11月18日

 文化祭まで後二日。

 本来移ろいやすい筈の秋空は、祭りの雰囲気を嗅ぎ付けたように雨粒を溢さず大人しくしていた。

 私立福寿高等学校は、校内外共に完全に祭の様相をていしていた。


『……それで?そんな時にお前は何をしに来たっつぅんだ?』


 青白い光が包む薄暗がりの中、憮然とした表情で座り込んだ俺にヒデオは言った。


「別にいいだろ」


 古谷先輩と話したあの日から、9日が経っていた。

 ヒデオは、呆れた調子で溜め息を吐くと、俺の隣へと腰を下ろす。

 夜の学校は、祭の装飾が施された事で非日常感が増し、不気味さをも増している。

 けれど地下にある格技室は文化祭当日立ち入り禁止となるため、いつもと変わらない景色を保っていた。

 八時くらいまでは文化祭準備で残っている生徒がいたものの、流石にこの時間には教師も含め誰もいない。

 一度家に帰り食事と入浴を済ませて学校へと戻ってきた俺が他の誰かと出会す事はなかった。


『……文化祭の準備は終わったのか?』


「あぁ。委員のほうは早めに一段落したし、クラスのほうも明日最終リハーサルをやって完了」


 沈黙を嫌うように話しかけてくるヒデオに、表情は変えぬまま回答だけを返す。


『……だったら、早く帰って寝ろよ』


「寝れるなら寝てるって……」


 文化祭の準備は順調だ。

 こんな夜中まで俺の頭を悩ましているのは、勿論七不思議のほうだった。


『……遠足前の小学生かよ』


「仕方ねぇだろ、後から後から問題が出てくるんだから」


 そう言って持ってきた鞄から例の本を取り出す。


『……何にそんなに悩んでんだ?』


 本を開けば、ヒデオはまるで勉強を見てやるかのように覗きこんでくる。

 オールバック長ランのどう見ても古風な不良の格好の、しかも幽霊に相談にのってもらうというのは、中々にシュールな光景だと思う。


「書き込むにあたって、決め手がないんだ……」


 そう言って溜め息を深く腹の底から吐き出した。

 今、俺の手元には二つの七不思議の情報がある。

 一つは、七不思議『その肆』表の『水底の呼び声』。『体験者』は水泳部の古谷芽衣。

 そして二つめが、七不思議『その伍』表の『逃走劇の結末』。『体験者』は放送部の柳瀬司。

 しかし、どちらも表裏共に空白が多く、それを埋めるに相当する確固たるものがない。


『……おいおい、情けねぇなぁ、得意の推理はどうした?』


 本とメモ帳を並べて投げ出し、睨み付けながら唸る俺へ、ヒデオは慰めとも蔑みともとれる事を言う。

 別に俺は推理が得意なんて言った事はない。ヒデオの時はたまたま閃いて、散らばってた情報が上手いこと繋がっただけだ。

 しかし、そう言い返せば、ヒデオは言葉遊びを楽しむように言い返してくるのが目に見えているので、何も言わなかった。

 怠惰でもなんでもなく、本当に掴み兼ねていて、参っているのだ。

 『体験者』が二人とも違う学年だというのも頭を悩ませる種の一つだった。

 話を聞きたくとも、上手くコンタクトがとれない。

 その上、今は文化祭の準備期間という事もあって、所在を掴んでも、相手に時間をつくってもらって二人だけで話すというのは何かと困難だった。

 古谷先輩はあれからは毎日学校に来ているようだが、水泳部の模擬店の準備に精を出している。

 しかしそこには、羽山もいるわけで、迂闊に声をかけるわけにもいかない。

 柳瀬先輩は、放送部で行うラジオDJ企画の準備とクラスの準備を平行して忙しく動いている様だが…………。意図的に話を出来ないように避けている節がある。

 いずれにせよ、『体験者』本人と話が出来ない事にはかわりなく、俺が出来る事と言えば外堀から埋めていくことくらいだった。


『……なんだよ、『表』のほうは埋められんじゃねーか』


 言い返してこない俺を重症と見兼ねたのか、今度はメモ帳のほうを覗いて言う。

 そこには、古谷先輩から聞いた『水底の呼び声』についての走り書きと、龍臣ルートで調べた『逃走劇の結末』についてが書かれている。


「まぁ、書けなくはないんだけどさ……」


 俺はそう言って、本を開き、書いていない理由の説明を始めた―――――


