涼宮ハルヒの完璧

桐谷瑞浪

第1話 もしも1つの作用点がカナダなら

 カナダ。

 カナダって言葉尻だけ聞くと本当、どっかのまじめなアパレルブランドみたいだよな。

 ん、いや何。ただそれだけの下らない話であり、もちろんそこに宇宙定数だの人間原理だの小難しく冗長な用語なんて登場しない。

 なんつうか、そう。強いて言うならエスプリが効いていながらシニカルでナンセンスな発想とかじゃあなく、誤解を恐れず言うなら切り札が尽きた外交官辺りがやりがちな苦肉の投げやり。

 ま、早い話が結果オーライなだけであり、単なる思いつきの適当なテーマだ。


「ラジオ、か。なんでまたアダマンタイト級悪役令嬢・涼宮サッチャー様はかくも相変わらず唯我独尊なんだか」

「えっ、こらこら。何なの何なの、どんな唐突な誹謗中傷なのよ。そりゃアタシはサッチャーほどに、あまねく人間どもを可及的速やかに住み分けさせる強制力を身に付けるための努力は日頃から怠ったりはしないわ。でも、まずそのアダマンなんとかって何よ。下品よ下品、絶ッ~対に下品。それに悪役令嬢ですって、流石にそれはない。全くキョン、例えばみくるちゃんが席に着く時に密かに彼女のスツールを後ろに下げたり、有希の目の前でゴキブリぷらぷらさせたりするのを見たことでもあるって宣うワケ?」


 古くはトランジスターなる原始的精密機器が発祥とされるラジオについて掘り下げるというより、自らへの言いがかりについてすっかり怒髪天なのが我らがSOS団の悪役、……っと、もとい団長(近頃じゃあソリューション・リーダーなどとますます天下を取らんとする自称をも辞さないって話だ)たる涼宮ハルヒ。

 あと、知ってるかもだけど長門、朝比奈さん、それから古泉も今、ちょうど文芸部の部室に揃ってる。SOS団の、いつものメンツ。ちなみにSOS団なんて聞くと「カルトか?」なんて最近は警戒する一般人の皆さんも珍しくはないから補足しておくと、SOS団というのは【世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団】の頭文字を取った名付け方であり、すなわち、いわゆるアクロニムとかいうやり方ってワケだ。


「んふ。ラジオですか……まるでボクが持ち合わせる溢れんばかりの美的才能を遺憾なく発揮するために選りすぐったかのような、退屈さに欠ける素敵な催しですね」

「はわわ。古泉くんてば、なんだかとっても、尋常じゃないくらいにナルシストですぅ」


 古泉による、確かにナルシスト全開な発言に対して朝比奈さんがいつものごとく、ほんわかした切り返し。

 まあ、なんだ。けれども古泉がナルシストなのは今に始まったことじゃなく、よく考えてみれば元からだ。少なくとも、俺、というかSOS団の面々が知っている古泉一樹という男は、自分のこと大好きそうランキングがあれば断トツトップでランクイン確定なのは出会った日から疑いようのない事実なんだよな。


「……迂闊」


 うん、長門だけいつもと違うかな。いつもならハルヒという女帝になんだかんだで逆らうすべを知らないに等しい。つまりは賢いながらも忠実なエリートサポーターなのにもかかわらず、今日のコイツはなんとなく目つきも厳しめだ。


