僕と悪魔の駄弁り合い ~プリーズ・キス・ミー・ソフトリー~

わきゅう

第1話 死人みたいな僕と悪魔の君

 異世界に棲まう異種族。

 そんな、ファンタジーな存在が広く認知されるようになってから早幾年。

 こちらの世界には、様々な種族が訪れていた。

 天使や悪魔。獣人族。エルフやピクシーといった妖精族。さらには御伽噺に悪役として出てきそうな鬼人族オーガ豚人族オークまで。

 こちらの世界に来る目的は、ある者は文化交流や就職、またある者は武者修行の旅だったりもした。

 驚いたことに悪魔や魔物――、その様な人々ですら、こちらの世界への侵略や戦争などは行わなかった。彼らは一様に理知的で、紳士的だったのだ。

 無論、大小様々な衝突や諍いはあった。が、それも法整備がなされ、お互いの理解が進むにつれ数を減らしていった。


 ――これは、そんな時代に生まれた“僕”が一人の“悪魔”と語らう。

 ――それだけの、お話だ。


「やぁ。相変わらず、キミは死人みたいな顔をしているね」


 仕事帰りに寄る馴染みのバーで、いつもの席に座る僕に開口一番、そんな言葉を投げかける顔見知りの女性。

 くすんだ短めの金髪から覗く、捻じくれた長い角。蝙蝠のような黒い翼と漆黒の鱗で覆われたドラゴンみたいな尻尾。浅黒い肌の顔立ちは非常に整っていて、最高級のルビーピジョンブラッドを思わせる三白眼の紅い瞳はどこまでも深く、地獄の果てのようだ。

 素晴らしいスタイルの肢体を包む扇情的なボンデージ風の衣装が、とても良く似合っている。

 悪魔デーモン

 この形容がこれ程似合う人物も、こんな時代とはいえ中々に珍しい。こちらの世界に来る人は、もう少し人間族に近い見た目の人が多いのだが。


「そりゃ、疲れてるからね」


 彼女の言う通り、確かに僕は死人のような顔をしていることだろう。


「嫌な仕事。嫌な上司に嫌な同僚、嫌な部下。嫌な日常。そんなモンに囲まれてちゃ、死人みたいな顔にもなるさ」


「それはそれは。お気の毒に」


 言葉とは裏腹に、クックッと喉を鳴らして静かに笑う彼女。

 、ただこうしてバーで顔を合わせ少し話すだけの、それだけの女性。


「人間族、特にこの国に住む人々は、少しばかり勤勉過ぎるね。もうちょっとばかし、堕落するべきだよ」


「悪魔に言われるとシャレにならないな」


 小鬼族ゴブリンのバーテンダーに、キープしておいたボトルを下ろしてもらう。ワイルドターキーの8年をロックで。僕が外で飲むときは大体これだ。


「そんなに辛いのであれば」


 クイッと手元のカクテルを呷って、彼女が言葉を続ける。


「逃げてしまえばいい。と、簡単に考えるのは悪魔ボクたち的なのだろうね。それにしたって、キミは少しばかり勤勉過ぎるぜ」


 先程のセリフを少し変えたのか。勤勉、ねぇ。


「別に他人様より勤勉でも真面目でもないよ。ただ、普通に生きようとしてるだけさ」


「普通に、ねぇ。“普通”ってのは、嫌な言葉だねぇ」


 次のカクテル――、スクリュードライバーを頼みながら、彼女は心底嫌そうに目を細めた。こんな外見なのに、いつも弱い酒を飲んでいるところしか見た事が無い。


「周囲と同じである事に安心して、思考を止めてしまう。周りの連中が異常に侵されていようと、狂気が潜んでいようと、お構いなしだ。普通な事ほど特別な事も無いっていうのにね」


 何を言っているのか。

 特別じゃないから、普通なんだろうに。


「もっとも。だからこそ、キミたちの魂は魅力的なのだけれど、ね。か細くて、脆弱で、儚いくせに。強く強く、まるで満月のように輝いている。何ともいじらしく、愛おしく、苛めたくなるんだろうね」


「悪魔的だな」


 いや、彼女は間違いなく悪魔族なのだけれど。

 今日の彼女は、普段よりも饒舌だ。既に酔いが回っているのかもしれない。


「キミは知っているかな? ボクたちが来てから、この世界の自殺者は急激に減少したんだぜ? いやはや、お役に立てて嬉しい限りさ」


「それ、行方不明者が爆発的に増えたってオチだろうが」


 思いっ切り連れ去ってるんじゃねぇよ。

 いや、本人達が幸せならいいのだろうか。悪魔について行って幸せになれるとは、到底思えないが。

 思った事をそのまま伝えると、彼女は真面目腐った顔をしてかぶりを振った。アルコールと香水の深い香りが、こちらの席にまで届く。


「そうでもないさ。キミ、偏見はよくないな」


 偏見って言うよりは、常識な気がするんだが……。


「こう見えて、悪魔ボクたちは義理堅いんだぜ? 契約は、例え些細な口約束であろうと、絶対に守るしね。特にお気に入りの人間に関しては、他の種族からドン引きされるくらい固執する。もうめちゃくちゃ執着する。種族的にヤンデレってやつなのさ。ほら、幸せになれそうだろ?」


「どこがだよ」


 自分でヤンデレて。僕がドン引きするわ。


「あ、話は変わるんだけどね。キミ、ボクと一緒に来ないかい? 必ず幸せにするぜ?」


「謹んでお断りする」


 話、変わってないだろう。

 やれやれ、またフラれてしまったか、なんて肩を竦める彼女。これもいつもの事だ。

 彼女が僕を口説き、僕が彼女をフる。

 いつも通り、ではあるのだが。


「まぁ、なんだ。ボクがキミを連れ去るまで、キミ、勝手に死んだりするんじゃないぜ? そんな事をしたら、無理やりに蘇らせてでも、キミをボクの物にしてしまうからね」


 何故だか、彼女と話していると元気が出る。

 彼女なりの励まし方なのかもしれない。

 それからしばらく、他愛のない話をした。

 夜もふけ、お互いのグラスが何度も空になった頃、彼女より先に店を出た。

 帰路の途中。路地裏に入った僕は、スーツの内ポケットから一枚の封筒を取り出す。

 そうして、それをクシャリと握りつぶした。

 構わないさ。元から誰が読むかもわからなかった物だ。

 もうちょっとだけ。

 彼女には待ってもらうとしよう。

 ポイッと、その辺に丸めた封筒を投げ捨てる。

 風が、どこへともしれぬ闇の中に、運んでいってくれた。


 ――そうして。


 ――夜は、どこまでも静かに更けていく。

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