Crazy cat's every day ─from凪緒

 


 狂った猫はどこにも行けません。

 行く宛てが無いので

 どこにも行けません。


 猫は不満が在っても

 それを伝える術を持ちません。

 物理的にも

 精神的にも


 狂った猫はどこにも行けません。

 不安だから

 どこにも行けません。


 きっと

 死 が

 己と『世界』を別つまで




 猫はずっと、ここにいます。







気が狂った猫は


           毎日、そうしました。










 凪緒なおは猫だった。そう、猫だった。小さくて、生まれてどれ程経ったかはわからないが、とてもとても小さな黒い猫だった。

 その凪緒は、今、[人間]だった。

 人型の形態を持つモノを言うならば、間違いなく凪緒は人間であり、今の格好で今している仕事を考えればメイドだった。

 猫だった凪緒は、現在と言う今、確かに人間でメイドなのだ。

 耳と尻尾だけ残し。




「ったく、何だってこんな引き籠もり生活せにゃならんのだ。この俺様が……」

 ドアを開ければぶつくさ零す男の背が見える。凪緒の『主』────如何様な意味でもだが────だ。窓に面した仕事机、持ち主本人は「事務机にしかならんがな」とほざくのだが、それに向かって作業をしていた。他人からすれば、少なくとも男の友人からすれば「厭味だよね」の一言で皮肉られる代物らしい。凪緒からすれば確かにあの机も、机と同じような木で出来た家具も高そうだ、とは思う。

「……原田はらだ

 凪緒は男を呼んだ。

「……何だ」

 書斎と一体化した執務室で業務処理に追われる男は、不機嫌に仰ぐように振り向いた。いつもその表情が不機嫌なこと同じく、決して声だけで返事することが無いのも凪緒は知っている。

「お客さん、来たんだけど」

「ちっ……どうせ埋葬に来た・・・・・ヤツだろー? 適当に茶を出して置いておけ。この書類の誰かなのは確実だからな。まだ事務処理中だって言って置け。あぁ、」

 最後まで口にせず原田は、書き込みしているらしく握っているボールペンの尻で棚を指す。凪緒から見て、原田から見ても左の棚だ。凪緒はこれも常なので、特に逆らいもせず従って棚に近寄り引き出しから客に記入して貰わねばならない紙を取り出した。幾つか種類が有るが、馴れた凪緒は苦ではない。

 凪緒が手にした紙は氏名住所の記入欄が在った。

 その上に、その紙の名前。

『埋葬同意書』。

 この名を見るたびに、この紙に触れるたびに、凪緒は名残に残った耳を下げて尻尾を垂れた。


 凪緒たちがいるのは、地球ではなかった。単純に説明するなら、人工の惑星、衛星だった。

 随分と進化をした科学を持つこの『世界』では、人間の寿命が莫迦みたいに長い。そして、年寄りも少なくなった。

『不老長寿』と言えば聞こえは良いが原田は嘲る。「阿呆の付け焼き刃だ」と。

 地球はだから自然と生きる人々で埋め尽くされてしまった。死んだ者の居場所も奪って。

 だけど生き物は死ぬのだ。必然と、たとえクローン法の改正でその人間が死んだらクローンで存在代替出来ても。いつかは、死ぬ。

 そうなって来たら葬る場所に困り出した。で、無駄に発展した科学力────これも原田が言った────を費やし造ったと言う訳だ。葬れる死者の星、を。

 詰まるところ、ただの墓場だった。大きな、全人類の。


 その墓場の管理を原田が任されて。当然、飼われている凪緒も付いて来た。

 原田は本来科学者で、元来こんなところにいるべきではないのだが、科学者を管理統括するとある団体に所属していて、ある実験が原因で除名追放されたのだ。加えてここに転属、ぶっちゃけ左遷されてしまったのだった。

 ある実験。凪緒は詳しく教えて貰っていない。だが知っている。


 原田が追放されたのは、凪緒たちが原因だと言うこと。


 凪緒は黒猫だった。小さな、黒い猫だった。死に掛けていた、と思う。とても朧げだけど。

 ただ、急に、自分を必死にあたためてくれた熱とは別の感触が、触れたことだけしっかり覚えていた。今にして思えば原田だったのだろうか。

 次に目覚めたとき、凪緒は状況の把握が出来ず呆然としたのを記憶していた。目が覚めて、意外と覚醒してすぐの割に頭はクリアだった。

「お早う。ってのもおかしいやな。夜だしな」

 男が立っていた。原田だった。けれども当時の凪緒はわからない。しかも、あまりの混乱に自分さえ、これは誰なのだろうと考えたくらいだ。姿見が見える位置に在って、映った自身を目にしたからではない。己の体を内で感じて、そう思ったのだ。


 ここはどこだろう、それ以前に、

 この『世界』は[何]だろう?

