おまつりのあとに 2
全てが終わった夜のこと。
サクラは夢を見た。
小さな池を備えた和風の庭。それを望む六畳ほどの和室にサクラは座っていた。
髪はいつもよりいくらか長く、制服ではなく着物姿。この場所を夢に見る時は大体この姿だから、慣れた物だ。上着のようにもう一枚羽織って、小さな火鉢に炭を並べていた。
外から入り込む空気はどこかひんやりとしている。秋も深まってきたこの時期、火鉢に並ぶ炭の火が暖かい。
「――お前がそうやって先に座ってるのは珍しいな」
声が発されたのは、火鉢を挟んで向かい側。
誰も居なかった座布団には、学ランをきっちりと着たサクラによく似た少年があぐらを掻いて座っていた。膝で頬杖をつき、その目はいつもの彼よりも鋭く、笑うその口元には八重歯が覗く。
「そうだね。たまには俺の方から出向かないとと思って」
「そうか」と笑うもうひとりのサクラ――獏の姿をサクラは一瞥し、炭を並べ終えた火鉢に箸を刺す。
「今回の件、無事解決したよ」
「ああ。さっきおまえが寝てる間に見させてもらった」
「やっぱりか」
庭に視線を移して溜息をつく。池には何もいない。ただ、小さな紙風船が隅の方で静かに浮いていた。
「通りで起きた時に頭が痛かった訳だ」
「分かってるなら良いじゃねえか――それで?」
「あんまりよくないけど……いいや。オマエはそういう奴だよね」
それよりも聞きたいことがあるんだ。とサクラは言う。
聞きたいこと、と獏は繰り返す。
「色々とアドバイスをくれたことは助かった。サカキくんが囮になるって言い出した時はどうしようかと思ったけど……」
「サカキにしちゃ思い切った決断だったじゃねえか」
「そうだけど……本当によかったのかな」
「本人がそう決めたんだ。おまえが心配する事じゃねえだろ」
獏の言葉にサクラは「そうだけどね」と頷く。
サカキの決断に一番驚いたのはサクラだった。
本人の頼みだったとはいえ、ずっと黙っていたことを明かすのだと気が付いた時、サクラはその意図をすぐさま読み取り、止めようとした。
しかもそれは、自分が囮になるため。それがどれだけ危険なのかは、あの場にいた全員が分かっていたはずだ。ヤミやウツロが傍についているとは言え、安全に戻ってこれる可能性は低かった。そして、本人もそれを理解していたはずだ。
でも。サカキはそれを承知した上で手あの発言をしたのだ。
やっぱり彼女は強い子だ、とサクラは心の底で思いながら、獏に問うた。
「どうして、オマエはサカキくんに気をつけろ、って言ったの?」
サクラの視線が、目の前の少年を睨むように向く。
あの時。この事件の事について話した時、獏は「サカキのことも気をつけておけ」と言っていた。
それはつまり。次に狙われることを知っていたからではないか? ――その理由を、知っていたからではないか。もしくは。あり得ない話だとは思うけれど。コイツはサカキくんのことを疑っていたのでは。
色々と「もしも」の話がぐるぐると頭を回って言葉が出なくなりそうだった。だから、視線で問いかける。
本当のところはどうなのかと。
獏がにやりと笑った。
「それは、話しただろ?」
獏はどこからともなく饅頭をふたつ取り出した。火鉢の上に金網を乗せ、饅頭を並べて置く。
「俺だったら真っ先に狙うような、力の弱い奴ら――その中で俺が次に狙うなら、と考えたらサカキだった。それだけだ」
「……」
「サラシナにはレイシーが、ハナにはヤミが居た。……他にも一人になる奴は居ただろうが、この時期ならあっち側に混じってしまって手が出せない奴も多い。そんな中で俺が次に狙うなら。そう考えた時、手薄でおまえが一番気にかけやすそうだったのがサカキだった。それだけさ」
彼の答えは澱みがなかった。きっと正直な答えなのだろう。
だが、サクラの中から疑念は消えない。
この獏という何かは、サクラの中にずっと住み着いて悪夢を食べ続けている。だが、この学校に住むあらゆる噂話のきっかけを作り出したのだと、始めて会った時に言っていた。それを受け入れたことが、未だにサクラに後悔として根付いているから。どうしても疑ってしまう。考えてしまう。
コイツが。そうあるように、そう動くように仕組んだのではないか。と。
獏はそのサクラの思考をすっかり読み取っているらしい。くつくつと笑いながら「相変わらずだな」とその考えを否定する。
「サクラ。いつも言ってるだろ。俺はこの学校に住まう者を作り出すきっかけを与える。ただ、与えるだけだ。それがどんな姿になろうが、どんな行動をしようが――どんな事件を起こそうが、俺の意志なんて介在する隙間はねえ」
もしあるんだったら、と獏は饅頭をひっくり返す。
「おまえだって例外なくこの学校に悪意をばらまく存在になってるぞ」
「う……そうかもしれない、けど。オマエ気まぐれだし」
「そうだな。だが、これでもできることとできないこと位は分かってるつもりだ」
長く生きてるもんでね、と獏は饅頭の様子を見ながら笑った。
「ほら、あったまってきたから食えよ」
「……さっきから気になってたけど、なんで饅頭?」
サクラの問いに獏は「うん?」と首を傾げた。
「こう言う日は甘いもんを配るんじゃなかったか。そうしないと悪戯される、ってな」
「ああ。オマエもハロウィンとか楽しむんだ。……ってことは何。俺に何かされるって思ってるの?」
「さあな」
獏は何とも言えない笑みで答える。いいから食えよ、と言わんばかりに片方の饅頭をサクラの方に置き直し、自分の分を取り上げる。
「おまえは相変わらず後ろ向きだな」
獏は温まった饅頭にぱくりと噛みつく。
「それが良い所というか、俺にとって美味い所だからな。そのままでいてくれよ?」
「断る。って言いたい所だけど……どうにも変わらないよね。性分なんだろうなあ……」
溜息のように呟いて、饅頭に手を伸ばす。
冷えたサクラの指には、火で乾燥した饅頭の皮は少々熱い。
「おまえは昔からそうだ。厭世家っつーか、後ろ向きだ。それでも大分和らいだ方だと思うが――癖なんだろうよ」
「……癖」
ぽつりと零した一言に、獏は頷く。
「癖ってのはそう簡単に気付けるもんじゃねえし、変えられるものでもねえからな。人は変われる、なんてよく言うけどな。サクラ。おまえのその思考の癖は俺と出会った頃から変わらねえ」
「うるさいな……」
「ま、それが長所であり短所だ。良い所は存分に伸ばせよ」
「……そう言われると本当に長所なのか疑問だよ」
サクラの心の底から疑問そうな声を、獏は笑い飛ばす。
「だからこそ、おまえは先輩で在れるんだぞ。後輩の悩みを、決断を。真っ先に気付いて気にかけてやれるのはその性分あってこそだろ」
「……」
そうかもしれないけど、と思いながらも素直に肯定できないサクラを無視して「それに」と獏の言葉は続く。
「ここは時間が壊れてるんだろう?」
「……そうだ。それもあった……」
忘れていたな、と、サクラは手で顔を覆う。
獏はその姿を見て、饅頭の残りひとかけらを口に放り込み、ゆっくりと咀嚼して笑った。
「なら、安心だ」
「不安しかないよ……」
溜息を埋めるように口にした饅頭は、思ったよりも甘くなかった。
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