第5話 東京には開かないお店があるんですか?
「
「……なんかおかしいの。他のクラスから男の子が来てこっちを指さしてなんか話している時があって、なあにって声をかけたらみんな逃げちゃったの……そんなのばっかりよ……最近は女の子からもやたらと指差されるのに……全然話しかけてもらえないの……私、友達作る才能がないのかしら……」
「筑波に通っている知人がいるんだが、……紹介しようか?」
「絶海さんの知人? ……高校生の?」
「きみより一つ年上の二年生だ。マア、独特の青年だな。会えばわかる」
「なんか怖いのだけど……」
絶海さんはものすごく嫌そうな顔で「仕方ない。店を開くか」と言った。私はその言葉の意味をしばらく考えた。
「あっ、喫茶店?」
「他にないだろ。私は喫茶店のマスターだぞ?」
絶海さんは不思議そうに首をかしげた。
「……そう、かもしれないけど……」
「土曜に開こう……はあ、面倒くさいな……」
かくして私が東京に来てから一ヶ月過ぎてから、ようやく絶海さんが店を開いたわけである。
二人で店を掃除してから看板を出した。
ビルの二階にある喫茶店は一階の雑貨屋さんを通り抜けないとはいれない作りになっていた。その時点で誰も入れる気を感じない。店の内装はとてもシンプルで余計なものは一切置かれていない。しかもカウンター席が二席とソファー席が一席だけ。でもそれだけでも十分なぐらいにバリスタ姿の絶海さんは格好良かった。だから私は「似合うわ」「格好いい」「美味しいコーヒー淹れられそうね」「素敵」と拍手しながらたくさん褒めた。彼は口をほころばせて「嬉しい」と言ってから私に「好きなレコードをかけていいよ」と言った。レコードを見ても古い曲ばかりでよくわからなかったから、結局ジャケットで選んだ。レコードのかけ方がわからなくて絶海さんを呼ぶと、彼はレコードのジャケットを見て目を細めた。
「雨に歌えば、か」
「なあにそれ?」
「映画だ。観たことないか?」
「うん」
絶海さんはレコードを蓄音機にいれ針を落とした。
流れる歌に合わせるように絶海さんが小さく口ずさむ。カウンター席に腰かけてぼんやりとその歌声を聞く。絶海さんはワンコーラス歌うと、「恥ずかしいな」とそこで歌をやめた。
「うまいのね」
「そんなことないさ」
「私ね……雨の歌なら『雨に濡れても』が好き」
「どんな歌だ?」
「知らないの? 映画の歌よ、有名な西部劇の……」
「教えてくれるか?」
絶海さんは知っているくせに私に歌わせたくてそう言っているようだった。だから絶海さんが歌ってくれたようにワンコーラスだけ口ずさんだ。絶海さんはグラスを磨きながら私の歌を聞いてくれた。
「朱莉は歌が上手だな」
「フフ、そうでしょ? 私、合唱部だったんだから」
「……昔からよく歌ってたよ。きみはいつも愉快だった」
「そうなの? 私、全然覚えてないわ……」
「私が覚えていればいいんだよ」
ぼんやりとレコードを聞きながら「この映画はハッピーエンドなの?」と聞くと「今度観ようか」と絶海さんは笑った。この人は観ている間に寝てしまうだろうとは思ったけれど、「うん」と返事をした。絶海さんは嬉しそうに笑った。
「朱莉、なにか飲むか?」
「淹れてくれるの? やった。じゃあカフェラテでお願いします」
絶海さんはクスクス笑いながら「甘い方がいいか?」と言うので「うん」と答えると、絶海さんははちみつ入りのカフェラテを作ってくれた。しかもハートのラテアートつき。
「器用ね、絶海さん」
「ハートは作るの簡単なんだよ」
「他のも作れる?」
「……ハートが一番需要が高い」
「絶海さんがイケメンだから?」
