12月11日

 杉浦優一に会いに行った翌日の事。

 俺はある人と会う約束を取り付けた。

 場所は駅前のファミリーレストラン。

 その人と学校外で会う事は始めての事で話をするのとは別の緊張感があった。


「ごめんなさい、待たせた?」


 店内際奥、窓に面していないボックス席でドリンクバーを一人分注文し来訪を待っていると、その人は待ち合わせ時刻の十分後に遅れてやって来た。

 店内に入るなり、小さな体を盛大に振り回し俺の姿を発見すると、大きく手を振ってから小走りにやってくる。


「いえ、こちらこそこんな時に呼び出してすみません」


 ついほのぼのとなる気持ちを抑え、なるべく淡々と儀礼的に挨拶すると、その人も俺のただならぬ雰囲気を感じ取ったようだった。


「大丈夫大丈夫、私達三年はもう試験はあんまり関係無いから。それに私は指定校推薦もらってるしね」


 彼女―――有馬翔子先輩はそう言って朗らかに笑う。


「…………おめでとうございます」


「うん、有難う。……と言うか、和希くんこそ平気?週明けから期末なのに……」


 向かいに座った先輩は、俺と同様ドリンクバーを注文する。


「あ、それとも話って勉強の事?それだと私あんま役にたたないかも…………」


 沈黙を嫌うように、雰囲気を打開するようにニコニコと話続ける彼女の問いには答えず、「取り敢えず飲み物取りに行きましょう」と促した。

 各々飲み物を取り席に着くと、再び会話が再開される。


「…………それで、今日はどうしたの?」


 顔を合わせてから殆ど一方的に話している有馬先輩は、流石に少し居心地悪そうにしていた。

 多分俺は、先輩を困惑させるくらい切迫した表情を浮かべているに違いない。

 しかし、それほどに事態は混迷しているし、時間も残されていなかった。

 その上、どう切り出したらいいかも迷っていた。簡単に言い逃れされてしまう畏れもあるし、話し方によっては無駄に問い詰める形になってしまいかねない。

 でも別に俺が一人でテンパっているだけで、彼女が悪いわけではないのだ。


「…………有馬先輩」


「ん?」


「先輩って、文芸部だったんですね」


「う、うん。そうだけど…………言ってなかったっけ?」


「いや、俺が聞き逃していただけかもしれません。文化祭委員の時、他にも部活の部長を兼任しているっていうのは聞いていましたし」


 有馬翔子、彼女こそが陰でオカルト研究部と言われる文芸部の部長である事を俺は以前から知っていた。知っていたからこそ、今の今まで七不思議の謎に行き詰まっても、文芸部に情報を求めるのを控えていたのだ。


