「暗黙列車と女子高生」

サカシタテツオ

□暗黙列車と女子高生

 朝6時半。

 いつもの電車、いつもの車両。乗っている人達もほとんど同じ。会話どころか会釈すらした事もないけれど、なんとなくいつものメンバーが揃っているのか確認してしまう。

 ーー今日もみんな眠そうだけど揃ってる。

 

 こんな事を考えているのは私だけではないはずだ。きっとこの車両のみんなも同じ事を思っているに違いない。それどころかこれは世界共通のあるあるな事象なのだとも思っている。


 私はいつもの席にすわり「フーッ」と大きく息を吐き出す。

 ーー毎朝の儀式。というかルーティン?

 

 その瞬間に周囲から視線が集まるような気がする。きっと皆さんもコチラの事を確認しているんだろう。


 次の駅では新参者の女子高生が1人乗ってくる。

 まだまだ幼い輪郭をしているので恐らく高校一年生。何かのスポーツ系のクラブに所属しているのか髪は短く肌は浅黒で羨ましいほどに健康的。それとスカートの下はいつもジャージ。特徴的と言えば特徴的なのかも知れない。


 プシューという音と共に列車の扉が開く。

 いつも通りに彼女が乗り込んでくる。

 ーー今日も元気そうだ。


 それだけを確認したら私はいつも通りに読みかけの本に視線を戻す。はずだった。

 ーーん?


 違和感というにはあまりにもあんまりな存在感。

 ーースカートの下、パジャマじゃね?


 これほどまでではないけれど自分にも似たような事をやらかした記憶がある。あの時は『どうして誰も教えてくれないの!』と思ったものだけど。

 いざこうして指摘できる立場になると、なるほどコレは勇気がいる。


 私はそっと周囲の様子を伺う。

 ーー絶対みんな気付いてる!


 なんとなくソワソワした空気が伝わってくるのだ。


 肝心の彼女はいつもの場所、つまり私の斜め前に立ち、吊り革に捕まりながら窓の向こうをボンヤリ眺めている。

 ーーなんだろう、この焦燥感。

 ーー伝えるべきなのか。放っておくべきなのか。


 私は少し腰を浮かして座り直す。ついでに姿勢を正して周囲の人達に視線を投げる。


 いつも経済新聞を読んでいる波平さん。新聞に目を落としているようだけど絶対気付いてる。新聞を持つ手。正確には指。もっと細かく指摘すると小指を立てて彼女のほうに向けている。

 ーー誰か伝えろってサイン?


 釣りきちおじさんに視線を移すと、こちらも気付いているようで彼女の足元と私の方を交互に見てくる。

 ーー私に言えって言ってる!?


 ワックスでガチガチに髪を決めてるツッパリーマンさんは、尖った革靴の先を彼女に向けて私に合図を送っているようだ。

 ーー自分で言えよー!!


 私のとなり、いつもスマホゲームに夢中のインテリ眼鏡さんは眠ったふりをしている。

 ーー卑怯者!あんたが彼女に一番近いだろ!


 とは言え、みんなの言いたい事もわかる。いい歳した男性諸君が朝から電車内で女子高生に声をかけるだなんて時代の空気が許さない。下手すれば投獄される可能性もある。



 ならば女性。

 とヒバゴンお母さんを見る。

 ーーメイク中!?

 ーーいや違う。しきりにアゴを動かして私に指示を飛ばしている。


 パンツスーツのモテ女様は「無理せず痩せる!パーフェクトダイエット」と書かれた本で咄嗟に顔を隠してしまう。隠し切れなかった頭頂部の髪がキラキラ光って見えるのはきっとフルフルと首を振っているのだろう。

 ーーこの意気地なしメッ!!


 仕方ない。腹を括ろう。最悪変な人扱いされても、この車両に居るみんなは解ってくれている。というか私に押し付けたのだから、その時は一連托生。巻き込んでやる。


 私は小さく「フーッ」と息を吐き、彼女の方へと顔を向ける。


 「あの、すみません」

 ーー声裏返った!


 突然赤の他人から裏返った声をかけられた女子高生は目をまん丸に見開きこちらに向き直る。

 ーーうぅ、変質者扱い確定。


 「し、失礼かと思ったんだけど、その、えっと、ス、スカートの下、パジャマですよねえぇ?」

 なんとか声を振り絞り、彼女に客観的事実を伝え切る。周囲から「良くやった!」という空気を感じるものの、何故だか私の方が逃げ出したいくらい恥ずかしくなってしまい落ち着かない。


 「え!? うそ? あちゃー、やっちゃったー」

 指摘した私より数十倍は恥ずかしいであろう彼女の声は予想に反して、びっくりするくらい落ち着いていた。

 ーーアレ?


 「あははー、恥ずかし。でもありがとうございます、お姉さん」

 彼女はそう言うと、その場でスカートを捲り上げパジャマを脱ぐ動作へと移行した。


 「エッ!エッ!ダメ!ちょっと待って!」

 「?」

 彼女は「何がダメなの?」って顔をコチラに向けてスカートを捲り上げたまま固まる。


 「ここで脱いじゃだめ!車内のみんなが逮捕されちゃうから!」

 咄嗟に出た私の言葉が車両内の緊張感をMAXにまで引き上げた。極度にピリピリとした空気がその場を支配する。


 けれど彼女はそんな空気などまったく気にせず周囲を見渡して

 「あぁ、ソレもそうッスね。ありがとうございます、お姉さん」

 と言い放つ。

 ーー肝が据わってる。


 やがて列車が止まり扉が開く。

 開いたその先には彼女の仲間達がいた。


 「ギャハハ、なんソレ?パジャマ??」

 「めっちゃハズい!!」

 「バカだー、バカがいるよ!」


 と賑やかな事この上ない。

 彼女は振り返る事もなく、その賑やかな輪の中に飛び込んで行く。


 「やー、パジャマデビューしちゃったよー」

 と明るく笑い飛ばす声が聞こえた。


 プシューと音を立て扉が閉まり車両内のメンバーに平穏が訪れる。けれど本心は先程の彼女とその仲間達のように「ギャハハ」とはしゃぎたいに違いない。

 だけどそんな奇跡は起こらない。

 大人の世界はちょっと息苦しい。


 私の降りる駅が近づく。

 ふと顔を上げるとみんながコチラを見ていた。

 誰も何も言わない。誰も動かない。けれどその表情から暖かいモノは感じた。

 世の中まだまだ捨てたもんじゃないのかも。


 ーーありがとう、パジャマ女子高生。


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