12月31日

 密度が濃くそれでいて駆け抜けるようだった今年が終わろうとしていた。

 有馬先輩とファミレスでの会談を行ったあの日から調度一週間後、有馬先輩から連絡が入り、『体験者』に選ばれた事を告げられた。

 彼女の話では、期末試験の間に机に文字が浮かんできたという話だった。

 机に浮かんだ言葉は『弓の夜』『渡り廊下』というものだった。

 勿論、有馬先輩は自身が兄の杉浦と違い直ぐに記憶が消えてしまう『体験者』であるという事を解ってはいない。

 また、多分だが有馬先輩は俺と話をした丁度その後に『体験者』に選ばれたわけではないと思う。

 ヒデオの話では、七不思議『その参』が発現した後は順番も何もなく一斉に残りの『体験者』が選ばれるという。

 その事から、有馬先輩は本当は十月の内に選ばれていたのではないだろうか。

 そしてその場合、本来なら有馬先輩は『呪いの机』の影響をもっと受けていて然るべきなのだが…………何故かそうはなっていない。

 本人曰く、最近受験のために自席に着く機が少なく、正確にいつからかは判らないとの事だった。

 その程度の事で怪異の輪廻から逃れられるのかは定かではないが…………。


「……………よし、こんなもんか」


 年の瀬、テレビも特番ばかりになったこの時期に、俺は日頃と変わらず自室の机に向かっていた。

 なんだか、昨年も同じようにしていた気がする。あの時は受験勉強だったけれど。

 最後の追い込みで机にかじりつくようにして繰り返し問題集を解いていた過去の自分を懐かしみながら、俺は自身の走り書きが並ぶルーズリーフを見返す。

 それは、先日有馬先輩と話した時に必要性を感じた『体験者』や協力者、更に過去に七不思議に関わった人物、彼等が今までに言っていた事や行動、関係性などを過剰書きで書き出したものだ。

