第7話 東京ってそんなに怖い街ですか?

「これって桜川さくらがわさんでしょ?」

「アラ、この間撮ってもらったものね」

「やっぱり! これバズってるんだよ!」

 校外学習の日はとてもいい天気だった。

 この校外学習の目的は『他のクラスとの交流のため』だ。だから班は六クラスから一人ずつ選ばれて構成される。そのため班員全員知らない人だったのだけど、私の班は半分が優弥ゆうやさんのいうところのスーパー内部という方たちで、彼らはたしかにとても話しやすかった。

「ほら! 三万いいねもついてる!」

「そうなの……? それってすごいの……?」

 その中でも誰よりも先に話しかけてきてくれた三組の内野さん、彼女が見せてくれたのは私と優弥さんの例の写真だった。彼女曰く、ものすごい数のいいねがついているらしい。

「こんな写真のどこがいいのかしら。私たちの写真なんて私たちにしか価値はないでしょ?」

「美麗カップル過ぎるからだよ! しかもお互いめっちゃ好きって顔してるしー、本当に眼福! うちのクラスにも遊びに来てよ、桜川さん……ってか長いな、なんかあだ名ある?」

「眼福……? あだ名……?」

 よくわからず内野さんの言葉を繰り返していたら、内野さんの頭を四組の岡部さんがコツンと叩いた。

「勢いがよすぎる、ウッチー。俺らと違って桜川さんは高外だぞ。気を遣えよ」

「あ、そっかー。ありがと、オカチン。てか高校で筑波はいれるとか超秀才だよね! 中学はどこだったの?」

「……えと、コウガイってなあに?」

「高校からはいってきた人のことだよ。中学から入ってきた人は中外。んで小学校から高校までいる奴らはスーパー内部になるの」

「内とか外とか勝手に決めて……なんだか嫌な言い方ね」

 私の言葉に彼らは目を丸くした。それから「「たしかにー」」と声を合わせた。

「ずーっと言ってたから気にしてなかったけど、たしかによくないな、この言い方」

「うちらの代で直そうー。教えてくれてありがとう、さくちゃん」

「え、さくちゃん?」

「あだ名!」

 二人の勢いに流されるまま頷いたらそういうことになった。

 そして彼らが「えー、俺らのLINEグループ入りなよー」「みーんな、さくちゃんのこと気になってるしー」「友達百人ぐらいならすぐできんべー」などと言われた通りに承認していたら、その日だけで私のフレンドは十倍になった。




 校外学習の後『打ち上げでカラオケに行こう』と誘われた。学校帰りにそんなところ寄ったことがない私はどうしたらいいのかわからず、ひとまず絶海ぜっかいさんに電話をかけた。

『そんなに仲良くなったのかい? よかったじゃないか』

「でも帰りが遅くなるわ。もう四時過ぎだもの……」

『六時になったら私が迎えに行くと言ったろう?』

「本当? 六時になったら来てくれる?」

『ウン、六時になったらその店から出ておいで。そしたら家に帰ってご飯にしよう』

「……よかった。勢いがすごくて怖かったの。今になってめいちゃんの気持ちがわかるわ」

『芽ちゃんはいないのかい?』

「芽ちゃんは違う班だったから。この打ち上げは班の子達だけなのよ」

『間宮くんもいないんだよな?』

「そう。……でもみんないい子よ?」

『頭のいい高校の子たちだ。そんなことを心配はしてないさ。でも遅くまで遊ぶにはきみたちは子ども過ぎる』

「ウン、そうね……ちゃんと迎えに来てね、絶海さん」

 クスクスと笑いながら『もちろん』と絶海さんは言った。その電話が終わってから私は班の子達とカラオケに向かった。池袋の駅前のカラオケは学生割引がされていて、フリータイム、フリードリンクが一番安いものだった。六時になったら帰るからとみんなに伝えてから私はカラオケルームに入った。

「さくちゃん、なんか歌ってー」

「いいわよ。私、上手いから」

「なにその強気発言」

 友だちとカラオケに行くのは初めてだったけれど、歌は好きだし得意だ。そうして歌い出すと「うまい!」「もう一曲!」「一緒に歌おう!」なんて盛り上げてくれるから、ついついまた違う曲を入れてしまった。そうして楽しく歌っていたら、途中からもう何曲歌ったかもわからなくなっていた。……とても迂闊なことに。

