第5話 紗南の複雑な生い立ち

「家族しか知らないことなの…最初にあった時に私、北願寺君にある人の名前を聞いたでしょう?」


「姉なんとかか?」と俺は遠い記憶をよびさましつつ言った。


「そう、姉川卯月。私の実の母。あの日お葬式だった。母は昔から身体が弱くて、私のことと家事が精一杯だった。

それに、今から十年近く前に、あと十年の命だって宣言されてからは教師という子供の頃からの夢を叶えるため大学に行った。

父には当時愛人がいた。母は夢と私を養うために、より勉学に命を注いだし、父にも私にも余命のことは内緒にしていた。

夫婦の溝は余計に広がり離婚になった。私も子供だったし、母が遊んでくれず大層寂しい思いをしてたし、まだ遊んでくれた父の方を選んだ。しかも、父は私と折り合いの悪い愛人と別れてくれた。だから三年前に今の再婚相手と父が出会った時に反対しなかったし、暖かな家庭にもやっと巡り逢えた。だから、今は幸せと」やや早口で言いきった。


そこで、言葉が澱んで、「この間、母方の親戚が電話をかけてきて、ママが亡くなったことを伝えてきたの。けど、それも偽善でしかなく、私には参列できない理由があった。母も教師と再婚しており、しかも相手の連れ子で私とほぼ年の変わらない男の子がいるっていうから、最初に北願寺君を見たときには驚いた。」


 そこまで言いきってから紗南は上を向いて涙を堪えた。


「けど、お葬式の日はいてもたってもいられなくってあの日、母が好きだった『徒然草』のあだしのの段を唱えていた。」


「40歳くらいで、死ぬべしという好きだった吉田兼好の思いを遂げてよかったと思ってて…」


 そう紗南は呟いてから、肩を震わせて泣いた。

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