 本気で、考えたのだ。


 それから、部屋を充たす白の色彩に埋もれていた原田が触診した。ぶつぶつ何事か言いながら凪緒に触れて何も無かったように、今だからわかるが電子カルテに書き込んでいた。

「あ、あの……」

 声を出した、初めてだった。思ったことが言葉になった。衝撃だった。原田がこちらを向く。白い髪から覗くのは同じように白い肌とそれとは異質な昏いグレーの瞳だった。

「どうした? 気持ち悪いか? どこか痛むのか?」

 今から思うととんでもなく、気持ち悪いのは原田だった。こんなやさしくするなんて、やさしい原田なんて、気色悪い。が、このときの凪緒が知るはずも無い。首を振るだけだった。


 このあと青年がやって来る。濃い灰色の髪の青年は凪緒といっしょにいて一生懸命死にそうだった凪緒に寄り添っていた犬の甲斐かいだった。その証拠に、青年の頭にも甲斐と同じ形の耳が在った。

 青年がやって来てから原田がカメラを取り出した。記録すると言って回し始めたのだ。それで────。


 原田は、追放された。こんな、地球とは容易く行き来可能と言え辺境も良いところの衛星に。

 凪緒にはわからなかった。記録されたムービーが提出されてすぐ、原田曰くお偉いさんと言う人たちが来て、二三質疑応答しただけで。それだけだったのに。

 服装だって、今だからメイドの格好をしているけれどそのころは簡素な白い袖無しのワンピースだった。別に何かしら虐待されていた訳じゃない。今だって。

 扱き使われることは在っても大したこと無い。何がいけなかったのだろう。

 凪緒にはわからない。だけれど、わからないことより、心苦しいのは。

「……」

 言うだけ言ってすぐ様向きを正してしまった原田の背を眺める。

「……」

 多分、原田が科学者の地位を追われたのは凪緒たちのせいなのだ。と言うかそれしか無い。だってあのあとすぐだったから。

 なのに。なのに、原田は一言もそれについて洩らそうとしない。愚痴りもしない。日頃吐き棄てるのは追放された団体────『科学総会』への罵詈雑言だけだ。


 曰く、「アイツらは阿呆だ。こんな天才を野放しにして」だとか。“てんさい”は『天災』の間違いじゃないの? とか思ったりもしないが腕は認める。何せ猫から人型になった自分が五体満足今でもいられるので。

 それから曰く、「科学が腐るから地球が腐るんだ」とか。これはよくわからない。だが。

 この科白のあとに原田は言った。「見てろよ、凪緒。地球はいずれ衰退する。始めたらあっと言う間にな。ここから、目を離さず見物するんだ」と。


 やっぱり理解に欠けるのだけど凪緒は思う。原田は、地球追放されても、きっと、地球が好きなのだろう。態度は、常々他人を見下して横柄で、嫌な男だけど。

 友人の学人がくとも同じことを言っていた。現在ここにいない甲斐はこの学人に引き取られているのだけれど、原田をこう評していた。

よっぴぃ・・・・はね、なーたん・・・・。凄ぉい人非道的を気取ってるけど、本人もそれを意識してるみたいだしそれはもう思い込んでるって域だけどね、本当のところ────物凄い、多分僕たちが予想するより輪を掛けてってくらい、やさしいのさ」

 そう笑った。ちなみに“よっぴぃ”は原田のことだ。下の名前が『ヨシキ』なのである。で、“なーたん”は凪緒のこと。


 学人は標準装備が笑顔と言う実に人好きのする振る舞いの人間なのだけれど、生来の動物の勘と言うか、こちらは原田と逆なのではないかと凪緒は感じている。

 原田が冷酷暴君気取りなその実温情溢れる人情家ならば、学人は穏やかな優しい人間に成り切った冷血漢と言う風な。

 あくまで確かめた訳ではないが、そう思う。そしてこれは外れてはいないだろう。

 その学人が原田をそう言い表したときだけ慈しむように笑ったのだ。その笑みは、凪緒には心からのモノに見えた。羨望も、影に見え隠れした気もした。

 微笑ましい、と言うように。


「……まだいたのか?」

 はっとする。自然逸れていた目線を上げた。背を向けていたはずの原田が、凪緒を射貫いていた。通常悪意が張り付いてると言っても支障の無い顔は今何の表情も乗せていない。瞳にも、感情は滲んでいない 。

「……な、何よ!」

「なぁーにが“何よ”だよ。早く持って行けっつうの!」

 客待たせてんだろうがよー、と、悪態を付きながら再び向き直ってしまった。何なのだ。

 文句を浴びせてやろうとして、いや、と思い留まった。いつまでも消えない気配にこちらを向いたのだろうし、結局凪緒に非が在る。……ここは引き下がるしか無い。けども。


「はいはい悪ーうございましたぁー! 言われなくたってもう行くわよーっだ!」

「……子供ガキかお前は。あ、そうだ凪緒」

 部屋を出て行こうとする凪緒を原田が呼び止めた。……この男は行けと言ったり呼んだり……。

 凪緒もさすがに苛々マックスで原田を見返した。

「何よっ?」

「“お客さん”じゃない“お客様”、だ、凪緒」

 そう説く原田はいつもの傲慢で横柄で偉そうで意地悪そうで。凪緒はその表情にいつもの返事を返した。

「────。……はいはい。畏まりました、“ご主人様”」


 ふと思い立つときが在る。厳しく完璧に出来るように身の回りのことを仕込むのは、もしかして万が一にも凪緒が独りでも困らないようにだろうか、と。

 ぶっきらぼうのやさしさなのかも、と。

 あの左遷された理由と言わないのと同じで──────とは言え。

「……誰が感謝なぞするものか……!」

 応接室に向かう道すがら、他に人のいない通路で凪緒は独り言ちる。

 不器用な原田なりのやさしさ。その可能性は大。だとしても。


 だからって、凪緒には原田に素直に従おうなんて気持ち、これっぽちも湧かなかった。




   【 了 】

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