 私が『Beautiful World』歌っていたとき、コンコン、と外からドアがノックされた。「なにか頼んだっけ?」とみんなが騒ぐ中、半透明な扉の向こうに黒い影。その影はとても大きく扉よりも大きいようだった。まるで『闇』だった。『闇』が扉一枚向こうに広がっている。

 ――ゾッと寒気が走った。

 他の子たちもそうだったのだろう。カラオケルームなのに、シンと静かになってしまった。場違いな音楽だけが流れる。

「入っていいか?」

 低い声が扉の向こうから聞こえてきた。その低い通る声、聞き間違えるはずがない、間違いなく『彼』だった。彼はこちらの返事を待たずに、扉を開いた。

 真っ黒な着物の絶海さんがにこやかに、しかし冷たい瞳で微笑んでいた。

朱莉あかり、楽しそうだね?」

 絶海さんはズカズカと部屋に入ってくると、まず音響の電源を落とし、次に私の手からマイクを奪い電源を落として床に捨てた。ゴツンと、その落下音を誰かの持っていたマイクが拾い、その音が部屋に響き渡る。他に音はない。

 絶海さんは静かに私を見下ろした。

「ア、……アノネ、楽しくて時間見てなくて……ごめんなさい……」

「ソウ。電話もかけたんだけどな、……今、何時だと思っている?」

「六時を……少し過ぎちゃったかしら?」

「七時だ。私は一時間、外で待った」

「アッ」

「言い訳があるか?」

「……ないわ、ごめんなさい」

 絶海さんはため息をついたあと、「メッ」と私を叱るので「ごめんなさい」と深く頭を下げる。絶海さんはため息をついたあと、私の頬をムニムニした。

「とにかく無事でよかった」

「心配かけてごめんなさい」

 絶海さんは私の頬をムニムニしながら、私の今日できたばかりの友人たちを眺めた。彼らはみんな怯えた様子で固まっていた。

「きみたちも家に電話したか? 池袋のこんな時間まで、子どもだけでいるなんて……」

 友人たちは驚いたように目を丸くした。そんなことを言われるとは思っていなかったらしい。彼らはお互いの顔を見合ってから口を開いた。

「でも俺らは中学からこの辺で遊んでいるから……」

「親もそんな心配してないっつーか、塾だと帰りもっと遅いし……」

 彼らの言い訳に絶海さんは億劫そうに前髪をかきあげると「うるせぇな」と唸った。それはいつもの絶海さんとは違う様子だった。

 ――彼は、今、怒っている。

 私はあわてて絶海さんの腕を掴んだ。

「絶海さん、違うの! 私が時間を忘れたのが悪かったわ。どうかみんなには怒らないで。アッ、やめて! ほっぺた引っ張らないでっ! 話を聞いてよ、絶海さん!」

 絶海さんが両手で私の頬を引っ張るのを必死で止めていると、コンコンとまたドアをノックされた。そちらを見るとヒロさんが薄く扉を開いてこちらを見ていた。

「若、いつまでやってんですかい。とっとと帰りますよ」

「ヒロさん、よかった、絶海さんを止めて! ……え、あれ?」

 ヒロさんの後ろから厳つい髪型をした大人たちがずかずかと部屋に入ってきた。知らない人たちだ。その数は、六人。狭いカラオケルームに八人の大人と見知らぬ大人に怯える十五歳が六人。ヒロさんはため息をつくと扉を閉めて一人廊下に立ってしまった。

 ――あれは見張りだ。逃がす気はないという脅し。

 彼らは何故かガシガシと私の頭を撫でた。そしてキャラキャラ笑った。

「朱莉ちゃーん、今日は説教だなー」

「にしても美人さんになったな。本当にこんな時間にここにいちゃだめだわ」

「つかお子さんだけでいるなよ。俺らが送ってやるよ。どこ住み?」

「夜に慣れてるなら夜にかどわかされても文句は言えねえぞ、ガキどもが」

「あんまり脅してやるな。……頭、朱莉さんがご無事で何よりです」

 私と仲良くしてくれようとしていた子達が怯えた目で私を見ていた。それは、中学までずっと馴染みのある目だ。

 ――つまり、また同じことになってしまった。

「ひ、ひどい……」

 私はムニムニと私の頬を引っ張っている絶海さんの胸を叩いて、その手を引き剥がした。絶海さんは眉間にシワを寄せて私を見た。怒っている目だったけど、それよりも折角仲良くなってくれそうなみんなの怯えた目の方が怖かった。

