第6話 鬼教官と一つ屋根の下
「はい、あと5回です。はい、いーち」
「い~~~~~っっっっっちッ」
「はい、にーい」
「に~~~~~っっっっっいッ」
「だんだん姿勢崩れてきてますよ。はい、さーん」
「さ~~~~~~~~~~~~~~~~~……………もうムリッッッ‼」
だはーっと倒れこむ。
「何言ってるんですか、高々腕立て伏せ20回でしょう。それくらいちゃんとやらなくてどうするんですか」
「背中に相坂さんを乗せた状態で、ですからね‼ むしろ結構頑張った方ですが⁉」
「まったくこれだから今頃の男子は……。どいつもこいつも非力で根性なし」
「あなたいつ頃の女子なんだ⁉」
「最近の若者は」感覚で言ってますけど、相坂さん高校生ですよね?
「……というか普通の腕立てなら何回でも出来ますよ。相坂さんがおm……」
――ばちーん。どこからともなく出てきた空のプロテインシェイカーで頭をたたかれる。
「――いってぇッ⁉」
「すみません、叩けばそのデリカシーのない脳みそが治るかなと思いまして」
「これって伝統芸になるやつなの⁉」
「ダンベルじゃなかっただけましだと思ってください」
「それって鈍器ですよね? 撲殺されるやつですよね?」
いやたしかに体重のことをいいかけてしまったのはミスだけど。
でも筋トレで疲れてくたばってる俺にシェイカーを思いきり振りかぶって叩くのはどう考えても収支が合ってないんだが。
「口答えするならメニュー倍にしますよ?」
「……はい、やります。やりますから」
そのあと、俺の筋肉はずっと悲鳴を上げっぱなしだった。
この鬼教官めェエエ‼
「お疲れ様です。これプロテインになります」
「タオルの代わりにプロテイン渡してくるマネージャーみたいだな……」
どうぞ、と両手で渡してくれる相坂さん。
銀髪で短髪の美少女、というところまでは完璧だったはずなんだが。もはや俺には彼女がマネージャーには見えない。監督だ。
そんなことを思いつつ、バニラ味の液体状のプロテインを口にする。初めて飲んだが意外とうまい。
「あと、お風呂に行ってください」
「それも筋肉に何か良い影響あるんですか?」
「いや、普通に汗臭いので」
「…………行ってきます」
デリカシーないのはどちらなのか、と一瞬思ったが多分彼女から見て俺は気を遣うほどの人間でもないのだろう。
というか。
「…………」
「なんですか?」
「いえ、なんでも」
お風呂に行くのに家に女の子がいるという状況のこの慣れないかんじ。
当人の相坂さんはリビングにある30センチほどの低い四角テーブルのところにちょこんと正座して何やらタブレットに書き込みをしているんだけど……。というか俺の家にいるときもスーツ姿なんだね。
まあ意識しなければいい話だよな。別に家に女子がいるだけだし、夜に女子が家にいるだけだし。二人きりで女子が家にいるだけだし。
……あれ、これ普通の状況じゃなくね?
まあいっか。普通の状況なんて言い出したら、そもそも一介のしがない高校生が総理大臣に会うこと自体普通じゃないんだし。
そう言って、いつも通りシャワーを浴びた。
寿限無を口ずさみながら。
――――――――――――――――――――――
お風呂から上がった俺は、相坂さんと同じ卓を囲んで今の状況について話し合っていた。
「今の状況は非常にまずいです」
そして、これが隠しようのない相坂さんの認識のようだ。
「まずい、ですか? まあたしかに先輩とはまだうまく距離を詰められてないですけど……」
それでも時間をかけてゆっくりと、と言ったのは相坂さんだ。
そういうことなら、現状で特に問題はないように見えた。
だけど。
「いえ、そっちの方じゃありません」
そう言って相坂さんは真剣な表情を作った。
「学校の方です。……思った以上に、去年の出来事が尾を引いてます」
「………え? ああ……」
学校の方、というのは俺が周りから疎まれている今の状況の方らしかった。
聞くところによると、相坂さんは今の学校での俺の立ち位置――俺が孤立しているという現状について問題視しているようだ。
「今の状態では、彼女をその気にさせても付き合えることはできません」
そして相坂さんはきっぱりとそう言った。
飾らずに、断言するように。
「どうして、ですか?」
疑問を返すと、彼女はまたも真面目な顔になる。
これが彼女の仕事の顔なのだろう。いつもの人を見下したような目ではなく、真剣に悩んでいるようだった。
「いいですか。いまの成瀬さんが孤立している状況。その原因は嘉瀬真理にあります」
しかし、その言葉は聞き逃すことのができなかった。
「そ、それは違うでしょ! たしかにあのこと自体には先輩にも非があるけど……それでも孤立したのは決して先輩のせいじゃない。俺のせいだ」
「…………失礼しました」
俺が即座に否定すると相坂さんはすぐに謝罪をした。
