第2話 橙色の夕日 1.ザラッカ
「で、俺達はどこに向かってるんだ?」
私達は朝早くからトランドを出て、一昨日の道程を元来た方向へ辿っていた。
「ザラッカよ」
スカイの疑問に、先頭を歩いているデュナが振り返らず答える。
「トランドの掲示板、見てこなくてよかったの?」
「新着だけは通りすがりにチェックしてきたわよ。
それ以外の記事は前の日に見たし、心配要らないわ」
フォルテの疑問には、きちんと肩越しに振り返って答えている。
きっと、私が質問しても、振り返って答えてくれるのだろう。
そんな、弟に対してのみぞんざいなデュナは、今日もパリっとしたシワの無い真っ白な白衣を翻して、ゴールドのチェーンで装飾された黒いエナメル靴で颯爽と歩いている。
それなりの高さがあるヒールの靴から、細く締まった足が編みタイツに包まれ伸びていた。
若干紫寄りの青い髪に、ラベンダー色の瞳、そこにかかる細いシルバーフレームのメガネが、朝日を浴びているというのに、なぜか妖しくきらめいた。
「二日前、ザラッカに美味しいクエがあったのよね」
含み笑いを洩らすように呟いた彼女の声が、少し険しくなる。
「ただ、まだ残ってるかどうか……」
それを他の人に取られまいと、私達は朝からザラッカに向かっていたわけか……。
ザラッカまで四時間はかかってしまうはずだ。
トランドが大きな城下町の為か、その隣町まではそこそこの距離があった。
着くまでに、一度お昼休憩は必要だろう。
ちらと、スカイが下げている、コックさんにもらったお弁当入りの紙袋を見る。
ふんわりと、鶏の香ばしい匂いが微かに漂っているその紙袋のおかげで、私のお腹は、きっと普段より早く空腹を訴えることになるだろう。
「わざわざザラッカの中央を通ってたのは、本探しじゃなくて掲示板チェックだったんだな」
スカイの言葉に、やはりデュナが前を向いたまま答える。
「一応本も見てたけど、これっていうのは無かったわねー」
ザラッカは大学や学術機関の集まった町で、広さこそトランドの半分以下だったが、学生や教師、研究者達でごった返す中央通りは、書物が積まれた屋台や移動販売のリヤカー等で、雑多な……というより、正直ものすごく歩きにくい通りとなっていた。
一本裏の道を通れば、そこまで混雑はしていないのだが、なんだかんだとデュナは毎回中央通りを歩くのだった。
きっと、そこら中に積まれている本や色んな研究資材を見たいのだろう。
私達にはちんぷんかんぷんな物が多かったが、それでも、色とりどりの属性石や、キラキラと輝く液体が注ぎ込まれた試験管などを眺めながら通るのは楽しかった。
「あと、ちょっと図書館に寄りたいのよ。だから、もし目的のクエが無くても、無駄足にはならないわ」
デュナのその台詞は、デュナ自身を励ますためのようにも取れたが、彼女に限ってそれはないような気もする。
ということは、私達に心配をかけまいとしてくれたのだろう。
「うん」
私は、明るく返事を返す。
『キュルル……』
隣からは、返事のかわりに小さなお腹の音が聞こえてきた。
お腹を鳴らしてしまった本人は、私と手を繋いだまま俯いている。
見れば、ふわふわのプラチナブロンドからうっすらと透ける頬も、耳も、赤くなっていた。
「フォルテ、お腹すいたよね。私も、もうペコペコ。だって、いい匂いがずっとするんだもんね」
苦笑しながら声をかけると、私のお腹も小さな音で同意してくれた。
小さな音ではあったが、耳の良いフォルテには聞こえたのか、パッと私の顔を見上げる。
「ね、一緒でしょ?」
私の言葉に、フォルテはそのラズベリー色のおいしそうな瞳を細めて甘く微笑んだ。
トランドを出る頃には斜め上から射していたゆるやかな朝の日差しも、
いつの間にか足元に小さな影を落とす、力強い光になっている。
「ちょっと早いけど、ここらでお昼にしましょうか」
デュナの提案に皆揃って賛成すると、
スカイが荷物から敷き物を手早く取り出し、道の脇に青々と続いている草むらへ広げた。