 七不思議の数は残り少ないし、『体験者』も発覚したわけだが気を抜かずに今のうちにやっておきたかった。

 書き上げた一覧を眺めながら思わず自嘲する。

 本来ならば、この間の期末の復習のほうが福寿の一般組生としてはやっておくべきなのだろう。実際俺の成績は下がっていた。学年一位の牙城も崩れた。

 だが、それよりも此方のほうが俺にとって優先事項だった。

――――――――――――――――――――――――――――――



 ・高知  七不思議その参 体験者

  机の文字午前零時《体育館》《格技室》

  呪いの机の影響から逃れるため休学するも操られ、最中誤

  って自宅マンションより転落。

  死亡。


 ・佐川  七不思議その参 体験者

  机の文字午前零時《体育館》《格技室》

  高知死亡時電話を受けていた。その後体験者に選ばれる。

  呪いの机の影響に抗っていたが、操られ怪異を体験。毎晩

  高知からの電話がかかってきて誘導されたとの事。

  体験後一週間で記憶を失う。その後異常なし。退院後は部

  活にも復帰し、友人の死によって精神を病み、体調を崩し

  た事になっている。


 ・羽山  七不思議その肆 体験者

  机の文字《放課後》

  運動施設にて不可思議な声を聞く。その際一緒にいた部の

  先輩、古谷に相談する。

  その後、龍臣を通じて俺に友人の話として相談を持ち掛け

  る。

  俺が靴箱の選別被害に遭っていた事も多少知っている。

  体験後一週間で記憶を失う。忘れ物を取りに行き誤ってプ

  ールに入水、居合わせ た龍臣に助けられた事になってい

  る。現在は大事をとって休部中。


 ・柳瀬  七不思議その伍 体験者

  机の文字三の日《B棟》《放送室》

  机に文字が出てすぐに部の先輩である宮城を通じて、文芸

  部に相談を持ち掛ける。同時に自身も七不思議とその対処

  について調査し、杉浦に辿り着く。

  俺と古谷との会話を聞き、操られる前に怪異に遭遇。

  体験後一週間で記憶を失う。放送室でボヤを見付け消火作

  業にあたるも一酸化炭素中毒で意識を失い、俺によって救

  助さらた事になっている。但し、学校側からは不審火を起

  こしたとして停学処分を受けている。

  有馬が再度確認したところ、七不思議の調査についても文

  芸部に協力しただけと証言。


 ・有馬  七不思議その陸 体験者

  机の文字弓の月《渡り廊下》

  十二年前の記録者であった杉浦の実妹で杉浦の残したメモ

  から七不思議と兄の現在の状況に因果関係を疑い、福寿に

  入学。杉浦が記録者の頃の記憶は書き替えられ無い模様。

  メモにも決定的な記述は残っていない。同時に杉浦の遺書

  も見付けている。

  体験者に選ばれたのはもっと早い時期だったと思われるが

  発覚が遅くなった理由は不明。


 ・龍臣

  藍色の本発見前に七不思議の収集を依頼。俺が七不思議の

  被害に遭ったことを知っている。七不思議その参と肆に同

  行。

  その参の体験者佐川とは友人。怪異後は恐怖から休部する

  も、一週間後体験者と共に記憶を失い復帰。

  その肆の体験者羽山とは中学時代からの友人で好意を抱い

  ていた。怪異後は入院中の羽山に毎日見舞い、以前同様一

  週間後に記憶を失う。二度記憶を書き替えられたが今のと

  ころ齟齬は見られない。


 ・古谷

  七不思議その肆関係者。体験者である羽山から相談を受け

  た。時期を同じくして体調不良で休んでいた。俺と対談し

  た時には羽山と口裏を合わせていた模様。

  学年は二年で柳瀬とクラスメイト。水泳部所属。羽山とは

  中学時代から水泳教室が同じで旧知の仲。

  羽山が怪異体験後一週間で七不思議その弐とその肆に関わ

  る情報を失う。その後異常なし。


 ・宮城

  放送部部長。学年は三年で有馬とクラスメイト。有馬とは

  幼馴染みで杉浦との関係も知っており、文芸部に協力し七

  不思議の検証を行っていた。

  怪異に遭遇してはいない様子だが、七不思議の情報は本物

  に抵触した部分のみ周囲同様記憶を書き替えられている。


 ・杉浦  十二年前の記録者

  有馬の実の兄であり元福寿生。一般組。在学時は文芸部。

  本人の証言と残されたメモから、藍色の本に辿り着いてい

  た模様。(あと一つだけ書ききる事が出来なかった)

  二年進学時より前頃から様子がおかしくなり、退学。現在

  精神疾患で入院中。七不思議に関する記憶は残っている。


 ・繭

  兄が過去記録者だった。(現調査では十五年前か十八年前

  と思われる)

