1ー3 寝不足の理由

 それから一ヶ月は騒がしい毎日だった。

 王子に婚約破棄を申し渡された悲劇のヒロイン――だったはずが、翌朝にはまるで別人のように垢抜けて可愛らしくなっていたのだ。

 王子との婚約が嫌で、故意に野暮ったい恰好をしていたのではという噂まで囁かれている。


 そして実際のところ、その噂は真実のようだ。クラウディアいわく、政治的な理由で勝手に決められた婚約は嫌で嫌で仕方なかったらしい。


 まぁ……エンド王子を見ていると、その気持ちは分からなくもない。クラウディアという婚約者がいるにもかかわらず、メリッサにデレデレしてたからな。


 ちなみに、クラウディアとそういった話をするのはだいたい寝る前だ。毎晩、クラウディアが夜更けまで絡んでくるので俺はすっかり寝不足である。


「けっ、これ見よがしに寝不足みたいな顔をしやがって! どうせ、クラウディアちゃんの寝顔でも盗み見てるんだろ? そのまま手を出そうとして嫌われちまえっ!」


 今日は校庭でおこなう実技テストの日。

 順番待ちであくびを噛み殺しているとガゼフに罵られた。


「……いや、まじで眠いんだが。今度、ガゼフの部屋に泊まりに行っていいか?」

「死ねっ、って言うか、死ねっ!」


 のろけ話をしている訳でもないのに、相変わらずの酷い言われようである。


「って言うかおまえ、クラウディアには興味がないって言ってただろ?」

「……前はな。けど、一夜にして傾国級の美少女に大変身だ。しかも、日を追うごとに艶っぽくなってるときてる。知ってるか? この一ヶ月で、何人が彼女に告白して玉砕したか」

「あぁ~、多いらしいな」


 いままで見向きもしなかったくせに、外見が可愛くなった途端にちやほやされてもあんまり嬉しくない――とは、彼女の言い分である。

 毎晩報告されているのでよく知っている。


「なんか、どうでも良さそうだな」

「正直、わりとどうでもいい」

「はっ、まぁだ自分の気持ちに気付いてないのかよ、おまえはよぉ。そんなんじゃ、そのうちクラウディアちゃんを取られちまうぜ、俺とかになぁ!」

「……ふむ。残念会はいつもの定食屋でいいか?」

「こいつ殴りてぇ……っ」


 完全にフリだったじゃねぇか、どうしろっていうんだ。付き合いきれないと、俺は校庭の反対側で聖女としての能力測定をしているクラウディアへと視線を向けた。



     ◆◆◆



「クラウディア、次は貴女の番――ですが、その前に言わなければならないことがあります」


 聖女の能力測定。その試験官を務めるのはエリス先生だ。彼女は二十代前半にして第四階位にまで至る優秀な聖女である。そんな彼女が開口一番に申し訳なさそうな顔をした。

 私は嫌な予感を覚える。


「……なんでしょう?」

「貴女は特待生枠ですけれど、いまだに第一階位から抜け出せていませんね? 今日の試験で結果が出せなければ、特待生を取り消して学園を辞めてもらうことになる、そうです」


