7月16日

 高知の死の原因を報されることがないまま、一学期の期末試験が始まり、終わりを告げた。

 福寿は期末の教科が中間時と殆ど変わらず、ただ範囲だけが拡がって出題されるような感じのため、生徒達はそこまで目を白黒させなくても良かった。

 期末試験の全行程を終えると、俺は早々に自宅へと戻ってきた。自室へと直行しそのままベッドへダイブする。

 連日遅くまで勉強していたため眠い。

 食事もせず、制服のまま微睡んでいく。

 数日間働き続けた脳味噌は、身体が眠っていくのに対して、まだ休まず動き続けていた。

 考えてもどうにもならない事が、どんどんと山積みになっていくようだ。

 親父の怪我は、順調に回復しつつあるものの、完治までにはまだ時間がかかる。

 毎週送られてくる靴箱のメッセージも、明日カウントダウンが七をきる。

 高知が本当に自殺したのなら、何か出来たのではないかという悔いが残っている。

 試験の間は勉強に集中する事で追いやっていた昨今の出来事が逃げ場を失って一気に吹き出す。

 答えの出ない問いを繰り返しながら、俺はいつの間にか眠ってしまっていた。

 目が覚めたのは、五時間以上経過した後だった。

 虫の羽音のような耳障りな響きが煩わしくて、未だ重たい目蓋を薄く開く。

 一瞬、そこが何処なのか、自分が何をしていたのかが判らなかった。

 明け放たれたままのカーテンの隙間から朱に近い橙色の光が、襟をはだけた首もとへと線を引いている。

 見慣れた群青色の枕が視界に入り、そこが自分の部屋で、今まで寝こけていたのだと気付く。

 昼過ぎに帰ってきた筈がもう夕方になっていた。

 時計を確認するよりも先に、眠りを妨げた音の発信源を探せば、机の上に投げ出していた携帯が振動し、机上と擦れて不快な音をたてていた。

 長いこと鳴っていることから、電話なのだと察し、画面も見ないで応答する。


「……もしもし」


 口から漏れた声は、完全に寝起きの不機嫌なものだった。


『……あっ!心?』


「……龍臣か」


 名乗られなくても、声だけで直ぐに相手が判った。


『……寝てた?』


「……うん」


 時刻は、午後六時半を過ぎていた。

 つい先日まではこのくらいの時間になるともう暗かったのだが、随分と陽が延びたものだ。


「で、どうした?」


『あ、うん、あのさ、高知の事なんだけど……』


 その名を聞いた事で目が醒めた。


『事故死って事になった』


「事故死!?」


『うん、そうらしい』


「自殺って話じゃなかったのか?」


『状況的に自殺なんじゃないかって言われてたんだけど……警察が調べた結果、事故って判断になったらしい』


 事故死と聞いて、初めに浮かんだのは先日の全校集会だった。

 もしかしたら、学校側が圧力をかけたのではないかと疑った。


「事故と判断する材料が出てきたって事か?」


『んー、まぁ俺も又聞きだから、細かくはわかんねぇけど…………元々、ちょっとおかしな死に方だったらしいんだ』


「おかしな?」


『うん。高知の遺体は自宅マンションの非常階段の下で見付かったらしいんだけど…………飛び降りたのは屋上とかじゃなく、自宅階の階段からみたいなんだ』


「高知の家って何階なんだ?」


『十階建てマンションの八階』


 マンションの八階。

 その高さから飛び降りれば、確かに死ぬ事は出来るだろう。でも、死のうと思って投身を選ぶなら、自宅階の外階段からというのは少し違和感を感じるのも頷ける。


『ほらっ、元々高知学校も来てなくて、どうやらその少し前から部活も休んでたらしいから……悩みがあったんじゃないかって…………それに、亡くなった時高知裸足だったらしくて……』