  記録者だった兄は福寿卒業後に事故で死亡。本を書ききっ

  たかは不明。

  記憶は消えていない。

  兄から聞いた本に辿り着くための怪異と体験者と記録者の

  記憶の消去についての情報提供。



――――――――――――――――――――――――――――――



 改めて書き連ねてみて思う疑問点は二つ。

 一つは有馬先輩と繭の言っている事が状況が酷似しているにも関わらず違い過ぎる事。

 そしてもう一つは『記録者』と『体験者』の選定基準。

 前者に関しては、単純にどちらかが嘘を吐いているという可能性もあるが、有馬先輩の兄、杉浦と繭の兄と比較した際に何か違う要因があったと考えるほうが自然だ。

 例えば退学の有無や両親の離婚――――そういった事で『記録者』の末路は変わってくるのかもしれない。

 とりあえずは有馬先輩と繭、双方に再度詳しい話を聞いてみるしかない。

 そう思い、俺は机の角に畳んであるノートパソコンを開く。

 思い立ったらすぐ行動に移す。最近それが勝手に体に身に付いた。時間が迫っている事への焦りからなのだろうか。

 連絡を取るとなると厄介なのが繭だった。

 繭は携帯を持っていない。学校からの行き帰りですら送り迎えがあるというお嬢様だ。冬休みの今安易に連絡を取る事が出来ないのはかなり不便だ。

 立ち上がったパソコンをインターネットに接続し、唯一知っている繭の連絡先のフリーメールアドレスにメールを送信する。

 後は早くに返事が返ってくるのを待つしかない。

 下手すれば、始業式まで繭に会う事は出来ないかもしれない。

 片手でそういった作業をしつつ、尚も思考を続ける。

 残るは後者、選定基準についてだ。

 今まで調べていた上で、どちらもそれなりの条件に当てはまる人物が選ばれている事は判っている。

 例えば、柔道部で格技室を使用する高知と佐川。水泳部で運動施設を利用する事の多い羽山。放送部の柳瀬先輩。そして三年置きに使用者の変わる靴箱。

 だが、有馬先輩の場合は違う。渡り廊下は誰でも使用するはず。

 パソコンを放置したまま今度は携帯を手に取る。

 先程の件も含めて有馬先輩に確認をとろうと電話帳を開き――――――そこでふと気付く。

 おかしい。

 どうして、杉浦なんだ?

 いや、例え有馬であったとしても…………

 意識の中で引っ掛かりを覚えたまま、体は勝手に画面を操作し電話をかける。

 有馬先輩は、ツーコールで直ぐに電話に出た。


『……もしもし!?和希くん?どうしたの?何かあった?』


 何処か期待の隠る声。

 落胆させてしまいそうで肯定も否定も出来ない。


「年末のこんな時にすいません。……訊きたい事があります」


『う、うん。何?』


「先輩のお兄さん、杉浦さんについてです。杉浦さんが福寿を退学なさったのはいつですか?出来るだけ正確に」


『え?えっと……十一年前の三月。学年があがる直前……その頃は大分思い詰めてて殆ど休学に近い状態だったから。母さんが二年時から転学させるって言い出したの』


 当所から訊こうと思っていた疑問とさっき浮かんだ引っ掛かりとを混ぜ合わせながら、質問を構成する。


「ということは、杉浦さんはまだ一年の時点で退学したんですね?」


『うん、本人は嫌がってたけど転校先も母さんが勝手に決めちゃって、それまで行ってたのが福寿だったから、相手の学校も編入試験無しでオッケーしたらしくて……』


 そうだとすると、やはり杉浦は…………


「では、ちょっと込み入った事を訊きますが、先輩のご両親が離婚されたのと杉浦さんが退学されたのはどちらが先ですか?」


『え?えぇと、離婚したのが先、かな?私は両方の家を行き来してたけど、年明けにはもう別居してたから……』


 思ってもみなかった事を問われ、戸惑いつつ先輩は回答する。


『…………でも、それが何か関係あるの?』


 ある。大有りだ。

 それは有馬先輩には伝えられない。

 だからもう少し質問を重ねることで返答を誤魔化した。


「その流れだと、杉浦さんは母方に引き取られたという事ですか?」


『そうだけど…………?』


「なら、杉浦さんはそれまで有馬の姓だった?」


『う、ん』


 やはり、そうか……。

 続けざまに発していた問いを俺は中断した。面と向き合っているわけではないので、相手からすれば突然無言になった状態だ。

 でも、息を飲むようにして黙り込んだ俺に意味深なものを感じたのか、有馬先輩は何も言わずに次の言葉を待っているようだった。

 その間に俺は作成したばかりの資料を自分の手元に引寄せる。

 杉浦優一は、当時有馬優一だった。

 この事実は資料を作成して浮かんだ二つの疑問の双方に関わる情報だった。

 まず、第一に杉浦がどうして繭の兄と違って記憶を失う事が無かったのか。

 それは、ここに起因するのではないかと仮説がたてられる。

 繭の兄の詳細は不明だが、杉浦は全て記録する事が出来なかったと本人が言っていた。

 だとしたら、本来学年が上がる時に記憶が失われ禍が降りかかるはず。しかしそうはならなかった。現在の杉浦の状態を見れば充分に禍が降りかかったようにも感じられるが、杉浦の精神状態が悪くなったのはまだ期日前だ。それに、本人が遺書なんかを遺しているくらいなのだから、禍とは多分死と直結しているのだろう。

