第3話 隷属する者

 それから、俺は日がな一日少女――プロウが耕すのを見て過ごした。

 プロウは日が昇ると同時に起きだし、日が沈むまで赤土を耕し続けた。その間プロウは食事もとらず、宿にしている軒下――民家の一階部分が焼け落ち、ほぼ三角屋根だけになった建物の下――にも戻らなかった。

 不思議なことには、その軒下にも食料らしきものが一切ないことだった。


 主都を逃げるようにあとにして、旅を続けてはや幾春秋。少ない路銀で歩き続け、俺自身だいぶ空腹が麻痺している自覚はあるが、それでも三日も食べなければ死にそうな気分になる。

 死んだ方がましな過ちを犯した俺でも、餓えに抗うため、壊れかけの弓矢を取った。育ち盛りだろう少女が食事をしないなど、考えられなかった。


「腹は減らないのか?」


 二日が過ぎた頃、やっと射た鳥をめて丸焼きにした夜、俺はそう聞いた。当たり前のように二人分に取り分けていた俺は、きょとん、と振り返ったプロウの表情にこそ驚いた。まるで、そんなことを聞く俺がおかしいというような顔だったからだ。


「食事は、要らないように、なりました」

「……なった?」

「新しいご主人様が、そうしてくれました」


 それは、体をいじられたということだろうか。

 元々科学者だった者が魔化まかすると、神をも恐れぬおぞましい実験を平気で繰り返すようになる。そのために魔獣は更に種を増やし、大陸の四分の一が死の大地となったとも云われている。


 だがこの手の話をプロウが理解していないことは、ここ数日の会話で十分承知していた。俺は答えが出ないまま「そうか」と会話を終わらせた。

 それでも、その後も食料が手に入るたびに、俺はプロウに「食べないか?」と聞いた。案の定、毎回同じ角度と表情で首を横に振られた。

 だがある日、違う言葉が返ってきた時があった。


魔化物まかぶつは、食べてはいけません」


 その日は、プロウが耕す畑に入ってきた大きな鼠のような魔獣を仕留めて焼いた。魔化物とは、魔化した生物の総称だ。

 人間が魔獣を食べないのは、単に力で負けるからではない。魔獣は今や食物連鎖で人間の上に立つが、殺せないわけでも食べられないわけでもない。ただ食べると、その体内に蓄えられた魔気まきも取り込んでしまうからであった。


「魔獣の肉を一口食べたからと言って、すぐに死ぬわけじゃない」


 俺は素っ気なく断って、肉の刺さった串を引っ込めた。

 実際、俺はこの旅の間に何度となく魔獣を食べた。血抜きをきちんとして内臓を綺麗に洗い出せば、魔気も最小限に抑えられる。魔気は血液中に最も蓄積されるからだ。

 それでも人間が魔獣の肉を敬遠するのは、魔気があとどれだけ体内に溜まれば自分が魔化するのか、その目安がどんな検査をしても分からないからだ。

 だが、プロウはまた予想外のことを口にした。


「『体に入った魔気は消えない。だから食べさせられない』と、ご主人様は言いました」


 それは、どういう意味だろうか。魔獣を食べさせられないから、食事の必要ない体に作り替えたとでもいうのだろうか。だがそれでは、まるで魔獣以外他に食べ物がないような言い方に聞こえる。だがそんな場所は、人間の住む土地ではあり得ない。と、考えていると、珍しくプロウが続けた。


「『植物がいい』と、ご主人様は言いました」

「……は?」

「『植物は、光と水と土だけで生きていける。すぐ枯れる花ではなく、何百年も生き続ける木のようにしよう。そうすれば、すぐに新しい人間を捕まえる必要もなくなる』と、ご主人様は言いました」

「…………!」


 予想だにしなかった内容に、俺は声も上げられず衝動的にプロウの左手を握りしめていた。久しぶりの力の行使を嫌がるように痛む頭を無視して、手の平から微量の魔力を流し込む。果たして。


「!」


 ぶわりと、接触した箇所を起点に、少女の皮膚に異様な紋様が浮かび上がった。それは魔者となった者が編み出し広がった新しい言語で、人間にはいまだ解読できない象形文字だ。

 隷属させた人間に魔気の中でも生きられるように施すもので、魔気の薄い場所では見えなくなる。こうして魔力に触れさせることで一時的に表面化し、魔者が紛れ込ませた間諜を見破ることが出来た。


「魔法士さま、でしたか」


 日焼けした皮膚に浮かび上がった、蔓草のような紋様を淡々と見下ろして、プロウが呟く。

 人間の間にも魔化という現象が広がり出した頃、完全に理性を失くす者と、理性を残して凶行に走る者の他に、二つの症状が確認されていた。

 一つは、魔気に心か体を蝕まれ、苦しんだ末に死んでしまう者。

 一つは、その変化に適応し、魔気により人知を超えた力を自在に扱えるようになる者だ。

 最も扱いに苦慮したのは、言うまでもなく後者である。魔者と違い本人の性格にほとんど変化はないが、凶暴化しない保証はどこにもない。彼らは要観察者として、常に行動を監視された。その一方で魔気により何が出来るか、どこまで出来るかを何時間も研究された。その果てに与えられた公的蔑称が「魔気使い」や「魔法士」であった。

 だが今は、そんなことよりもはるかに重要な問題があった。


「君は……君の主人というのは……」


 人間だけでは、なかったのか。

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