「みんなを怖がらせるなんてひどいわ……なんてことするのよ!」

「……朱莉、約束を破ったのはきみだ」

 鼻の奥が痛い。目の奥が痛い。私の両手は細すぎて、絶海さんを殴っても全然響いていない。絶海さんは困ったように眉を下げて私を抱き止めた。

「落ち着きなさい。私が心配したのはわかるだろう?」

「それはわかるわ! わかるけど! でも楽しかったんだもの! 時計見るの忘れちゃっただけだもの。たしかに私が悪かったけど! でもッ、こんなやり方ひどいわ!」

「……まだなにもしてないんだが……殴ってもいないし怒鳴ってもいないぞ?」

 その、心底不思議そうに首をかしげる仕草や言い方に――腹の底が熱くなって、頭の奥がカッと燃えた。気がついたら右手を振り上げて、思いきり振り下ろしていた。

 ――パアン、と高い音が鳴った。

「もう知らない! 私! 絶海さんの家なんかに! 帰ってあげないから! 一人で寂しくしてなさい‼ 絶海さんの‼ オタンコナス‼」

 私に平手された絶海さんは目を丸くしていた。

 その胸をつきとばしてその腕から抜け出し、目を丸くしてこちらを見ている他の人たちをみんなみんなみんな無視して、定期券だけ持ってカラオケを駆け出した。後ろから「ちょ、朱莉ちゃん⁉」とヒロさんが追いかけてきた気配はしたけど、私は佐渡で一番足が速いのだ。

「ちょ、待って待って待って、それはまずい! 朱莉ちゃんそれはまずいっすよ、若が切れるから‼」

 だからその叫び声はどんどん遠ざかっていった。




「……それで泣いてたのね、朱莉さん。しかも携帯置いてきたのかー……」

 家の近くを全力で走っていたら、ワンコのお散歩をしていた優弥さんと正面衝突した。彼は心底驚いた様子だったけれど「あらあら、まあまあ、……どうしたのさ?」と彼の家に招いてくれた。彼のお父さんとお母さんも「あらあら、まあまあ」と言って、私を夕飯の席に座らせてくれた。ワンコは私の膝に乗ってくれた。そうしてみんなして優しく事情を聞いてくれるので、絶海さんの元々のお仕事のことは曖昧にごまかして絶海さんのしたことを説明すると、「登場人物全員、不器用すぎるなあ」と優弥さんは笑った。

「内部生の悪いところが出ちゃったんだな。悪気はないんだけど素直すぎるというか……マア、うちの生徒ならそんなことで友達やめたりしないから大丈夫だよ。だからそろそろ泣くのはおやめよ、朱莉さん」

 ぷにぷにと頬をつつかれたので恐る恐る顔を上げると「ほら、チーンってしな」とティッシュで鼻を拭かれた。ありがたくティッシュを何枚かいただいて鼻をかみ、ハンカチで涙をぬぐう。

「ありがとう。ごめんなさい、優弥さん……突然来てしまって……」

「絶海さんと喧嘩したら来なよって言ったの俺だよ?」

 よしよしと優弥さんが私の頭を撫でてくれた。その手付きが優しくて、ほっと息を吐けた。しかし私が泣き止むと彼はすぐ「じゃあ絶海さんに電話するから」と言い出した。

「だめよ!」

「だめじゃないよ。絶海さん、胃袋ちぎれるぐらい心配しているだろうから」

「そうかもしれないけど……でも、だって……怒られるもの……」

「怒られるときは俺も怒られてあげる。この間と一緒だよ。そしたら怖くないでしょ? 帰りたくないならうちに泊まってもいいけど、その前にどこにいるかは伝えさせて。俺、朱莉さんのことも好きだけど同じぐらい絶海さんのことも好きなんだよ」