 その証拠に繭の兄は亡くなっている。その上、柳瀬先輩が言っていたではないか、「今まで七不思議に関わって生存を確認出来たのは一人だけだった」と。

 他者が過去を調べて、七不思議に関わった被害者であると断定出来るとしたらそれは、高知のように怪異発生前に亡くなったか、『記録者』に選ばれたかのどちらかだけではないだろうか。

 第二に、杉浦が有馬姓であったほうが少なくとも『記録者』の選定基準に関しては明確な基準があるという事になる。

 俺と同じ位置の靴箱の所有者。その年の入学者数にもよるが、現在と同じ5クラスならC組の後半かD組の前半の学籍番号。苗字が杉浦だったらどちらにも当てはまり難いが、有馬ならば、あ行後半。可能性はある。


「……先輩、杉浦さんは一年時どのクラスだったかわかりますか?もし解れば学籍番号も……」


 随分と無言の時間が続いてしまった事に気付き、確証を得ようと質問を再会した。


『4組』


 やはり。

 当時はある形式ではなく、一般的な数字でのクラスだった。けれど4組ならば現在のⅮ組と同意義と考えられる。


『……流石に学籍番号までは……当時の兄の持ち物、特に福寿に関わるものは母が処分してしまったから』


「いえ、大丈夫です。すいません、変な事ばかり訊いて」


 俺は直ぐ様フォローを入れる。確定に到らなかったのは残念だが、目処がたった分落胆した声音にはならなかった。


「……それと、先輩のほうはどうですか?渡り廊下に関する七不思議は?」


 一頻り訊きたい事を訊いた俺は、質問の意図を忘れてもらうため話を切り替える。

 直接話していたら随分急激な話題転換だが、電話なお陰か、有馬先輩は不自然さを感じなかったようだ。


『あ、一応『渡り廊下に棲む魔物』っていうのがあるんだけど……』


「へぇ、どんなのです?」


 詳細を問われ、先輩は話し始める。

 この前ファミレスで話した時に比べると随分明け透けに話してくれるようになっていた。机の影響もあり追い詰められているのかもしれない。

 有馬先輩の話す七不思議に耳を傾けながらも、俺の思考は続いていた。

 先輩には申し訳ない話だが、本音を言えば話の内容よりもその場所と先輩に何か因果関係があるのかというほうが今は知りたかった。

 それに何より、『渡り廊下に棲む魔物』という話を俺は既に知っていた。確かあれは夏休みの宿題を見せてやった時に龍臣に聞いたのだ。


『…………っていう話なんだけど』


「なるほど」


 わざわざ低くしていた声音をいつも通りのものに戻し、有馬先輩は話を締めくくる。邪魔にならない程度に相槌を打っていた俺は、神妙に、思案げに言う。

 だが、意識の大半は自身の手元に持っていかれていた。そして、思わず――――


「…………そうかっ!」


 思考が偶然行き着いた先に衝撃を受けて、前後の脈絡を考えずに声を上げてしまっていた。

 受話器の向こうで、ビクリと驚きに跳ねた雰囲気が伝わってくる。

 けれど、抑えきれなかった。堪えられなかったのだ。今更ながら単純な符合点に気付いたのだから。


『……ど、どうしたの?』


 数秒の間を空け、恐る恐る訊ねてくる先輩に謝辞を入れる余裕すら無い。


「条件は場所との関連性だけじゃなかった………」


 頭の中が言葉となって漏れていく。

 有馬先輩が怪談話をする間、俺は机に残っていた白紙のルーズリーフに半ば無意識に文字を連ねていた。

 考えていたのは先の杉浦が有馬姓であった際、その前に四人分他の苗字が組み込まれる可能性。要するに出席番号順で『ありま』の前に入るであろう苗字の模索。

 例えば、相川、浅香、足立……等々、二文字目が五十音の後半であることによって有馬の前に来そうな苗字は結構ある。

 それをなんとなく文字にして考えていたのだが、それは電話中無意識に行っている落書きと変わらない。そのせいか、俺は漢字だけではなく他の言語にしたり、バリエーションをつけて書き殴っていた。平仮名、片仮名、そしてアルファベット―――。