「そういうことだ」
最早否定もしない。いや、よく考えたら絶海さんはモテることや顔がいいことを否定したことはない。自覚があるイケメンなんだなあと思いながら、カフェラテを飲む。甘くて美味しかった。
「このお店、絶海さんの顔写真つきで宣伝したら絶対大繁盛すると思う」
「面倒くさい。繁盛したくない。金には困っていない」
「だったらなんで喫茶店やってるの?」
そんな話をしたらトン、トンと階段をのぼる足音がしてきた。
「お客さんが来るの?」
「店だぞ。そりゃ客も来るだろう」
「ええー……?」
そんな話をしたら扉が開き足音の主が入ってきた。ぱっと見、ごく普通の青年だった。絶海さんはその青年を見ると「やはり来たな。間宮くん、久しぶり」と笑った。青年は肩を竦める。
「久しぶりなのは絶海さんが店開けないからでしょう? 俺は毎日ここに電気がつくのを期待してるのに」
「……きみが来ると言うなら毎日だって開けるよ」
「嘘吐き。絶対開けないじゃないですか。まあいいや。久しぶりに絶海さんのコーヒー飲めるんだから今日はいい日……、誰ですか?」
「私の姪だ。朱莉という」
その人は私を見てまばたきをしたあと、にこりと笑った。
「
「……そうですか?」
「ええ、比べ物にならないぐらい可愛いです。……とか言うとセクハラになるかな?」
彼はふざけた口調でそんなことを言った後「よろしくね、朱莉さん」と私に右手を差し出してきた。その手を握って「よろしく、間宮さん」と言うと、何故か彼は顔を歪めた。
「俺は朱莉さんって呼んだんだから、あなたも俺のことを優弥さんって呼ぶべきだと思うよ。俺、自分の名字あまり好きじゃないんだ」
「そうなの? じゃあ優弥さん」
「そう、それが正解。……俺は十七歳だけど、朱莉さんは?」
「彼女は筑波の一年生なんだ」
横から口を挟んできた絶海さんの言葉に彼は目を丸くした。それから私を見て「後輩だ」と嬉しそうに笑った。
「朱莉は美人だからあまり友達ができないらしい。よければ仲良くしてやってくれ」
「たしかにとびきりの美人だ。こんな美人の友達が増えるのは嬉しい。学校で暇な時間が会ったらいつでも会いに来てくれていいし、俺も会いに行くよ。あ、LINE交換してくれる?」
「あ、うん、いいわよ」
さらさらと流されるままLINEの交換をした。絶海さん、ヒロさん、後藤さんに続いて家族以外の連絡先が増えたのは単純に嬉しい。優弥さんのアイコンはわんこの写真だった。可愛い顔をしているワンコだ。
「わんこ飼ってるの?」
「うん、食パンみたいな犬なんだ」
「へー、いいなあ。私もワンコ飼ってみたい」
「飼えばいいじゃない。駄目なの?」
「うーん、ペット飼えるほど大人じゃないから……」
「そう思うならやめといた方がいいね。ペットには飼い主しかいないから」
「そうだよね……」
「代わりにうちのわんこの写真見る?」
「見るー! あ、可愛いー!」
優弥さんのスマホを覗き込んでいたら、大きくて平たい手のひらが私と優弥さんの間に入ってきた。絶海さんがカウンター越しに手を伸ばし、私たちを引きはがした。
「なに? どうしたの、絶海さん」
「……仲良くなるの早すぎないか?」
「そう? 優弥さん、話しやすいからかな?」
優弥さんを見ると優弥さんはくすくす笑う。
「俺は美人と話すときに萎縮しないから話しやすいんじゃない?」
「えー、ありがとう。素敵なお世辞ね」
「お世辞ではないんだけど……絶海さん、だからそんな怖い顔しないでくださいよ。俺はあなたの姪に手を出したりしませんから。どうせ出すなら絶海さんですよ」
