第9話
「無責任な大人がさ、テレビでよく言っているんだよ。個人が変わったところで、世界は何一つ変わらないって」
4月。公園のベンチにて。青空から降り注ぐ目映い陽光を一身に浴びながら、彼は野良犬の頭を撫でていた。
「人の言う世界ってのはさ。地球上の全てという意味じゃないんだ」
子犬は自身を撫でる手のひらを掻い潜り、彼の制服に足を掛ける。鼻をヒクヒクさせ、匂いを嗅ぎ始めた。それを見て彼は、頭を撫でるのを止める。
「結局、人というのは自分が見える範囲でしか世界を語れない」
そう犬に語りかけながら、彼は人差し指を宙に向かせた。すると、近くの花壇を飛び交っていたモンシロチョウの一羽が、彼の指にとまった。
「なら俺は思うんだよ。俺が今見えている世界くらい、変えてやるって」
彼はベンチに置いていた通学鞄を肩に掛けて、立ち上がる。
「あーあ。また遅刻だ」
*
学校に着いた彼は、2年A組の教室のドアを開いた。
「
担任の
教師の中でも美人である吉田は、学校内で主に男子に人気の教師であった。茶髪のセミロングの髪に、丁寧に施された化粧。服は遊びすぎず、それでいて真面目過ぎない、清潔感のある服装。
そして片耳に、青い宝石のピアスが良く似合っている教師であった。
「すみません。吉田先生」
歩世が申し訳なさそうに言った。
「私のことは葵と呼んでって言っているでしょ」
担任教師がそんなことを言うものだから、歩世はうんざりした表情で顔を背けた。
この教師は見た目こそ良いが、中身は問題だらけの教師であった。
「どうせ瑠華君は私のことが嫌いなんでしょ。だから遅刻して、少しでも私といる時間を減らしているんだわ」
「いえ、そんな訳じゃあ……」
「じゃあ今すぐ私をギュッとして。ほら、早く」
「いえ、今はちょっと……」
「駄目。今すぐして」
「あの……えっと……」
「もういいわ」
吉田はプイッとそっぽを向いた。歩世は気まずそうに席に着いた。
「朝から散々だな、瑠華」
ヒソヒソ声で話し掛けてきたのは、篠崎瀬奈だった。
彼女はセブンアイズという、各国の警察機関が公式に認めた、世界で7人しかいない探偵である。そんな彼女は歩世と同じクラスの生徒であり、歩世の幼馴染みでもあった。
「でも君がいけないんだぞ。頻繁に遅刻するから」
歩世を窘めるように篠崎は言うが、しかし表情はどこか楽しそうだ。
「さて、転校生を紹介します」
転校生、という吉田の言葉に歩世は振り向いた。その直後、ガラガラという音が鳴って教室のドアが開く。入室してきたのは、制服を着た小柄な女生徒。赤いチェック柄の鹿撃ち帽子をかぶっている。金色の短髪。燃えるようなオレンジの瞳。
「シャーロ・クロックだ。ご存じの通り、セブンアイズの7位である。今日から君たちと同じクラスメイトだ。以後、よろしく頼む。ガハハ!」
転校生とは思えない程に、豪快な挨拶。クラスメイト一同は、転校生のあまりのインパクトに唖然としていた。
やがて吉田が席を指示しすると、彼女はその席へ向かった。
「ああそうだ。私のことはシャロと呼んでくれたまえ。ガハハ!」
席へ向いながら、そんなことを言うシャロ。彼女は歩世がいる席の列をなぞるように直進していく。やがてシャロは歩世を追い越した。
「おやおや? 私の大好きな、シナモンの香りがするぞ……?」
シャロは鼻をヒクヒクとさせながら言った。
一方、彼女を眺めていた篠崎は、視線を歩世に移した。
「おい瑠華。その首筋どうしたんだ。酷い傷じゃないか」
篠崎がそう言った瞬間、シャロの歩みは止まった。そして振り返るような音が後ろから響く。
カツ、カツ、と足音が近づいていく。やがて歩世のすぐ後ろまで来た。
「見つけたぞ」
歩世の耳元のすぐそばに、シャロの口があった。誰にも、篠崎にも聞こえない声でシャロは囁くように言うのだ。
「怪盗パンドラぁあ」
ニチャアと、ねっとりとした不気味な声に、歩世は思わず振り返る。
そこには頬を紅潮させ、うっとりした表情のシャロが、そこにいた。
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