「…………じゃあ、なんで文芸部が七不思議について調べているのか教えて下さい」


 ほんの一瞬、目の前の彼女の笑顔が引き吊った気がした。


「あぁ、オカ研て言われちゃってるやつ?あはは、なんてゆーかちょっと大袈裟だよねぇ」


 しかし、表情の変化は極々僅かな時だけで、有馬先輩は頭を掻きながら恥ずかしそうに笑ってみせた。


「うちの部の活動はね、基本的には文化祭の時に文集を作って配布する事なんだけど、三年は別途卒業製作も作る事になってるの」


 そう言って、彼女はアイスティーを啜る。

 彼女の口調はいつも通りだ。


「……それで私は七不思議について調べてそれを纏めようかなって思ってるんだ。ほらっ、七不思議って学校によって色々あるじゃない?中でも福寿のは……」


 やけに饒舌に、有馬先輩は俺の問いに答える。ともすれば、自身の得意分野を質問されて嬉しそうに話しているようにも見えなくはない。

 数日前の俺なら楽しそうに話す彼女の話を鵜呑みにしていたかもしれない。


「……もしかして似合わないって思ってる?」


 俺が黙ったまま、相槌すら打たずにいると、先輩は小さく空笑いを溢した。


「よく言われるんだよね~、やっぱ見た目かな?この身長だからさ、運動部って思われることは少ないんだけど、文芸部っぽくないって皆言うんだ~」


 尚も無言で彼女の言葉を聞き続ける。

 この饒舌さが、誤魔化し故のものなのかどうかまでは判断出来ない。

 思い切って俺は切り札をきることにした。


「それとも七不思議っていうのが似合わない?」


「そうは思いません、お兄さんのこともありますしね」


 その一言で今度は確実に有馬先輩の表情は凍りついた。

 じっと、出方を窺う。

 口元だけが笑んだまま固まった有馬先輩の顔は、二秒程の後スッと全ての感情を引っ込ませた。

 俺が今まで見たことの無い冷たい表情だった。


「…………誰に聞いたの?」


 据わった目のままそう訊いてくる。

 実を言えば半ば推測でカマをかけただけだった。

 勿論、彼女にだって俺が『記録者』であることをバレるわけにはいかない。

 だが、だからといって何か決定的な事を突っ込まなければ、彼女は話してくれなさそうだった。

 だから割とリスクのある賭けに出た。


「聞いたんじゃありません。自分で調べました」


「どうやって?」


 今までと立場が逆になって、質疑応答が交わされる。

 ここでボロを出すわけにもいかない。

 多分彼女は俺が七不思議について調べている事もきっと判っているんじゃないかと思う。


「過去二十年程、福寿に入学した生徒の中で、卒業に到っていない生徒をピックアップしてその動向を調べました」


 頑として答える。


「…………そっか。やっぱり和希くんすごいね」


 ほんの僅かに有馬先輩の態度が軟化した。

 昨日、杉浦優一の入院する病室に有馬先輩が入っていくのを俺は目撃した。

 その時の看護士の反応は彼女が何度もその病室を訪れている事を示していた。

 そこから俺は、有馬翔子と杉浦優一の関係性を考えた。

 結果行き着いたのは、二人は兄妹じゃないか、ということだった。

 杉浦の入院した時期から考えて、親子である可能性はないし、恋人同士というのも考え難い。

 だとすると、俺と暁さんのような親戚関係とか、幼馴染みなんていうのが妥当なところだが、それでは少し関係性が薄弱な気がした。

 なんせ、杉浦が福寿を退学したのが十一年前。その時有馬先輩は七歳程度。その歳から今に到るまでの間、入院している彼を定期的に見舞い続けられるだろうか。

 それに、柳瀬先輩の話にあったように杉浦が七不思議に関わった事が判明したのは彼の入院の三年後に家族が手記を発見したからだ。

 あくまでもそれは家族であって、親戚や友人ではない。

 その事から察するに、手記を発見したのは当時十歳だった有馬先輩なのではないだろうか。

 そしてそれをきっかけに杉浦の病の原因を究明すべく福寿入学を目指した。

 何かしらの理由で苗字は異なるが、それらのことを総合すると二人が兄妹と考えるのが自然な気がしたのだ。


「流石に兄さんのこと言われたら言い逃れ出来ないな~」


 有馬先輩の口調が俺の知っているものへと戻る。でも、目は鋭く厳しいままだった。多分、これが彼女の素なのだろう。


「でも、よく分かったね?苗字も違うし兄さんずっと入院してるのに」


「…………実は、兄妹っていうのは半ば勘です」


 直接会いに行ったとは言えなかった。


「ウソ!?じゃあ、私墓穴掘ったってこと?」


「……まぁ」


 有馬先輩は、唇を尖らせ不貞腐れたような顔をして「はぁ、やっぱ私抜けてんだよなぁ」とか呟きながらアイスティーを啜る。

 昼下がりのファミレス。

 周囲には遅めの昼食を摂る会社員や若いカップル、子供連れの家族や愚痴を溢し合う主婦。

 天気は良く、寒空だが窓越しの植木には日溜まりが出来ている。

 そんな長閑な景色の中、奥まったボックス席で今から不釣り合いな怪談話が交わされる。

 やっと、本題に入れそうだった。


「…………確か、和希くんは亡くなった子のために七不思議について調べてるんだよね?」


「はい。俺はそいつから七不思議に悩まされているっていう相談を受けてたんです。でも、何もしてやれなくて……」


 使い古したこの嘘も何度口にしただろうか。完全に嘘というわけではないが、死んだ高知に対して少し申し訳無くもある。


「……そっか。それで?私に何が聞きたいの?」


「…………幾つかあります。ただ、正直行き詰まっています」


「うーん、じゃあさ、こうしない?お互い情報を出し合うっていうのは?」


 少し考える素振りをみせ、有馬先輩は言う。上目遣いのその瞳はやはりどこか冷たい。もしかすると、先程のやり取りを含めた今の展開は彼女の思惑なのかもしれないと少し感じた。