「え、駄目だよ。絶海さんに手を出すのは駄目。私の家がただれるもの」
「え、一緒に住んでるの?」
「うん、色々あって居候してるの」
「顔面偏差値の高い家だね。ふーん、じゃあ絶海さんに手を出すのもやめるよ」
絶海さんが私と優弥さんの肩をつかみ、私たちをさらに引き剥がした。
「なによ、絶海さん?」
「……距離が近い」
「そう? 普通じゃない?」
「普通じゃない。……やめてくれないか、間宮くん。うちの子をからかうな」
優弥さんは軽く肩をすくめた。
「だから、さすがに絶海さんの身内には手を出しませんよ。普通にお友達をさせていただきます」
「……きみを紹介したのは間違いだった気がしてきた」
「紹介しておかなければ知らずに手を出してましたよ?」
「きみもヒロも貞操観念はどこに落としてきたんだ……ハァ……ほら、コーヒー」
間宮さんは絶海さんが差し出したコーヒーを見るとにっこりと破顔した。
「嬉しい。絶海さんのコーヒーが一番おいしいんですよ」
「素人のハンドドリップだぞ……」
「どこが素人ですか……それに、あなたが元気にしてるところを見られるのは嬉しいですよ。三年前に比べたら、……」
「え? 三年前になにかあったの?」
優弥さんがフフと笑う。なにがあったというのだろう、と唾を飲み込むと、絶海さんが優弥さんの頭を平手で叩いた。「アイテ」と優弥さんが顔をしかめる。
「それっぽい言い方をして朱莉を惑わせるのはやめなさい」
「朱莉さん、すぐ信じそうなんですもん。面白くって……」
「素直な良い子を積極的に騙そうとするな。きみは本当に頭だけがいい不良だな」
「褒め言葉じゃないですか」
「……きみの世渡りのうまさを朱莉に教えてあげてくれ。手を出したら許さないけれど……」
「こわやこわや。承知しました」
優弥さんは楽しそうに笑い「ごめんね」と私に謝った。「なにが?」と聞くと「俺、テキトーなんだよ」と彼は笑う。意味がわからず絶海さんを見れば、彼は苦笑した。
「間宮くんの言うことは半分以上テキトーなんだ。享楽的というか刹那的というか……別に自分の名字も嫌いじゃない。単にきみに名前で呼ばれたかっただけさ」
「あら、そうなの。私すっかり騙されていたのね。絶海さんが『間宮くん』って呼ぶのは意地悪をしてるのかと思ってた」
「私がそんなつまらない意地をはるわけないだろう? でもね、悪い子ではないから友達になるといい。同じ学年じゃない友達がいてもいいだろう?」
「うん、私、仲良くなれそう。男友達なんて初めてで嬉しい」
「そう、……マァ、根はいい子だ。きっと仲良くできるさ」
「俺の前で俺の評価をしないでくださいよ。恥ずかしい人たちだな」
優弥さんはコーヒーを飲みながら顔をしかめる。
「あら、優弥さん、照れてるの?」
「別に。照れてなんかいないや」
「おや、間宮くん、照れているんだな」
「照れてなんかいないったら!」
私たちは顔を見合わせてクスクスと笑った。
「朱莉さん、おはよう」
「おはよう、優弥さん。これから体育?」
「そう、バスケ。苦手なんだよね」
「そうなの? 優弥さん、身長高いから得意そうなのに」
「と思われて、マークされるからなにもできないのさ。モテて困るよ」
「あら、……自慢じゃないの」
「そりゃもちろん。俺は隙あれば自慢する男だよ」
「おかしな人!」
廊下でそんな立ち話をしただけなのに次の休み時間には「桜川さんには年上の彼氏がいる」と噂になってしまっていた。後藤さんに「違うのよ。単なる知り合いなの」と説明したら彼女は困ったように笑って「恋愛は高校生にとって一番盛り上がるコンテンツだからね」と冷たく返された。「誤解されていないのはいいけれど助けにもならないのね」とちょっと嫌みをいうと、後藤さんは肩を竦めて「人の噂は時間の問題」と笑った。