『ねぇっ!?どうしたの?…………何か解ったの??』


 痺れをきらしたように先輩が言う。その声は不安げで、俺がこのまま電話を切ってしまうのではないかと危惧しているような鬼気迫るものだった。

 二ヶ月の間気付いていなかった場合、『呪いの机』がどんな影響を及ぼすかは分からない。見付けたその時から日付がカウントされるのか、はたまたノイローゼにならん勢いで繰り返し同じ言葉を脳裏に焼き付けられるのか、もしくは直ぐに操られたような状態になってしまうのか。

 有馬先輩はただ文字を見付けたとしか言わず、現状の真意は定かではない。

 でも、不安な事は間違いないはずだ。だから、教えられる情報は教えてあげたいと思っていた。

 そしてこれは教えても問題ない情報だった。ましてや半ば既に漏らしていた。


「……先輩、たった今判ったんです。どうやって七不思議の被害者が選ばれているかが」


 落ち着こうと深く呼吸をして整えそう云うと、電話の先からは唾を呑む音だけが返ってきた。


「まずこれは既に分かってると思いますが、被害者は全員七不思議の話に由来する場所に深く関わっています。……更にそれとは別の共通点、それが苗字の頭文字の母音です」


『苗字の頭文字…………あ!』


 思い返してみて先輩も気付いたのだろう。俺と同様どこか拍子抜けしたようなそれでいて驚愕に満ちた声が漏れ聞こえてくる。


「高知、佐川、羽山、柳瀬、有馬……全員頭文字の母音はあから始まっています」


 加えて、先輩の知らない原田、加藤、そして和希も……。

 『記録者』『体験者』ともに全ての人物が共通している。

 だから、杉浦は苗字が変わった事で禍を受けずに済んだ。

 だから、同時に居合わせた内の古谷ではなく羽山だった。

 だから、放送部部長である宮城ではなく柳瀬だった。

 アルファベットで表記すればそれは一目瞭然だった。アナグラムにも満たない子供の暗号遊びのようなレベルだ。

 だからこそ、今まで気付きもしなかった。


『……ぁ…………あ……じゃ、じゃあ、もしかすると私達が知らないだけで他にも被害者がいるかもしれないって事?』


 明らさまに言葉に詰まった有馬先輩はなんとか次の言葉を見付けた。


『……し、ちょっと調べてみるね!』


 上手く継げない言葉を無理矢理早口に続けて、最後に礼を付け加え、一方的に電話を切られた。

 本当にそう思っているのかどうかは分からなかったし、それは無いという事も分かっていたが、俺は特に口は挟まなかった。

 多分動揺を隠すための逃げ口上なのだと思う。

 俺だって、あまりにも単純過ぎていまいち腑に落ちないくらいだ。

 なんだか、下らない推理ドラマの結末が事件自体起きていなかったと言われたような、悔しさと腹立たしさと驚きとがない交ぜになって苦いものが込み上げてきたような気分だった。

 携帯を置き、灯りが点ったままのパソコンを見る。まだ返信は来ていない。

 悔し紛れに通話中に書き殴ったメモをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。


「心~?林檎剥いたけど食べる~?」


 すると階下からそんな声が届いた。

 丁度いい。口が苦かったところだ。

 俺は「ん」とだけ返事を返し階下へと下りる。


「青森のおじさんがね、一杯送ってくれたのよ」


 リビングには親父と母さん、そしてテーブルの上には赤い耳を生やした兎の群れ。


「一杯って…………一気に剥かなくても」


 思わず小さく呟くが母さんは素知らぬ風だった。


「なんだ、心。年の瀬だっていうのに勉強してたのか?」


 半ば呆れて、兎を一羽口内へと運ぶと親父が隣を示して声をかけてくる。

 痛々しく直視すらし難かった足は、今でこそ歩けるようにはなったものの、つい最近まで松葉杖が手放せなかった。もう包帯は巻いていないが未だに引き摺っている節がある。両足だから尚更その歩き方は不自然だった。