「今、屋内運動施設の休憩室の位置は建て替え前は理科室だった」


 これは、繭が見付けてきた資料で確認した事。

 そこから俺は、七不思議は場所に根付き、口伝として語り継がれる『表』の話は時代と共に変容していると予測した。


「それで俺はここに元々書かれてた表題『命の宿った人体模型』に訂正の意味を込めて上から二本線を引いた…………その結果、過去の表題とそれに基づいていた文は消えた。

<雨の日の夕暮れ時、遅くまで          、どこからともなく声が聴こえてくる。>

 残ったのは、この穴抜きを含む文章だけ。


「残った文は確かに『水底の呼び声』に一致してる。でも、だとすると『体験者』の証言がおかしいんだ」


 ヒデオが以前言っていた通り、『その参』を記した時点で残りの『体験者』が選ばれたとするのなら、古谷先輩は十月一日以降に選別された事になる。

 そして羽山から話を聞いたのが10月19日。その四日前の体験談という事だったから、正確には10月15日。

 なのに古谷先輩は机の文字を認識していなかったし、学校を休んだのは「風邪をひいたから」だと言っていた。


「……そっから考えて俺は二つ仮説をたてた」


 本から顔を上げ俺は二本指をたてる。

 俺が淡々と説明する間、ヒデオは黙って、頷きだけで相槌をうち大人しく聞いていた。


「一つは、『体験者』が聞いたおかしな声が『体験者の選別』の影響によるものの場合――――」


 古谷先輩が運動施設で聞いたという声が『水底の呼び声』によるものではなく、『呪いの机』によるものだったとしたら――――

 他の『体験者』である高知も佐川も、机の文字通りに動かずにいたところ、最終的には操られているような状態で半ば無理矢理連れ出されている。

 佐川に関しては、机の文字だけではなく、死者からの電話という形で執拗に誘導が行われていたというのも本人から聞いている。

 同じように、古谷先輩が机の文字に一向に気付かず、違う形で誘導が行われたとするなら…………。


「――だとしたら、その『体験者』は、『体験者』ではあっても『その肆』の『体験者』ではないのかもしれない」


 もしくは、古谷先輩が『その肆』の『体験者』だとしても、『その肆』は違う場所で発生する違う話だという場合もある。


「そしてもう一つの仮説は、声を聞いた時点で既に体験が済んでしまっている場合だ――――」


 『体験者』は与えられている七不思議を体験した後、一週間後に記憶を失う。

 これは、関与した人間も同様に段々と記憶が事象毎修正される。

 『体験者』である古谷先輩はおかしな声を聞いた時点で既に役目を終え、その後恐怖で一週間程学校を休んだ。


「―――その結果記憶は失われ、休んでいた理由も体調不良へと置き換えられ、机の文字も憶えていない」


 そう考えれば、証言が曖昧な事には納得出来るのだが…………。


『……そりゃあ、考えとして破綻してんだろ?記憶が無ぇなら、声を聞いた事自体忘れてなきゃおかしい』


 今まで大人しく聞いていたヒデオが、眉間に皺を寄せ口を挟む。


「そうなんだよなー……はぁぁ」


 ヒデオの突っ込みは正当なものだ。

 思わず、肩を落とし再度大きく溜め息を吐く。

 理解してるからこそ、仮説その一が有力になってしまい『表』を書き込む事が出来ないのだ。


『……でも、ま、そこまで色々解ってんなら、行かせりゃいいだけの話だろ?』


 落ちた肩が胡座をかいた膝につかんばかりに沈みこんだ俺を励まさんと、ヒデオは「悩むほどでもねぇじゃねぇか」と軽く言う。


「……それは、そうなんだけどさ…………」


 その言葉に、俺は膝を抱え項垂れた。

 それは、以前にヒデオから聞いたアドバイスだった。

 『体験者』は与えられた七不思議を体験すれば、その後忘却する事が出来る。『記録者』とは違い、体験さえしてしまえば解放されるという事。

 もし俺が『体験者』に必要以上の被害を与えたくないと思うなら、「一刻も早く体験させてしまえばいい」、とヒデオは言った。

 そうすれば高知のように『体験者の選別』に背いて起こる被害もない。

