人間づくり

広瀬翔之介

第1章

滅びの夏に空から降ってきた女の子

 一九九九年、七の月、僕の目の前に恐怖の大王のような女の子が現れた。魔物のような角や漆黒のマントではなく、二本の可愛らしいおさげと白い体操着という姿で。

 恐怖の大王というのはノストラダムスとかいう大昔の医者だか占い師だかの予言に登場する存在で、空から降りて来て人類を滅亡させてしまうらしい。

 さすがに中学二年生にもなればそんな予言を本気で信じるなんてことはなかったけれども、彼女は少なくとも僕にとっては予言通りの存在になってしまったのだ。


         ◇◇◇◇


 七月一日木曜日、教室へ入るとクラスの雰囲気がどことなくそわそわしているように感じられた。人類が滅亡すると言われている七月がとうとうやって来たからだ。

 ノストラダムスの予言はワイドショーでも日々取り上げられている。みんながそれを信じているかどうかは分からないけれど、非日常感を楽しんでいるのは確かだと思う。

 いつも通り、教室の一番後ろにある自分の席に座る。すると、クラスメイトの男子が声をかけてきた。

「おっす!」

「おう」

 爽やかな朝の挨拶に、気だるげな声で返す。だが、彼はそんなこと気にせずに話を始めた。

「今日で世界が滅びるな!」

「そうだね。やり残したことはない?」

「サイコマシーンを倒してないことだな」

「最後までゲームかよ」

 そんな他愛もない話をしばらく続けた。やがて先生が教室に来て、彼も自分の席に戻った。

 日直の号令で朝の挨拶をしたあと、先生が顎髭を撫でながら言った。

「えー、今日で人類が滅亡するかもしれんが、授業は通常通り行う。残念だったな!」

 先生の冗談に、クラスメイトたちが笑った。やっぱり予言を本気で信じている人なんていなさそうだ。僕も微かに息を漏らした。今日も、いつもと変わらぬ日常になりそうだ。


 一時間目の授業は体育だ。この季節、よその学校ではプールで泳いだりするらしいけれど、あいにくこの学校にそんなものはない。何の修行か分からないが炎天下の中でマラソンをやらされる。こんなトレーニングが本当に役に立つのだろうかと、ウンザリした気持ちで校庭をぐるぐる回った。

 走っている最中、僕は突然頭痛に襲われた。しかも、ただの頭痛ではない。脳みそを手で掴まれ、ゆっくり揉まれるような独特の痛みだ。僕の体にはこういう奇妙な症状が数年おきに現れていた。普通の頭痛とは感覚が違うからすぐに分かる。

 気分が悪くなったと先生に言い、少し休ませてもらうことにした。校庭の片隅にある小さな体育倉庫と木の間、日陰となる位置で腰を下ろし、動物の群れのように走っているクラスメイトたちをぼうっと眺めた。

 夏の訪れを感じさせる木漏れ日の下で、ここ数ヶ月の間自身に起こっているについて頭を巡らせた。前に摂取したのはいつだっただろうか、もう予備がないからどうにかしなければならない、今回からは骨が折れそうだ、と。

 そんなことを考えていると、頭上から物音が聞こえてきた。何かが擦れるような音。体育倉庫の上に猫でもいるのだろうか。

 顔を上げてみる。体育倉庫は高さ三メートルほどだけど、僕が座っている位置から屋根の上の様子を見ることはできない。

 とりあえず気にしないことにした。視線を斜め上にずらす。空には、青いピアノに並ぶ鍵盤のような雲が浮かんでいる。ああ、夏だなぁと思った。

 そのまま頭上を見ていると、突然、体育倉庫の屋根の上から何かが落ちてきた。息を止める間もなく、それは僕の目の前に着地した。

 女の子だ。見知らぬ女子が、屋根の上から下りてきたのだ。背の高さは僕と同じくらいで、たぶん百六十センチメートルほど。黒髪のおさげが白い体操着に垂れかかっている。胸の辺りに京極という名前。読み方は「きょうごく」だろうか。

 体育の授業は二クラスずつ合同で行う。見覚えがないということは、隣のクラスの女子だ。

 彼女は一瞬こちらを見たが、何も言わなかった。それから僕の隣に、五十センチメートルくらい離れて座り、膝を抱えた。

 僕は少し緊張した。友達でもないのに、なぜ僕の隣に座るのか。何か話でもしなければならないのか。そもそも、なぜ体育倉庫の屋根の上なんかにいたのか。

 でも僕が迷った甲斐もなく、彼女はあっさり声をかけてきた。

「あのー」

 くっきりとした大きな瞳をこちらに向け、淡い微笑みを浮かべている。

「大丈夫ですかぁ……?」

「……大丈夫って何が?」

 平常心を保とうとしたら、素っ気ない返事になってしまった。しかし、彼女は特に気にすることもなく話を続けた。

「体調悪いんでしょ?」

「ちょっと頭が痛いだけ。大したことない」

「そうなんだ」

「……なんで体育倉庫の上にいたの?」

「あぁ、私?」

 一瞬キョトンとしたあと、クスクス笑った。

「今日暑いじゃん? かったるいから上でサボってたら、余計暑くなって下りてきただけ」

「あっ、そう……」

 ただそれだけの理由で授業をサボるとは。見た目は純粋そうだけど、もしかして不良なのではないだろうか。僕は少し怖くなった。

「いやー、ホントに暑いよね」

 彼女はそう言って体操着のシャツを指で摘まみ、パタパタと扇いだ。柔らかそうな頬に汗が垂れている。なぜかその横顔は、僕にとってとても印象的であった。

「……うん」

「ねぇ、授業終わるまで暇だから何か話さない?」

 最後までサボる気なのか。僕は少し呆れた。頭痛の方も治まりそうだったけど、彼女の話に付き合うことにした。

「いいよ」

「うん、じゃあ何か面白い話ある?」

 彼女は腰を浮かせ、僕との距離を詰めて座り直した。自分から話そうと言っておいていきなり話題を要求するとは面倒な女だ。

 面白い話と言われても一つしか思い浮かばない。それは僕の症状に関することだ。あまり知られない方がいいとは思うけれど、話したところで信じるはずがないので、暇潰しに教えてあげることにした。