「だから、自殺と目されてたわけか」


『うん。でも、特に遺書のような物も見付からなかったし、目撃者も居なかったから、断定出来ずにいたみたいなんだ』


「なるほど……じゃあ、どうして事故って事になったんだ?」


『それがさ、高知が亡くなる寸前に電話かかってきたヤツがいたんだよ…………』


 龍臣は、落ち着かない様子で事のあらましを説明してくれた。

 高知の遺体は、亡くなって直ぐではなく、数時間後に発見された。

 発見者は偶然通りかかった近所の人で、飼い犬が血の匂いを嗅ぎ付け、発見へと到った。

 実際の死亡推定時刻は、前日の深夜、まだ日を回る前だと検死で判明した。

 高知の家族は、ずっと自室に引き籠っていた息子がまさか外に出ていったとは思ってもみず、早朝に外が騒がしくなるまで気付かなかったらしい。

 当初は、そういった最近の故人の様子や、階段の柵壁が大人の胸の高さ程あったことから、自殺と目されていた。

 けれど、警察の調べで、亡くなった高知の携帯電話の通話履歴から亡くなる直前に電話していた人間がいるということが判った。

 その人物は、高知と仲が良かった同じ柔道部の一年で、高知が部活を休むようになってからも気にかけていたヤツだった。

 彼の証言によれば、電話は高知からかかってきたもので、電話に出たけれども応答はなく、会話はしていないという話だった。

 だから最初は間違えてかけてしまったんだと判断し、電話を切ろうとした。

 しかし、断片的ではあるが高知の声が聞こえてきたため、切るのを止め呼び掛けてみたのだと言う。

 だが、いくら呼び掛けても応答はなく、「行かなきゃ」「七不思議」「学校」などと言う呟くような声だけが聞こえてきた。

 彼は心配になり、尚も声を掛けたものの、突如驚いたような声と鈍い衝撃音が響き通話が絶たれた。

 警察は、その証言と死亡推定時刻が一致していた事から、電話をかけた理由は不明だが、その際高知が精神薄弱状態にあり、意思と関係なく外に出たところ誤って落下したと判断した。

 肝心の携帯電話はマンション八階と七階の間、階段の踊り場に落ちていた。

 彼が受話口を通して聞いた衝撃音は、携帯が落ちた時の音だったのではないかと結論付けられた。


「なるほど……というか、お前はその話どっから聞いたんだ?」


『その証言したやつから。数学のコースが一緒で割と話すんだけど、さっき会ったからさ……』


「そっか……でもそんな証言があったんなら、もっと早くに事故だと判っててもいいものだろ?」


『それがさ、高知が亡くなった三日後にはもう事故だって判ってたらしい』


「だったら、なんで学校は……?」


 言いかけて、思い止まった。


「……そういうことか。言ってたもんな、全校集会で事故だって」


『あぁ』


 そう、学校は高知が亡くなった翌日の全校集会で既に事故だと言っていた。自殺という話はあくまでも噂で、生徒が勝手に言っていただけだ。

 もしかすると、その時点では警察も自殺と事故の両方の観点で捜査していたのかもしれないが、学校からすればそれは関係ない話だった。初めから正しいことを言っていたのだから、真実が判明した時点でわざわざもう一度同じことを伝えてやる必要もない。


「……それで、なんでわざわざ俺に教えてくれたんだ?」


『……それはさ…………これも、その証言したやつから聞いたんだけどさ……』


「うん」


『……高知も、心と一緒で悩んでたらしいんだ……』


「……うん」


 ドキリとした。

 龍臣がわざわざ高知の死について報せてくれたのは、やはり放課後のあの時高知から直接聞いたアレに起因するのだと理解した。


『高知、七不思議の事で悩んでたらしいんだ』


「…………」


『心のとは違う話らしいんだけど…………だから、俺心配になって!』


「ありがとな」


 龍臣が声を跳ね上げたところで、かぶせるように礼を言った。逸早く報せようと、それほどまでに心配してくれている事が嬉しかった。

 こんなに気にかけてくれる龍臣には、あの事を話しておこうと思った。


「実は、高知が学校を休み始める少し前、高知から直接その話聞いてたんだ」


『そうなの!?』


「あぁ……」


 いざ話し始めたその時――――。

 電話口の向こう側、龍臣の後ろで「もう最終下校時刻になるぞ!」という声が聞こえた。


「龍臣、お前まだ学校なのか?」


『あ、うん。早く報せたくて、まぁもう着替えたし、帰るだけなんだけど……』


「じゃぁ、後でまた電話するよ。家着いたらメールでも入れてくれ」


『ごめん!こっちから電話したのに、気ぃ使わせちゃって……じゃぁ、また後で!』


 急かされているのだろう。龍臣は早口にそう言って、バタバタという物音と共に電話を切った。

 昼寝のおかげで睡眠不足も大分緩和され、どろどろと渦巻いていた頭が少しスッキリした。


「母さん、もう夕飯出来てる?」


 今更ながら部屋着へと着替え、龍臣からの連絡を待つまでの間に食事を済ませてしまおうと、階下へと下りる。台所からは、既に食欲をそそるカレーの薫りが漂ってきていた。

 だが、声をかけても返事がない。

 室内は、リビング、キッチン共に煌々と灯りが点いている。

 外出している様子はない。


「母さん?」


 手洗いにでも行っているのかと思いつつも、なんとなく嫌な予感がして、もう一度声をかける。


「…………」


 返事はない。

 カウンターキッチンを回り込む。

 そこで、呼吸が止まった――――


「………か、母さんっ!?」


 溢れ出た悲鳴と共に、無理矢理呼吸が再開される。

 キッチンには、エプロンを付けたままの母が意識を失って倒れていた。


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