 また、俺が『体験者』の行動を把握する事が出来れば、被害を最小限に食い止める事が出来、佐川のように身体的被害を被る事も阻止出来るかもしれない。

 多分そのアドバイスは、佐川をボコボコにのしてしまったヒデオなりの罪滅ぼしとして伝えてくれたものなんだろう。

 そう思った。

 だからこそ、俺はそれを古谷先輩に伝えたのだ。

 でも――――


『……けど、なんだよ?』


 項垂れた俺に、ヒデオは訳が解らないと肩を竦める。

 俺は、膝の間に顔を埋めたまま、開きっぱなしだったブックカバーが掛かった藍色の本の頁を一枚捲る。

 『その伍・表』は今までとはまた異なり、説話が空白で、要因はしっかりと書かれていた。

 本来口伝上では必ず説話と要因がセットになって話されている。

 なのにどうしてその片方が記されていないのか。

 これは予想だが、過去の『記録者』もこの話は書き込む事が出来なかったのではないかと思う。


「……この話さ、他の話と違って場所が特定出来ないんだよ……」


『……どういう意味だ?』


 『悲恋の靴箱』の昇降口、『呪いの机』の教室、『得られなかった優勝旗』の格技室―――今までの話は全て場所を含んだ『体験者』のための状況が指定されていた。

 しかし、龍臣に調べてもらった『逃走劇の結末』は、事象自体は校内全域で体験する事が出来るという話なのだ。


「この話の体験談、説話に当たる部分として伝わっている話は校内放送が聞こえてくるって話なんだ」


 だから、どこかで何かを視るわけでも、どこかで何かに出会すわけでもない。ただ聞こえる、それだけ。


『……じゃあ、こういうことか?『その肆』の『体験者』と思ってる奴はこっちの『その伍』の『体験者』かもしれないっていう……』


 こんがらがってきたと、頭を掻きつつ述べたヒデオの言葉を、俺は大きく首を振って否定する。

 柳瀬先輩は確かに「机に記載されていた」のは『B棟』『放送室』『サンの日』だと俺に言った。それが本当なら、この話『その伍』の『体験者』は柳瀬先輩だ。


「……こっちはこっちで『体験者』の目星がついてるんだ……でも……」


 問題は、柳瀬先輩がどうしてそれを俺に伝えたのかだった。

 前後の状況、背景から考えて、柳瀬先輩は俺が古谷先輩と話した内容を知っていたのではないかと思う。

 柳瀬先輩は頭の良い人だし、感付かれてしまったとかなら知られても仕方の無い事だ。

 それで俺に自分の事を話してくれたのなら、『その伍』の『体験者』が判明したのだから寧ろ俺にとって朗報だ。

 だが、知っていたのではなく聞いていたのだとすると大分話が違ってくる。

 柳瀬先輩が俺と古谷先輩との会話を盗み聞いていたのだとするなら……


「……言っちゃったんだよ。『その肆』の『体験者』に。机に文字があったら、なるべく早くその通りに動いたほうがいいって……もしそれを『その伍』の『体験者』が聞いてたら……」


『……だーー!いつまでうじうじ言ってやがんだ、訳わかんねぇ!!はっきり言え!』


 膝の間でブツブツと話し続ける俺に痺れを切らし、ヒデオは大きく仰け反って声を荒げた。

 そんなヒデオをジト目で睨んで、だったらとポケットから携帯を取り出す。

 指先で軽く操作して、潜り込ませていた顔を上げ、ぐっと携帯を突き付けた。


「日が被る可能性があんだよ!次の雨が降る日とサンの日が」


 顔の数センチ先に携帯画面を近づけられ、ヒデオは僅かにたじろぐ。

 見せ付けた画面には週間天気予報が記されていて、23日(月)の欄には、しっかりと雨のマークが半分雲に隠される形で描かれていた。

 柳瀬先輩が言っていた『サンの日』というのが、3のつく日だった場合、次の雨の日と一致してしまう。

 『サン』というのが、他の意味なら済む話だ。例えば『3日』とか『日曜』とかなら、問題はない。

 けれどもし二つの怪異が同時に発生してしまったら……

 対処するのが非常に困難なのは目に見えていた。


「五日前の13日の日に動きがあれば、こんな悩まずに済んだんだけどさ……」


 11月13日。その日は土曜日で休校日だったが、柳瀬先輩が来る可能性を考え、最終下校時刻後俺は学校で張っていたのだが、日付が変わるその時まで何も起こる様子は無かった。


