第2話 巡る聖地と蝉時雨
当たり前だけど、正丸トンネルの向こうは秩父盆地だった。俺と斉藤は長いトンネルを抜けてちょっとだけ盛り上がり、昼食には少しだけ早い時間ではあったが、店が混み合う事を予想して早めの昼食を摂る事にした。
国道299号線を進み、秩父市街地に近づくにつれて次第に建物も多くなり、事前に調べてある西武秩父駅近くのトンカツ屋を目指す。しばらく車を進めると、目当ての店はすぐに見つかり、駐車場に若干の空きはあったものの、開店前だというのに店の前では既に客が並んでいた。
空いていた駐車スペースは車の出し入れがなかなか困難な場所で、まして大きな4WDをバックで入庫するのは至難の業だ。しかし、斉藤は自分の乗り慣れている車だけに、バックで3回切り返して器用に入庫した。
俺が斉藤の運転技術を誉めると、斉藤は涼しい顔で
「まあ、俺にかかればこんなものだ。自動車の操縦は物理学だからな。」
と言ったものだ。
奴の癖だと、この後は乗り物の操縦について物理学的な解説が始まり、それが長くなるのが常だ。時間と心に余裕がある時は友人サービスとしてお説ごもっともと聞くものの、早く並ばないと席が確保出来ないようなこんな時は、とある変身ヒーローから学んだ便利な言葉で場を治める事にしている。
「よし、話は大体わかった。とりあえず並ぼうか。」
俺がそう言うと、斉藤はいつものように少しムッとして黙った。しかし、それでも斉藤が正当な理由を付加することですぐに次の行動に移る事も、俺は長い付き合いで学習済みだ。
そうして俺達は、それぞれ車から降り、開店を待っている先客の最後尾に並び、雑談しながら待つ事約10分で入店した。
20代前半と思しき可愛い女性店員に案内され、俺達はそれ以上待つ事無く席に着く事が出来た。注文はもちろん名物のわらじカツ丼である。先程まではあまり腹も減っていなかったのだが、店内に入ってトンカツとソースの匂いを嗅いだら一気に空腹感を覚えた。わらじカツ丼は基本2枚のところ、希望により増やす事も出来るらしい。俺は結構大食漢なので、カツは3枚、飯は大盛りで注文するつもりだ。
「相変わらず食うな。」
斉藤は俺の注文を聞いてやや呆れたようにそう言った。
「お前は?」
「俺は並で結構。」
「じゃあお姉さん、わらじカツ丼を3枚大盛りと並でお願いします。」
俺は通りかかった先程の店員さんに声をかけて注文をお願いした。店内は後から来た客で既に満席となり、どうも店外にも並んでいるようだった。
俺達は店員のお姉さんが出してくれたよく冷えた湯呑みの麦茶を飲みつつ、昼食後の予定を話し合った。
「リュウはどこか行きたい所はあるのか?」
いや、秩父に行きたいと言ったのはお前だろうに。振りという奴かな?
「俺は特に無いかな。タケ、お前はどこかあるんだろ?」
俺がそう言うと、斉藤は少し嬉しそうに、我が意を得たりとばかりに話しだす。
「そうだな、お前が良ければだが、秩父橋、定林寺、けやき公園、秩父神社を巡るってのはどうだ?」
斉藤は両肘をテーブルに着き、組んだ両手の上に顎を乗せた姿勢で、俺を見る目つきは真剣だ。メガネのレンズがギラリと光った。その視線を言語化したならば、「そこは絶対譲れない!」というところだろうか。
「それってあのアニメに出てくる場所だろ?まあ、俺も見てみたいから別にいいよ。」
「そうか、悪いな。」
「いや、別に悪くないけど。」
こうして初日の予定は決まった。聖地巡礼の後は、予定していたキャンプ場に向かい、バンガローで一泊する事になっている。まあ、男二人でバーベキューというのも冴えないので、夕食は途中で買って行くつもりだ。
わらじカツ丼は思っていたよりも油こくなく、香ばしさに甘辛ソースが良く合って、実に美味しかった。味噌汁も秩父の味噌を使っていて、俺の好みの味で、全てに満足した。帰りにもう一度食べたいと思えるほどだった。
「わらじカツ丼、正解だったな?」
「ああ、全くだ。」
俺が斉藤にそう声をかけると、ちょうど食べ終えた斉藤も俺の感想に同意する。俺達はおかわりした麦茶を喫すると、待合の入口で並んで待っている客達の「喰ったらさっさと帰れよ!」とでも言いたげな視線も痛かったので、早々に会計を済ませて店を後にした。
斉藤が楽しみにしていた聖地巡礼は、奴たっての希望で秩父橋からの始まりとなった。俺達は近くの駐車場に車を駐車させ、徒歩で今は遊歩道となっている旧秩父橋を右岸側から渡った。橋からの眺望は、荒川の下流と上流側の秩父橋が良く、特に秩父橋の塔から斜めに張られたケーブルは、斉藤が苦労して入手し、自室の壁に大切にポスターサイズのフィットフレームに入れて飾っていた、あのアニメ(劇場版)のポスターと同じアングルだった。
そのまま橋を渡り、荒川の左岸側から階段で河岸に降りた。下から見上げると、ここも別のポスターと同じ場所。俺は斉藤に頼まれて携帯端末で写真を撮った。階段をバックに両手をズボンのポケットに入れ、やや斜めに構えるようなポーズ。俺はわからないが、多分これはあのアニメのポスターかイラストでのポーズなのだろう。
その後、定林寺、けやき公園、秩父神社と回ったが、終始斉藤は静かに興奮していて、写真を撮り、俺に撮らせた。けやき公園ではベンチに股を開いて座り、両腕を背もたれに掛けてうな垂れたポーズの写真を撮らされたが、これもあのアニメ劇中でのキャラクターがとったポーズなのだろう。
秩父神社では、静謐な社の中で、行く夏を惜しむように鳴く蝉時雨が響いていた。夏を惜しむ、というか、今鳴いている蝉たちは数日もすれば皆死んでしまうだろう。ここにこうしている自分達も大学を卒業すれば社会人だ。子供の頃から一緒だった俺達もそれぞれの道を行歩む事となるのであり、そう思うと、この蝉時雨と俺達の旅はある意味では同じなのかもしれない。
などと柄にも無い事を考え、思いに浸ってみたりして。
まだまだ聖地巡礼を続けたそうな斉藤だったが、奴曰く断腸の思いで切り上げたそうで、俺達は再び斉藤の車に乗り込み、途中で食料や酒を買い、一路今夜宿泊する予定のキャンプ場を目指した。
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