「こんな話はどうだろう。さっき僕は頭痛で休んでるって言ったけど、本当は禁断症状なんだ」

 その言葉を聞いて彼女はギョッとした。

「えっ、禁断症状ってタバコとか危ないクスリを切らしたら起こるってやつ? そんなことしてんの?」

「普通はそういう意味だけど、僕の場合は少し違う」

「どういうこと?」

 僕は咳払いを一つした。

「僕は、自分の近くで誰かが死んだとき、頭の中で強い快感を得ることができるんだ。というより、勝手にそういう現象が起こる」

 彼女は明らかに困惑しているような顔をした。無理もない。いきなりそんな話をされたら誰だってそうなる。

「……なんで?」

「詳しい原因は分からない……けど、僕は人の魂のようなものを摂取してるんじゃないかと思ってる」

「はぁ」

 僕はこの現象をいつからか「ヘヴンズ・アゲイン」と呼ぶようになっていたが、そのことは伏せておくことにした。

「まあともかく、それを得られない状態が何年か続くと、今度は禁断症状が出始めるんだ」

「……それで今は頭が痛くなってるの?」

「奇妙な痛み方をしている」

「ふーん」

 彼女は唇に指を当て、少し黙った。僕の無茶苦茶な話を頭の中で整理しているのかもしれない。

 理解が追いついたのか、彼女はまた口を開いた。

「ちなみに、前回誰かが死んだときはどんな状況だったの?」

「僕のお婆ちゃんが亡くなったんだけど、家族と一緒にその最期を看取った」

「そうなんだ……ごめん」

「いや、それは仕方ないんだけど、実はこれからがまずいことになる」

「まずいこと?」

「前回ので、僕の爺ちゃん婆ちゃんは全滅しちゃったんだ。今までは爺ちゃん婆ちゃんの死で禁断症状を抑えていたけど、もうそれが使えなくなる。。だから、結構焦ってる」

「へぇ」

 彼女はもう僕の話に困惑しなかった。むしろ楽しそうに見えた。

「まあ、今の話は結構面白かったよ。漫画家にでもなれるんじゃない?」

「信じてないでしょ?」

「信じていいの?」

 急に彼女の目つきが真剣になった。僕はその黒く深い瞳に飲み込まれそうになった。周囲の音が消滅し、この世界に僕と彼女しかいないような感覚に陥った。

 強くなっていく鼓動を抑えつつ、なんとか言葉を返そうとする。

「いいと思う」

「ふぅん」

 気づけば優しげな表情に戻っていた。先ほどまでの緊張感はなくなり、海中から脱出して呼吸ができたような気分になった。

 それ以上何も言えずにいると、彼女は再び喋りはじめた。

「でも、よく考えたらちょうど良いかも」

 後になって僕はこう思うことになる。

 やっぱりこの話は彼女にするべきではなかったのではないか、と。

「もしかしたら、私ならあなたの禁断症状を抑えることができるかもしれない」

 僕は後戻りできないところへ行こうとしているのではないか、と。

「私ね、ぶっ殺したい奴がいるんだ」

 青い空、黒い髪、白い体操着。そんな光景の中で発せられた「ぶっ殺したい」という言葉。その響きは雪原に撒かれた墨汁のように異様な存在感を放った。

「それって誰……?」

 声が微かに震えてしまう。

「自分の父親」

「……なんだ、ただの反抗期か」

 ホッと胸を撫で下ろした。ちょっと過激だけど、中学生にはよくあることじゃないか。「パパと一緒に洗濯しないで」の延長線上だ。

「そうじゃない。

 彼女はぼんやりと地面を見つめながら言った。再び僕に緊張が走る。

「な、なんでだよ?」

「そいつ、普通じゃないんだ。色んな女にどんどん自分の子供を産ませることが生きがいの異常者なんだよ」

「なっ……」

「しかも洗脳みたいに言葉が上手くて、母親たちはそいつを咎めようとしないんだ。誰かが止めないと、不幸な人たちが増えていっちゃう」

 言葉を失った。僕の症状とは別の方向で無茶苦茶な話だと思った。

「別に殺さなくても……他にも方法が……」

「うん、そうだね」

 彼女は僕の顔を見て微かに笑った。

「でもあなたの話だって、もし本当なら病院に行った方がいいと思うけど。魂を摂取するとか言ってないで」

「……その通りだと思うよ。僕はこの症状のことを家族に話したことはないけど、話そうと思ったことは何度もある。けど、結局話していない」

「どうして?」

「僕は、家族に異常なことを持ち込みたくないんだ。僕たちは何の問題もない平和な家族でいたいから」

「……真面目なんだね」

 そうなのだろうか。自分ではよく分からない。

「ねぇ、話を戻すけど、確かに私も父親を殺す必要はないかもしれないよ? でも、私が父親を殺したときに近くにあなたがいたら、あなたは魂を摂取できることになるけど……どうする?」

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