第9話アルカディア
最新のナノマシンを目の前にして玲奈は断りの返事をした。
「どうして? 玲奈さん、理由を聞かせてくれない?」
穂香は疑問に満ちた顔で玲奈を見つめた。玲奈はスッと目を閉じて思いを口にした。
「確かに急激に変化したこの体を上手く扱うにはそのナノマシンを使うべきかもしれません……だけど私は入隊自体も特別で試験を受けれる立場。試験を受けて入隊した人から批判を受けるかもしれないのに、他人より優れたナノマシンを使って戦うつもりはありません。私がもっと強くなって他の人から認められるほどの人間になったらお願いします。生意気かもしれませんがお願いします。坂本さん」
穂香は理解しきっていない表情を浮かべていた。すると目を閉じていた優一が口を開けた。
「穂香、人にはいろんな思いを持って生きているんだ。自分の自信作を使いたくてたまらないのは理解出来るが、今回は諦めろ」
「……仕方ないね。使用者本人が拒んでいるから今回は諦めるよ。玲奈さん、また今度ナノマシンが壊れたらアルカディアのことを思い出してね」
優一の加勢もあって、穂香は折れて、軽く微笑んだ。
「じゃあ、さっそく新規のナノマシンの投与を始めるよ」
「はい」
穂香は再び準備に取り掛かり、玲奈の右腕のどこにハンコ注射を打つか検討していた。そして肩付近が最適と見て、優一に目を向けた。
「ん?」
「見て分からない? 服を少し着崩させるから出て行ってくれる?」
「あ……ああ。分かった」
優一は静かに病室の外に出て行き、穂香は玲奈の入院服を少しはだけさせた。肩にしっかりと消毒アルコールを塗り、いよいよ新しいナノマシンが投与される。玲奈は静かに目を閉じてその時を待った。
「少し痛いかもしれないけど我慢してね」
「はい」
穂香の言葉に返事をした瞬間、右肩に軽い痛みが走った。玲奈は表情を崩すことなく、痛みに耐える。
「体に情報を移行するのに5分掛かるからちょっと待ってね」
「はい」
穂香はナノマシンに情報を送るため、パソコンを操作し、病室にはカタカタとキーボードを操作する音だけが響いた。
次に目を開ける時には再び自分の体にはナノマシンが入っている。数分前の出来事を思い出し、玲奈の心は再び躍り出す。
しばらくしてからキーボードの音が止まり、玲奈は肩からジワっと暖かさが広がり始めるのを感じた。肩から腕、胸、背中、足の先まで暖かくなり、最後に頭の先まで暖かくなった。
「……ふぅ。お疲れ様。無事ナノマシンの投与が完了したよ」
穂香の声を聞いて玲奈は目を開けた。
「まだ自身での初期設定が終わっていないから設定してナノマシンを起動させて」
「初期設定? 生まれた時は自分で設定していないけど……」
「生まれた時はご両親が設定するはずだから分からないのも無理はないね。右目か左目を2回瞬きすると初期設定を行えるから設定してね」
玲奈は左目で2回瞬きし、眼前に初期設定画面を映し出した。さまざまな項目があるが、穂香が分からないところを丁寧に教えた。
そして初期設定最後の項目で『戦闘に最適な体にしますか?』と表示される。玲奈は少し笑ってその項目に『NO』と設定した。以前の体型は玲奈自身が設定したのではなく、玲奈の親が設定したものだと判明した。
「これで初期設定が全部終わったね」
「はい、坂本さんありがとうございます」
「別にいいよ。仕事だから」
穂香は玲奈の肩からハンコ注射を抜き取り、リサイクル用のケースに片付けた。他にもパソコンをカバンに入れ、かけていたメガネを外し胸ポケットに入れた。メガネを外した穂香は本当に子どもぽいと感じるが、優しい目をしていた。
そして玲奈は着崩れた服を整える。
「優一くん、終わったよ」
穂香が病室の外に待機していた優一を病室に入れた。
「穂香、忙しいのに悪かった」
「全然大丈夫。さあ玲奈さん。ナノマシンを本格的に始動させてね」
「あ、はい」
穂香に促されるまま、玲奈はナノマシンを起動させた。
「ナノマシン……起動」
しかし、玲奈の体に投与されたナノマシンは反応してくれなかった。何度も「あれ? え?」と困惑しながら起動を試みていたが、やはり反応なしだった。そしてナノマシンのスタンバイ表示を確認すると……
〈
「え? なにこれ? あ……るか……でぃあ?」
「何!? おい!穂香!!」
「私のことを坂本さんなんて呼ぶからよ! その仕返し」
「え? ええ!!」
玲奈は目を丸くして穂香と優一を交互に見た。優一は穂香を捕まえようと追いかけていた。
「私のことを穂香って呼んでいたら普通のナノマシンを入れていたけど、残念だったね玲奈ちゃん」
「穂香ッ!!」
優一が真剣な眼差しで穂香を追いかける。しかし穂香は優一の動きが見えているのか、華麗に躱す。玲奈はボーっとその光景を見る事しかできなかった。
「今度苗字で呼んだら実験台になってもらうからね!」