「構いません」


 間髪入れずに返答する。

 例え思惑の内だとしても、行き詰まっているのは事実、挑むところだった。


「ありがとう、じゃあ、そっちからどうぞ?」


 ニッコリと笑んだ有馬先輩に底の知れなさを感じつつ、頭の中で質問を列挙する。


「…………では、どうして先輩が七不思議について調べているのかから教えてもらえますか?」


「ん?私が調べてる理由?」


 もう解ってるんじゃないのかと言いたげに鸚鵡返しに問われる。

 粗方予想がついている上で敢えて聞いたのだ。これを聞くことで杉浦についてと杉浦の手記について抵触する必要が出てくる事を期待していた。


「理由はね、今から八年前兄さんが福寿在学中に書いたと思われる福寿の七不思議に関するメモが見付かったから」


「メモ、ですか?」


「そう。兄さんはね、私同様文芸部だったから文集に載せるためにそんなメモを書いてたんじゃないかって思ったの。でも、そのメモの量は手帳にぎっしりって感じの大量なもので、しかもどこか危機迫るものがあった」


 当初手記と聞いていたそれはどうやらメモのレベルのものだったようだ。

 もしかすると、杉浦も俺みたいに頭の中を整理する際にメモを取る癖があったのかもしれない。だが、それは端から見たら文集用のネタ帳と思われたのだろう。


「その頃私はまだ小学生だったから、家族や医者にそのメモが兄さんがおかしくなった原因じゃないかって言っても誰も取り合ってくれなかった…………だからね、自分で調べようって思ったの。そうしたら、兄さんを治す方法も分かるかもしれないって思って…………」


 頷きながら黙って話を聞いていると、有馬先輩は思っていたよりも細かく、しっかりと話をしてくれた。


「…………それで中学三年間死ぬほど勉強して福寿に入学して…………七不思議についてずっと調べてるけど……解った事はそんなに多くない。和希くんみたいに頭が良かったら違ってたかもしれないんだけどね……」


 もう八年もの間、誰かに話すことなど無かったのだろう。「怪談話で兄がおかしくなってしまった」なんて誰かに容易に話せるわけもない。

 交換条件、取引のように持ち掛けてきたのは先輩のほうなのに、先輩は訥々と話し続けた。


「お兄さん――――杉浦さんはどういう方だったんですか?」


「兄さんは優しくて、頭が良くて…………私にとっては誰よりも大切な人だったわ。家はね、両親共に昔から仕事が忙しかったから、私の面倒は全部兄さんがみてくれたの。ご飯の仕度も洗濯も、それこそ保育園の送り迎えまで…………」


 更に質問を重ねていることにも気付かずに、有馬先輩は答える。

 杉浦の事を話す彼女は、まるで恋する乙女のような慈しみの表情をしていた。


「…………でも、兄さんは福寿に入学してから少しづつおかしくなっていったの。なんていうか、凄く神経質になっていつもピリピリしてて…………変わらず家事もやってはいたけど、ご飯もろくに食べて無かった。だからどんどん痩せていって……」


 病床の杉浦の様子が目に浮かぶ。

 衣服から覗く腕は骨と皮しかないように見える程痩けていて、髪もバサバサ、肌もボロボロだった。


「…………見兼ねた母さんが退学させるって言ったの。でも父さんは福寿に通う事は名誉なことだからって……勝手な話よね、それまで仕事だってろくに帰ってこなかったくせに兄さんが傍目に見ても分かるくらい変になってからさ……」


 有馬先輩は僅かに悔しそうに顔をしかめ、口元だけを自嘲気味に歪めた。

 余程、杉浦のことを慕っていたのだろう。


「……結局それをきっかけに両親は離婚して、兄さんは母さんに、私は父さんに引き取られる事になったの。だけど、その時にはもう兄さんはまともに話が出来ない状態になってた。一応は進級したんだけど、退学せざるを得なかった……」


