期末テスト
七月八日、木曜日。二日間ある期末テストの初日。
教室に着いて自分の席に座ると、隣の席の相沢が話しかけてきた。
「おはよっ」
「おはよう」
「テスト自信ある?」
「どうだろうね。一応勉強はしたけど」
そう言って、僕は大きなあくびをした。昨夜は禁断症状の頭痛であまりよく眠れなかったのだ。
「眠そうだね」
「ちょっと寝不足なんだ」
「ていうか霧島君、最近ずっと眠そうだけど、勉強しすぎなんじゃないの?」
そうか、僕は眠そうに見えていたのか。殺人の計画のためにも、今までと違う不自然な要素はなくさなきゃいけない。期末テストが終わったらシャキッとすることにしよう。
「根詰め過ぎたかも」
今ならまだテスト勉強をしていたという言い訳が立つ。
「凄いね、私なんて全然だよ」
と言いつつも、相沢だって成績は悪くない。まあよくある謙遜だ。
今日のテストは一限目国語、二限目数学、三限目英語という順番で行われた。常日頃から勉強の積み重ねはしていたから、ここ最近頭痛と寝不足で勉強が捗らなくてもなんとかなった。酷い結果にはならないと思う。隣の相沢も、悪くはなかったという顔をしていた。
放課後は予定通りのスケジュールで動いた。家に着いたら制服から私服に着替え、お昼ご飯のチャーハンを食べ、図書館へ向かった。今日は学校帰りじゃないので、徒歩ではなく自転車で行った。学校も自転車で通えたらいいんだけど、僕の家は距離的にギリギリ徒歩通学の範囲内なのだ。残念。
図書館に着き、いつもの隅っこのテーブルまで行くと、桐子が既にいて勉強をしていた。難しい顔をしながら教科書を睨んでいる。
「やあ」
声をかけると、桐子はこっちを向いて表情を和らげた。今日の服装はTシャツにハーフパンツだ。今まで制服姿しか見たことなかったから、私服姿は新鮮で可愛らしく見えた。
「こんにちは」
桐子も僕に挨拶した。
「今日のテストどうだった?」
僕は桐子の隣の椅子に座り、訊いてみた。
「まあまあかな。あなたは?」
「問題ないと思う」
「だよね。それより問題は明日なんだけど」
「明日?」
「私、理科が苦手なんだ」
それは意外だと思った。
「なんだ、苦手な科目あったんだ。てっきり、勉強すれば何でもできるのかと思ってた」
「私そんな器用じゃないよ」
桐子は困り笑顔を浮かべた。
「でもそれなら早く言ってくれれば良かったのに。昨日と一昨日も理科をやるって手もあったから」
「それはそうなんだけど、やっぱり目の前にあるやつから先にやりたいんだよね。今日は午後丸々時間あるから、二日目の科目が一気にできるし」
「まあ、気持ちは分かるけど」
「さっそくだけど、なんか問題出してよ。テストに出そうなやつ」
「いいよ」
僕は理科の教科書をバッグから取り出して、パラパラとめくった。今回の期末テストの範囲は、化学変化の単元と生物の単元だ。
「動物の五感を全部言って」
「えっと、視覚、聴覚、嗅覚、味覚……あと触覚」
「正解」
「それくらいなら、なんとか。ねぇ、もっと難しい問題出してよ」
「うーん」
教科書のページを一枚めくって、長い文章を目で追った。
「神経系を大きく二つに分けると?」
「えーっと」
桐子はすぐに答えられず、下を向いて少し考えた。
「分かった。運動神経と、中枢神経だ」
「ブブー」
僕はクイズ番組の効果音を嫌らしく口で言った。
「えっ、ハズレ?」
「神経系は中枢神経と末梢神経の二つを合わせたもので、そのうちの末梢神経が、感覚神経と運動神経で出来てるんだって」
「今のは問題の出し方が悪いよね」
桐子は悔しがることもなく、開き直った。それから自分も教科書を見た。
「えっと、運動神経は中枢神経から運動器官へ信号を伝えるって……ややこしいなぁ。運動器官は何だっけ」
「要は手足とかだね。中枢神経が脳だから、脳が体に信号出して動くってこと」
「こんなの絶対忘れるよ」
げんなりとした顔をして、肩を落とす。
一方で僕は、「体の動き」という話題を以前にもここでしたような気がして、それを思い出そうとした。
「ああ、そういうことか」
「何が?」
一人で納得している僕を見て、桐子が首をかしげた。
「スタンガンだよ。体の動きが止まるってことは、今言った中枢神経から運動器官……つまり脳から手足への信号が伝わってないんだ。電気を流すことによって信号が伝わらなくしてるんじゃないかな。この前見た本に、気絶させるわけではないって書いてあったし」
