第79話 イグニスへのお願い

「あー笑った。まあ、ポンコツ錬金術師の件は置いておいてだな。レッテリオ、会議の話をしないと」

「……そうだった。――アイリス、イグニスにお願いがあるんだ」

「ぼくに~? なぁに~?」



 私は携帯食実演セットを片付けて、飲み物を淹れ直す。

 今度はランベルトさんのご希望で『スライムゼリー薄荷ミントソーダ水』だ。一瞬レッテリオさんが遠い目をしていたけど気にしてはいけない。あ、今日のゼリーは黄色と橙色の柑橘系味です。


「えっと、それでお願いって何ですか?」

「うん」


 レッテリオさんがランベルトさんに目をやり、お互いに頷く。ついでにランベルトさんはスライムゼリーがお気に召した様で、ルルススくんから追いゼリーしてもらっていた。


「イグニスに迷宮探索へ加わってもらいたいんだ」

「えっ、探索にですか?」


 確かにイグニスは迷宮内では色々役に立てる精霊だろう。あと可愛い。

 でも――。


「ぼくだけ~? ん~……理由はぁ?」


「うん。この前の探索の時、イグニスは迷宮内の異変に敏感だったよね。それから玻璃立羽ハリタテハの意思を読み取れていたし、迷宮のの動きまでも感じ取っていただろう?」


「うんうん~底って言うか~中心だねぇ~!」


「そう、それが一番の理由なんだ」

「え~?」


「イグニスは迷宮の底――俺たちは最下層、一番奥を『底』て呼んでるんだけど、それを『中心』って言うだろう? 動いているなんて事も俺たちは知らなかったし分からなかった。だからまずは、イグニスが感じている『迷宮の中心』を捕捉したい」


「う~ん……捕捉って~捕まえたいのぉ?」


「……イグニス、って事は、生物なのか?」


 ランベルトさんがちょっと驚いたような顔でそう言った。

 確か……迷宮って、魔物でいう『核』のうような物があるらしいって本で読んだけど……。イグニスの言うような動く核、それも生き物なんてこともあるの?


 それにヴェネトスの迷宮はまだ未踏破なはず。それって、核のある最下層までの到達を意味するはずだけど……?


「うぅ~ん……それはぼくにもよく分からない~。この前は~迷宮の中を動いてるのは分かったんだ~」


「生物の可能性もあると思っておいた方がいいか……。レッテリオはどう思う?」


「有り得るのかな……って疑問ではあるけど……。うん。でも核が動いているのは確かなようだし、まずはそれを確認したいかな。迷宮の異変の原因はその『核』にあるだろうし。どんな核なのか把握できれば、異変への事前対策も打てるかもしれない」


「ふ~ん。んん~……でも~ぼくはアイリスの契約精霊だから~アイリスを置いて行くのはいやだなぁ。レッくん、アイリスも一緒に迷宮に行ってもい~い?」


「アイリスも一緒には……ちょっと難しいかな。今回は最奥まで行く予定だし、数日間潜る予定なんだ」


「えぇ~!? じゃあいやだなぁ~……何日もアイリスに会えないなんてぼくいやだぁ~」


 イグニスは騎士二人にプイっと背中を向けて、私の頭に飛び乗った。


「アイリスも一緒じゃなきゃ~いかな~い!」

「い、イグニス……!」


 なんて可愛いの……!?

 でも確かに、何日もイグニスが側に居ないのは私もちょっと嫌かも。契約精霊にはレグとラスもいるし、工房にはルルススくんもいるけど……。錬成に不便が生じてしまう云々より、イグニスが居ないのは単純に寂しい。


「……イグニス、どうしても嫌か?」

「いや~~」


「だけどイグニス、一緒に行くとアイリスが危険に晒されるかも――あ」


 レッテリオさんが何かに気付き、腰のポーチから図面――あ、迷宮の地図っぽい? それをテーブルに広げた。


「イグニス、アイリス、ちょっとこれを見てくれるかな。これは第五層と十層の地図なんだけど……」

「ああ、『安全地帯』か」


 ランベルトさんが納得したように呟き頷いた。

 ――『安全地帯』って?


「迷宮には五階層毎に転送陣が設置されているんだ。階層に応じた『鍵』を持って入れば、選んだ階層に転送で行くことができる。で、ココとココがそれぞれの転送陣の場所」


 トン、とレッテリオさんは指で地図の二か所を指し示す。

 五層も十層も、転送陣は階段の近くに設置されている。そして陣を囲うようにある程度の大きさの円が描かれている。


「入口から五層へ飛ぶ事もできるし、五層から十層へも行ける。転送便ハトが大きくなったものだから、陣から陣へと飛べる」

「はい。動かすのにすっごく魔力が必要そうですけど、理屈は同じですね」


「それで、この円。この範囲内は安全地帯になってるんだ。俺たちは『転送陣の間』って呼んでる、キャンプをすることもあるくらい安全な場所。まぁ、部屋になってる場所もあれば只の野原って場所もあるんだけどね」