 そういえば、この人に憧れて福寿に入ったんだよな…………

 それなのに七不思議に巻き込まれて、成績も落ち、危うく親父の命まで奪いかねなかった。

 結果、年中世界中飛び回っている親父が今年中ずっと家にいられたわけだが、負い目を感じていた俺はろくに話をする事すら出来なかった。


「…………なぁ、親父?」


「ん?」


 俺が死んだらどうする?

 継ぐはずだったその言葉は喉の奥から出てこなかった。

 そもそも訊いたって仕方の無い問いだった。どうするも何もない。

 ただ、それでもやっぱり福寿を辞めたいとは思わなかった。


「……親父が福寿にいた時って七不思議あった?」


 誤魔化そうとして出てきた言葉は、またしてもそんな言葉だった。

 余程俺の頭の中はそれで一杯らしい。

 親父は、思案するように空を仰ぐ。兎が一羽、頭から親父の朽ちに飛び込んでいく。


「……あぁ、あったな」


 釣られるように俺も二羽目を口へと放り込む。


「どんなのだった?」


 もうかれこれ三十年近く前の事、覚えているはずもないが肯定されればつい続きが聞きたくなった。


「うんとなぁ……夜中に校庭に人魂が見えるとか、自殺した女の子がピアノを弾いてるとか、格技室に不良番長の霊が出るとか……そんなんだったなぁ」


 しかし、予想に反して親父は覚えていた。しかも在り来たりな類いと言えばそれまでだが、未だに語り継がれている本物までがそこには混じっていた。


「……後は?」


「後?そうだな……理科実験室に硫酸を浴びた演劇部員がいるってのと……夜中に校内放送から悲鳴が聞こえる……これで五つか。後一つなんだったかなぁ?」


 林檎をくわえたまま、うーん、と考え込む親父。


「なんで五つ?七不思議なんだから七つだろ?」


「なーに言ってんだ、七不思議の最後は欠番が当たり前だろ?」


「欠番?」


「あぁ、七不思議を六つ総て知ると七つ目の呪いが発動して呪われるってやつだよ」


「……そうなのか?」


 現在の福寿では表題やら三つ周囲に話すという制約やら本物云々が先行していて、そんな話はされていない。

 それに藍色の本にはしっかりと七つ目を記載する頁まであったはずだ……。


「まぁ、あれだな。七不思議ってやつはこいつと一緒だからな……」


 そう言って、親父はあの例のポペットを指先でつまんで示した。

 親父が事故にあったあの時、文字通り親父の命を救ってくれたポペット。

 親父が土産として買ってきた三体のポペットの一つ。青い糸で作られたそれは、本来俺の物になる筈だったが、今は親父に預けてある。

 そして、心配性の母さんが、親父に肌身離さず、例え何処にいようともそれを持っているようにと言いつけたのだろう。親父は、きっとそれを律儀に守っていて、こうして家でテレビを見ながらくつろいでいる時ですら、手が届くところにそれを置いているのだ。


「七不思議がポペットと一緒って……どういうこと?」


「七不思議ってのはただの怪談話じゃないってことだ。このポペットってゆーのはイギリスの魔術に沿った呼び名だ。ブードゥー教じゃぁブードゥー人形、道教やその流れを汲んだ陰陽道なんかじゃヒトガタなんて言い方をしたりするが、どれも同じような用途で使用される」


 こうして、親父の講義が始まった。

 それは決して退屈なものではない。歴史家である彼の話は確かな知識に基づいた、それでいて聞く者に解りやすく噛み砕かれたものなので、時間を忘れて聞いていられる。そして先を知りたいと思えるものだった。


