PLOW(プロウ)

仕黒 頓(緋目 稔)

第1話 耕す者

 世界は時々終わる。


 海が広がったり、生態系が壊れたり、食物連鎖が変わったり。

 けれど星が砕けない限り、そこにいる命は続くし、太陽は昇る。

 だから少女は、そのボロボロのすきを振り続けた。



       ◆



 少女の名は、プロウ、と言った。


 少女はこの見かけの年になるまで名無しで生きていた。生活する場所が変わった時に、新しい主人に名無しでは不便だからと、その名を貰った。

 プロウとは農具の鋤のことで、壊すとか耕すとか言った意味もあると言った。だから何もかもなくなって一人になった時、少女は耕そうと思った。

 何せ目の前には、魔獣に荒らされ人の住めなくなった荒廃した大地が、見渡す限り一面に広がっていたから。


 魔獣の大群が焼き払い、押し固めた土に、見捨てられた畑で拾った鋤を突き刺した。ざっく、ざっく、と。

 錆だらけの欠けた長方形の平たい刃に片足をかけ、体重を乗せて深く突き刺しては、梃子てこの原理で持ち上げる。何度も何度も、土が柔らかくなるまでほぐすのを繰り返した。

 もう何か月、いや何年そうしているのか、プロウは分かっていなかった。気にしていないとも言えた。ただ目の前に、緑のない大地がある。それが、彼女が鋤を振り下ろすただ一つの理由だった。


 ざっく、ざっく。ざっく、ざっく。


 その音が夜以外で止んだのは、随分としばらくぶりのことだった。


「…………」


 人が、倒れていたのだ。作っていたうねの途中で、鋤が振り下ろせなかった。

 プロウは、考えることは苦手だった。だが、考えた。

 このまま鋤を下ろせば、人間の体に穴が開く。退かすなら、柔らかくした土の外まで引きずる必要がある。だが引きずると、畝にした場所が駄目になる。どうしたものか。

 魔獣なら、落ちている人間は食べて片付ける。人間なら、拾って奴隷にしたように思う。だがプロウは、どちらでもない。


 プロウは致し方なく、折衷案――人間がいる場所は畝を諦めることにした。倒れた人間をまたぎ越して、作業を再開する。

 その時、


「…………み、ず……」


 掠れてくぐもった声が、した。

 片足を人間の背中の上で止めたまま、プロウはまた考える。

 みず。水がほしい、ということだろうか。畑に撒くために雨水を蓄えてあるが、それでもいいのだろうか。

 プロウはやっと上げた足を戻すと、鋤もその場に置き、寝起きしている落ちた三角屋根まで歩いた。水撒き用の桶と柄杓を手に、また歩いて戻る。そして人間の傍らに立つと、掬った水をじゃーっとかけた。


「…………」


 反応なし。もう一度、と水を掬った時、


「……っヴぶッ!」


 鈍い呼吸音と、泥が飛び散る音とが一緒に上がった。そして、


「っ死ぬ!」


 更に待っていると、人間が両腕を突っ張ってがばりと上半身を起こした。

 プロウはまた考えた。死ぬ、ということは、まだ死んでいないということだ。では予知、または宣言だろうか。

 プロウは、人間が死ぬのを待った。

 だが人間は、ぜぇはぁ、と苦しそうな息遣いを整えながら顔に付いた泥を拭い落とし、その場に正座した以外、何も変わらなかった。

 プロウは主人がいた頃、無駄口をきくと叩かれた。だが発言に対して沈黙しても叩かれた。プロウは、二番目に苦手な発言をすることにした。


「死なないのですか」


 人間が、びくっと震えて、ゆっくりとこちらを見た。目が合った、と思った次には、獣のように飛びかかられた。


「!」


 プロウは子供の頃から染みついた癖で、拳を握って直立したまま目を瞑った。しかし予期した衝撃も痛みも来ず、代わりに左手に握っていた桶が奪われた。


「…………?」


 目を開けると、人間が足元で桶に頭を突っ込んでがふがふ言っていた。どうやら水を飲んでいるらしい、と気付いた時には桶が空になり、人間は再びその場にばたんと倒れてしまった。仰向けに。

 今度こそ死んだのだろうか、と顔を覗き込む。呼気を確認する。死んではいないようだ。だが先ほどとは別の場所に寝たことで、畝が途切れることなく続けられる。

 プロウは桶と柄杓をその場に置くと、再び鋤を手に持って土に深々と差し込んだ。



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