第68話 繊細な騎士さんと豪胆な錬金術師さん

「いっぱいにゃね」

「アイリス重くない~?」

「うん、大丈夫! この前より袋一つ少ないしね!」


 たっぷん、とリュックの中で音を立てるのは、スライムのいる洞窟地底湖から採取してきた清水だ。

 あまりにも綺麗すぎて何もない、スライム以外には存在することができない限界まで澄み切った水。とても難しい希少薬の錬成などに使うのだ。

 迷宮で採取した『星ノ藻』もあるし、ちょっとずつ良い素材を集めて、今まで挑戦しなかったアイテムを錬成してみたいと思っている。


「予定より早く工房に帰れそうで良かった」


 岩山を後にした私達は、もう工房近くの小川沿いをのんびり歩いている。空はまだ夕方手前の明るさだ。


「くふふ~今日のごはんは花蔓無南瓜花ズッキーニの肉詰めだってアイリス言ってたよね~?」

「楽しみにゃ! 挽き肉にするのはルルススが頑張るにゃ!」


 トタタン! とルルススくんは軽快なリズムで草原を踊り歩く。

 きっと珍しい素材を採取できて嬉しいのだろう。


「んにゃ!」


 ピーンと、ルルススくんの耳が立った。


「馬の足音が聞こえるにゃ」

「馬?」


 誰だろう? ツィツィ工房の納品は明日だし、今日の訪問予定は無かったはず。また郵便だろうか…… ?

 少し速足で工房へ戻ってみると、そこにいたのは見慣れた顔の彼。


「あ、おかえり。アイリス」

「レッテリオさん!」


 馬を撫でながら振り向いたのは、少しくたびれた騎士服姿のレッテリオさんだった。


「どうしたんですか?」

「うん、これを返しにちょっと寄ったんだ。留守かと思ったから帰ってきてくれて良かったよ」

「あ、キッシュの手籠……えっ、もしかしてあの後からずっと迷宮に!?」

「うーん……まぁ、ね」


 もう何日も経っているのに、ずっと迷宮にいたなんて……。迷宮を封鎖して調査するとは言っていたけど、まさか篭り切りでとは思っていなかった。

 あの異変はそれ程の事態だったのかと今更ながらに思い知る。


「わざわざ有り難うございます。疲れてるのにごめんなさい」

「いや、俺も帰りに寄っただけだから気にしないで」


 はい、と手渡された手籠は、あの時に比べると随分軽い。ボリュームたっぷりのキッシュを詰め込んだのだから結構重かった。でも――。


「キッシュだけじゃなくてもっと色々入れれば良かったですね。レッテリオさん顔色良くない」


 じろりと見上げ目が合うと、レッテリオさんはパッと顔を逸らしてその横顔を片手で覆った。


「……ごめん、見苦しいのは分かってるからあんまり近くで見ないでほしい、な」

「見苦しいとかじゃなくて、ほら、クマとか――」


 なんだかちょっと、やつれちゃってるんじゃない?


「ごはん食べれてました? それとも寝てなかったり? あっ、もしかしてまた異変があって大変だったとか……!? それならとりあえずポーションで回復して……」


 魔力は? もしかして怪我とかしてたりしないだろうか?

 私はレッテリオさんの顔を覗き込もうと横から一歩近付き――って!


「レッテリオさん! ちょ……っ、なんで逃げるんですか! 顔色ちゃんと見せてくださ――」

「アイリス! そこまで!」


 レッテリオさん迫る私の肩をグイと押し、腕の長さ分の距離を確保し更に一歩後ろに下がると、ハァーっと大きく息を吐いた。


「俺、臭いから。あと、顔汚いと思うんだよね……その、髭とか……」

「…………ああ」


 なんだ、そんなことか。と大股一歩で距離を詰め、スン! と鼻を利かせると、レッテリオさんの頬にサッと朱が上る。


「うん、大丈夫です。故郷のガルゴール爺の方が全然臭いです」

「……誰、それ……」

「アイリス~……研究で一週間も肥料と硫黄にまみれてるガー爺とくらべるのは~かわいそうだよぉ~」

「うん。ルルススその人知らないけど、レッくんなかなかに香しいのは確かにゃよ……嗅いじゃかわいそうにゃ」


 レッテリオさんは再び顔を覆い隠し溜息を吐いた。


「やっぱり結構臭いんじゃないか俺……」



 工房に入ることを固辞するレッテリオさんの心は揺るがず、せめてもと私は玄関前にシートを広げ、キッチンからお弁当サンドウィッチの残りと冷えた檸檬水ソーダを持ち出し並べた。


「ちょっとお茶するくらいの時間はありますよね? もし全然時間あるならお風呂も――」

「この後まだ会議があるからそれは遠慮しておきます」


 それなら尚更、身綺麗にしてから行った方が良いのでは? と思ったけど、騎士団は時間に厳しいだろうし、そこまでの時間はないのだろう。それならせめてもの『回復するごはん』だ!


「ね、ね~レッく~ん! 今日のサンドウィッチはね~ぼくが焼いた新作パンなんだよ~!」

「すごいのにゃ! すごくて美味しいのにゃよ!」

「新作?」


 レッテリオさんは檸檬水で一息つくと、さっそくベーコンのサンドウィッチに手を伸ばした。一口、二口……えっ、いくら小さめに作ったとは言え、二口完食は早すぎる! これはもう少し大きく作るべき?


