第70話 あなたが欲しい
すっかり気の抜けてしまったソーダのカップを下げ、アイスティーを淹れ直す。このままのストレートでも良いけど、ほんの少しの甘みを添えたい。
私は小さな缶を開け、菫の砂糖漬けを一つ、二つとコップの中へ。しばらくすれば砂糖は溶けて、可憐な紫の花がお茶を飾ってくれるだろう。
「そうだ、
「お待たせしました。ひと息入れませんか?」
アイスティーとクッキーをテーブルへ。ああ、このクッキーは私が魔石を使ってオーブンで焼いた物だから、ポーション効果の心配はない。
「ああ、そうか喋りすぎてましたね!」
「いただきます。あ、菫が素敵……ん? これは?」
思った通り、フィオレさんがすぐに
今日のゼリーはアイスティーに合う透明で、たまに兎花が入っている物だ。兎花もそろそろ終わりなので、目で楽しみたくてこんな風にしてみた。夏は氷の中に兎花や菫を入れて凍らせるのもいいかもしれない。
「ゼリーです。アイスティーと一緒に食べてもスプーンで掬っても、お好きなほうでどうぞ」
私は冷えたアイスティーに柄の長いスプーンを挿して、二人へ差し出した。
「へぇ……面白いですね、飲み物にゼリーか…………ン!?」
「アイリスさん、これ、この食感もしかして……!」
二人の顔に喜色が広がり頬までピンクに。
「はい! スライムです!!」
「お、美味しい……! フィオレが作ったスライムゼリーとは違う……!」
「ほのかに甘くて私の固すぎて噛み切れなかったりほぼ水のようなゼリーとは違うし……嫌な臭いもしません。何が違うんでしょうか……アイリスさんこれ!?」
喜んでくれるとは思っていたけど、まさか既にスライムを試食済みだったとは……いや、あの研究馬鹿っぷりなら当然か。
「えっと……まずこれは粉にしたスライムを使っていて、あと裏ごしもしてます。それからこれは兎花と蜜を混ぜてますし、あとゼラチンも混合してます。スライムだけだとフィオレさんの言う通り食べれたものじゃなかったので……」
透明なこれはレッテリオさんに出した『ポーション効果あり』とは別物、クッキーと同様、これにもポーション効果はない。
これは『ポーション効果のお試し』じゃなくて、『スライムが上手く固まるか、食感はどうか』などを試した、試作品の試作品だ。だからイグニスの手は借りていない。
せっかく綺麗にできたので、あとで檸檬水に入れようと思ってとっておいて正解だった。
「なるほど……そうか、粉まで挽くことによって固さがほぐれたのか……アイリスさん、レシピの買い取りは可能ですか?」
「味もまだまだ進化させられそうですね……スライム加工の新しい方向がまた見えてきました……」
二人はゼリーに釘付けで、何やら専門家にしか分からないスライム論が交わされている。
んー……クッキーは時間差で出すべきだったかな? 湿気ちゃわないうちに食べてもらえることを祈ろう。
そんな風に思いつつ、イグニスとルルススくんとクッキーを齧っていた私はふと気づく。
ツィツィさんが真剣な瞳で熱く私を見つめていた。
「……あ、の?」
「アイリスさん、やっぱりモニターだけでなく、共同研究をしましょう! 是非! ああ、相談役でもいいです。僕はあなたが欲しい……!」
「アイリスさん、大丈夫です。この人、言い方を間違えてるだけです。正確には私たちは『あなたの発想が欲しい』のです」
一瞬で固まった私とイグニスを見て、フィオレさんがすかさずフォローを入れる。
うん、そうだよね……びっくりした。それは正しく言わないと問題が出てくる発言ですよ、ツィツィさん。
「あの……でも、さっきツィツィさんがおっしゃってた通り私はまだ見習いなので共同研究は難しいです。なのでモニターやレシピの件も含めて、一度、師匠に伺いを立ててもよろしいですか?」
レシピの買い取りについては特に聞いてみたほうが良さそうだと思う。この前の手紙には、特許申請の為にレシピを用意しなさいと書かれていたけど、他にも何か新しい物を作ったら~とも書かれていた。
今回のスライムを乾燥させて砕く製法や、ゼリーについてもどうしたら良いかを先生に訊ねておきたい。
「そうですね。アイリスさんのお師匠さんは、王立錬金術研究院所属でこの工房主のイリーナですよね?」
「えっ、はい。ご存知なんですか……?」
「勿論! 彼女とは一時期同じ研究室でしてね、僕の後輩にあたるのですが……まぁ、優秀な彼女にも、先輩として教えることもあったんですよ?」
「そうなんですか……!」
先生の昔の話を聞く機会はなかなかないので、もう少し詳しく聞いてみたいと好奇心が湧いてくる。イリーナ先生はどんな学生で、自分の研究室を持つ前はどんな研究員だったんだろう?