その一言を残して穂香は病室の外に出て行った。追いかけていた優一は諦めて、病室に戻ってきて深くため息をついた。
「忘れていた……穂香は初対面の人間だろうが苗字で呼ばれたくないんだ。苗字を呟いたら最後、様々な仕返しをしてくる。今後は気をつけてくれ」
「気をつけてくれって、どうするんですか!? 私普通ので良いって言いましたよね!? まだ起動も出来ていないですよ!!」
「まあ……入れてしまったものは仕方ない。そのナノマシンを使うしかないな」
玲奈は優一の胸倉を両手で掴んで、前後に揺らした。
「本当に非難の声が絶えないですよ!!あ~もう……」
「まあ、性能がまだ分からないからとにかく起動してみよう」
玲奈は頬を膨らませて、「どうすれば起動できるんですか?」と訊いた。
「確かそのナノマシンはアルカディアって言っていたな。そのナノマシンは他のナノマシンと違い、名前で起動させなければならない。起動させてみろ」
「はい……」
不貞腐れながらも、再びナノマシンの起動を試みた。
「……アルカディア……起動!」
玲奈の声に応えるようにナノマシンが動き始め、健康サポートをはじめとする基本的な身体的サポートを開始した。最新のナノマシンなだけに、情報処理の速度や体の動きが以前よりもスムーズになっていた。
しかし、これと言って他に変わった性能があるようには、玲奈は感じなかった。
「お~、アルカディアの起動に成功したね~」
「あ! 穂香! お前約束くらい守れ!」
気になって様子を覗きに来た穂香を逃がすまいと、優一が腕の自由を奪って拘束した。
「本当にごめん!! だから手荒な真似はやめてーー!!」
眼鏡越しの目に薄っすらと涙を浮かべた穂香の表情を見て、優一は彼女を解放した。腕がまだ痛むのか、穂香はさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。
「でも、起動に成功してよかった。そのナノマシンは誰でも起動できるものじゃないんだよ」
「え?」
玲奈はキョトンとした表情を浮かべ、優一が疑問に満ちた表情を浮かべた。
「穂香、どういうことだ?」
「まずはこのナノマシンを玲奈さんの了承なしで投与したことは謝るよ。本題なんだけど、このナノマシンが誰にでも起動できるものじゃないこと説明するね」
「はい」
玲奈は真剣な目で、穂香の目を見つめ、話を聞く態勢に入った。
「あなたに投与したナノマシン『アルカディア』は第3世代の最新戦闘特化型のナノマシン。他のナノマシンと違い、ありとあらゆる性能の向上、及び速度の向上はもちろん、バトルサポート中の性能も比較できないほど優れた性能を持ち合わせているわ。だけど、高性能を求めたあまり、それを使用できる者は限られてしまった。このホープ全ての隊員に使用できるか、できないかを調べたところ現在では1人しか存在しなかった。そしてその人物にも断られてしまったものだから非常に困っていたの。こんな最高傑作を廃棄するなんてもったいないと思っていた時に玲奈さんのカルテと様々な資料を拝見させてもらったの」
「お前、普段の仕事そっちのけでそんなことをしていたのかよ」
優一が呆れ気味に穂香に目を向けるが、彼女はニコニコと笑って話を続けた。
「なんと、計算したところ起動することができるもう1人よりも、起動成功率が高くて、性質面でも最大限に生かせると思って目をつけていたの。死風を浴びてナノマシンが破壊されたと聞いた時には運命だと思ったよ」
「穂香、不謹慎だぞ」
優一が穂香の頭を軽く叩き、静かに話の続きを促した。
「だけどね、投与した理由はそれだけじゃないの」
「他の理由?」
玲奈は眉をハの字にして続きを促した。穂香はニッコリと笑って話を続けた。
「そっちの理由の方がアルカディア投与を決定づけたね。もう一人は起動は出来るけどアルカディアの専用機能の適合ではなかった。だけど玲奈さんはアルカディア専用機能『思想変換』の適合者だったの」
『思想変換?』
玲奈と優一は声を重ねて、同時に首を傾げた。
「そう、人が想像する限界を越えさせ、人に夢を見させ、力を与えさせる機能。私、坂本穂香がホープの技術部門に入隊してから追い求めて、そして完成させた史上最高の機能!!」
~おまけ~
穂香「ギブギブギブ!! 腕折れちゃうからやめて!!」
優一「ちゃんと反省したか?」
穂香「反省したから解放し……」
次の瞬間、穂香の腕が鈍い音と共に不自然な方向を向く。
優一・玲奈「あッ……」
穂香「ふぁ!!」
穂香は意識を失い泡を吹き始める。
作者「カット!! 本当に折っちゃダメだよ」
優一「すみません。でもそんなに力入れてないですよ」
作者「体が小さい子なんだから、もう少し力を抜かないとダメだよ」
玲奈「おーい、穂香さん~。大丈夫ですか?」
穂香「チーン……」
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