「へぇ~そんな便利な場所があるんだ~」

「だからね、アイリスは転送陣だけを使って、この安全地帯にいるなら――現在の最下層、三十五階層までも一緒に行ける。どうかな? イグニス、アイリス」


「うぅ~ん……本当にアイリスは安全なのぉ?」

「『白い結界石』と、この森と同じ様な『守護結界』が二重掛けにされてるから安全だよ」


「ぼく……もしアイリスに何かあったら~探索中でも飛んでいっちゃうと思うよ~? それでもい~い?」

「うん。イグニスの最優先は契約者のアイリスで当然だよ。そうしてくれて構わない」


「ねぇねぇ~アイリスはどう思う~?」


「んー……これって、私は迷宮に一緒に行って、『転送陣の間』でお留守番してるってことですよね?」

「そうなるね。迷宮の中で一人になるのは不安?」


「そうですね……」


 不安と言えば不安だけど、二重結界なら大丈夫だろうとは思う。きっとそれを破れる魔物はそうそういないはず。それに多分、こういう方法で連れて行けるとレッテリオさんが言うのなら、私に危険もないのだろう。


「ちょっと待つにゃ。二重結界にゃら魔物は大丈夫かもしれにゃいけど……他の探索者はどうにゃ? もう迷宮は解放されてるんにゃよね? 女の子一人で置いて行くのはルルススは心配にゃと思うにゃ」


 あ、確かに。そこでキャンプをすることもあるって言ってたから、他の採狩人ハンターズたちもいるかもしれないんだ。

 うん、それはちょっと……不安かもしれない。


 チラリとレッテリオさんを見ると、隣のランベルトさんが「ああ、そうだった」と背中側のポーチをゴソゴソ、マントを揺らし何やら探っている。


「これだ、これ。術師イリーナからアイリスへって預かって来た」

「……えっ、これって?」


 その手に乗せられていたのは指輪だ。ルルススくんの瞳の様な、明るい緑色をした大きな……宝石? 魔石だろうか? どちらにしてもお高そう。


「念には念を、とのことだ。斬新で役に立つ新しいものはからな。御守りだ」


 ホラ、と掌に乗せられた指輪からは、何となくだけど先生の魔力を感じる。そう、あの森のツリーみたいな感じ!


「お守り……。これ、工房の守護と同じ様なものですね」

「アイリスに悪意や危害を加えようとしたら排除されるってやつにゃね! うん、指輪も良いものにゃ」

「先生の魔力だね~! 森の守護とも連携してるみたい~。あとでレグとラスにも見せてあげるといいよ~」


 あ、なるほど。工房の森に住み、大地の精霊ノームである私の契約精霊、レグとラスの力も付与させておけば、こちらも二重の連携と護りになる。普通なら反発も考えられるけど、同じ『工房の森』を介してるからそこも問題ない。


「アイリス、イグニス。どうかな? それで安全面の心配は解消された?」


「うん~! レッくん~ぼく一緒に行ってあげてもいい~!」

「私も、これだけ守りを固めてもらえれば安心です! それに迷宮でのお留守番もちょっと楽しみです!」


「そう? 何か暇つぶしがないと辛いんじゃないかとは思うんだけど……」

「はい! だから……安全地帯で野営準備してようかなって思います! 携帯食セットのお試しと、迷宮での試食の反応も見たいですし!」


 今回持って行くのは新しい携帯食セットだ。調理器具も、探索隊でも持ち込めそうなフライパンか鉄皿、あとはお湯を沸かせる薬缶ケトルもほしい。そうだ、前にやってみたいと思ってた、フライパンに【発熱と保温の錬成陣】を刻んで行こう! レッテリオさんたちにもちょっと使ってみてもらって、探索隊でも使えそうだったらそれもセットに組み込むのも有りだ。


「にゃあ? アイリス? ルルススも迷宮に一緒に行きたいにゃ」

「え? ルルススくんも?」


「ルルススは弱くはにゃいけど強くもにゃいのにゃ。でも迷宮に行ってみたいのにゃ! アイリスのいる安全地帯の近くでだけでもいいにゃ! 採取と観察をしてみたいのにゃ!」


 ルルススくんは黒目をまん丸にして、耳も尻尾もピーンと。全身で『迷宮で採取してみたい!』と訴えている。

 うん、ルルススくんが工房を離れる事に問題はない。今はレグとラスもいるから畑の心配はない。育成中の素材は倉庫にしまって行けばいいし、酵母のお世話だけお願いできれば有り難いかな? 大地の精霊ノームがお世話したら……何か変化が起こるかもしれないし、ちょっと楽しみだ。


「私はルルススくんが一緒だと嬉しいけど……どうですか? レッテリオさん、ランベルトさん」


「うん、問題ない。俺もルルススくんと一緒に迷宮に行けるなら楽しみだよ」

「採取は絶対に転送陣の近くだけ、夢中になって離れて行かないと約束できるかな? ルルススくん?」


 レッテリオさんは嬉しそうに即、快諾。さすがケットシー好きさん。ランベルトさんはやっぱり隊長さんらしく、好奇心の強いケットシー商人の特性を心配している。

 確かにルルススくん……森の洞窟でも結構はしゃいでいたし、目を離せないかもしれない……?


「約束するにゃ! 商人の約束は重くて固いのにゃ! 大丈夫! ルルススは危ない事はしないのにゃ!」


 肉球のおててを力強く上げたルルススくんに、騎士二人も頷き合う。


「それじゃ今回はルルススくんと私、イグニスも入れて五人ですね!」

「いや、あと二人、同行する予定だ。今回は最深部まで行くからバルド副長と――『コルヌ』!」


 ランベルトさんがそう言うと、魔力が波状に揺れ動き、キラキラとした光が集まり何かを形作る。


「紹介しよう。私の契約精霊で海の水の精霊ウンディーネ、コルヌだ!」

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