二日ぶりに見るザラッカは、やはり人と書物でごった返していた。
トランドとは違い検問所こそないものの、ぐるりと囲んだ外壁に二箇所だけの門は、夜には閉鎖される。
親元を離れ通っている学生達が多いゆえの配慮なのだろう。
昼間は開け放たれたままの外門をくぐり抜け、町に一歩足を踏み入れると、どこからともなく本の香り……とでもいえばいいのだろうか、どこか懐かしいような、なんとなく落ち着くような、そんな匂いが漂っている。
きっと、町に住む人は、慣れすぎて気付かないのだろうが。
町の匂いがそれぞれ少しずつ違っているのは、他人の家の匂いが自分の家の匂いと違うのと同じ事なのだろう。
そこに住む人達や、そこにある物がそれぞれ違うから、同じにはならない。
そんなことを考えているうちに、掲示板の前に到着する。
デュナは、掲示板を視界の端に納めた途端、駆けて行ってしまった。
振り返ると、辛うじてフォルテのローズピンクの服とプラチナブロンドが
ゴマ粒くらいの大きさに見える。
フォルテは、道の端に座り込んで、露店の隅に展示されている置物に夢中になっていた。
透き通った青い液体の中で、ぜんまいで動く小さな仕掛けがくるくると動き続けるそれは、止まることなく同じルートを延々と回り続ける仕組みらしく、私達も最初は一緒に見ていたのだが……。
今フォルテが眺めているのは、果たして何周目なんだろうか。
フォルテの背後ではスカイが、店の親父の冷ややかな視線を精一杯受け流しているが、そろそろ限界だろう。
私は、十周目ほどでいたたまれなくなって、こうしてデュナの後を追いかけたわけだが。
デュナは、早速お目当てのクエを見つけたようで窓口にて管理局の人と話をしている。
そんな後姿をぼんやりと眺めていると、彼女がくるりと振り返った。
すぐに私の姿に気付くと、せわしなく手招きをしている。
なんだろう?
クエストの内容なら、今までも基本はデュナにお任せしているので、わざわざ呼ばれるような心当たりもないのだが……。
近寄ると、デュナがズイッと掲示板から剥がしてきたらしき紙を突き出してきた。
破り取られた跡に、ピンの跡が幾度もついているその紙の、一番下を指差してデュナが言う。
「ここ、読んでみて?」
断る理由も無く、言われるままに読み上げる。
「えーと、"合言葉は開けゴマです"……?」
途端、ガバッと頭をデュナに抱き寄せられた。
「よーし、偉いわよー」
そのままぐりぐりと頭を撫で回される。
いや、大きなつばのとんがり帽子のおかげで、頭を撫で回されたというよりは帽子を振り回されたような形になってしまったが。
「??」
何のことだか分からず、抱えられたままに視線を彷徨わせていると、デュナが嬉々として管理局の人へ冒険免許とパーティー証を出した。
「これで問題ないでしょ?」
自慢げに胸を張るデュナの言葉に、管理局の人は笑いを溢しつつ「ああ、よろしく頼むよ」と答えた。
手続きに取り掛かったらしい管理局の人から視線を外したデュナと、私の目が合う。
そういえば抱えたままだった。という雰囲気をちらっと感じたが、デュナはそこからさらにぐりぐりと頭を撫でた後、満面の笑顔で私を解放してくれた。
「ええと……。どういうことだったの?」
ぐちゃぐちゃになってしまった前髪を、仕方なく手櫛で整えながら問う。
「ラズが読んでくれた部分はね、精神力に反応するインクで書かれてたのよ」
「……というと?」
「精神力の高い人じゃないと読めないって事ね。
私ではインクが薄くて、何か書かれてるみたいなんだけど……ってくらいにしか見えなかったもの」
意外な事に、私の精神力はMAXの状態でデュナのそれを上回るのだ。
まあ、一度に使える精神力が多くても、それをきちんと使いこなせていない以上、私の実力が、やはりデュナとは比べ物にならないほどに劣っているのは確かだが。