「もしよかったら僕が直接彼女と話しをしてみても?」
「あ、はい。じゃあ私から連絡を――」
言うや否や、ツィツィさんは青色魔石を取り出して、そこへ声を杖で吹き込んだ。
「錬金術師イリーナ、ツィツィ工房のミケーレです。お弟子さんとの共同開発についてご相談したいので直通ツグミを飛ばしていいですか?」
びっくりだ。今ここで!? 直通ツグミって――。
ドン、と、フィオレさんが大きな青色魔石を嵌め込んだ、虹色水晶を取り出し置いた。
彼女の鞄も【ふしぎ鞄】だったのか。
「あれにゃらみんなでお話できるにゃね。さすが一流工房にゃ。時は金なりにゃー」
「なるほど……」
虹色水晶は増幅の効果を持っている。普通の声便・ツグミは、声入りの魔石を受け取って聞き、返事を吹き込みまた返す……というやり取りになる。でも直通ツグミは、核となる青色魔石を介してリアルタイムの会話ができるのだ。
そして直通ツグミ……私は初めてでちょっと楽しみ……!
『お久しぶりです、ミケーレ。まったく……突然すぎますよ? ツグミの前にハトをくださいって昔から言ってますよね? たまたま研究室にいたのでよいですが……さて、アイリスのことですね? お話しましょう』
帰って来た青色魔石がそう語ると、今度は虹色水晶が輝き始める。
そしてツィツィさんが杖を振り『ことば』を呟くと、水晶を起点に波が起き、私たちを包むように波紋が広がった。
「僕が一番親しいのが
◆
『それでは、基本的かつ最低限な部分だけ決めてしまいましょう。アイリスは、アイデアの提供とアイテムを試用し感想を伝えること。ツィツィ工房からは、アイデア料としてアイリスが必要な量の
「はい!」
「はい。よろしくお願いいたします、アイリスさん、イリーナ」
『ええ。それではフィオレさん、レシピの扱いや契約期間、細かい部分の取り決めなどは後日行いましょう。アイリス、
「はい。お忙しい先生には申し訳ないのですけど、私では契約の常識も相場もよく分かりませんから……お願いします!」
イリーナ先生の事は尊敬してるし信頼している。だから任せた方が絶対に安心だ。
あ、別にツィツィさんたちを信用できないわけじゃないけど、商取引のルールなんて、分からないものは分からない。
『分かりました。ではあなたは自分のやるべきことをしっかりとね』
「はい!」
そして先生とフィオレさんがいくつか言葉を交わし終えると、私たちを取り囲むように広がっていたさざ波が、今度は水晶に向かって波を立て、最後は『場』を仕舞う様に静かに引いていった。
「それじゃあアイリスさん! 改めて、僕と末永くよろしく!!」
「ツィツィ工房と末永くです。若ツィツィ。大丈夫、アイリスさん。この人本当にスライムが好きなだけな人なので」
「……はい。よろしくお願いいたします」
あまりの笑顔と熱っぽい視線にちょっと引いてしまったけど、ツィツィさんの気持ちは私じゃなくて、私の脳内の
ツィツィさん、本当に典型的な錬金術師すぎて――。
「面白い残念な人なのにゃー」
「錬金術師ってみんなちょっと変わってるよねぇ~」
その通りなんだけど……ちょっとイグニス、その言い方だと私も変わってるってこと!?
そして私はツィツィさん、フィオレさんと握手を交わし、この日は夜遅くまで、久し振りの錬金術談義を楽しむこととなる。
そう、スライムを使った物のアイデアだけなら沢山あるのだ。
まず、試作してもらったスライム容器。スープを入れて持ち運べる物が欲しい。スープは圧縮乾燥させる方向で考えているけど、どこでも水が十分にあるとは限らない。だからそのままで……容器に【ふしぎ鞄】の様な効果を付けてもらえないだろうかと思ったのだ。
この一人分のカップに十人分くらいで良いのだ。迷宮探索隊ならそれで全員の二食分になる。そのくらいの【ふしぎ鞄】……いや、【ふしぎ容器】にする効果付与ならば、材料費も魔力も、作る為の難易度も予算内に収まるはずだ。
だって、難易度はさらに下がるけど、近い物は私が作ろうとしているのだから! あ、これは明日錬成する予定だから今日は本当は早く寝なきゃと思っていたんだった。
「スライム容器を展開するのは良いですね……面白い!」
「硝子容器の物も……例えばポーション容器をスライム製に変える事が出来たら便利になる部分もありますね」
「軽くなったり割れる心配がないの、いいですね! あ、でも薬品類は劣化の問題もあるから硝子に色々付与してるんですよね……うーん……」
「じゃあ付与できる程度の品質の容器にすればいいのにゃ。きっと軋轢もあるにゃろうから、住み分けとか……やるにゃらツィツィは根回しが必要にゃね。大変にゃ」
「ん~……ぼく先に寝てるねぇ~~」
そんなことを話しながら、工房の夜は賑やかに更けていった。
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