 息を呑み、少し考えてからエリス先生に問い掛ける。


「……エンド王子からの圧力、ですか?」

「確認は出来ませんでしたが、おそらくは。私も異を唱えたのですが、ここは王立学園なのでエンド王子の威光には逆らえません。いまはグランマもいらっしゃいませんし……」


 私の師でもあるグランマは遠征中だ。

 高齢のために現役は退いているのだが、歴代最高の聖女だったグランマの発言力はいまも失われていない。彼女がいれば、この指示も覆せるかもしれない、ということだろう。


「どうしますか? 理由を付けて延期するくらいなら出来ますが……」

「いえ、試験を受けます!」

「本当に良いのですか?」

「はいっ! いまならきっと、奇跡だって起こせる気がするんです」

「……そうですか。ではまず、第一階位の奇跡を見せてください」

「はい。では、ヒールから――行きます」


 第一階位で授かるのは、初歩的なヒールと、指定の場所に光の盾を出現させるプロテクション。その二つを順番に発動させてみせる。


「結構です。相変わらず、とんでもない魔力ですね。とくにプロテクションは、一流の攻撃でも防げそうです。魔力だけなら一流の聖女並みですよ」

「グランマに、魔力を上げる修行だけは怠るなと言われていたので」

「なるほど、私も見習わなければなりませんね。……さて、いよいよ次です。新たな奇跡を授かれるよう、魔法陣の上で祈りを捧げなさい」


 頷き、儀式用に描かれた魔法陣の上に跪く。

 いままではどうしても本気で祈ることが出来なかった。なぜなら、国の都合で押し付けられた婚約が私は嫌で嫌で仕方がなかったからだ。


 聖女として結果を出せば、婚約が盤石な物となってしまう。

 それが、私が本気で祈れなかった理由。


 でも、いまは違う。

 だから私は、本気で祈りを捧げる。


 およそ四年前。

 ただの平民だった私に、聖女としての才能を見いだしてくれたグランマは言った。

 大切な誰かのために祈りなさい、と。


 だから私はノア様を想って祈りを捧げる。

 私がまだ、みんなに見向きもされなかった頃から優しくしてくれた男の子。私が困っていたら、いつだってさり気なく助けてくれた。


 正々堂々、実の兄と家督を取り合っていて、エンド王子の護衛騎士になっていればその勝利も目前だったはずなのに、私のためにあっさりと投げ捨てた。


 だから私は、グランマみたいな偉大な聖女になる。

 そうしてノア様には、偉大な聖女になった、私の騎士様になってもらうんだ。


 落ちこぼれの聖女を救って出世コースから外れた愚かな騎士なんて誰にも言わせない。偉大な聖女を支える、最高の騎士だってみんなに言わせてみせる。


 だから、こんなところで躓いてなんていられない。

 努力はずっと続けてきた。

 座学も必死に学んで、魔力を高める訓練も欠かさずに積み重ねた。


 足りなかったのは真摯な祈りだけ。

 その祈りはここに在る。


 だから……お願い。

 ノア様に報いるための力をっ!


 刹那、目を瞑っているはずなのに、目の前がぱぁっと開けた。

 空から、暖かな光が降り注ぐような感覚。

 四年前、初めて聖女としての奇跡を使えるようになったときと同じように天啓を授かった。


 ゆっくりと目を開くと、エリス先生が静かに微笑んでいた。


「素晴らしい。新たな力を授かったのですね」

「……はい」

「では、その力を使って、私に証明してください。使うのはホーリーライトでも、ホーリーウェポンでもかまいません。私の前で使えれば合格です」

「かしこまりました」


 儀式用の魔法陣から退いて、少し開けた場所を陣取る。

 新たな奇跡の使い方は、さきほどの天啓で理解した。第二階位のホーリーライトやホーリーウェポンも問題なく使えるだろう。

 だけど、いまは――

 私は自分を中心にして足下に大きな魔法陣を展開し、全力で魔力を注ぎ込んでいく。


「え、その魔法陣は、まさか――っ」

「いきます。――エリアヒール」


 自分を中心にした半径三メートルくらいの魔法陣から淡い光が立ち上る。

 その魔法陣から、温かな光の粒子が天に昇っていく。


 それは、光を浴びた者の傷を癒やすエリアヒール。

 第四階位の奇跡である。

 私の起こした奇跡をまえに、校庭がざわめきに包まれた。


「まさか、一気に第四階位まで使えるようになるなんて……グランマ以来の快挙ですよ」

「ありがとうございます。……これで、学園から追放なんてされませんよね?」

「もちろん、いまの貴女が辞めさせられるなんて絶対にないわ! ……でも、ここまでの実力を証明してしまえば、またエンド王子と婚約させられるかもしれないわね」


 エリス先生は、私が王子との婚約を望んでいなかったと知っているのだろう。どこか哀れむような視線を私に向けた。だから私は、にへらっと笑って見せた。


「大丈夫です。だって、私は――」


 とびっきりの秘密を耳元で囁けば、彼女は大きく目を見開いた。


「ちょ、クラウディア。それ、ホントなの!?」


 エリス先生の澄ました態度が一瞬で崩れた。


「はい。最初の日は、弱みに付け込むような真似はしないって断られちゃったんですけど、毎日迫ったら受け入れてもらえました。それからは……毎晩、えへっ」


 言ってて恥ずかしくなった私は頬を赤らめる。

 イメチェンしたのはノア様に可愛く見られたかったから。でも、周囲から日に日に艶やかになってると言われたのは別の理由。

 毎晩、ノア様に可愛がってもらったからだろう。


 とっくに身も心もノア様に捧げている。


 私は恋に落ち――そして故意に堕ちた。


 他人に純潔を捧げた娘が王子の婚約者に戻されるはずがない。

 それに気付いたエリス先生は、お腹を抱えて笑い声を上げた。

 

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