 優弥さんの言葉は最もだった。

「……うん、わかった、……」

 優弥さんは私の前で絶海さんに電話をかけてくれた。私は優弥さんの背中にしがみついて、スマホから漏れる絶海さんの声を聞くことにした。

『よかった、……無事なんだな?』

「たくさん泣いたみたいですけどね」

『……迎えに行くから、もう少し預かってくれるか?』

「そりゃもちろん」

『ヒロ! 朱莉が見つかった。……ああ、すまんな、もう大丈夫だ。ああ、……うん、ちゃんと説明すればわかってくれると思う。そしたらみんなに紹介する。すまないな、……ァア? ……そんなものまで私が壊したのか? 揉み消しておいてくれ……』

「絶海さん」

『ン、なんだい?』

「泣かすなら、朱莉さんは俺がもらいますよ?」

『……ハ?』

「朱莉さんは友達ほしいってずっと言ってたでしょう? それに、あなたに心配かけないように、ちょっとしたことでも報告してたでしょう? 心配も度を過ぎると暴力です」

 優弥さんの顔を見ると彼は真剣な目をしていた。いつもすぐふざけてみせるのに、今日は私のために真剣に絶海さんにお話ししてくれている。

 何故かこんなときなのにドキドキした。

『……たしかに。きみの言う通りだ。……あとで朱莉に謝るよ』

「はい。じゃあお迎えをお待ちしてますね」

『ああ、……きみにも今度お礼を。欲しいものがあれば言ってくれ』

「俺が欲しいのは前にも言いましたけどあなたですよ、絶海さん。……って言ったら俺と付き合ってくれます?」

『きみはすぐふざけるから駄目だな。朱莉はやれん』

「そりゃ残念。早く迎えに来てくださいね」

 優弥さんはクスクス笑ってから電話を切った。その横顔がなんとなく寂しそうで「絶海さんが好きなの?」と聞くと、彼は目を丸くして「まさか!」と真顔で否定した。

「やめてよ。そんなことを朱莉さんに言われるのは凹む」

「そうなの……でも寂しそうだったから……」

「そりゃ寂しいよ。折角来てくれたのに朱莉さん、今日帰っちゃうのかーって……」

「え? 泊めてくれるの?」

 優弥さんは困ったように眉を下げると振り返り、私の肩を掴んだ。

「あのね、朱莉さん。俺はテキトーなやつなの。テキトーでいいの。テキトーに頭よくて、テキトーに要領よくて、テキトーに生きていきたいの」

「そうなの? 親御さんの前で言っていいの、それ?」

「だから、これ以上は好きにならせないで。本気になんかなりたくないんだよ。本気ってしんどいから」

 ――ガツン、と胸になにか刺さった気がした。頭の中でなにか壮大な音楽が流れている。顔が熱い。顔だけじゃなくて、体も全部熱くなっている。

 優弥さんが不思議そうに私の顔を見た。

「……朱莉さん、聞いてる?」

「ウ、ウン……」

「聞いてないの?」

「き、聞いて、聞いてるけど、その、……ア、私、……」

「なに? よく聞こえない」

 す、と優弥さんが私の顔を寄せた瞬間に、頭の中でなにかが破裂した。咄嗟に彼を突き飛ばし「駄目よ、近づかないで! 好きになっちゃうもの!」と叫んでいた。

「へっ?」

「れっ、恋愛は絶海さんに相談しないと怒られちゃうから! 絶海さん来るまであっち向いてて! その格好いい顔をこっちに向けないで!」

「え、いや、それは告白じゃないの? ……おかんもおとんも笑ってないでさー……えぇ……」

「ウウウウー」

 私は呻きながらリビングの隅っこに座った。優弥さんは「もー、仕方ないなー」と言ってパーカーを半分脱いで顔を隠し、絶海さんが来るまで私の背中を撫でてくれたが全く逆効果だった。しかしそんなことがあったおかげで、私は迎えに来てくれた絶海さんに気まずさを感じることなく飛びつき「遅い‼」と叫ぶことができた。そんな私に絶海さんは驚いた様子だったけれどすぐに「すまない」と謝ってくれたので、全部チャラになった。

 優弥さんはクスクス笑っていたけれど、その顔すら格好よく見えてしまって『こんなのが恋ならこんな厄介なものはいらない』と思った。東京での初めての夏だった。

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