第24話 土方雪枝は妹である②

この事は、家では誰にも話せない。私は夏休みに入り、意を決して同市内に住む父方の祖父母を訪ね、率直に、「何故、父は長兄をいないものとして扱うのか?」と尋ねてみた。


当然驚く祖父母。久々に孫娘が訪ねて来て嬉しそうに相好を崩す祖父母に、早々にそのような事を尋ねて胸が痛んだけど、私も気付いてしまった以上、それから目を背ける事は出来ない。


そして、祖父母は申し訳なさそうに、知り得る限りの事実を私に教えてくれた。


かつての父は、実に自己中心的な性格で、自分の思うようにならないと癇癪も起こしたそうだ。祖父母も、特に父を甘やかした訳ではなく、何故そうなったのかわからない。父は成長するに従って、何かと問題を起こしつつも、次第に自分の欲求を抑えて周りと協調出来るようになっていったという。


やがて大学を卒業して就職。職場で母と知り合って結婚し、長兄が生まれる。


しかし、父は夫となり、父親となっても家庭を顧みる事は無かったそうで、その事を祖父から強く叱責された父は反省するどころか、益々育児に無関心となった。当然、長兄は父に懐かない。


そしてある時、祖父母が訪問していた折、父が酔って帰宅し、3歳の長兄と母に「こいつは可愛げがない」「俺の子とは思えない」等の罵声を浴びせたのだ。


祖父母は驚き、当然父を叱責しようとしたけど、長兄は泣く事もなく、


「ねえ、この人誰?馬鹿みたい。」


と、母と祖父母に不思議そうに尋ねたそうだ。


この事は、父には相当ショックだったようで、それ以降、父は家事、育児に参加するようになったものの、長兄は懐く事は無かった。


長兄は何時も白けた目で父を見ていた、と祖父は言っていた。父は次第にその視線を怖がるようになり、次兄が生まれてからは、次兄を可愛がる一方で、長兄を無視し、育児放棄するようになり、私という女の子が生まれて決定的になった。


問題は、何故母までもが長兄への虐待に加わってしまったのか、という事だけど、それに関しては祖母が憶測混じりに教えてくれた。


父の自己中心的性格は、一見すると欲求を抑え、周囲と協調出来るようになったようだった。だけど、実はそうではなく、周囲の人間を巻き込み、自分の欲求を周囲の人間の欲求であるかのように思わせ、自己中心的な欲求を満たしていたのではないか?という事だった。


また、祖母の家系には、そのように人の心を操る術に長けた者がしばしば輩出されたと言う。祖母も実に言いにくそうに、そう教えてくれた。


だとすると恐ろしい事だ。周りの人間は、知らず知らずのうちに父がしたい事を自分の欲求と思い、自分の意思で父の欲求を満たしている、という事になる。もっとも、その能力?も、それほど強いようではなく、事実、長兄や祖父母には及んでいない。


子供は成長するに従って、自分の欲求と現実との間に何とか折り合いをつける事を学ぶものだ。しかし、父の場合、自己の欲求が強すぎて現実と折り合いをつけるどころか、自らの能力で現実(というか他者)をある程度自分に従わせてしまっていたのだ。


そして、私は父に操られて長兄への虐待に加わっていた。母も次兄もそうだろう。


そもそもこの事態は、父が家庭を顧みなかった事に由来する。その結果、父は長兄に嫌われて懐かれず、その当てつけのように長兄を無視し、居ない者として扱った。きっと、お前が俺を父親と思っていないのだから、俺もお前を息子とは思わない、とかそんな感じだろう。実にくだらない。


父は私も次兄も可愛いがったけど、それさえも実は長兄を苦しめる為の手段であったのかもしれない。


尊敬し、大好きだった父がそのような得体の知れない恐ろしい人物だった事に、私は愕然とした。


その日、祖父母は呆然としいる私を心配して泊まっていくように勧めた。一体どんな顔して家族に会えば良いのか、特に父に会ってどんな反応してしまうのか。恐ろしくなった私は、祖父母の勧めに甘えた。


結局、祖父母に会っても、私の悩みは解決するどころか、益々深くなった。こんな事は本当に誰にも相談出来る訳がない。


その後、私はなるべく父と顔を合わせないように過ごした。そんな私の態度を両親は反抗期が来たとでも考えたのか、特に何か言われるような事は無く、腫れ物に触るように扱われた。


かと言って、長兄みたいに家に帰らない、という事は出来なかった。また小学6年生の頃のような怖い目に遭っては堪らない。もう助けてくれた長兄はいないから。



やがて、夏休みが終わって9月に入った。ワンダーフォーゲル部では、有志で中旬の連休に秩父の満峰山へ一泊二日でトレッキングしようという事になった。正式な合宿などではないので、参加不参加は自由だったけど、あまり家族と顔を合わせたくない私は、一も二もなく参加した。


西武線の特急レッドアロー号で西武秩父駅へ。


我が校のワンダーフォーゲル部は、部内の人間関係がとても良く、先輩方もみんな優しくて親切だ。私は仲の良い同級生の女の子部員達と、席を向かい合わせ、お菓子を食べ、お喋りし、車窓からの風景を楽しんだ。


飯能から秩父へ、里山から山々へと風景は移っていく。武甲山は採掘によって山容が変わってしまっているけれど、その聳え立つ偉容に、ここ暫く続く鬱々とした気分も幾らか晴れて行くような気がした。そして、その時何故か、これから劇的な何かが起こるような予感がしたのだ。



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