読まれない作品を公開する意味はあるのだろうか。

たけすみ

新人賞落選とPVゼロは究極の選択。或いは愚痴。

 小説においてもっとも重要なのは、

「完結していること」と「最後まで読まれること」だと思う。

 これは「表現」と「鑑賞者」がいてはじめて成立するあらゆる芸術と同様である。


 足掛け10年、新人賞に小説を書いて投稿してきた。

 一般的な小説の新人賞は、どんな作品であっても最後まで下読みが読んだうえで評価をつける、というシステムがある。

 つまり確実に一人の読者には最後まで作品を見届けてもらえる。

 私はこれまで、これを魅力として感じてきた。


 だが実力勝負の世界、という側面は実にシビアなもので、自分の書き上げた作品が没となると、募集スタイルによってはその作品は実質永遠にお蔵入りになる。

 ――例えば「キービジュアル」が設定されている募集や「特定の企画のための作品」、「舞台・登場人物が指定されている」などである。


 これらを一般小説として解き放った場合「なぜこの作品はこの条件下に縛られているのか」という作品の根本に問題が生じてしまう。


 つまり、同人化する、ネットで公開する、などの「リサイクル」が難しくなるのである。


 ……あるいは自意識として「没」の烙印が押された作品をひとに見せることを恥じる、というのもありうる。

 私は特にこれが顕著だ。

 また新人賞のみに作品を提出している場合、他の新人賞に転用することは基本的にできない。

(「3回までは大丈夫」などという話も聞くが『三次選考通過者から公開』などの場合、下読みさんは突破しても編集者がざっと読んで落としている場合がある。

 この場合、転用はバレるだろう。

 他賞への応募経験のある作品を禁じている賞の場合、完全にNGである)


 私はこの「投稿した新作」が「リサイクルできない作品」へと転化してしまう「落選」という事態を、しばしば水子のようなものだと感じる。


 水子とは、流産あるいは死産を迎えた胎児の事である。世の中という空気を吸うこともできずに死んだ子供である。

 その子が最初で最後に触れる人のぬくもりが、親である作者と、作品を選別する「下読みさん」である。

 なお、下読みさんを小説の死神や人工中絶専門の医者などとは思わない。

 彼らが二次選考へと作品を送り出すのだから、むしろ助産師や産科医に近い。

 どちらかといえば、「新人賞の書き手が産む小説」という種類の生物が、分娩の成功率が異常に低い種だというだけである。


 ……或いは、一次選考という「超音波診断ごしにのみわかる命」のようなものかもしれない。そこから2次選考3次選考と成長し、選考委員会という胎を蹴る子に育ったり、それらの中で力尽きたりしてしまうのだから……。

 そして無事突破した作品はもれなく「●●賞xx獲得」という祝福を得て生まれてくる。


 それならば、喩え「●●賞受賞作品」という「立派なナニモノか」になることはなかろうとも

「誰かに読まれる」という作品としての本懐を成し遂げうる場はないか。

 そうして生まれたのがネット上の小説の閲覧であると思う。


 では、ネット上の小説は小説にとって、独立した表現として本当に幸福か。

 ……そうとは限らない、とカクヨムに来て感じるようになった。


 ――PV数ゼロ、最新話PV数ゼロ、最終話PV数ゼロ、という可能性があるのだ。



 ここからは愚痴になる。


 私はいま、生まれようとしている子供がやせ衰えて死ぬ未来を見ているような気持でいる。

 最初に書いたように「表現」は「鑑賞者」がいて初めて成立するのだ。

 それは小説も同じ事だ。

 ――「最終話PV数ゼロ」になるのが恐ろしくて仕方ないのだ。


 というより、主力で書いている話の、今日のpv数はゼロなのである。


 12月1日に10話程度、そこから毎日2話ずつ程度更新している。

 (元々投稿先未定で書き始めた小説であり、原本は完結している)

 カクヨムコンは私にとって「作品が『水子』にならないめずらしい新人賞」でしかなかった。

 ……それが初日更新分以降ほとんどPVがついていない。


 現状、十数話を公開している『合唱禁止、公演中止~covid-19で部活ができないのでオペラをやってみた~』だが、

 これを書いている2020年12月4日の夜時点での今日のPV数はゼロだ。

 最新話がどう見られているか、以前である。


 最終的に30話ないし40数話ほどになる予定である。


 元々は投稿先未定で衝動的に書き始めた作品である。

「書かねばならない。コロナという苦境をただの無情に奪われ続けるだけの日々にしたくない」 という衝動に駆られた作品である。

 

 このままゼロが続いたとしたら、結果的にそうなることになる。

 カクヨムはある程度のSNS性のある媒体である。元々それらを得意としない自分がどれだけ脆弱か。

 そもそも人気作以外見向きもしないチェリーピッカーだらけ、という「羊の群れ」のような日本のエンタメそのものの傾向。

 書き手の飽和状態でありながらレビューすら要登録というカクヨムの仕組み。

 

 考えれば考えるほどにネガティブになる。


 これが屈折した承認欲求であるのはよくわかっている。

 作品を通して自分を認められたい。それも事実だ。


 だが、何よりも、既に「水子になる我が子を見たくない」という感覚から、

 カクヨムに流れてきた身とすると、かなりつらいのである。

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