「アイリスこれ……」

「美味しいですか? これ生地の発酵から焼き上げまでイグニスがやってくれた時短パンなんです」

「ごめん、パン作りの細かい事は分からないんだけど……美味しいよ。なんかまた妙に回復が早い気がするんだけど、何か混ぜた?」

「あ、昨日思い付きで作ったゼリーをソーダに入れました。ほら、この翠玉色のやつ。弾力強めに作ってみたんで食感が楽しいかなと思うんですけど……どうです?」


 毎日作る夏のソーダ水、いつも同じで飽きそうだったのでちょっと工夫をしてみたのだ。


「これかー……うん、味はあんまり無いけど悪くない。で、これって?」

「大量にあったポーションの材料――回復の日輪草と怪我を治す不忍草の二つをすり潰して煮て、固める為に寒天と、あと弾力目当てでスライムも混ぜてゼリーにしてみたんです! イグニスの火で調理したからポーション効果出てますよね?」


 レッテリオさんは齧りかけたサンドウィッチを持つ手を止めて、目を見開き私を見た。


「えっ……スライム……って、食べれたんだ!?」

「大丈夫みたいですよ。【レシピ】に書いてあって無害なのは分かってたんで……ゼリーに良さそうだな~と思って。悪くないですよね!」

「う……ん。悪くは……いや魔物も食べれるけど……これスライムかぁー……」


 ちょっと複雑そうな顔をして、レッテリオさんはソーダ水を飲み干す。勿論ゼリーも「うん、プニプチしててほんと食感は申し分ない……材料以外はほんと……」とかなんとか呟いてはいたけど、綺麗に食べてくれました!


「レッくんは繊細にゃんにゃね」

「アイリスは図太いからねぇ~」




 少しだけど休憩と食事をしたレッテリオさんは多少回復した様子だ。くたびれ感はまだあるけど。


「そうだ、返した手籠に俺の連絡先を入れといたから、あとでを飛ばしてくれる?」

「あっ、そういえば連絡先交換してませんでしたね!? うっかりしてました」


『ハト』というのは『転送便』のことだ。主にお手紙を運ぶので、伝書鳩由来で『ハト』と呼ばれている。


「俺こそ。ランベルトに携帯食の件で連絡を入れろって言われて気が付いてね。ああ、そうだ。アイリスは『ツグミ』は受け取れる? 緊急の時はそっちの方が早いから、受信できると有難いんだけど」

「あ、はい、大丈夫です。でもまだ……遠距離はちょっと感度が悪いかもしれません」

「了解。多分ヴェネスティ領内でのやり取りになるから、それなら?」

「はい! 問題ありません!」


『ツグミ』というのは『声の転送便』で、青く美しい羽と声を持つ『瑠璃鶫ルリツグミ』が由来だ。声便は青色魔石に声を籠めて送る。だから青い鳥の『ツグミ』なのだろう。ちなみにこの青色魔石は『ハト』の宛名書き専用の青インクと同じく転送便専用だ。


「それじゃあ、またね。あ、約束してあった日だけど、午前中に会議が入っちゃって……訪問の時間は当日連絡する感じでも良いかな? 多分昼一刻~二刻の間になると思う」

「はい、大丈夫です。……騎士団ってお忙しいんですね」

「うーん……まあ、急に迷宮探索隊が注目されてるってだけかな。迷宮の変異が続いてるからね」

「あっ、そうだ、関係ないかもしれないんですけど……ちょっと気になった事が森であって――」

「森で?」


 私は洞窟内の『翡翠のゆりかご』と『白銀茨ぎんいばら』が今までになく高品質に育っており、その数も多かった事、それから捕食されていたスライムも同様に高品質だったことを話す。


「もしかしたら……この辺りの魔素に変異が起きてるのかもしれません。イグニスとルルススくんも何かを感じていたみたいだし――ね?」

「ルルススは何となくしか感じにゃかったけどね」

「ぼくもはっきり感じたわけじゃないけど~……魔素が集まってるようなちょっと不思議な感じがしたんだよ~」


 レッテリオさんは少し考える素振りを見せ押し黙る。

 きっと情報を整理し組み立てているのだろう。いつもの優し気な垂れ目が少し鋭くなっていて、ちょっと近付き難い――ああ、まるで貴族みたいなんだ。

 昔故郷にちょっとの間だけ湯治に来ていた、大臣だか将軍だったか……そんな偉い貴族の人の雰囲気を思い出す。


 目の前に私はいるのに、ここにいる人間なんて通り越して何か遠く、他のものを見据えているような目。どうしてそういう人の目はこう……怖いくらいに冷静でヒヤリとしているのだろう。


「……、か。……うん、分かった。教えてくれてありがとう、アイリス」

「……はい」


 私の作った笑顔はちょっとぎこちなかっただろうけど、それ以外はいつも通りに見送った。


「あとでハトよろしくね!」そう言って振り向いたレッテリオさんは、もういつもの私が知っているレッテリオさんだった。

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