二章 2-1

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 ライが廊下の突き当たりで立ち止まった。

「ここだよ」

 振り返って言いながら彼は図書館棟二階の一番奥にある部屋の扉を指さした。扉が開いているのは、今しがたソールとアルトが中に入ったからだろう。

 ツェリは、扉に釘を打ってかけられている札を読み上げる。

「魔法技術研究局(仮)……?」

 手書きの札には「(仮)」までが記されてある。魔術ではいのかとツェリは首を捻った。

 ライが扉を開きながら言う。

「通称マギ部。一応クラブの一つだが、部員数は学院一少ない四人」

「なんで『局』なの?」

「あー……なんだっけ? 部長が、魔法技術研究部じゃ語呂が悪いとかなんとか言ってたっけかな。まあ、大抵マギ部って呼ばれるからあんま関係ないんだけど」

「魔法の研究って大変じゃない? 文献がなさそう」

「いや、実際には魔術だよ。これも部長が、魔術技術じゃ術が被るって言って魔法になった。技術を消して、魔術研究部でいいのに。あ、部長ってソールな」

 現代より千年を超える昔、魔法はたしかに存在した。しかし、今となっては古い歴史書の中にそういった技術があったと散見されるのみである。ツェリにとっては、お伽噺とぎばなしの中で魔女が使うもの、程度の印象しかない。

 伝え聞くところによると、「魔法使い」や「魔導師」と呼ばれた人々は、呪文一つで空を飛び、指を鳴らすだけで物を移動させ、果てはほうきやバケツに家事をやらせたのだという。何をするにも、いちいち術式を書かなければならない現代の魔術とは大違いだ。

「あーもう、また散らかってる。使ったら片付けろよな、ソール」

 顔を顰めて咎めるライに片手を振ったソールは、首を巡らせた。

「そのへんに紙ない?」

「俺の話を聞け」

「それでいいや。とって」

「聞け」

 噛み合わない言い合いをしているソールとライを横目に、諦めたような笑みを浮かべたアルトが言う。

「こいつら、良いところもあるけど根本的に変人なんだ」

「そ、そう……」

 同意も否定もできず、ツェリは曖昧に頷いた。

「アルト、こっち」

 ソールとライの口論は終わったらしく、ソールがアルトを呼ぶ。アルトは仕方なさそうに息をつき、手近な机に持っていた本を置いて部屋の右隅に置いてある大きな作業台に向かった。

「ツェリ」

 呼ばれて振り返ると、ライが部屋の左側にあるテーブルセットを指差した。

「座ってよ。悪いな、散らかってて」

 彼の言葉通り、部屋の中央に何かよくわからない彫刻のようなものが陣取っていたり、大きな布が無造作に丸めてあったり、角材が転がっていたりと室内は乱雑である。一台だけある長椅子は何故か窓へ向けて置かれていた。

 足下に落ちている布に気付き、ツェリはそれを拾い上げて広げた。綿織物らしき白い布は繊細な刺繍で縁取られていて、やや煤けているのが勿体ない。早く洗濯しなければ汚れが落ちにくくなると思い、畳み直してライに差し出す。

「これ、誰かの落としもの」

「ん? ああ、それは雑巾だからほっといていいよ」

「雑巾!?  これが!?」

 思わず大声でツェリが聞き返すと、ライは驚いた顔で振り返った。

「そ、そうだけど……どうかした?」

「なんてこと……雑巾ってもっとこう、変色して擦り切れてどうにもならなくなった布よ」

「え……ああ、ううん?」

 わけがわからないといった風情のライには構わず、ツェリは畳んだ布を手に重ねて尋ねる。

「ちなみに、その木切れは?」

「ソールの出したゴミ」

「……なんて勿体ない」

 ゴミだとライは言うが、大人の腕ほどの角材は、補修材や木工の材料など、まだまだ使いでがある。要らないならアールヴレズル王城で引き取りたいくらいだ。

「もしかして、そっちの布と紙の束もゴミ?」

「うん」

「勿体ない」

「う、うん……わかった、無駄にしないようソールに言っとく。とりあえず座って」

 よほどおかしな顔をしてしまったのか、ライは戸惑ったような表情でツェリから手巾を引き取った。示された楕円形のテーブルの周辺だけはきちんと片付いている。

 脚が優美な曲線を描く、よく磨かれた飴色のテーブルを囲んで、臙脂色の布が張られた座り心地の良さそうな椅子が六脚。テーブルの上には繊細なレース編みのクロスが敷かれ、両手に収まるほどの大きさの白い陶器がぽつんと置いてあった。部屋の他の部分と見比べると、そこだけぽっかりと別の空間に見える。