「杉浦さんの様子が変わったのはいつ頃から?」


「はっきりは解らない。一般組だったから勉強にも根を詰めてたし……」


「……そうですか」


 本当はもう一つ訊きたい事があった。杉浦が一年時、有馬先輩や家族に怪我や病気などはなかったかという事だ。

 それが分かれば杉浦が『記録者』だったという確証がもてる。更には、杉浦が『記録者』だったとして、藍色の本を手に入れた時期も。

 だがそれは飲み込んだ。

 ふぅぅぅ、と長く有馬先輩は息を吐いた。

 回答はここまでという雰囲気を示していた。


「次は私から質問、いいかな?」


「はい」


「それじゃあ…………和希くんは今何個七不思議を知ってる?」


「大体、二十程度です」


「その中で“本物”はいくつ?」


 直ぐ様重ねてされる問いに、彼女が七不思議についてどの程度理解しているのかが判る。


「――――五つ、です」


「五つ……やっぱり」


「何がやっぱりなんです?」


「既に本物と確定してる数が五つって事なんじゃない?」


 説明を求めればまたしても疑問が返ってくる。ちっとも説明になっていないが言いたい事はなんとなく解った。


「そう、ですね。俺が知っている限りですが…………と言うことは、先輩も現時点で“本物”は五つだと思っていたって事ですよね?それはどうして?」


 俺が“本物”と確信した理由は言わずもがなだが藍色の本が認めたからだ。

 まぁ、自分の目で実際に見て体験したというのもあるが……。


「うん、それはね、被害者の数」


「被害者の数!?」


 有馬先輩の答えは予想に反したものだった。

 怪異の被害に遭った人物の記憶は、周囲の人物の記憶と併せて書き換えられるはずだ。

 亡くなった高知については分からないが、佐川、羽山、柳瀬先輩も『体験者』は例外なく前後の怪異に関する記憶を失った。

 それだけではなく、現場に居合わせた龍臣も、更には羽山から話を聞いていた古屋先輩ですら記憶が塗り替えられているようだった。

 だから、七不思議の被害者と他人が断定出来る根拠はないはずだった。


「……私の場合、はっきりとした根拠があるわけじゃないんだけどね……」


 俺が驚き訪ね返した気迫に気圧されたように、有馬先輩は一瞬詰まった。

 言い訳するみたいに前置きを加える。


「―――――今年になってから入院した生徒の数」


「!!」


「一年B組の佐川くん、同じく一年のC組羽山さん、二年A組の柳瀬くん、それから亡くなった一年D組高知くん――――高知くん以外は全員学校から救急車で運ばれてるよね?」


 確かに、俺は当事者としての視点で見ているからこそ気にならなかったが、客観視すればそう思ってもおかしくない。

 でも、勝手な思い込みだが記憶が根刮ぎ塗り変わるくらいの事が安易に起こるのだから、例えおかしな符号があっても周囲の人は気にならないんじゃないかって思っている自分がいた。

 でも、調べようとしている人からすればきちんと違和感として認識出来るのだと初めて理解した。

 けれどそれだけではおかしい。足りない。まだ五つにはなっていない。


「…………一つ足りないのは、重複するものがあるから、でしょ?」


 俺の反応を窺うようにしながら、慎重に有馬先輩はそう発した。

 顔には出さすにほっとする。

 使い古された怪談話のように「最後の一人はお前だ」と言われてしまうのではないかと内心思っていた。


「兄さんのメモにあったの。一つは全員に重複して起こるって…………だから、被害者が四人で七不思議が五つ、違う?」


「間違って……ないと思います」


 どうやら、根拠を学校から搬送され入院した生徒と、例外として死亡した一人をカウントして数合わせをしている先輩は、流石に高知と佐川の怪異が同一であったことまでは分かっていないようだった。


「じゃあ、その本物の七不思議は………?」


「その前に、俺から質問いいですか?」


 遮るようにそう言った。いや、実際遮った。

 次に聞かれる事は判っていた。だからこそ、それを答えていいものか考える時間が欲しかった。

 それに先に聞いておきたいことがあるのも確かだった。こちらよりも明らかに先輩のほうが有している情報量が多い。

 それは互いの情報の質とかけた時間が違うからだ。俺の情報は実体験に基づいているので信憑性は確たるものだが、かけた年月と後ろ楯がある分先輩の情報は精査されている上に膨大だ。