俺もそれに呼応するように、すみません、とヒートアップしていたことを謝る。
「言い方が悪かったですね。彼女は、自分のせいだと責めてしまう、と言った方が正しいでしょうか」
「――っ、それはっ……」
だが、そっちについては言い返すことができなかった。
先輩はきっと自分を責めてしまうだろう。優しい先輩なら、なおさらだ。責めてしまう彼女が容易に想像できた。
「幸運なのは、彼女はあなたが孤立していることに気が付いていないことでしょう。でも、付き合ったとなればそうもいかない」
「誰かが絶対に口にする……でしょうね」
たぶん先輩のことを大事に思っている人が、良かれと思って悪気もなく言ってしまうだろう。
その男はやめておけ、やめたほうがいいと。
「だからこの学校の状況を改善しない限り、成瀬文太と嘉瀬真理は付き合うことができないし、付き合ってはいけない」
それは嘉瀬真理のために、ということだ。彼女に意味のない罪悪感をのしかかってしまうからだ。
確かにその通りだ。今の状況で先輩と付き合えたとしても、決して長くは続かない。
先輩自身が負い目を感じたままでは、うまくいくはずがない。
「だから少しでも信用や名誉を取り戻さないといけないんです。一刻も早く」
「なるほど…………」
――――最初は、もっと簡潔な話だと思っていた。
俺が自分の気持ちに折り合いをつけて、先輩にアタックをする。先輩が認めてくれるまでいろいろと試行錯誤をしながら、恋人になれるまでやる。
簡単ではないかもしれないが、シンプルなことだと思っていた。
だが、どうやらこれは俺たち二人だけでは完結しないらしい。
やるべきことはほかにもたくさんあるらしい。
でも、よく考えたら当たり前の話だ。
日本一の美少女と付き合おうとするのだ。日本全体を敵に回す覚悟をするくらいの気持ちはあって当たり前。自分のことをどうにかするくらい、当然やらなければならないのだ。
そう思うと、気持ちは意外とすんなり前向きになれた。
「じゃあ、一体どうすればいいんです?」
俺がそう返すと、相坂さんは「へえ」と意外そうな顔をする。
気持ち、口角が上がったようにも見えた。
「では、教えてあげましょう」
「お、おお……」
ノリノリの相坂さんに腰が少し引けるが、本腰まで引く気はない。
彼女の次の言葉を待った。
「やるべきことは3つです」
「3つ」
相坂さんはその真っ白な細い指を3つ立てて、もう片方の手で一つ一つ折りたたんでいく。
「1つは嘉瀬真理と自然に距離を詰めていくこと。これは最初から変わりません。不審がられず、自然と、下心を見せず、ただただあなたの好きという気持ちだけで勝負をしていく」
「自然と」
そして二つ目。
「学校での信頼を取り戻していくこと。これも一朝一夕ではできませんから、じっくりとやれることからやりましょう。例えば他人に優しくするとか……てまあ、あなたには言う必要がないかもしれませんが」
「信頼を」
そして最後。
「彼女に釣り合う男になってください。今のままでは学校でのことがなくても、嘉瀬真理と付き合ったら普通に非難されます、あなたが」
「毎度おなじみ
「しかしそれで悲しむのは彼女の方です。それでは彼女があまりにも不憫です」
「まあ、そうですね……」
俺のせいで俺が傷つくのは自業自得なので許せるが、俺のせいで先輩が傷つくのは絶対に避けなければならない。
それに関しては、やはり相坂さんと意見が一致した。
結局、先輩を自分たちの勝手な都合で不幸にするのは間違い、ということだ。
政府の思惑がどうであれ、俺の恋愛感情であれ、それが先輩を傷つけることなど間違いに決まっているのだ。
「というわけで、ひとまず出来ることとしては……簡単なところでテストでいい点数を取るとか、体育でいいところを見せる、とかそういったステップアップですね。あとはこの後のために料理とか家事とかも」
「それなんですけど、筋トレをさせられている中で言うのもなんですが、自分、体育得意なんですけど…………」
「ダメです。あなたはセンスで何とかしてきただけでしょう。お姫様抱っこを安定して10分以上できるくらいじゃないと、女子は振り向いてくれませんよ」
「一体どこを目指してるんだ……」
それに関しては相坂さんの個人的な願望が入っているような気がしないでもなかったが、指摘すると筋トレの数が増えそうなのでやめておいた。
「あと、勉強のほうはボロボロなので、てこ入れが必要ですね」
「………………」
ベンキョウ……ッテナニ? ワカラナイ、ワタシワカラナイ。
「明日からスパルタに行きますから、一緒に頑張りましょう」
「お、おー」
こうして、俺の生活がどんどん相坂さんによって支配されていることになった。
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