しかし時間が経つ前に、放課後、優弥さんが私の教室にやってきてしまった。そしたらもう黄色い悲鳴がうるさくて大変なことになった。普段は話しかけもしない男の子達があれやこれやと好き勝手言い出してすごく不愉快だった。
「……優弥さん、なんで来たの?」
「一緒に帰ろうよ」
「いいけど、……どうして?」
「あなたと帰ったら絶海さんがコーヒーを淹れてくれそうだからね」
「そんなに絶海さんのコーヒーが好きなの?」
優弥さんはにんまりと笑って「それは口実。あなたと一緒にいたいのさ」とテキトーなことを言った。おかげで噂が過ぎ去ることなく固定されてしまった。私は優弥さんの腕をつかんで馬鹿みたいにうるさい教室を抜け出して、足早に校舎を出て、駅への道を歩いた。
「足が長いね、朱莉さん。追いつけなくなりそう」
「ふざけすぎよ」
私が眉をつり上げてそう言えば優弥さんは笑った。
「クラスに好きな人でもいた? なら、誤解だって言わないとね」
「いないわ、そんなの。でもひどいわ、優弥さん」
私が「メッ」と叱ると優弥さんは眉を下げて「……ごめん」と謝ってくれた。だから「いいわ」と許してあげた。
「でも恋愛って面白いコンテンツなんかじゃないでしょう? もっと真剣なものだと思うわ」
「真剣かもよ、俺?」
「……そうね、だったらごめんなさい」
私が笑うと彼は肩を竦めた。
「俺は恋をしたことないんだ。この先もない気がする。みんな同じぐらい好きだし、同じぐらい嫌いだよ。そんなもんじゃないのかな……」
「……私もわからない。恋ってどんなものかしら」
優弥さんはちょんと私の頬をつついた。
「なあに?」
「俺と噂になるのはいや? ……その方が面倒少なくない? どうせ男女が一緒にいるだけで噂にはなるんだ。ただ話したいってだけでもうだうだ言われる。……だったら付き合ってることにした方が楽じゃない?」
「……嘘じゃない、そんなの」
「そうだよ。でも誰かの面白い話にされるなら嘘の方がいい。本当のことをからかわれるのよりずっとましだ。……俺は、他の子とうだうだ言われるより朱莉さんがいいよ」
私は少し考えてから「前になにかあったの?」と聞いた。彼は少し黙ってから「うん」と頷いた。テキトーなことを言っているようには思えなかった。だから「絶海さんにちゃんとお話ししたらいいよ」と、そういうことになった。
しかし家に帰ってそのことを告げると絶海さんは「騙されている」と言い切った。
「そんなこと言って二人きりになろうという魂胆じゃないか。今日もまんまと二人きりで帰ってきて、なんという男だ。悪い。実に悪い」
「そんな風に全て悪くとらえないで、絶海さん。優弥さんはいい人だわ」
絶海さんは渋い顔でしばらく黙ってから「朱莉がそう言うなら……」と言ってくれた。しかし絶海さんは優弥さんの肩をつかんだ。
「朱莉の信頼に対する裏切りには死で償ってもらう」
「ア、ハイ。肝に銘じます……」
「私もきみを信じてるからな。裏切るなよ。私としてもきみを痛め付けたくはないんだ」
絶海さんはわしゃわしゃと優弥さんの頭を撫でた。優弥さんは目を丸くして、心底驚いたという顔をした。その顔がおかしくって私と絶海さんは笑ってしまった。優弥さんは頬を染めて「意地の悪い人たち」と拗ねた。それもとてもおかしかった。
五月の連休前、私はようやく少し東京に馴染んできていた。
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