第3話 黄色い花 7.目送

涙が枯れるまで泣き続けたフォルテは、日が暮れる頃に熱を出した。


ベッドで横になっているフォルテの、額に浮かんだ汗をそうっと拭き取る。

上気した頬に、ふわふわのプラチナブロンドがかかっている。


水に落ちたことも一因だろうが、どちらかといえば精神的なものの方が大きいように思う。


デュナは今、研究室で必死に黄色い花の成分抽出をしているはずだ。

フォルテのごたごたで、手折ってから大分時間が経ってしまったため、研究室に運び込まれた花は随分ぐったりしていた。


確か、半日で枯れてしまうんだったっけ……。


スカイも、デュナの手伝いに借り出されていた。

私はずっとフォルテの傍についていたのだが、しばらくうとうしていたフォルテがようやく寝付いたようなので、研究室で頑張っている二人に夜食でも作ろうかと台所へ向かう。

階段を下りると、廊下でフローラさんに出くわした。

フローラさんは、ベージュの薄手のパジャマの上に暖かそうなストールを羽織っている。

「あら、フォルテちゃんは……?」

「今寝たところです」

「そう……やっと落ち着いたのかしら。よかったわ~」

「フォルテが夜中に目を覚ましたりするかもしれないので、今夜は私、フォルテの部屋で寝ようと思います」

私の部屋は、デュナやスカイと同じく二階にあったが、フォルテの部屋は少し前まで物置になっていた屋根裏の一室を改造して作られていた。

「ラズちゃんも疲れてるんじゃないの? あ、私でよかったら、看病代わるわよ~?」

もしかして、フローラさんはデュナとスカイに手伝いを申し出て断られたところなのだろうか。

言葉とは裏腹に、その縋りつくような視線からは、お役に立ちたくてたまらないという気配を感じる。

こういう奉仕の精神は、確かに聖職者に向いているのだろう。

問題は、フローラさんがちゃんと手伝うつもりでも、その結果が大惨事になるという事実か……。


「ええと、お気持ちだけ、ありがたくいただきます……」

なるべく丁寧に、やんわりと断ってみる。

「でも、ラズちゃんも明日からザラッカに行くんでしょう? ほら、ちゃんと体を休めないと……」

案の定、フローラさんが食い下がってくる。

「ああ、そのことなら――……」

「ラズとフォルテは置いて行くわ」

私の言葉を遮って、背後からデュナの声がした。

「まあ、そうなの?」

フローラさんが、そのつぶらな瞳をさらに丸くする。

「デュナ、終わったの?」

「トイレに出てきただけよ。まだまだかかりそうだわ……」

「これから差し入れ作ろうかと思ってたんだけど」

「それは助かるわ。そうね……塩っ辛い物が食べたいわね」

「うん、わかった」

「じゃあ待ってるわね」と早々に会話を切り上げると、デュナは足早に研究室へと戻っていった。

まだしばらく寝られないようなら、腹持ちのいい物を用意する方がいいかな。

メニューをいくつか思い浮かべると、

「それじゃ、お夜食作るのを手伝いましょうか~」

と声を掛けられる。

にこにこと屈託のない笑顔を浮かべているフローラさん。


夜食のメニューを考える前に、まずはフローラさんをかわす方法を考えなくてはならないようだった。



日が昇る頃、やっとデュナとスカイが研究室から出てきたようだ。


夜中に何かあれば、すぐ起きて対応しようと気を張っていたせいか、階下の物音に目が覚めてしまった。


床に毛布を敷いて寝ていた事もあってか、二人がぼそぼそと二、三言葉を交わして、それぞれの部屋に戻ったらしい事が音でよく分かった。

会話はその短さからしておそらく、おやすみと挨拶をしたのだろう。


目が覚めたついでに、フォルテの額に乗せてあるガーゼを洗いかえようか。

よいしょと体を起こす。

昨日の疲れに、床での浅い眠りが堪えているのか、肩や首が小さく軋んだ音を立てる。

重い体を起こして、隣のベッドで眠るフォルテの様子を確認する。


まだ微熱程度の熱が続いているようで、頬はほんのり上気しているが、大粒の汗を浮かべていた当初よりは随分と落ち着いていた。

首周りの汗をそっと拭き取って、ガーゼを乗せ直す。


フォルテの寝顔をしばらく見つめていると、急激な眠気に襲われる。

デュナ達もしばらくは睡眠をとるはずだし、私ももう少し寝ることにしよう。


私が再び目覚めたのは、それから数時間後の事だった。


フォルテの様子を見ようと、ベッドを覗き込むと、ラズベリー色の瞳がじっとこちらを見返してきた。

「あれ? 起きてたんだ……?」

「うん……今起きたところ……」

フォルテの声は、寝起きのせいか少し掠れていた。

「お花は……?」

「大丈夫だよ、デュナとスカイがちゃんと処理してたから」

「そっか……」

俯きがちに話すフォルテは、どう見てもまだ立ち直れていそうになかった。