 だから出来る限り、こちらの札がなくなる前に引き出しておきたいところだった。


「……そうね、そういう約束だもんね。なに?」


「あ、はい。杉浦さんのメモ、それにはどんな事が書いてあったんですか?」


 実物を見せてもらえれば一番有り難いが、流石にそれは無理だろう。取っておいてはあるかもしれないが持ってはいないはずだ。


「………メモに書いてあったのは、七不思議の一覧とさっき言ったみたいな特徴というか、規則性とかっていったものかな」


「見せてもらうことは出来ますか?」


「……えぇ、大丈夫。でも、一覧のほうはともかく、もう一枚はほとんど走り書きで、塗り潰されてたり、破られてたりするところも多いんだけど…………」


 それでも良いか、と訊ねてくる先輩に構わないと告げ約束を取り付けた。


「だけど…………先輩はそのメモを見て杉浦さんの病の原因は七不思議と思われたんですよね?」


「えぇ、そうだけど……」


 理由を訊いた際、確かに有馬先輩はそう言っていた。―――だが、だとすると少しおかしくないだろうか。


「それなら、七不思議の一覧と特徴や規則性が書かれたそのメモのどこに危機迫るものを感じたんですか?」


「――――――!?」


 またしても、有馬先輩は目を見開いて固まった。


「ましてや、片方は読み取れないところも多かったって言うなら……」


「ほんっと、和希くんには敵わないや」


 更に突っ込もうとすると、先輩は困ったような笑みを一つ寄越し、ブレザーの内ポケットへと手を突っ込んだ。

 そこから生徒手帳を取り出す。その間には四つ折りに畳まれた紙が一枚挟んであった。それを丁寧に開き、拡げて此方へとテーブルを滑らす。

 それは便箋だった。

 罫線の間にしっかりと収まった、それでいて少し傾いた几帳面な印象の文字が数行並んでいる。



『  翔子へ

  もし僕が死ぬようなことがあったら

 父さんと母さんのことを宜しく頼む。


  それから

  福寿には絶対行くな』



 まるで遺書だった。

 戦地へ向かう少年兵のような、恨み言も願いも綴ることの出来ない端的な遺書だった。

 テーブルの上に置かれた少し変色し、折り目のついた罫線のみの便箋に触れるのは憚られた。

 だから食い入るように、繰返し繰返し神経質なその文字列を読み込む。


「…………メモを見付けてから少し後に、兄さんの机から見付けたの。関係無いとは思えなかった……」


 やはり、杉浦は『記録者』だったのではないだろうか。

 その手紙を見てその考えが一気に強まった。

 『体験者』と『記録者』は怪異に対しての関わり方が違う。

 『体験者』は『机』に選ばれると対応した怪異に喚ばれ遭遇することになる。逆らえば段々と意識が乗っ取られ、操られるようにして学校へと向かう。

 一度遭遇してしまえば後はない。一週間後には記憶と共に無かったことになって終わり。上手く逃げおおせれば『体験者』が必要以上に傷付くことはない。

 しかし『記録者』の場合は違う。本を見つけ書くことが出来なければ、害は大切な人に及び、一年以内に書き上げられなければ禍が降りかかる。多分それは生命の危機に近いものなのではないかと思う。

 多分、杉浦も同じように考え、このような遺書を残しておいたのだろう。

 では、何故死なずにすんだのか…………?