「要は、まじない、呪具。のろいと言うと儀式めいたものが思い浮かべるかもしれないが、一定の条件を確立し、そこに術者の念をこめて条件に沿って動く、呪いっていうのは、ただそれだけの仕組みなんだ。まぁ、そもそもまじないという言葉は漢字で書けば呪いだしな」


 少しの期間仕事から離れ、自身の探求心を持て余しているせいなのか、親父は矢鱈に饒舌に、目を輝かせて語っている。


「七不思議も同様、学校という狭い空間の中、それぞれの話の中にある場所やシチュエーション、そしてその話が発生した要因に則った状況を作ることによって、呪いが発動し、怪奇現象を体感する。話一つ一つが既に呪詛の要件を満たしている。更にその上で、七つの話を識ること自体が禁忌であり、禁忌を侵すことも大きな枠組みの一つとして呪詛を被る」


 七不思議が呪い。

 そんなこと今まで考えたこともない概念だった。

 確かに、七不思議も呪いも怖い話としては一律に扱えるのかもしれないが、七不思議は死霊や妖といった人ならざる者によって引き起こされるものであり、呪いはあくまでも術者、人の想いに起因し、生きている人間が何かをすることによって引き起こされるものという認識をしていた。

 まぁ、親父と違って宗教的知識や歴史に精通している訳ではないので、こと呪いと言われて浮かぶイメージが、所謂丑の刻参り、藁人形に五寸釘を打ち込むあれ、程度だからかもしれないが。


「……だとすると、七不思議にも呪いをかけた術者がいるってこと?」


「あぁ。流石、俺の息子だな。いいところに気付く。その通り、七不思議にも術者がいる。それが誰かというとな…………そうだな、心、そもそも怪異、怪奇現象っていうのはどうして起こるんだと思う?」


 何とか話についていっていることを示すように絞り出した問いが、すぐさまもっと難題になって返ってくる。別に親父を論破してやろうなんて気は毛頭ないが、一介の高校生如きが心霊の発生原因など知っているはずもない。


「念って言うのかな……残留思念とかそういう感じの、生前の人間の感情が写真とかみたいにそこに焼き付いてる?……あー、言葉にしようと思うと上手く表現できねぇよ」


「うんうん。まぁ、よく頑張った。でも、ちょっとリアリティにかける答えだな。俺は現実主義者リアリストってわけじゃないが、考古学者だからな、怪異、怪奇現象、心霊とかっていうものは全て情報によって発生すると思っている」


「情報?」


「あぁ。人もそうだが全てのものには名前という情報がある。言霊ことだまあざないみな、古来からそういった文化が存在しているように、情報を識ることこそが世の理の根底にはあるんだ。怪異や怪奇現象も同様、口伝や記述によって情報が伝わることによって永い時を経た後の世でまるで映像を再生したかのように追憶される……俺は怪異っていうのはそういうものなんじゃないかと考えている」


 親父はどこか感慨深げにそう持論を展開した。その論は流石考古学者と思えるものだった。不可思議な現象を完全に否定しているわけでもなく、だからといってオカルトに傾倒しているわけでもない。