「ちょっと、有希。聞き捨てならないわけじゃないけど、詳しく聞きたいんだから洗いざらい思いの丈をアタシに打ち明けなさい」

「……」


 沈黙。あるいは今の長門が口を開いたとしても、その二文字しか出てこないかもしれないほど珍しく部室がピリピリしてきた気がする。

 おいおい。俺は高校2年の4月を人並みにエンジョイしたいだけであって、B級ドラマよろしく泥沼然とした騒動に巻き込まれたいなんて願ってないぞ。


「もしかして、有希ちゃん。……体調が悪いのかな?」

「……不覚」

「やれやれ。一体、何が何やら話に着いていけませんね。差し支えなければ、どうかボクや彼に分かりやすく説明してはもらえないでしょうか?」


 朝比奈さんの気遣いに、思いのほか早々にうなだれてしまった長門。そこへ、つい俺の「やれやれ」を横取りした感のある古泉の図である。

 ところで長門は実際には人間じゃあなく、ヒューマノイド・インターフェースという、有り体に言えばロボットとか人造人間とかいった存在だ。よって、コイツの体調が悪いという可能性は、人間とは別の存在なのだから、そこまで高くはないはず。

 もちろん、人間とは別の存在、なんていうと長門の人権を著しく侵害する失言だとは思うんだが、いかんせん人間とは別の存在であることを人権を尊重した上で適切に表現するだけのボキャブラリーを俺は持ってない。

 でもまあ、なんにしても論点を戻すならば長門は体調不良だと現に認めたし、目つきが異様なのもそれが原因ならば整合性があるということになる。


「ごめん有希。顔色が良くないって、団長としてアタシが真っ先に気付いてあげないといけなかったわね……本当、ごめん」

「……私も、陳謝」


 陳謝、という闇雲に飛び出たであろう言葉は微妙に長門らしくなかったが、それもまた彼女が本来のコンディションでないことを裏付けているかのようだ。

 と、話の流れがラジオじゃなく長門が元気かどうかに逸れてしまったのだけども、SOS団はそうした個人的事情で活動を中断することも、どちらかと言えばあるほうかもしれない。

 だが長門は今日のところは素直に早退することにしたようで、残る俺たちでまずはラジオの企画について詰める運びとなった。


「ラジオ番組を完璧にやるわよ」

「ラジオ番組を、完璧にだって?」

「ええ、キョン。ラジオ番組を構成から音響まで完璧にやってのける。それでこそSOS団だとは思わないの?」

「お、おう。まあ、思うような思わないような?」


 最終的には震え声でハルヒに応じる俺。

 別にコイツに恐怖してるわけじゃないんだけど、なんつうか、ハルヒはゴーイング・マイ・ウェイだから俺は出鼻を挫かれつつ胸部に猛烈なシンカー・スクリューボールを受けたような気分になることがある。

 そりゃ、シンカーだから仰向けだったりしゃがみ姿勢だったりでもしてなけりゃ胸部に受けるわけはない。つまり、俺は仰向けでも胡座でもないのにシンカースクリューを受けてしまったバカなのか、ということだ。


「放送環境ならローカルのあの局を押さえておいたから、よろしくね。みんな」

「やれやれ。いつになく本格的な活動になりそう、ということですね?」

「おい古泉。せめて、やれやれくらいは改めて俺に言わせてくれないか」


 俺たちがこんなやり取りを始めたのを、いつにも増してビクビクしながら蚊帳の外で眺めるだけなのが、朝比奈みくるという人だ。

 俺はそんな朝比奈さんの癒し系スマイルを時にはチラリと盗み見して実際に、ある程度は癒されながらラジオ企画に奮闘していた。

 最低限、必要な機材はラジオ局なだけあって最初から揃っているらしい。でも、それ以上のモンをやりたい……たとえば高性能な指向性マイクを使いたいと望もうものなら、それこそ放送用音源をも弄くっていかないとならない。

 って、まあラジオ局なんだから、そんな所業にまで手を出そうものなら常識的にパトランプか破滅の書面な。


「ははっ、なんだ。つまりは普通で当たり前で、ありきたりなラジオ番組を流せるから頑張れって程度なんだな?」

「ははっ、あんたバカ? 確かに指向性マイクだとか犯罪的音波コンバートマシンだとかにまでは手が届かないわよ。だけど、それはそれ」


 そう一息に言うと、涼宮ハルヒは不遜な微笑を湛えた。

 やれやれ。こんな時には大抵、ろくでもない非日常が始まっちまうんだよな。

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