 ん?―――――――何かおかしくないか。

 違和感、いや、そんなレベルのものではない。根底から間違っているような、何かを見過ごしているような…………


「……………和希くん?」


 テーブルに開かれた便箋を睨み付けるように見つめたまま考え込む俺を心配するように先輩が覗き込んでくる。


「……あれ?ちょっと待ってください。何か、何か引っ掛かる……」


 情報が交錯し過ぎている。一から考える必要がある。整理する必要がある。

 今まで関わってきた人物の言葉が飛び交う。

 しかし、何が引っ掛かっているのか、重大な事のはずなのに咽が締め付けられる感覚ばかりがしてはっきり出来そうになかった。


「…………すいません、もう一個いいですか?」


 とりあえず思考を停止させ、まずは目の前の会話に集中する。


「え?あ、うん」


「杉浦さんと先輩との関係を知っている人は他にいますか?」


「一人だけよ。部の後輩にも調査は協力してもらってるけど、兄さんの事は話してないの」


「そうなんですか……その一人って?」


「ミヤちゃん」


「ミヤちゃんって…………宮城先輩?」


「そう、彼女とは幼馴染みなの。家が離婚する前から付き合いがあったから」


 放送部の宮城玲奈。そうか、それで柳瀬先輩は杉浦のことを知ったのか。

 今となっては分からないが、柳瀬先輩は俺に話すより前に有馬先輩に七不思議のことを話していたのかもしれない。

 それで有馬先輩は杉浦の事を柳瀬先輩に伝えたのかも…………。


「さっきの質問に答えてなかったですね」


「え、うん」


 俺は意を決しそう切り出した。

 伝えておこうと思った。その上で、確認しておきたいことが出来た。


「俺が今“本物”だと思ってるのは、『呪いの机』『悲恋の靴箱』『水底の呼び声』『逃走劇の結末』『得られなかった優勝旗』の五つです。ただ、俺は実際に見たわけではありません」


 早口に言い、先回りするようにそう付け加える。

 きっと次に訊いてくるのはどうしてそれを“本物”だと思ったのか、その根拠だろうと思ったからだ。有馬先輩は、入院した生徒が学校から運ばれた事を知っていた。だったら、自と誰が通報したかも知っているはず。


「…………どうしてそれが“本物”だと思うの?」


「俺が彼等を見付けた場所です。俺が駆け付けた時には、皆既に倒れている状態だった。なのでその現場に該当するものを当て嵌めてます。高知の場合は違いますが、高知には事前に相談を受けてたので」


 幾ばくかの嘘を交え、訂正された記憶に沿って、淀みなく答える。これで問題ないはずだ。


「……先輩はどうなんですか?“本物”と思った七不思議を確認されましたか?」


 訊きたかった事はこれだった。

 『体験者』の記憶の塗り替えは、当人の記憶だけではないという事によって話に随分齟齬が生まれ始めていた。

 有馬先輩は三年にわたって福寿で七不思議について調べている。だったら一回くらい確証を得るために現場に行くくらいするのが当たり前だ。

 そして、ヒデオの例から考えると一度『体験者』が行った後は、条件にさえ沿えば何度でも怪異は発生する。

 ただ彼女にその機会は少ない。『記録者』が選ばれたのは三年前と今年。三年前の『記録者』だと思われる加藤慶子は藍色の本に辿りつけなかったと思われるので、有馬先輩が怪異を目撃出来るとすれば今年の九月二十五日以降。

 遇うとすれば、格技室か、運動施設、放送室のどれか。その内二つは先月の二十三日から本日の間までなので機は二回程度ではあるが、調べているなら行き遇っていてもおかしくはない。


「それがね…………ないの。三年間調べてるのに一つも確認出来てない」


「一つも?」


 それは一体どういう事なのだろうか?

 一昨年と昨年に関しては『記録者』が不在なため『体験者』も選ばれず七不思議は一つも発動しなかったということなのだろうか?


「えぇ。入学してからの三年間、決まって七不思議の話は皆の話題にのぼってたわ。特に新入生が入ってくる春には誰からともなく話が広まって、そうすると生徒はこぞって七不思議の話をし始める。例の卒業出来ないってルールがあるから…………」


 確かに、今年も例外ではなくその通りだった。夏休み前までは耳が痛くなるほど七不思議の話がそこら中飛び交っていたが、今となっては訊かれれば話す程度で皆あまり口にしない。


「……話の内容は毎年少しづつ変化はしてるんだけど、取り敢えず片っ端から検証してみたの。でも一回も確証を得れてない……始めはね、対処法?あれのせいなのかなって思ったの」


