白いワンピース
いっき
第1話 12月24日
部屋の机の上に所在なく置かれた日めくりカレンダーは、12月24日を示している。
今日は、クリスマス・イブ。窓からは、白い粉雪がハラハラと舞っているのが見える。
キリストが生まれた前夜……世間では実に下らない盛り上がりを見せている。それを象徴するかのように、街ではもう数日も前からカップルがいちゃいちゃと、馬鹿みたいにくっつきながら歩いていて、見ていて恥ずかしい。
でも、私はそんな下らないことはしない。クリスマス・イブのような日こそ稼ぎ時……しかし、馬鹿正直にバイトみたいなことをする柄でもない。
この私の甘い囁きに乗ってきた、ネットで知り合った馬鹿なおやじ達をこの美貌で虜にして、骨の髄まで金を巻き上げてやるのだ。
鏡に映る自分の顔は清楚で美しく、汚れを知らない。
雪のような白い肌にくりっとした透き通る瞳、人形のような長い睫毛の私に、道行く男は皆振り返る。
こんなにも美しい私だが、実はバージンだ。
男を知らないということはステータスだ。間違っても、そこらの馬鹿な男にやったりしない。私の初めては、本当に私の惚れたイケメンと、と決めているんだ。
私は偽りのデートの支度を終え、ピンクのコートを着てマンションを出た。そして、待ち合わせ場所の噴水広場へ向かった。
繁華街に入るまでは、閑散として寂しい道だ。街路樹の虚ろな枝は、吹き抜ける冷たい風に揺らされて不気味な音を立てている。
幽霊なんて信じていない私だが、いつ幽霊が出てもおかしくない。
いつもの人気のない公園のジャングルジムには所々茶色い錆がついており、人の遊んだ形跡のないシーソーはギー、ギーと不協和音を立てている。そのがらんとした公園を通り過ぎようとする時……私はふと、街灯に照らされたトイレを見た。
粉雪が舞う寒空の下にも関わらず、白いワンピースだけ着た女が出てきたのだ。
その変な女……顔は下を向いていて、歩き方も虚ろ。
それに、こんな寒空の下なのに、着ているのはワンピースだけ。あの女、頭がおかしいんだろうか。
それに、なんてダッサいワンピース。あんなのを着る女の気が知れない。
私は、フッと含み笑った。
ただ、あの女……どこかで見たことがある気がする。どこで、だっただろう……?
そこでふと、私は腕時計を見た。
あ、まずい。待ち合わせ時間に遅れそうだ。
私は足を速めた。
待ち合わせの広場では頭の禿げた、デブくてキモいチビおやじが私を見て目を丸くした。
「き、君が、霞ちゃん……」
「ええ」
「な、何て、綺麗なんだ……」
「そんな、綺麗だなんて……嬉しいわ。倉田さん、お上手ね! クリスマス・イブ、私と一緒に素敵な時間を過ごしましょうね」
その倉田というおやじと腕を組むと、そいつは臭い鼻息を荒くしたので、私は暫し息を止めた。
あぁキモい……だがどうせ、数時間の辛抱だ。
私達は煌びやかに輝く繁華街の中へ入って行った。
「あぁ、キモかった!」
倉田というおやじと別れた後、私は眉をひそめた。
そいつは何度も、エロくてキモい目で私を見て、涙を流しながら『胸を揉ましてくれ』と懇願してきたのだ。
勿論、揉ませるワケがない。
その懇願をやんわりと断りながら、金を巻き上げ、巻き上げ、おやじの所持金を全て奪って、笑顔で別れた。
罪悪感? そんなの、感じるワケがない。
あのオヤジが馬鹿で、キモいだけなんだから。
まだ、ギリギリ12月24日、クリスマス・イブ。
私は、うっすらと粉雪の積もる帰路の末、マンションの部屋のドアを開けた。
「えっ、何?」
開けた瞬間、何だかおかしいと思った。異様な匂いと『ギー、ギー』とともに、何者かがもがく音がしたのだ。
どういうことだ?
照明のスイッチを入れると……
「キャー!」
私は背筋が凍りついた。
部屋の真ん中に吊るされたそいつの目は醜くクワッと見開かれており……口からは涎が溢れ出ている。
それに、顔中に刻まれた、苦悶と悲しみに満ちた歪な皺。
下にポトポトと落ちる尿……
白いワンピースの女が私の部屋で首を吊っていたのだ!
女……いや、醜くもがき苦しみ、見る影もなくなっているが、この顔は……私……?
女……いや、『私』の見開いた目からは汚い涙が溢れ出し、その口から涎を飛ばしながら何かを訴えかけるように私へ向けて手を伸ばす。
背筋が凍りついた私は、開けたままのドアから逃げるように外へ出て即座に閉めた。
「何? 何なの?」
全身に鳥肌が立ち、何が起こったのか分からなかった。
「どうして、私の部屋で、私が首を吊っているの?」
混乱して頭が真っ白になった。
でも……
時間が経つにつれ、私は少しずつ冷静さを取り戻した。
私は、あんなダサい白のワンピースなんて持っていない。それに、私はここにいる。
あれが、私のワケがない。
「そうだ、警察を呼ぼう」
私はその結論に達した。
でも……やはり、あの女が本当に自分じゃないのか、確かめたかった。
私は恐る恐るドアを開けた。
すると……
「どういうこと?」
私の部屋は、いつも通り。
ソファーがあって、机があって、ベッドがあって……首を吊った女なんて、どこにもいなかったのだ。
「私……どうしたの? あれは……幻?」
張り詰めた気持ちが一気に抜けた私は、余程疲れていたのだろうか。
ベッドに倒れ込んだ途端に意識はすぅっと奥の奥に吸い込まれ、私は深い眠りについた。
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