もう少し……時間が必要だろう。

「今日からファルーギアさんのところへまた出かけるつもりだけど、フォルテはどうしたい?」

デュナがいつもするように、フォルテの意思を聞いてみる。

私に行くつもりがないことは伝えずに。


「うー……ん」

目を伏せて、それきり黙ってしまうフォルテ。

いつもならすぐに「一緒に行く!」と元気良く返事が返ってくるのだが、やはり今回ばかりはそうもいかないようだ。

「フォルテが家に居たいんだったら、私も残るつもりだよ」

驚いたように私を見上げるフォルテ。

大きく開かれたその瞳にそうっと微笑む。

「じゃあ……私……家に居る……」

「うん」

嬉しさと申し訳無さが混ざったような表情で、言い辛そうに返事をするフォルテの頭を軽く撫でる。

どことなく腫れぼったさの残った瞼を、フォルテが細めたとき、ガタガタン! と階下で大きな物音がした。

続いて「起きなさい! ザラッカに行くわよ!!」とデュナの声が響き渡る。


どうやらスカイが文字通り叩き起こされたようだ。



階段を下りて廊下に出ると、デュナとスカイがなにやら言い合っていた。


「二人とも、お腹は……?」

「減った!」「空いたわね」

二人の声が重なる。

「じゃあすぐご飯作るね。あ。お弁当は要る?」

「大丈夫よ、夕飯は宿で済ませるから」

「そっか」

くるりと背を向けて、台所へ向かおうとした私をスカイの声が引き止める。

「フォルテは……?」

「うん……。今のところ落ち着いたよ。念の為、今日は一日安静にさせるつもり」

「そうか……。まあ、クエストは俺達だけでなんとかなるから、ラズもちゃんと休んどけよ」

「うん、ありがと」

再び二人に背を向けると、後ろで口喧嘩が再開された。

折角止まったのを、わざわざやり直さなくてもいいような気がするのだが、

二人にとってあれは欠かせないコミュニケーションなのだろう。ということにでもしておこう。


台所に足を踏み入れると、何故かフローラさんがエプロン姿で待ち構えていた。

……ああ、嫌な予感しかしない……。

「ラズちゃん、ご飯作るんでしょう? 私も手伝うわよ~」

遠慮します。

心の中では即答するものの、フローラさんのにこにこ笑顔に言葉が詰まる。

きっぱり断れればいいのだが、居候という私の立場上、良くして下さっているフローラさんに失礼なことは言えなかった。

例え、私に失礼な物言いをされたところで、フローラさんは相変わらずにこにこと接してくれるだろう。

それでも、いや、それだからこそ、彼女にはなるべく感謝を込めて接したいと思っていた。


「そ、それよりも、私が食事の支度をする間、フォルテの面倒をお願いできますか?」

フローラさんが嬉しそうにライラック色の瞳を細める。

「ええ、任せておいてちょうだい~♪」

軽い足取りで、屋根裏へと向かうフローラさん。

フォルテ、ごめんね。少しの間フローラさんをお願い……。

心の中でフォルテに謝って、私は料理に取り掛かった。


「お昼過ぎに出るくらいなら、翌朝の方がいいんじゃないの? 外で泊まる回数が減らせないかしら?」

玄関先で、フローラさんが名残惜しそうに二人に声をかける。

「ザラッカまで二十時間以上かかるから、どうせ二泊はしないといけないのよ」

デュナが答えると、スカイが横から

「まあ、ねーちゃんは金に汚いから一泊は野宿だろうけどな」

と付け足す。

「文句があるなら、あんただけ外で二泊してもいいわよ?」

というデュナの言葉に「なんでだよ!」と突っ込みを入れるスカイ。

そんないつも通りの二人を、私の隣からフォルテが見上げていた。

「じゃ、二人とも、家の事は任せたわよ」

デュナが私達の頭を軽く撫でる。

「うん。気をつけてね」

二人が戻ってくるまで、家の事は私が何とかするから。という気持ちを込めて、デュナの言葉に強い頷きで答える。

「行ってくるな」

と、スカイもフォルテの頭をポンポンと撫でた。

「二人だけで本当に大丈夫? 気をつけて行ってくるのよ~」

フローラさんが実の子達を抱き寄せて別れを惜しむ。


むしろ、お荷物の私やフォルテがいない、二人だけのパーティーの方が、色々と効率も良さそうな気がするが、そこは言わないでおこう。自分が落ち込むだけだから。

フォルテは、まだまだ心ここにあらずといった状態だったが、なんとか二人をぎこちない笑顔で見送ることが出来た。

デュナ達の姿が小さく小さく遠ざかって、村の端へと消える。


デュナは、水中でフォルテの額に浮かんだ文様についても、ザラッカで調べてくると言った。

その結果と、ファルーギアさんからの報酬を楽しみにする事にして、私は、ひとまずフォルテとフローラさんを家の中へと促した。

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