第16話 カップル割

「起きて、千太くん」

「んぅ……? せん、ぱい……?」

「そうだよ」


 どうして俺の家に先輩がいるんだろう……? ん、あ、夢か?


「夢じゃ、なーいっ‼」


 俺の心の内を読むように、先輩は布団を剥がした。

 まぶしい。カーテンも開いているようで、光が直接目に入ってくる。


「ん……?」

「ほらー早く起きないとだめだよっ」


 だんだんと意識が鮮明になってくる。

 そうか、昨日俺せんぱいの家に泊まって……。


「んなあぁ⁉」


 跳び起きました。

 先輩の御前ごぜんやんけ! 寝てる場合じゃない!


「起きた?」

「起きました! お見苦しいところをお見せしました!」

「ふふっ。お寝坊さんなんだから」


 先輩はすでにエプロンを着ていて、まるで新妻だった。

 いかん、朝から幸せすぎだ。


「はい、ご飯できてるから。食べちゃってね」

「ありがとうございます……」


 顔を急いで洗って、先輩が待っている食卓に着く。

 こうしてみると、朝起きて先輩と一緒にご飯を食べるということがいかに幸せなのかがわかる。

 めちゃくちゃ幸せだ。なんかもう結婚しているみたいだ。それは言いすぎだ。


 そのままご飯を食べて、先輩とはお別れをする。


「じゃあ。朝来てねっ」

「ありがとうございます! 早起き頑張ります!」

「起きてなかったら起こしに行っちゃうから」


 先輩は悪戯をするように笑う。願ってもない提案だが、先輩に迷惑をかけるわけにはいかない。


「じゃあ本当にありがとうございました」

「うん。わたしこそ」


 その日の朝日は今までで一番気持ちよかった。




 家に帰ると相坂さんがいて、まったく謝らずに金品とその他食料を返してくれた。


 ただ俺も幸せムード全開だったので特に気にすることはない。

 むしろ気分がいいのでそのまま塾に向かったほどである。


 気持ちいい日差しを背中に浴びながら塾へ向かう。


 席に着いてもやる気がみなぎっていた。

 今日は夜まで集中してやれるな!