『……なるほどなぁ……でもよ、悩んでたって仕方無いだろ?まずは書いてみろよ。そうすりゃ糸口が見付かるかもしんねぇ』


 携帯画面を不思議そうに見ていたヒデオが、励ますように言う。

 言葉遣いはどこまでもぶっきらぼうだが、なんというか芯にある人情味が伝わってくる。

 最近時々、ヒデオと話していると思う事がある。

 もし、兄がいたらこんな感じじゃないかと……


「……そうだな、やってみる前から諦めてたってしょうがないよな」


 ヒデオの不器用な優しさに、やってみるかとペンを持った。

 時間は既に一時を回っている。

 明日も勿論学校がある。

 でも、帰ったからと言って眠れそうにない。

 もう少しここで、ヒデオと話しながら、残された時間を足掻いてみようと思った。

 投げ出したままの本とメモ帳を引寄せ、書けるところから、埋めていく。


『……そうそう。まずはやってみりゃいい。時間は有限なんだしな……』


 変わらず隣に座って、面白くないだろうに俺が文字を書く姿を眺めながら、ヒデオは満足気に頷く。


『……それに、『表』なんつーのは適当に書いたところで……痛っ』


 俺の手が止まらぬよう応援を続けるヒデオの言葉が途中で止まる。

 その表情は突如痛みに歪み、僅かに開いていた唇が歯を食いしばる。

 こういう事は初めてではない。

 ヒデオは時々急な頭痛に襲われたようにこめかみに手を当て、言葉を途切れさせる事がある。

 以前ヒデオは「云わない」のではなく、「云えない」と言っていた。

 その理由を「記憶が薄れていっている」せいみたいに話していたが……多分本当はそうではない。

 『記録者』が期限までに本を書き上げなくてはならないように、『体験者』が怪異を体感しなくてはならないように、怪異本体であるヒデオにも『制約』があるんじゃないかと思う。

 結局、『記録者』も『体験者』も七不思議の根源ですら、呪いのような七不思議というシステムに組み込まれ、縛られているんじゃないだろうか……。


「……そういえばさ」


 ヒデオが痛みを振り払うように首をブンブンと振ったのを見計らって、視線は本へと据えたまま声をかける。


「なんで七不思議にはダミーの話が存在するんだろうな?」


『……ダミー?』


 何事も無かったように、ヒデオは返答する。


「あぁ。時代の変遷によって過去の話が塗り替えられてその分増えてたとしてもさ、現時点でかなりの数の話が出回ってるんだ」


 七不思議は額面通りに取れば話の数は本来七つ。

 福寿には裏と表が存在するとして、それでも倍の十四。

 実際に出回ってる話の量とは合わない。


「実際さ、『その肆』の『体験者』も『校庭で踊る魂』だったかな……校庭で人魂を見たとかって……」


『……校庭で人魂だぁぁ?』


「あぁ。心当たりあんのか?」


『…………あー、そりゃあ多分俺だ』


「は?」


 流石に聞き流す事は出来なくて、筆を止めて顔を上げた。


「……どういう事だ?」


『……この時間の、この場所以外では俺はそう視えるっつうことだな。ま、誰でも視えるわけじゃねぇんだろうが……』


「はぁぁぁ?」


 何度かこうしてヒデオと会っているが、そんな話は初耳だった。


『……夕暮れを過ぎる頃に俺は目が覚めて、気付くとここに立ってる。そん時ゃ今みてぇにちゃんとした形はねぇんだけどな』


「……ヒデオ、アンタは要するに他の場所にも行けるってことか?」


『……どこでもってわけじゃねぇ。この学校から出る事は出来ねぇし、行けねぇとこはある。行けるとこのほうが限られてるな』


「……それは、他の七不思議の奴等も?」


『……全部が全部じゃねぇ。場所に囚われてるのだっているだろうし、誰かいりゃ、そこには俺は入れねぇ』


 要するに、テリトリーがそれぞれ決まっていて、住み分けがされているという事か…………?


『……ほら、俺の場合は…………お前が書いてくれたように……その……やる事があるんでな』


 今更重大な事実をサラリと吐いて、ヒデオは照れたように頭を掻いた。

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