怪人・オン・デマンド
伊丹巧基
怪人・オン・デマンド
飲み会の帰り道、いつも通る公園のベンチにそいつは座っていた。最初は夜の中に溶け込むスーツ姿の男が、細長い段ボール箱を肩に担いで座っているように見えた。正直こんな真夜中にベンチに座っている人間には近寄りたくなかったが、通り道にいたから仕方がない。街灯の光に照らされたその男から距離を取りつつ通り過ぎようとして、そいつが目に入ってしまった。
男だと感じたのは体格からだが、そいつは人間の形をした別の何かだった。
段ボール箱を抱えているのではなく、頭そのものが巨大な箱。その表面――まさに目にあたる位置に、二つの輪っかがぐるぐると回っている。そして着ていたのはスーツでもなんでもなくて、うねる黒いテープの束をまとっているだけ。
その姿に少し面食らったが、アルコールの力はすさまじい。頭の判断も待たずに、足はそのまま来た道に引き返すことなく進んでいく。ふやけた脳に明日の二日酔いの苦痛がよぎり、どこで買ったかも忘れた天然水に口をつける。
その瞬間、そいつはぬっとベンチから立ち上がった。
喉から水を流し込んでいる間、そいつは確かにこちらを見つめていた――ような気がする。確証がないのは、そもそもそいつに目があるか分からないからだ。
最初は無視して通り過ぎようと思ったが、だんだんそいつはでかくなっていって、公園の散歩道を完全に封鎖してしまった。仕方がないので立ち止まり、マンションの隣人に対して行う通常動作を実行する。
「こんばんは。申し訳ないんですが、通してもらっていいすか」
無気力で覇気のない声で言いながら、軽く会釈。そうすればどいてくれるかもしれない。少し間が開いたあと、ため息と共にくぐもった声がした。
「なんだよ、アンタ驚かねえのか」
さっきまで見上げていた相手が、急に小さくなった気がしたが、それよりも目の前の箱の中から声がしたことに驚いた。こういう変質者に出会ったらどうすればいいのだろう。防犯ブザーを鳴らして近くの大人に助けを求めるように教えてくれた小学校の先生は、こんな事態も想定していたのだろうか。
「あー、その、よく出来てんじゃないすか」
とりあえず、思ったことを口にした。しかしそれはそいつにとって不服な回答だったらしい。テープの束が擦れる音がして、輪っかがぎゅるぎゅると高速で回り始める。
「コスプレじゃねえよ、馬鹿。ひょっとしてお前、俺が何かも分からねえのか?」
なんだろう。人ではない気がする。どっかで見たことがあるような気もする。しばらく酒でぼやけたままの思考回路で考えてみたが、正直に答えることにした。
「すみません、分からないです」
そう答えてから、こういう時に正しい答えを言わないと殺される話とかあったよな、と気付く。幸いなことに、そいつの輪っかは急に勢いを失って、テープの音がかすれた寂しい音に変わる。
「あーあ、全くやってらんねえよ」
そう言って、そいつは再びベンチに腰かけた。街灯の周りを飛んでいる蛾に目をやりながら、ようやく解放されたと思って一歩踏み出す。が、そう思ったのは自分だけらしい。
「まあいい、座れよ。安心しろよ、お前を殺したりしねえから。興が削がれちまった」
ああ、答えが気に食わなかったら殺すつもりだったのか。断言する様子から、たぶん実行できるのだろうなとなんとなく悟った。死んだところで何もないけれど、やっぱりまだ死にたくない。大人しくベンチに座る。持っていたペットボトルの中身はもう空っぽだ。
「ああ、やめだやめ、全部終わりなんだ。俺の時代は終わりだ。平成生まれの若造一人驚かせやしないなんて」
横ではテープの束が頭を抱えて落ち込んでいる。そういうのはネットにでも放流すればいい。憐れみのハートやいいねくらいは貰えるんじゃないか。
「いいじゃないですか。俺も十分驚きましたよ。珍しいもの見たって言うか」
その瞬間大仰なため息が聞こえ、そいつの輪っかがこちらを見つめていた。
「ちげえんだよなあ。いいか、俺らみたいな存在はな、肝心な時に怖がられないと終わりなんだ。俺の周りでこうして生き残っていけるやつは、ほんと一握りなんだからよ」
頭の中で変質者の項目を引く。トレンチコートの変態くらいしか出てこない。どれも直接見たことはないが、女の友達は見たことがあると言っていた。横にいる存在も、それと同じで自分の何かを見せびらかして快感を得るタイプなのだろうか。
思考が露出狂に飛んでいる間にも、そいつは滔々としゃべり続けている。いつまで続くのだろうか。家のベットが恋しい。シャワーくらいは浴びたいが、明日はどうせ休みなんだし起きてから浴びればいいか。
「クソったれ。なにがビデオオンデマンドだ。どいつもこいつも寝っ転がりながら一人で没頭しやがって。茶の間も家族もいらねえってか。そうだよな、噂も七十五日どころか一週間もたたずに忘れちまうような、情報が早い世界で生きてんだからな」
そういえば実家の親もそんなことを言っていた気がする。帰省してソファに転がる自分に向かって呆れたように声をかけてきたが、あれも親なりのコミュニケーションだったのだろうか。
「どうしたもんかな、このままだと俺も消える。恐怖がなければ刺激もねえ、生きる屍みたいなもんだ」
ふつふつと、ただ愚痴を聞いている現状に怒りが沸いてきた。俺は何が好きで変質者の人生相談を受けなきゃならないんだ。酔いが醒めてきて、胃のむかつきがそのまま怒気に変わっていく。さらなるうめき声が漏れ聞こえた瞬間、何かが爆発した。
