた。こちらへ向きもせず作業を続ける学人に、僕は気を取り直した。

「……。ご飯くらい、食べたらどうですか」

「もう少しで終わるんだ。……そしたら食べるよ」

「三日目ですけど?」

 僕の咎めるような言い方に、一時学人の手が止まる。けど、すぐ再開された。僕は、はぁーっと苛立ちを叩き出すかの如く息を吐いた。食事の乗ったトレーを近くの台に置き、学人のそばまで歩み寄る。


 学人の背後に立つと首根っこを、むんず、と掴んだ。首が絞まらないよう加減しつつ引っ張る。重心が反れたためか、工具やコードを手放して学人が立ち上がった。

「ちょっ、何す、」

「食、べ、な、さ、い」

 僕が強めに言うと瞬間学人は口を噤んだが、反論しようと開口する。

「偉そうに! 飼い主は僕だぞっ……」

「そうですよ。飼い犬として・・・・・・、心配しているんです」

 何を言っているのかと僕が断言すれば今度こそ、学人は黙ってしまった。

「学人の体調と予定を考えて流動食にしているんです。時間は掛かりませんから」

 もう抵抗が無いと判断して、首根っこを放す。学人はバツが悪そうに俯いていた。覗き込むと、顔色は悪く、隈の濃さは紫っぽさを残さず黒と言って良かった。


「ほら、そんな具合悪そうな顔して。飼い主なら、犬に心配させないでください」

 学人が下唇を噛む。反抗したいのに上手いこと行かなくて、不貞腐れる幼子のようだ。本当に、子供みたいなんだから。

「ご飯、食べて。今日はミルクのお粥ですよ」

 胃にもやさしいでしょう? と説いて、学人を近くの椅子を拾いながらトレーを置いた台の前に先導する。

「一口、二口で良いんですからね? 無理しないで」

「……無理矢理食べさせようとしているくせに」

 ようやく出た憎まれ口に、僕は苦笑いする。駄々を捏ねはするものの、作業以外に、通常は高機能な脳のリソースが足りないのか割けないのか、達者な口も弱々しいものだ。

 あきらめた風に僕が調達した椅子で項垂れ、スプーンを手に取った。

 体自体は栄養に飢えていたようで、一口入れたら緩慢にだけど次々入れ始めた。僕は水差しから水をコップに入れて、脇に置いてやる。


 学人が食べる横で僕は研究室を見回した。床や壁を縦横無尽に走って作業台と機械を繋ぐコードたち。大小様々な、僕では理解出来ない機械。学人が嫌がるので、こう言うときでもないと入らない室内は、相変わらず雑然としている。自然と、僕の目は変わらない研究室の唯一の相違点、作業台の女性に向かう。

「アレ、ロボット?」

「違う。『ドール』」

 僕は驚きに目を瞠った。『ドール』。アレが。

 女性は無機物的ながら、遠くからも人間みたいな質感を感じさせて、起動前のせいか息遣いも無く死体のようだった。

 開発コード、通称“ガードルード”は、この『ドール』の名前だった訳だ。


「ま、と言っても“混合体”だけどね」

『ドール』のボディは、特別な培地での培養が必要だから。元から少量の粥をちまちまと小分けにして、口に運ぶ学人が言う。

「『ドール』……」

「そ。特注のね」

「でも、学人は、……」

 僕は詰まる。僕の様子に学人が、は、とわらった。

「そうだよ。僕は『ドール』が嫌い」

「なのに、どうして」

「仕事だもん。普通でしょ」

 私情がどう在れ、一度受けた仕事はやり遂げる。学人の言は変では無い。だけど。

「そう言うのって、ちゃんとした施設で受注されて審査されて、製作されるモンなんじゃないですか?」

『ドール』は専門機関が、専用の研究施設で開発を行っていたはずだ。犬で世間や科学に疎い僕にも、ヨシキさんに教えられたり学人と暮らす内に、それくらいの知識は在った。学人は粥を食べ終え、スプーンを器に放った。スプーンは器の縁に当たり、からん、と音を立て揺れる。コップを取り水を飲む。