単純な威力にかけては、引き換えにできる精神力が多い分、デュナよりも沢山の力を集めることが出来るというのも、また確かだった。
「へぇー、そうだったんだ」
髪をやっと整えて、帽子を被り直す。
そこへ、スカイとフォルテがパタパタと駆け寄ってくる。
「いやー、辛かったよ。いろんな意味で」
相変わらず爽やかに話すスカイの口調からは、あまり辛かったような気配は感じとれないが、彼がそう言うなら、そうとう厳しい戦いだったのだろう。
デュナが、張り紙をフォルテに見せている。
「うーん……何か書いてあるよね……かすれててよく読めないけど、字だよね?」
じっと紙の下を凝視するフォルテの言葉に
「フォルテは私と同じくらい精神力がありそうね」
と、デュナがメガネを光らせる。
それは、嬉しい事なのだろうか、悲しい事なのだろうか。
メガネに隠れてしまって、デュナの表情は見ることが出来ない。
「んー……? なんか書いてあるか??」
後ろから覗き込んでいたスカイが、紙を手元まで引き寄せ睨みつける。
「あんたには見えないわよ」
デュナが呆れたような声と共に、スカイの手から紙をひったくった。
紙に幾度も開いていた穴は、あの字が読めない人達の数を物語っていたのか……。
確かに、金額も良いし、場所はここザラッカだ。
「あれ、けど、それって結局、精神力の強い人じゃないと受けられないクエストだったって事で……」
つまるところ、デュナのレベルでも難しいクエストなのでは……と気付いた途端。
昨日の巨大人形の影が脳裏を過ぎった。
内容を確認しようと、デュナに近付こうとしたとき、窓口からさっきのおじさんが顔を出した。
「安心していいよ、お嬢ちゃん。仕事の内容は簡単で、危険も無い」
お嬢ちゃん……だなんて、久しぶりに言われた気がする。
なんだか気恥ずかしく思っていると、管理局のおじさんは、冒険免許とパーティー証をデュナに返しながら続ける。
「依頼人の私有地にある精神力反応の扉を、開ければいいだけだそうだ」
デュナの背後から覘いた紙には『依頼内容:鍵開け』とだけ書いてあった。
なるほど、これでは確かに、腕に自信のある精神力皆無の盗賊さん達が、場所も金額も良いこの張り紙を剥がして来るだろう。
もっと他に書き方があるだろうものを……。
おじさんは、いつのまにか眉根を寄せていた私に気付いたのか
「こちらでは内容を書き換えたり出来ないものでね」と苦笑いを返してくれた。
「さあ、早速依頼主のお屋敷に行くわよー」
デュナが、白衣の内ポケットに免許証等をしまいこむと、くるりと方向転換をした。
「また屋敷なのか……」
スカイがなんだかげんなりと返事をする。
屋敷という単語に対するイメージが、彼の中でどういう物になってしまったのかが垣間見えた気がする。
「なんでも、ザラッカで一番広いお屋敷らしいわよ」
……あんまり嬉しくないなぁ。
不安げに、足元にフォルテがまとわりついてくる。
いけないいけない。私達がこんな態度ではフォルテにまで無駄な心配をさせてしまいそうだ。
なるべく優しく、明るく声をかける。
「フォルテ、大丈夫だよ。扉の鍵を開けたらいいだけだってさ。危ないこともないからね」
「うん……」
「すぐ終わるから、そしたらまたあの置物でも見に来よっか」
「うんっ♪」
私の言葉に、顔を上げたフォルテの瞳は、既に私ではなくあの青い液体を捕らえているかのようだった。
一体、どこをそんなに気に入ったのだろうか。
確かに心癒される置物ではあったけれど……。
フォルテの態度に引きつった笑顔を浮かべていたであろう私の肩をポンとスカイが叩く。
振り返ると、デュナはもう先を歩き始めていた。
デュナの言ったとおり、お屋敷は広かった。
いや、正確に言うならば、そのお屋敷の建つ、私有地が広かった。
建物自体はマーキュオリーさんのところと同じか、それより少し小さいくらいだろう。
しかし、その庭……と言っていいのだろうか、ぐるりとお屋敷を背後から取り囲む林と、その向こうにわずかに盛り上がって見える小高い丘までが、今回の依頼主の土地らしい。