「さっきっからぐちぐちと。聞き苦しいっすね本当に。バカはあんたの方でしょう」
「あ? なんだって? 」
日常生活で感じたことのない圧力と、絞め殺されるような空気がこちらに向けられるのが分かる。だが、怒りの爆風の瞬間風速は、ゆっくりと迫る殺意を凌駕していた。
「何があったか知らないですけどしみったれたノスタルジーに浸りやがって。どうせそのうち『昔は良かった』とか言い出すんでしょう。あんたみたいなやつを罵倒する言葉なら無限に出てきますよ」
自分でも言葉がここまですらすら出てくるとは思っていなかった。そして自分の言葉に呼応するように、そいつのテープがねじれて掠れた音を出す。
「なんだよ、お前。そうは言っても時代の流れってもんがあるだろう。いくら超常でも、そこに逆らえるだけの力はねえよ」
「オンデマンドに負けたんでしたっけ? テキトーに聞いてましたけど。少しは逆手にとって利用しようとか考えないんですか? ほら、配信者にでもなればいいじゃないですか」
その反応を見ただけで、この人物が言葉の意味を知らないことが分かった。オンデマンドとか言い出すわりにそんなことも知らないのか。
「ほら、配信者ですよ配信者。ネットに動画上げたり配信する人のことですよ。目立ちたいならそれでいいじゃないですか」
思いつくまま相手に押し付けるように話す。自身の言葉の意味の一つ一つすら自分で理解しながら話していない。反射的に出た音をぶつけているだけだ。
「超常的な力があるっていうなら、もう一度その力を知らしめてやればいいんですよ。動画で見せればみんなきっと驚きますよ」
そこまで話して、限界がやってきた。酔いとしゃべり過ぎで喉が張り付きそうだ。それと同時に、ようやく足の底から震えがやってきた。こいつ、今ので気が変わって殺しにかかるかもしれない。さっき感じた恐怖が、いまさらせり上がってきたのだ。
しかし、さっきまで感じていたまとわりつくような気配は消えていて、いつの間にかそいつは立ち上がっていた。
「へっ、まさか人に諭される日が来るとはな。お礼にと理不尽に殺す手もあるが、ここは現代流に行こうじゃないか」
その二つの輪っかがこちらに向けられると、ニイッ、と箱の底部分が歪んで、見せつけるように赤い歯茎をむき出しにして笑った。
「あばよ、若造」
そう言うとそいつはキュルキュルと何かを巻き戻すような音とともに、そのまま暗がりの中に吸い込まれるように消えていった。
そのあとのことは覚えていない。ふと目が覚めた時にはベンチの上で、そばで立ち昇る匂いに思わず鼻をしかめる。そして直後襲ってくる頭痛で自分の現状を把握すると、財布の有無だけ確認してそそくさとその場を離れる。
数か月後、ネットのニュース速報で、奇妙な内容が急浮上していた。
昨日の夜、ほぼ全ての動画配信サービス中に突然画面が切り替わり、身の毛もよだつような化け物が画面上に現れがなり立てたらしい。閲覧注意のリンクを開いた先のスクショには、間違いなくあの日公園で出会ったそいつがいた。
その影響は想像よりすさまじかった。全国で心臓の弱い人が二百人近く病院に搬送され、四十三名がそのまま心臓麻痺で亡くなった。配信会社の代表が謝罪会見を開き、ネットにはまとめ記事や事件に対する意見、配信割り込みの手口予想が次々と書き込まれていった。
そして最後には、それすらも徐々に日常に馴染んでいく。動画視聴中に突然割り込まれることは『まれによくある』ことになり、登場しただけでSNSに大量のコメントが吹き荒れる。時にはその配信被視聴者の中の死者数がまことしやかにまとめられることもあった。
確かに配信者でもやればいいと言った気がするが、こんな事態になるのは予想外のことだった。これじゃあ配信者というより配信テロリストだ。ニュースを見るたび、ふと周囲を気にしてしまう。
そして、そのニュースから更に少し経ったある日、マンションの郵便受けの中に小さな小包が届いていた。
差出人不明、心当たりなし。郵便局に突き返すか捨てても良いのだが、それはそれで恐ろしくなって、深呼吸して封を開ける。
中から出てきたのは、一通の便箋とあの日のアイツの頭そっくりなミニチュアだった。一瞬取り落としそうになって、ゆっくりとそれを机に置き、震える手で便箋を開く。白紙の真ん中に、デフォルトの游明朝が並んでいる。
『半年前あなた様から頂いたアドバイスにより、新たな世界が開けてきました。私の知名度はうなぎのぼりです。あの日のお礼としてささやかながら贈り物を差し上げますので、ご自由に再生いただければと思います』
しばらく単語要素を羅列して調べた結果、このミニチュアはビデオテープというらしい。いろいろ規格があるらしいが、その中の一般流通していたVHSというやつ。そういえば、実家にもあったような気もする。このサイズのフィルムケースだけ見おぼえがある。
もう一つ、ビデオテープで調べると、女性の幽霊が再生した映像の向こうから出現するホラー映画が検索候補に浮かび上がってきた。再生した人物を呪い殺す超常的存在も、この界隈では定番のネタらしい。
あの日見たやつの頭を思い浮かべながら、何度かそのリールに指を突っ込んで回した後、そっと棚の隅にしまった。
怪人・オン・デマンド 伊丹巧基 @itamikoki451
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