「おっし、頑張るか」

「お、成瀬くんだ。おはよ~」

「――っ⁉」


 後ろから声を掛けられる。

 周りに人が少ないこともあって、鈴の音のような声が俺の耳朶じだをうった。


「さ、清香さん……?」

「なにその幽霊でも見たような顔」


 くすくすと笑う清香さん。


「な、なんですか……?」

「勉強しに来ただけだよ。隣座るね」


 そして当然のように隣に座る。言うまでもなく席はたくさん空いている。


「どうしたの? なにかいいことでもあった?」

「いやそんなことないですけど」


 顔に出ていただろうか。先輩との朝帰りの顔になってしまっていただろうか。朝帰りの顔て。


「あ、そうだ」


 清香さんはそれから思い出したように言った。


「お昼ご飯、一緒に食べよう」


 結局俺は何もしゃべられないまま、清香さんの言うままになっていた。





 ―――――――――――――――――――






「清香さん、ここって……」

「一回来てみたかったの~」


 目の前にあるのはシックな雰囲気の喫茶店。

 基本的にはレンガ造りのようで、入り口には木が茂っていてどこか隠れ家的な場所だ。


 だが、ここはこの辺りでは有名な喫茶店だった。


「なんたってカップルの御用達ごようたしだもんね。一人じゃこれないよ」


 ここはカップル割という謎の制度を敷いている喫茶店だった。

 カップルで入店すると、なんと普通のお値段よりも3割も安くなるというお得っぷりである。


「よし、じゃあ」


 そう言って清香さんは俺の左腕に抱きついてきた。


「な、なんですかっ⁉」

「ほら、カップルに見せないと。ね?」


 そうは言っているが、俺の腕には柔らかく存在を主張してくるものが当たっていた。


 めちゃくちゃでかくて腕が沈み込む……とか考えている間に清香さんはずかずかと俺の腕を引っ張って喫茶店に入っていた。


「2名様でよろしかったでしょうか」

「はい、カップルでお願いします~」

「かしこまりました」


 店員の若い男の人はこちらに優しく微笑むと席を案内する。

 ああ、これ絶対カップルと思われたやつだ。


 普通、こんなかわいい人の彼女が俺なわけないとすぐに分かりそうなものだが……。


「こちらの席へどうぞ」


 案内されたのは普通のテーブル席。

 一応カップル以外の入店も想定しているのか、4人用のテーブルだった。


 清香さんをソファ側に誘導して座る。

 こういうところに女子と二人で来ることはないから、女子と対面というとなんだか緊張する。


「ほら、成瀬くん。どれにする?」


 清香さんは席に着くなりメニュー表をじっくりと見ている。


「じゃあ僕はナポリタンで」

「え、いいなー。私もそれにしよっかな」


 と言いつつも、清香さんが選んだのはサンドイッチとカルボナーラだ。よく食べるなこの人……。


「ふぅ」


 清香さんは首にかかっていたネックレスをかけ直す。

 もう4月も後半に差し掛かっており、清香さんは汗を少しかいている。


 清香さんの服装は襟付きのノースリーブ。でも首元のボタンを二つも開けているので、そこからたわわな胸元が見えてしまっている。


 つーっと首から落ちた汗が鎖骨の上を通って、そのまま胸元に……。


「どこ見てるのかな? 成瀬くん?」

「い、いや、別に? どこも見ていませんよ?」

「……見たいの?」


 そう言うと清香さんは胸を引いて首元に手をかける。


 するとそこにはキャミソールと、その下に見えてはいけない赤色がはみ出しているのが見えてしまった。


「な、な、な、なにしてるんですか⁉」

「お、意外とうぶなんだね。かわい♪」

「そ、そういう問題ではなく!」


 俺は周りを見渡す。幸いこちらを見ている人はいなかった。


「大丈夫だよ。成瀬くんのためだけに見せてるから」

「何が大丈夫かわかりませんが‼」


 全力で目を背けると、清香さんはからからと笑った。


「冗談冗談。さすがに私もこんなところで見られる恥ずかしいから」


 妙に含ませた言い方をする清香さんだったが、俺はそれを無視する。

 清香さんの言葉はいちいち意味を考えても無駄な気がする。


「本当に成瀬くんのこと、好きなんだけどなあ」

「そういう勘違いすることを言っても、僕は無視しますからね」

「ほんとなんだけどなあ」


 そう言いつつも清香さんは呆れながら笑っている。


「普通は好きな人にそんなことしませんよ……」

「私ってば、不器用なんだよね」


 と、そこで頼んでいた料理がやってくる。


 料理は基本的なものだが、分け合えるように小皿がついているのがカップル喫茶店ならではの配慮だろうか。


 清香さんはお腹が空いていたのか、やってきたカルボナーラに目を輝かせている。


「清香さん、少し交換しましょうか?」

「いや、大丈夫だよ。あんま分け合うのとか好きじゃないし、独り占めしたいタイプ」


 そういうものなのかと思いながらやって来た料理に手を付ける。


 ナポリタンは普通のものより少し辛く、俺好みの味だった。


「そういえばさー、成瀬くん」

「なんですか?」

「嘉瀬真理と信楽鳴、どっちのほうが好きなの?」

「――なっ! げほっ、げほっ‼」

「ありゃありゃ」


 清香さんが変なことを質問してくるので、パスタがのどに詰まってしまう。


「いきなりなんてこと聞いてくるんですか……」

「いやあ、どうなのかなあと思って」


 俺は水を飲みながら清香さんをにらむ。

 だが当の本人は悪びれることもなく、のんびりとパスタに舌づつみをうっていた。


「別に……鳴はただの幼馴染ですよ」


 なぜ鳴のことまで知っているのか、俺と鳴が仲のいいことを知っているのかはわからなかったが、俺は思ったことを素直に答えていた。


 鳴はただの幼馴染で、あえてカテゴライズするなら友達、あるいは親友といったところだろう。


「じゃあ、女としてみたことはないの?」

「なくは……ないですけど」


 それでもたまに元気な素足を見たり羽交い絞めにされた時に太ももを意識したりしてしまうだけだ。


 なんか脚フェチみたいな言い方になってんな。


「――ふーん、そうなんだ」


 そして聞いてきた清香さんはさして興味のないような感じで、「うーんおいしい」と満足げに食べている。

 本当につかみどころのない人である。


「一体何だったんだ……」


 清香さんの意味深な発言が気になったが、特に何事もなく終わった。


 が、何事もなく終わったのはその日までだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る