殺害方法

 僕たちは恋人として付き合っているふりをすることになった。いまいち実感が湧かないし、具体的にどう振舞えばいいのかも分からないけれど、設定としてはそういうことになった。

「で、今日は何について話す?」

 嘘の彼女となった京極さんが爽やかな声で言った。照れている様子はなく、いつも通りだ。僕だけが緊張していたみたいで、ちょっと情けなくなった。

「うん、とりあえず夜の屋外で通り魔的に殺すことまでは決めたから、次に決めるのはどうやって殺すかだね」

「包丁で刺せばいいだけなんじゃないの?」

「背丈が同じとはいえ、大人の男だよ? そんな簡単に殺せるかな」

「うーん」

 京極さんは目線を上げて唸った。

「包丁で人を刺したことないから分かんない」

 そりゃそうだ。僕たちだけでなく、世の中のほとんどの人がそんなことはしたことがない。

「後ろから不意打ちするとしても、正直包丁だけじゃ不安だ。もし取っ組み合いになったらどう転ぶか分からなくなる」

「他にも武器がいるってこと?」

「そうだね。できれば動きを封じれるようなやつがいい」

「それなら、催涙スプレーだ」

 京極さんはそう言って、僕の顔の前でスプレーを押すジェスチャーをした。

「うーん」

 京極さんが催涙スプレーを使っている様子を頭の中で思い描いてみた。

 まず背後から奇襲して包丁で背中を刺す。念のため、刃が深く刺さらなかった場合とする。お父さんが振り向き、京極さんはすかさず催涙スプレーをお見舞いする――。

「悪くはないけど、もう一歩だな」

「どうして?」

「襲われる側が逃げるときに使うのには有効だけど、殺す側が使ったらこっちまでガス食らいそうじゃない?」

「こっちはマスク付けるでしょ。犯罪しようとしてんだから」

「うぅん。やっぱり、噴射したあとも確実にトドメを刺さなきゃいけないことを考えると少し不安だな。ガスが辺りに漂ってるわけだし、マスクだけじゃ防げないかもしれない」

「そっかぁ」

 京極さんは腕を組み、首を傾けた。それからもうひと唸りして、また口を開いた。

「それじゃあ、スタンガンは?」

「スタンガンか……」

 もう一度頭の中でシミュレートしてみると、今度は悪くないと思った。背後からの奇襲にも使えるし、一瞬で動きを止められる。ガスと違って、何回使ってもこちらに害はない。

「いいね、スタンガン」

「私たちでも買えるのかな?」

「それは分からないや。ちょっと調べてみようか」

 僕たちは図書館の本棚から防犯や護身に関する本を探した。とりあえず二冊見つけ、席に戻ってから手分けしてページを繰ってみた。

 僕が選んだ本は、読んでみると空き巣や詐欺、災害等について詳しく書かれた本であった。どちらかというと生活の知恵的な感じで、スタンガンの情報はなかった。

「こっちには書いてないや。そっちはどう?」

 京極さんに声をかけると、彼女はニッと小さく笑った。どうやら当たりだったようだ。

「あったよ。販売に関しては法律では禁じられていないけど、店側が未成年には売らないようにしてるみたい」

 京極さんは本のページに視線を戻し、話を続けた。

「映画や漫画だとスタンガンで気絶させるシーンがよくあるけど、実際には気絶することはほとんどなくて、体が動かなくなるだけなんだって」

 横から覗いてみると、そのページには護身の手段の一つとしてスタンガンが紹介されていた。様々なスタンガンの写真も載っている。

「へぇ、知らなかった。催涙スプレーは?」

「催涙スプレーも未成年には売らないって書いてあった」

「やっぱダメか。参ったな」

 僕は頭を抱えた。すると、京極さんが優しく諭すように言った。

「ねぇ、まだ時間はあるんだし、これは一旦保留にしない? そのうち何か良い方法思いつくかもしれないよ」

「……それもそうだね」

 僕としても、今はアイディアが出てこない気がした。

「他に決めておくことは?」

「あとはお父さんをどこで殺すか、だけど」

「あ、そうだ」

「何?」

「前から言おうと思ってたんだけど、その、お父さんって呼ぶのやめてくれない?」

「……なんで?」

 思いがけないクレームに僕は眉をひそめた。

「あいつのこと、本当は父親だなんて思いたくないし」

「じゃあ、何て言えばいいのさ」

「黒月でいいよ」