 ツェリは気を取り直して椅子の一つに腰掛けた。手巾をどこかに片付けて隣に座ったライが、器を引き寄せて蓋を開け、ツェリに中身を見せてくれる。

「赤がラズベリー、白が……なんだっけ? 黒っぽいのはたしか葡萄」

 器はキャンディポットだったらしい。色とりどりの四角い欠片たちに、ツェリは目を輝かせる。以前キャンディを口にしたのはいつだったかと考え、空しくなってやめた。

「もらっていいの?」

「好きなのをどうぞ」

「ありがとう」

 少し迷ってからツェリは赤いキャンディを選んだ。ライも白いキャンディを口に入れ、蓋を閉める。よく見れば、蓋の摘みは可愛らしい小鳥の形になっていた。

「酸っぱ。レモンか、これ」

 顔を顰めてから器を元の位置に戻し、片手で頬杖をついたライへ、ツェリは気になったことを尋ねてみる。

「マギ部って何をするところなの?」

「え? うーん……その名の通り、魔法に関する技術を研究するところ、か? 実質、不思議道具を量産してるだけだけど」

「不思議道具」

「そう。大体はソールが一人で考えて動いてるな。俺とアルトは付き合わされてるって言うか、使われてるって言うか」

「不思議なクラブね……」

 ツェリは部屋の隅で何かしているソールとアルトをうかがった。二人で何やら図面を引いたり資料を捲ったりしている。忍び笑う気配に視線を戻せば、ライが立ち上がるところだった。入口近くの物入れから何か取り出し、すぐに戻ってくる。

「まあ、謎だよな。これ、ソールが作ったんだけどさ。穴んとこに触ってみて」

 言いながらライは木製のティースプーンを差し出した。おそらく材質は胡桃だろう。ツェリにはどこにでもあるようなスプーンに見える。

 言われたとおり柄尻の穴にツェリが人差し指で触れると、スプーンが突然炎を吹き出した。

「きゃっ!」

 ツェリが驚いて手を引っ込めると、ライはスプーンの頭を軽く握りこんで見せた。

「大丈夫、熱くないから。ほら」

 再び差し出されたそれを恐る恐る覗き込み、ツェリは目を瞬く。スプーンは燃えているのではなく、炎に似た色の光を放っているらしい。おっかなびっくり手を近付けても熱は感じない。

「これ……木が光ってるの? 燃えてるんじゃなく?」

「うん。穴に人が触ると発光する仕組み。もう一回触れば消える。そういう術式なんだってさ」

「凄い! 魔術って、こんなふうにも使えるのね。これがあればランプが必要なくなるじゃない」

「そうなんだけどさ、作るには問題があって」

 ライは穴に触れて光を消すと、スプーンをひっくり返して見せた。裏側には細かい文字で魔術の術式と思しきものがびっしりと彫り込んである。ツェリには意味不明の文字列にしか見えない。

「光らせたいものに術式を一つ一つ彫るか書くかしなきゃならなくて、一文字でも消えたり欠けたりすると効果が出なくなる。傷が付いて文字の形が変わっても駄目。下手すると落としただけで使えなくなる」

 魔術が起こす現象が複雑になればなるほど、式も比例して長くなる。定めた場所に触れると光り、二もう一度触れると光を消すという現象を起こすには、これだけの式が必要なのだろう。

「でも、わたし、魔術は使えないのよ?」

「ソールが、魔術士じゃない人間でも起動する式を開発したんだ。組み込むと効果に制限が出るとか、有効な式と無効な式があるとかごちゃごちゃ言ってたけど、俺にはさっぱり。良くも悪くも天才だからな、ソールは。教師には向かないのさ」

 ライは椅子に座り直してテーブルにスプーンを置いた。

「あいつはいつもそうだ。思いついて、作って、試して、気が済むとポイ」

「……なんてこと」

 この光るスプーンなど、大量生産して適当な値段で売れば、あっという間に一財産ではないのかと考え、ツェリは慌てて頭から追い払った。ソールは稼ぐために作っているのではないだろう。どうしても思考がお金の方向に行ってしまっていけないと内省する。

