ACT.2

 ブラック・ハウンド、つまりは『黒い猟犬』という二つ名で呼ばれるこの男は元傭兵だった。

 当り前だが、俺のような稼業で長年飯を喰っていれば、誰でも一度は耳にした名前だ。

 ご承知の方も多いだろうが、『傭兵』って職業しごとは、現在いまでは戦時国際法上存在しないことになっている。

 いや、存在はしているんだが、正規の戦闘員と見做みなされないと言った方が正確だろう。

 だから仮に彼らが戦争に加わり、負傷し捕らえられたとしても、いわゆるジュネーブ条約に於ける、『捕虜』としての待遇は受けられない。

 拷問されようが、虐待されようが、果ては殺されようが関係ないのだ。

 そんな理由わけもあって、各国はこぞって戦争を始めても傭兵を雇うことを止めてしまったし、また自国の軍人だった者が、外国で『傭兵』になることを罰する法律まで設けている例だってあるのだ。


 彼もかつては世界各国の紛争地域で、ここと思えばまたあちら、という具合に硝煙と血の臭いにまみれて戦っていたのだが、その後は当然の如く職を失った。

 で、どうしたか?

 簡単なことだ。

 職業的テロリストになったのである。

 主義にも思想にも関係がなく、金の為ならどこにでも行き、破壊工作、暗殺など、なんでもござれだ。

 しかも、そのどれも一度として失敗したことはない。


 さて、ではその『ブラック・ハウンド』の正体だが・・・・

 分かっているのは東洋人、それも日本人であるという、ただそれだけの事だ。

 後は本名、年齢、その他どれも全くの不明。


『で、そのブラックハウンドがどうしたっていうんだ?』

 俺はそう言って二杯目のコーヒー・・・・今度はキリマンジャロをオーダーする。

 彼女はテーブルの上の灰皿に吸いさしのシガリロを置き、バッグに手を伸ばし、口金を開け、写真を二枚取り出した。

 一枚は女性、白い大型犬の傍らにしゃがみ、ハーネスという胴輪を持ってこちらを向いている。

 年は20代半ばくらいだろう。

 グレーのキャップを被り、ブルーのパーカー風の上着にジーンズという軽快な服装をしている。

 髪はセミロングで少し小麦色の健康そうな肌をしている。なかなかの美人だ。

『彼女、視覚障碍者だろう』

 俺は写真を取り上げ、マリーに言った。

『当たりだわ、どうして分かったの?』

 マリーは灰皿からシガリロを取り上げて、驚いたような声を出した。

『目を見りゃ分かるさ。レンズを見つめちゃいるが、瞳の焦点が定まっていない。』

 マリーはまた煙を吐いた。

『彼女、名前を緑川麻美みどりかわ・あさみって言うの。私の遠縁に当たるお嬢さんなの。目は5歳の時から見えないわ。でも頭が良くて優秀なでね。大学で臨床心理学を学んだ才媛よ』

 それから彼女はもう一枚の写真を俺に見せた。

 黒いベレーに、黒い戦闘服。いかつい顔、鋭いがどこか優しい眼差し、右目を横断するようにして縦に大きな疵が奔っており、ベルギー製の自動小銃FN・FALを携えていた。

『これが・・・・』

『そう、ブラック・ハウンドの写真、現在までに確認された唯一の彼の姿よ』

 俺は写真を置き、ウェイトレスが運んできたコーヒーを一口啜り、

『分からんな。視覚障害はあるが、秀才で美人の若い女性と、世界を股にかけて非道の限りを尽くす職業的テロリスト・・・・一体この二人にどんな関係があるっていうんだね?』

父娘おやこなのよ・・・・』

 俺はテーブルの上に並べた二枚の写真を代わる代わる眺めながらブルマンを飲み、ポケットからシガレットケースを出して、シナモンスティックを咥えて考え込んだ。

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