「……まあ、京極さんがそれでいいならいいけど」

「あと、私のことは桐子って呼んでいいから」

「え」

 目が点になった。ここ一週間で知り合ったばかりなのに、馴れ馴れしくないだろうか。

「それはちょっと恥ずかしいかな……」

「別にいいじゃん。私たち付き合ってるんだし」

「だから、付き合ってるふりをするだけだって」

「いや、それは分かってるよ」

 京極さんは折れずに期待の眼差しを僕に向けた。しょうがないので、大人しく彼女の言うことを聞くことにした。

「桐子さん」

「さん付けだと、なんか婚約者みたいで気持ち悪い。呼び捨てにして」

「……桐子」

「うん。それじゃあ、話の続きをしようか」

 桐子は口元を微かに緩めた。なんかどうでもいい話題でエネルギーを使ってしまった。

 しかも、桐子が僕のことをどう呼ぶかについては触れないみたいだ。彼女は僕のことを一貫して「あなた」と呼んでいる。それこそ夫を呼ぶ妻みたいなのに。

 とりあえず、気を取り直して話を戻すことにした。

「何の話だったかな……。そうだ、黒月をどこで殺すかということなんだけど」

「あいつがうちに来る途中か、帰り道のどこか、だね」

「そう。それについては実際に殺すのと同じ時間……夜に現地で決めた方がいいと思う。どれくらい暗くなるのかとか、人通りも確認しなきゃいけないから」

「なるほど、じゃあ帰りの時間の方が暗いからいいね。テストが全部終わったら行く?」

「分かった、そうしよう」

 僕は頷いた。

「付き合ってから最初のデートだね」

 桐子はニヤニヤと笑い、白い歯を僅かに覗かせた。

「そういうのもういいから」

「ノリ悪いなぁ。そっちから言い出したくせに」

「はいはい。で、今日もここで勉強してくの?」

「うん、また教えて」

 僕たちは昨日と同じように期末テストの勉強をした。明日のテスト初日は、国語・数学・英語の三科目が実施される。昨日は数学をやったから、今日は国語と英語を一緒に対策した。桐子は国語と英語に関してもそれほど問題はなさそうに思えた。

 お勉強会は、外が暗くなり始めた頃に切り上げることにした。

「今日はもうこれくらいでいいかな」

「そうだね、明日はなんとかなりそう。午後はまたここに来れる?」

「明日も?」

 僕の頭の中に疑問符が浮かんだ。次に会うのは期末テストが全部終わってからだと思っていたから。

「作戦会議じゃなくて、普通に勉強するだけなんだけど」

 そういうことか。明日は午前中のテストだけで終わるから、給食はない。

「まあ、いいよ。家でお昼ご飯食べたあとに集合でいい?」

「ありがとう。私は二時までには来れると思う」

「分かった。じゃあ、そろそろ帰ろう」

 僕は立ち上がった。すると、桐子はさっき見た護身の本の表紙を僕に向けた。

「この本借りてく?」

 少し迷ったが、首を横に振った。

「いや、やめておこう。貸出記録とか、そういう痕跡みたいなのはなるべく残したくない」

「了解。じゃあ、戻しに行こっか」

 僕たちは本を元の場所に戻し、図書館から出た。今日の作戦会議とテスト勉強は、昨日より少し遅い時間に終わった。空の色もほとんど紺色だ。それから昨日と同じ道を歩き、昨日と同じ十字路で別れた。


「ただいま」

「おかえり、今日も図書館に行ってたの?」

 家に着くと、いつものように台所にいるお母さんが僕の放課後について訊いてきた。

「うん」

 僕はリビングの床に鞄を置き、冷蔵庫に入っている麦茶を立ったままグラスに注いで飲んだ。それから、グラスを水道水ですすぎながら言った。

「明日はうちでお昼食べたあと、また図書館に行くから」

「そう。ちゃんと晩御飯までには帰ってきなさいよ」

「うん」

 お母さんは特に怪しんではいないようだ。この調子で殺人の計画も順調に進めばいいんだけど。

 鞄を持ち、二階へ上がる。しかし自分の部屋に戻った途端、急にめまいがした。部屋の真ん中には血塗れのみどりが立っていて、僕のことを見つめている。いつものこととはいえ、深いため息をつかざるを得ない。

 嘘の恋人と会って殺人の話をしたあと、昔の女友達の幻覚が家で僕の帰りを待っている。こんなわけの分からない青春が他にあるのだろうか。

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