(うう。打倒貧乏)

 内心で決意を新たにしているツェリには気付かない様子で、ライはスプーンを指さす。

「一応、ランプスプーンって名付けたみたいだけど、今後作る気はなさそうだな。なんでスプーンを選んだのかも謎だし」

「手近にあったから……かな?」

「かもな。……とまあ、マギ部ではこういう不思議道具を作ってるわけ。殆ど全部ソールの思いつきでな。俺は一応魔術士だけど、木を光らせるなんて思いつきもしないし、思いついても可能だとは思わないもん」

 感心して何度も頷きつつ、ツェリは作業台にいるソールを改めて見た。誰にでも使える魔術というのは、最早魔法に近いのではないかと思う。

「ソールは腕のいい魔術士なのね」

「いやー。それがソールの奴、魔術使えないんだよ。それで俺とアルトが引っ張り込まれたんだ」

 ツェリは本当に迷惑そうに言うライに視線を戻す。

「そうなの?」

「ああ。俺は人数合わせみたいなもんだな、クラブの最低人数は三人だからさ。俺よりアルトのほうが魔術の扱いは上手いし」

「人数合わせだなんて」

「いや、ほんとに。セラが後から入ったから、今はもう俺のいる意味ないかも。―――俺はソールと長いから、付き合わされるのに諦めもつくけど、アルトはなあ。ソールに目をつけられたのが運の尽きだな」

 ライが苦笑したとき、扉が叩かれた。誰かが返事をする前に、セラが入ってくる。テーブルの前で足を止めたセラは、ツェリには笑顔を、ライには鋭い視線を向けた。

「お待たせいたしましたわ、ツェリ。―――ライ、ツェリを拉致したそうですわね?」

「なんだそりゃ、人聞きが悪いな。なんでそうなる」

「ライとアルトがツェリを連れて行くのを見たという人から聞きましたの。言い訳は見苦しくてよ」

「それはツェリとアルトがカルネロに絡まれてたからだって。あのまま放っといたら、アルトはともかく、ツェリは奴に連れ去られてたぞ」

「まあ……そうですの?」

 驚いた表情のセラに問われ、ツェリは小さく首を傾げた。

「助けてもらったのは本当だけど、カルネロ、さん? に、ついていく気はなかったわ」

「よかった。けれど、あのかたはとても強引ですの。ツェリが断っても付き纏われたかもしれませんわよ。迷惑だと申しているのに、こちらの話など頭から聞いていないのですから。まったく、公衆の面前で横面を張られないとわからないのかしら」

 ライは皮肉げな笑みを浮かべる。

「カルネロって、フレゴーナ子爵家の長男だろ。あの家は先代が亡くなってから落ち目だからな、傾きかけた家を立て直そうと必死なのさ。そこに他国の王妹殿下が現れたから、渡りに船ってこと。家を復興したい気持ちはわからないでもないけど、あの貴族主義は虫酸が走るね」

「まったくですわ。ツェリ、カルネロのような殿方は相手になさらないでね」

 心配そうに言うセラへ、ツェリは頷いた。しかし、いくら王族とはいえ、ツェリと親しくなってもさほど利はないと断言できることが悲しい。カルネロも、アールヴレズルの内情が分かれば二度と声をかけてこなくなるだろう。

(それはそれで……いっそ、うちが貧乏だって早いうちに宣言してしまったほうが……いえ、それだと万が一わたしのお婿さんになってもいいっていう人がいたら……)

 打算的にぐるぐると考えていると、セラが片手を頬にあてて残念そうに息をついた。

「カルネロのせいで予定が狂ってしまいましたわ。台無しです」

「台無しだなんて、そんな。まだ時間はあるもの、大丈夫よ。案内してくれるのは後日でもいいし」

 それともセラは一分たりとも無駄にできない予定を組んでいたのだろうかと言えば、セラは不思議そうにツェリを見て、笑みを浮かべるとかぶりを振った。

「あ、いいえ、台無しなのは今日の予定のことではないのよ」

「ちょっとごめんよ」

 セラを遮るように、テーブルの上に一枚の紙が差し出された。置いたのはアルトで、片手を広げたほどの大きさのそれには例によって意味不明の文字列―――おそらくは、魔術の術式がびっしり書き込んである。

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