 だが―――


「…………だとすると、七不思議の呪いをかけてる術者は…………」


 嫌な結論が喉に詰まって、言葉にならずに途切れた。

 答えに辿り着いた俺を讃えるように親父は深く頷く。


「そうだ。七不思議の呪いをかけている術者は七不思議を語り継ぐ生徒全てだ」


 親父は、俺が敢えて避けて口に出来なかった答えを、突きつけるようにはっきりとそう言った。


「二人で何楽しそうに話してるの~?」


 親父の衝撃的過ぎる仮説に、俺が動揺を隠せず茫然としていると、三人分のお茶を淹れた母さんが林檎を囲んで論議を展開するリビングへとやってくる。


「福寿の七不思議の話だよ。今でも福寿に七不思議が残ってるって心が教えてくれたんだ」


 途端に親父の表情は考古学者のものから、息子に甘く、妻に優しい父親の顔へと変わっていた。

 冷たい汗が一筋俺の背中を伝い、汗と共に緊張感が霧散し、家庭の温もりが勝手に冷たくなっていた指先に熱を戻す。


「懐かしいわねぇ~、学校の七不思議」


「うーん、あと一つなんだったかなぁ?父さん卒業製作で福寿の七不思議に纏わるレポートまとめたんだけどなぁ~……」


「レポート?」


「あぁ、父さん歴史研究会って部活でそういうの書いたんだよ」


 卒業製作で七不思議……またしてもどこかで聞いた話だ。

 結局福寿はいつの時代も七不思議に振り回されているという事なのだろうか。


「お父さん、『びっちょぐっちょ』よ」


「そうだ!プールに潜む妖怪ビッチョグッチョだ!」


 喉に詰まった魚の小骨が取れた時のやうな顔をして、親父はぱんっと両手を打ちならした。


「ナニソレ?」


 どうにも稚拙というか、センスのないそのネーミングに口元が引き吊る。


「プールにな、いるんだよ。そういう妖怪が」


「へぇ……」


 プールという事は、今でいう『水底の呼び声』とリンクするものだろうか?いや、あれは昔の理科実験室になぞらえたものか……


「……にしても、なんで母さんがそんな事知ってるんだよ?母さんは福寿じゃないだろ?」


 母さんは福寿生ではなく近隣の女子高に行っていた。親父とは拓真たくまさん、母さんの兄と親父が仕事上繋がりがあり、その関係で出会って結婚したはずだった。


「勿論お父さんに聞いたのよ」


 二人がけのソファの親父の横に腰をおろし、自分も兎の林檎を一羽つまみ上げながら、さも当たり前のように母さんはそう言った。

 けれどはたしてするだろうか?成人した恋仲の男女が高校時代の七不思議の話なんて……


「あぁ、そうか心は知らないもんね。実はね、お母さんとお父さんは、付き合う前に一度出会ってるのよ」


 懐疑的な眼差しを向けていると、しゃりっと林檎を頬張って、母さんは話始める。


「お母さんとお父さんはね、中学生の時同じ塾に通ってたの。お母さんは親友に誘われて行き始めたんだけど…………お父さんその時すっごくモテてたの。頭も良かったし、格好良かったから、塾の女子皆の憧れの的だったわ」


 それがわざわざ他校の七不思議を聞く事とどう関係しているのかさっぱり分からない。


「私も勿論そうだったけど、私より先に塾に通っていた親友はもっと熱を上げてた。しかも親友はお父さんと志望校が同じだったから、尚更。絶対同じ学校に受かって告白するって凄く一生懸命で……でも福寿には行けなかった…………」


 熱を帯びて話す母さんの目が僅かに憂う。その親友と言うのが未だに供養し続けている例の親友を指しているのだと分かった。


「…………だから、お父さんと再会してお付き合いを始めた時にはよく福寿の話をしてもらったの。どんな学校でした~?ってね」


 最後はそう締め括って笑い、茶で喉を湿すと再び林檎をつまんだ。

 大量に身を寄せあっていた兎は随分と仲間の数を減らしていた。


「あの時はびっくりしたなぁ、拓真さんの妹さんとして紹介されたら知ってる人だったんだから」


「お父さん、あれ?じゅんちゃん?って目真ん丸にして驚いてたもんねぇ。塾に通ってた時は一度も話した事ないのに、よく知ってたなってこっちまでビックリしちゃった」


「そりゃあ覚えてるよ、なんせ母さんは昔から美人だったから」


「そんな事言って、どうせ女の子の名前は全部覚えてたんじゃないの~?」

 たちまちいつもののろけ話が始まってしまう。息子の前だというのに。


「いやいや、今も昔も純ちゃんが一番可愛いよ」


「やぁだ、まことさんたら」


 まったくこの人達は…………と思いつつ、わざと大きな音をたて林檎を咀嚼してみるが、俺の存在など気にしていないようだった。

 つい先程までの家族の団欒には似つかわしくない会話は完全に払拭されていた。

 居心地はあまり良くないが、それは随分安らぐものだった。

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