「七不思議の被害に遭ったら本当の七不思議を四つ見付けるっていう……」


 七不思議の《規則》と《対処法》。それはまだ本を見付ける前に高知に聞いたものだった。

 藍色の本を見付けてからはそれらの口伝が噂に過ぎないという事が分かり、以降今まですっかり失念していた。


「そう。でも、それはあくまでも被害に遭った人の対処法だし、そもそも兄さんの話と辻褄が合わなくなっちゃうから、関係ないとは思うんだけど……」


「じゃあ、最近の流れから本物の数を予想していただけで、どの話が本物かは知らなかったということですか?」


「…………うん、そうなの。和希くんが入院した人達を発見した事は知ってたから、訊こうかとは思ったんだけど……その、巻き込みたくなかったからさ」


 有馬先輩は気まずそうにそう言って、「もっと早くに相談すれば良かったね」と悔しさと申し訳なさが入り交じったような表情でそう付け加えた。

 俺が文芸部の部長が有馬先輩だと知っていて今まで話を訊かなかったように、彼女も委員会で面識をもった俺に対して話を訊けなかった。そういう事なのだろう。


「……あ、でもこの間少し変な事があったの!」


 鞄を漁り、キャラクターの柄が入った大学ノートを取り出す。


「私ね、検証に行く時は記録を付けるようにしてるの。でも、この前十一月十三日の記録だけが無くて……」


 ノートは、まるで日記のように日にちを開けずに記載がされている。


「去年も一昨年も記録はつけてたんだけど、こんな事は今までなかったんだ」


 日付、対象となる七不思議のタイトルと、その日に仕入れた細かな概要が箇条書きで綴られていた。

 調査した情報と直接検証を行ったものとは色ペンでラインが引かれ区別されていた。



 11月11日

 『血塗れピアノ』

 20時00分 音楽室

 検証 異常なし 


 11月17日

 『得られなかった優勝旗』

 22時30分 格技室

 検証 異常なし



 有馬先輩が示した箇所は、他の欄に比べて少し行間が空いているが確かに日付はそうなっていた。


「実を言うと、文化祭委員になったのもこれを調べるためだったんだけどね。ほらっ、部活動だと残れる時間に限りあるけど、文化祭委員はかなり遅くまで残ってられるから…………あ、これだ」


 今度はスケジュール帳を取り出しノートに並べて開く。


「ほらっ、ここ見て」


 示された箇所には、確かに十一月十三日の欄に検証と記載されている。


「この検証っていうのは、先輩一人で行ってるんですか?」


「ううん、ミヤちゃんと二人で……」


 ノートとスケジュール帳。そして、十一月十三日という日付。

 これらの事からどうしてこのような事が起きたのか、そしてどうして今まで先輩が一度も七不思議に遭遇する事が無かったのか。その理由には粗方予想がついた。

 それは、条件が揃っていないからだ。

 七不思議の発生には条件がある。一つは『体験者』が体験済みであること。次に場所と時間。

 そのどれか一つが欠けても目撃出来ない。

 有馬先輩はそれを知らないのだ。要するに『体験者』に重複する『呪いの机』でそれが示されるのを知らない。

 若しくは知ったとしても忘れてしまっているのかもしれない。

 何故なら『体験者』の記憶は周囲の記憶と状況を巻き込んで消えてしまうから。

 だからこそ、今先輩が言っている疑問が起きてしまったのだろう。

 十一月十三日は柳瀬先輩の話を元に検証に行こうとしたから。そしてその事実は柳瀬先輩の記憶と一緒に消えてしまったから。

 そうだとすると、もし有馬先輩が検証の際に柳瀬先輩を同行させていたなら、俺は七不思議の現場に居合わせられなかったという事である。

 それは俺にとってかなり危険な状態だったかもしれない。ましてや、柳瀬先輩同様に有馬先輩と宮城先輩も怪我をしていた可能性だってある。


「書き間違いとまでは言いませんが……どうしてなのかは俺には分かりません」


 期待の眼差しで回答を待つ有馬先輩に俺はそう答えた。

 『記録者』である俺はそうとしか言いようが無かった。


「そっか……和希くんでも分からないか」


 力になれない事を侘びつつノートを返した俺に、有馬先輩は「気にしないで」と言ったものの、明らかに気落ちしている様子だった。


「あと三か月で卒業……もう時間がないのに……私と兄さんで何が違うんだろ……」


 俯いた有馬先輩は、悔しそうに親指の爪先を噛んでそう呟く。

 俺も同じだった。

 俺にも残されている時間は、三か月だけ…………。

 その後も俺と有馬先輩はお互い質問を交わし、情報を出し合い、最終的には今後互いに協力する事を約束した。

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