問題の、開けられなくなっている扉のあるらしい遺跡を目指して、私達は今、依頼人のファルーギアさんの案内で林を歩いていた。
ファルーギアさんは三十代前半ほどの小柄な男性で、線が細い……というよりも、なんだかやつれた印象を受ける人だった。
仕立てはしっかりしていそうなのに、一体どれだけ長いこと着ていたのだろうか。そう思わされてしまう程にくたびれた朽葉色のシャツに、苔色のベストを羽織っていた。
林には、なんとか人一人分が通れる程度の道が出来ていて、ファルーギアさんの後ろを、デュナ、私、フォルテ、スカイの順に一列になって歩く。
道すがら、ぽつりぽつりとファルーギアさんが事の次第を話してくれていた。
「……と言う訳でして、姉は六日前に遺跡へ入ったきりなのだと思うのです」
「遺跡には食料の貯蔵があったりするの?」
デュナの問いに、ファルーギアさんはこれまでと同じ、落ち着いた声で
「いいえ、まったくありません」と答えた。
前を歩くデュナの横顔が一瞬引きつったような気がする。
果たして、人は六日間も飲まず食わずで生きていけるものだろうか……。
私達の受けた依頼には、緊急のマークも非常事態の表記もなかったと記憶している。
けれど、ファルーギアさんの話しによれば、彼の姉であり、家を支える大黒柱の売れっ子占い師のフィーメリアさんは、六日前の夕食後に占いのため遺跡に入ると彼に告げた後、今日まで、屋敷の誰もがその姿を見ていないのだそうだ。
難しい占いに集中するため、離れ代わりに使われていた遺跡は、フィーメリアさんが占いの際に数日篭ることもあるそうで、最初の二日は誰も気にしなかったらしい。
三日目になり、彼女がずっと食事に来ていないという報告を受けて、やっとファルーギアさんが依頼を出したという事らしいのだが、やはり依頼の紙にはそんな記述も無く、私達が来るまでに四日を要してしまったわけだ。
もし、ファルーギアさんが管理局の人に事情を話していたなら、管理局から近くにいる冒険者に連絡を取って、すぐ向かってもらうというような事も可能なはずなのに……。
「ただ、姉はいつでも食べ物を鞄いっぱいに持ち歩いているような人ですし、姉の体にも蓄えが沢山あるので……」
やはり、先程までと変わらない調子でファルーギアさんが言う。
つまり、彼にとって現時点では、まだ慌てるほどではないという事なのだろうか。
「依頼内容は開錠のみということだったけれど、それで大丈夫かしら?」
デュナがファルーギアさんに念を押す。
遺跡。と言われるとなんだか広くて入り組んでいるイメージがあるが
フィーメリアさんの探索だとか、そういったことをする必要はないのかという確認なのだろう。
「ええ、開錠のみで、お願いします」
ファルーギアさんの話し声を聞いていると、なんだかこちらまでのんびりというか、眠たくなってしまいそうだ。
落ち着きを通り越して、気が抜けるような感じとでも言えばいいのだろうか。
林を抜けると、途端に視界が開ける。
小高い丘までがよく見晴らせる、原っぱのような場所に着いた。
「こちらです」
ファルーギアさんの声に右を見ると、少し離れた場所がぼっこりと、斜めに盛り上がっているのが目に付く。
近付くにつれ、その人一人分くらいの高さまで盛り上がった部分に、扉らしき物が見えてきた。
どうやら遺跡というのは地下遺跡の事らしい。
もしかして、この原っぱの下は全て遺跡になっているのだろうか。
林の下まで全部だったりしたら、物凄い規模になってしまう。
扉の周りをぐるりと確認したスカイが、こちらに頷きを返す。
それを見てデュナが、扉の前に立つ私に声をかけた。
「普通に開けようとすればいいはずだから、やってみて」
「うん」
今回、この扉を開けるのは私の仕事だった。
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