第61話 ガトーショコラの黄金柑ソース添え

 ヒンヤリ冷やされたお皿の上に乗るのは『ガトーショコラの黄金柑ゴールデンオレンジソース添え』

 黒に近い艶やかな焦茶の真四角に、ゆっくりフォークを落とせば伝わってくるその質感。染み込むようじんわりと落ちていく。


 あああ、チョコレートがスポンジに密に練りこまれている……!

 なにこれしっとりの権化!?


「いただきます……!」


 パクリ。一口いただけば舌にとろけ広がるチョコの味!

 そしてほんのり香るお酒の風味と、黒茶の断面に見え隠れする黄金色――削られた黄金柑ゴールデンオレンジの皮だ。皮ごと食べられるくらいに柔らかい黄金柑ゴールデンオレンジだから、口の中に残ることもなく、しっとりスポンジとよく馴染んでいる。


「おいしぃい……!」


 私は小声でそんな悲鳴を上げた。


「お~いし~~よ~! カーラ~~! 甘くてすっぱくてあま~い!!」

「でしょう!? この夏の自信作なの!」


 カウンターからこちらを覗くカーラさんは満面の笑み。

 『金の斧亭』は今ランチライム後のカフェタイムだから、厨房に入るのはバルドさんではなくスイーツ担当のカーラさんだ。


 時刻はもうしばらくで昼三刻半の鐘が鳴るだろう頃。

 ルルススくんを待ちながら、私とイグニスは先にケーキを頂き休憩していた。


 カフェタイムはランチ程には忙しくないようで、給仕役のバルドさんは、私の向かい側で珈琲カッフェを飲んでいる。


「ああ本当に美味しい……! バルドさん、このチョコレートってもしかして……」


 その珈琲の香りに「」と訊ねてしまう。


「ん? ああ、迷宮産じゃあない。珈琲カッフェならいざ知らず、加加阿カカオなんか自分で加工できないからな」


 ああ、やっぱり。ニヤと笑い飲むその珈琲カッフェは迷宮産なんですね……と私は微笑み返す。


「錬金術師なら加加阿カカオの加工も簡単だと聞くが……加加阿カカオが欲しいのか? それともチョコレートか?」

「チョコレートの方が有り難いですね。加加阿カカオの加工はやったことないので……」


 そう。このチョコレート、最近は錬金術師の新しいお仕事として定着しているのだ。

 チョコレートは元々、海向こうの国から『チョッコラータ』という珍しい薬として入ってきた飲み物だった。

 そして原材料の加加阿カカオもカカオマスも、チョッコラータも、錬金術で加工出来るようになるまでは宝石並に高価だったそう。


 だけどそれも今は昔。

 国内では更に高級、高品質な迷宮加加阿迷宮カカオが発見され流通し始めた。次いで錬金術の加工技術が進み、かつては高価だったチョコレートも、背伸びで手が出せるお値段になっている。


「どのくらい欲しいんだ? もしかして、レッテリオが注文してる携帯食に使うのか?」

「はい。でもまずは試作からなんですけど……」

「それならうちの在庫を分けてやろう。材料としてのチョコレートは箱単位でしか買えないからな。まだ試作段階なら板が二枚もあれば良いんじゃないか?」

「……板?」

「知らないか? 材料用のチョコレートは板状に加工してあるんだ。小売はしてないから一枚が俺の掌十二枚分くらいの大きさだな」


 大きいし重そうだ。それに……。


「チョコレートもまずは砕かなきゃかー……」


 たっぷり付けた黄金柑ゴールデンオレンジのソースは、ほんのりと酸っぱかった。




「ね、ね~カーラ~! 黄金柑ゴールデンオレンジはケーキの中に入れないの~?」

「んー生のまま入れると焼いた時におかしなことになるし、乾燥果実ドライフルーツだとちょっと固くて口に残っちゃってね? だから皮だけ入れたの。香りが立って美味しかったでしょう?」

「うん~! 皮もおいしいんだね~! でもそっかー……」


 イグニスは口についたチョコをペロッと舐めて、カーラさんが持つ黄金柑ゴールデンオレンジの前にふよりと飛んだ。


「ね、ね~アイリス~! これちょっとやってみてもい~い?」

「ん? 何するの?」

「ちょっとやってみたいことがあるんだぁ~」


 イグニスは黄金柑ゴールデンオレンジをペシペシ叩きなんだかやる気だ。


「えっと……お店の中で精霊が力を使っても大丈夫ですか?」 

「構わない。何なら籠ごと好きにしていいぞ」


 バルドさんはキッチンから黄金柑ゴールデンオレンジの入った籠を持ち、カーラさんもニコリと笑って頷く。


「それじゃやるよ~! ――……ごーるでーん!」


 妙な掛け声と共に、赤い光が店内を照らし、黄金柑ゴールデンオレンジの籠にキラキラと降り注ぐ。

 すると広がったのは、柑橘独特の甘酸っぱく瑞々しいその香り。


「あ、で~きた~~! ねぇねぇカーラ~! これならどうかなぁ~?」

「出来たって……えっ、これ、どうなってるの!?」


 カーラさんは黄金柑ゴールデンオレンジを摘まみ指で割ってみた。

 元々が小ぶりで皮まで柔らかい黄金柑ゴールデンオレンジだから、女性が素手で割っても驚くことはない。だけど普通ならプシュッと飛ぶだろう果汁は無く、じわり、といった雰囲気で果実が顔を出したのだ。


「えっ」


 私も割られた果実を覗き込み、そしてイグニスを見上げた。


「これなら固くないかなぁ~って~!」


 えへへ、と胸を張り、一回転で黄金柑ゴールデンオレンジの上に飛び乗って、イグニスはの――。


 ……なんだろう? これ? 半生乾燥果実半生ドライフルーツ? に齧り付いた。


「うん……美味しい。まったく……これじゃあ夏の新作ケーキは作り直しじゃない?」

「また新作~!? やった~ぼく食べにくるよ~!」


 イグニスが作ったそれを、私もそっと手に取り割ってみる。

 果汁が飛び散るようなことはないが、でも柔らかくて瑞々しさも失っていない。

 歯を立ててみると「じゅわぁ」と静かに水分が染み出してくる。粒の中に液体が満たされているのではなく、その身に染み込み凝縮されているよう。


「生じゃないけど半分乾燥されたような……でもしっとり感もある……」


 これ、面白い……!


「イグニスってばさすが! お料理上手な炎の精霊サラマンダー!」

「んん~! ぼく褒められてるけどびみょうなきもち~!」



 ◆



「んにゃっ? にゃんにゃのにゃ!? イグニスの魔力の残滓があるのにゃ! にゃにをやったんにゃ~?」


 三刻半の鐘から少し後。

 ルルススくんは鼻をくんくんさせ嗅ぎ『金の斧亭』の扉をくぐったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る