僕の説明を聞いた桐子は呆けた顔をした。ちょっと難しかっただろうかと心配していると、彼女はぱあっと目を輝かせた。
「なんか今ので覚えられた気がする!」
急に元気になり、テーブルに向かった。
「ありがとう。なんかやる気出てきたから、また自分で勉強してみる」
「そりゃどうも」
「欲しいなぁ、スタンガン」
桐子はおもちゃを欲しがる子供のように呟いた。
確かに、勉強も興味のある話題と絡めて覚えた方が記憶に残りやすい。桐子の場合、それが殺人であるというのが大きな問題なのだけれど。
僕の方はあまり勉強していなかった副教科の保健体育のおさらいをすることにした。今回のテスト範囲は「傷害・交通事故・犯罪被害の防止」、「自然災害への備え」、「応急手当・きずの手当」の内容だ。
交通事故や応急手当に関する文章を読んでいると、どうしてもみどりが轢き逃げに遭ったときのことを思い出してしまう。今この瞬間も幻覚として僕の部屋に立ち尽くしている彼女の姿が目に浮かぶ。
いや、やめよう。みどりの事故は防ぎようがなかったし、即死だった。何度後悔しても何も変わらないのだ。
テスト範囲の復習はすぐに終わり時間を持て余したので、殺害計画に役立ちそうな情報が何か教科書に載っていないか調べてみた。
生殖機能、心の発達、環境汚染、スポーツの効果……。どれも絶妙に役に立たない。しばらく文章を眺めたあと、諦めて教科書を閉じた。
ふと桐子の方に目をやると、いつの間にか理科じゃなくて社会の勉強を始めていた。今回のテスト範囲である地理の教科書を開いている。
「地震……津波……火砕流……土石流……雪崩……」
教科書を見ながら一人でブツブツ喋っている。どうやら日本の自然災害に関するページのようだ。保健体育のテスト範囲と微妙に内容が被っている。目つきが勉強をするときの目つきじゃなく怨念が漂ってしまっているので、僕は声をかけてみた。
「まさかとは思うけど、災害で黒月を殺そうだなんて考えてないよね?」
「そんな気長な計画は無理だよ。だから想像するだけに留めとく」
「想像はするのか……」
こんな調子で時折脱線しながらもテスト対策を続けた。いつものように陽が傾き始めると図書館をあとにし、二人で家に帰った。
「おはよっ」
翌日、期末テスト二日目。相沢が、この世界に潜む汚れなど何も知らないと言わんばかりの笑顔で朝の挨拶をした。
「おはよう」
「今日もテスト対策はばっちり?」
「ぼちぼちじゃないかな」
控え目な調子でそう答えると、相沢は僕の顔をじっと見た。
「……霧島君、今日はなんだか顔色がいいね。なんかいいことあった?」
「別に、いつもと変わらないと思うけど」
昨日何か特別なことがあったわけじゃない。いつものように桐子と一緒に図書館で話したり勉強したりしただけだ。それとも、桐子といるのがいつものことだと思えること自体が、僕にとっていいことなのだろうか。自分ではよく分からない。
「そう? あ、私社会は得意だから今日は自信あるんだ。お互い頑張ろ!」
自信があるときは「勉強してない」とか言わないで、ちゃんとできてるって言うんだ。相沢はなんていい子なんだろう。僕は彼女の心の清らかさに感心した。
だがそれも束の間、期末テストは容赦なく始まった。
一限目は理科。僕が桐子に出題した動物の五感の問題は、予想が的中し最初の穴埋め問題で登場した。でも神経系に関する問題は出なかった。全体としては、八割以上正解だろうという手応えで終えることができた。
二限目は社会。一年生のときほど高得点ではないと思うけど、ギリギリ怪しまれないくらいの下げ幅に落ち着くと思う。桐子が呪詛のように音読していた自然災害に関する問題は出なかった。
そして三限目の保険体育のテストが終わると、クラスメイトたちから解放感が一気に溢れ出した。教室の中に、充足感と開き直りの精神が半分ずつ入り混じっている。僕も相沢や前後の席の男子と喜びを分かち合った。
とりあえず、中学生としてやらなければならないことはちゃんとやった。あとは黒月の魂を摂取し、今起こっている禁断症状を治すだけだ。殺害場所を決めて、できれば殺害方法ももう少し固めたい。そして二週間後には夏休みが始まり、黒月がやって来る――。
窓の外の青空を眺めながら思った。僕はちゃんと桐子に黒月を殺させることができるだろうか、と。
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