「だから、」

 コップを置いて、学人が立ち上がった。

「“特注”、なんだって」




 そのやり取りの三日後、『ドール』は完成し、あの陰鬱そうな男が引き取って行った。

 男が、『ドール』を一目したとき見せた喜色に満ちた面差しは忘れられない。余程よろこんでいたのだろう、纏っていた陰鬱さが晴れて輝いていた程だ。だけれど。

 学人は、男が依頼をして来たとき同様仮面かと有り得ぬことを疑うくらい、無感動な面容だった。


 起動して、動く『ドール』へ男はこの日のために準備したらしい洋服とコートを着せ、連れて帰ったのだった。


 起動したばかりでいろいろラグが発生しているせいか、動作の鈍い『ドール』を連れ、男が帰る間際。起動後、開いた『ドール』の双眸と目が合った。

 ぼんやりとしている瞳孔は青より、藍色に近い色をしていた。


 動く『ドール』は、混合体だそうだけど、どこからどう見ても人間にしか見えず。

 人ごみに紛れたら、誰にも判別付かなそうだった。


 引き渡しが終わり、翌日僕は学人が寝室で久方振りに寝ている間、掃除に入った書斎でたまたま今回の報告書を見付けてしまった。

 平常興味も無く盗み見たりすることも無い報告書に、今回ばかりは手が伸びてしまったのは、きっと学人がおかしかったからだ。


 報告書には、特筆されるような記述は無かった。

 男の依頼で、亡き恋人の記憶をトレースした“ロボット”を造っただけと在る。

 そう。

“『ドール』”ではなく、“ロボット”と。

 混合体だと言うし、完全な『ドール』ではないから敢えて“ロボット”としているのかもしれない。

 報告書には何も不審なところは無い。

 僕には疑問点は多く在ったけれど。


 このご時世、人間の独身者はクローンがスペアとして存在していて、問答無用で電子データとして変換保存された記憶を移植され代替させられる。

 恋人は、なぜクローンではなくロボットだったのだろうか。クローンはいないのだろうか。子供がいればクローンの代替は任意になるので、すでにいたとか?

 まぁ、諸事情在るだろうから別段異様ではないのかもしれない。

 なら、なぜ然るべき機関の施設を頼らず学人へ依頼して来たのか。

『ドール』の評判と性能は前述の通り。ゆえに、とてもデリケートな問題を幾つも内包していた。

 学人へ直接依頼出来るくらいだから、あの男はそれなりの身分や地位が在るはずだ。『科学総会』は所属する科学者に受諾可否の裁量を任せていても、依頼の選別はしているため『科学総会』を通すことは必須だ。科学者に『科学総会』の使者を介さず依頼出来ると言うことは、身辺調査でスルーされるか、何かしら忖度される程度の保証がされているか。どちらにしろ、研究機関へだって依頼しても、多少なら無理が通る身の上だったはずなのに。


 僕は学人の様子や不可解な依頼に一抹の不安を覚えたけれど、結局、元犬の頭では答えは出ず……考えるのをやめた。

 学人に何が在ろうと、僕が変わらず彼といるのは確定していることだからだ。

 僕には行くところが無い。コレは僕の都合でも在るし、気持ちでも在った。


 僕は、学人に問うこともしなかった。

 問うたところで回答を得られないとも思っていたゆえに。


 ……なので。


「“────たった今速報が入りました”」

 ニュース報道で、どこかの『ドール』の研究施設で爆発事故が起きたと知らされるまで。

「……学人?」

 ソファに座ってカップを傾けながら、その報道映像を観て、微かにわらう学人を見るまで。


 僕は、事の重大さに気付かなくて見過ごした。

 飼い主の異変に、感付いていたと言うのに。


“アイツには、お前が必要だと思う”

 ヨシキさんに頼まれたのに。


 飼い犬失格だ。




   【 next 2.利己主義者の怨毒 】

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